04


一触即発ってこういうのを言うんだろうか。でもわたしはそのピリッとした空気を続ける事が出来ず、その場にへたり込む羽目になってしまった。


「…花巻さんんん」
「うわ、ちょっとちょっと大丈夫?」


そこがただの道路である事も構わずに座り込んだわたしを見て、花巻さんはぎょっとして近付いてきた。
だって緊張の糸が切れてしまったんだもん。元恋人との偶然の再会、しかも嫌味っぽいことを沢山言われて、泣かないように気を張っていたのだ。
そしてその糸が切れたという事は、花巻さんの前にも関わらず思いっきり涙が溢れてしまったという事。


「あれが元カレっすか」
「ぞうでずううぅぅ」
「チャラついてんなー、人の事言えねーけど」


この人、自分のことチャラいと思ってるのか。花巻さんは確かに見た目ちょっとチャラいけど言動はしっかりしていて信頼できる。それに今だって、言いたい放題だった元カレの誠に気持ちよくズバッと言ってくれた。何を言ってくれたのか、緊張してあまり覚えていないけど。
そんな事よりもう悔しくて仕方ない。あいつ、わたしの事をこっぴどく振ったくせに!


「白石さん、俺が言うのもなんだけど顔ぐしゃぐしゃだよ」


花巻さんが苦笑いしながら言った。頭の中は怒りで溢れているけれど、顔からはやっぱり涙と鼻水しか出ていないようだ。


「うう…すみません」
「時間ある?」
「え」


あるとも無いとも答えないうちに、花巻さんは座り込むわたしの腕を持って立ち上がった。





連れて行かれるがままついて来たのは怪しい場所、ではなくて普通の居酒屋であった。平日の夜ということで店内は程よくざわついており、通された席もカウンターやテーブル席ではなくなんと個室。


「…!?え、あのここは」
「ここなら誰にも見られずに泣けるっしょ」
「え!」


なんと、顔がぐしゃぐしゃに崩れたわたしを気遣って個室居酒屋に連れてきてくれたのだ。
誠への怒りはもちろん治まっていないけど、それより今は花巻さんへの申し訳なさが何倍も大きい。あんな酷い男のために無関係の花巻さんを巻き込んでしまった。しかもあの場で言い返してくれただけでなく、こんな配慮まで。


「わ、悪いですそんな花巻さんを連れまわすなんて」
「今日は休みだしいいよ、ツレの髪切った帰りだしね。ちょうど腹減ってたし」


そう言って花巻さんはメニューを眺め、適当にいくつか注文した。
ちなみに、ドリンクは?と聞かれたもののここでお酒を頼むほど厚かましくないので、わたしは烏龍茶を頼んでおいた。


「それにしてもさあ」


運ばれてきた飲み物と料理をつつきながら花巻さんが言った。


「白石さんて、ダメ男ホイホイって感じするね」
「ぶっ」


口からサラダとドレッシングが出そうになった、危ない危ない。って言うか、ダメ男をホイホイしているつもりは無いんだけど。


「何て言うんだろ?従順そうって言うか。ああいう男はつけあがると思うよ」
「……そうですかね?」
「完全に白石さんの事、下に見てたじゃん」


そう言われると、もっともである。
付き合い始めの頃は対等だったと思われる関係も、だんだんと主導権は元恋人の誠が握るようになっていた。髪型も彼の言うとおり、デートの場所も彼の希望どおり、ついでに身につける下着も…ってコレは今関係ない。

とにかく花巻さんはさっきの場面だけを見て、わたしたちがどのような関係にあったかを言い当ててしまった。それだけじゃなく、さすが美容師と言ったところだけど、髪の毛の細かい所までも。


「…分かるもんなんですね」
「なにが?」
「あの…わたしの頭が…きれいな丸じゃない事とか」


坊主にした事は無いから詳しくは分からないけど、わたしは花巻さんと誠の言った通り頭の形が真ん丸ではない。
だからって不自然なわけじゃないけど、ポニーテールにした時に頭の形が分かるのが嫌で、編み込んだりハーフアップにしたりして誤魔化していたのだった。


「あー…あれね、ごめんね目の前でハッキリ言いまくって」
「いや…」
「日本人はまあるい頭の人なんか稀だよ。だからちゃんとその人の形に合わせて切ってるよ、言われなくても。…というのを言いたくなっちゃいました」
「すみません…」
「白石さんが謝る事じゃないよ」


花巻さんってきっと、技術を持っているのにそれを鼻にかけていないんだろうな。それでも技術面のことを言われると頭に来るんだろうな、当たり前か。誠はまだスタイリストデビューを果たしていないアシスタントの身だし。
まあ、そんな誠でも髪の毛に関する知識はわたしよりも豊富だったし、たくさんのアドバイスを貰ったことがあるんだけれども。


「…わたし、色々コンプレックスの塊なんです。でもずっと伸ばしてた髪だけが自慢で」


顔が悪いのももちろん、鼻が低いとか二の腕が太いとかくびれが無いとかその他諸々。
他にも料理が段取り悪かったり、音痴だからカラオケが苦手だったり。世の中の女の子が抱える悩みはひと通り持ってるんじゃないかってほど。
そんな中たったひとつ、幼い頃から伸ばしていた髪がさらさらである事が自慢であった。


「で、その髪褒めて貰ったら、なんか…有頂天になっちゃって」
「うん」
「この人と結婚するんだ!とか思って」
「あー…うん。それ俺も悪いかも」
「そんなことないです…」


花巻さんは断じて悪くないのだが、いつだったか冗談で「結婚式には呼んでくださいね」なんて言われた事を思い出した。その事を言っているのかも知れない。


「でも結局、知らないうちに浮気されてました。そっちの人と付き合うって言って」


それを伝えると、花巻さんは「うげぇ」と苦そうな顔をした。ホント、うげぇって感じだ。


「…まあいくら彼氏の希望通りの髪型にしても、それ以外のところが駄目だったって事ですね」
「そうかな?そうは思わないけど」


花巻さんは首を傾げていた。
本当にそうは思わないのかな?わたしに話を合わせてくれてるだけだったりして、と花巻さんを見ると、ちょうど花巻さんも噛んでいた料理を飲み込んでわたしを見たところだった。


「見る目が無かったんだよ。相手も白石さんも」


見る目が無かった。その言葉が今日ほどしっくりきた事は無い。
わたしには見る目が無かったのだ。あの人がどんな男で、簡単に浮気をするような人間だと見抜けなかった。
相手に見る目が無かったというのは、わたしにはロングじゃなくて短いほうが似合うというのを見抜けなかった事だろうか?





「…話聞いてくれてありがとうございました…あと、あの…ご飯まで」


涙もしっかりおさまって、ついでに晩御飯も居酒屋でご馳走になってしまい、至れり尽くせりの時間が終わった。


「いいのいいの、ほとんど俺が食ってたじゃん。帰れる?」
「大丈夫です」


ふたりで居酒屋から家方面までの道を歩いていく。美容室はわたしの家の近所だから、花巻さんの家もあまり遠くはないのかも。でもさすがに家まで送ってもらうわけには行かないので、花巻さんが万が一「送ろうか」と言ってくれる前にお別れしなければ。


「えと、じゃあこれで」
「あ。ちょっと」


ところが、最後に挨拶しようとしたわたしを遮って花巻さんが言った。


「コレ。何かあったら連絡ちょうだい」


そう言って差し出されたものは美容室のレジ横に置いてあるカード。…の裏に花巻さんの名前と連絡先が書かれているものだった!


「……え?これ」
「いや変なふうに思わないでね?もしかして帰ってから一人で閉じこもっちゃわないかなって。変な考えに至ったりとか」
「…自殺とか?」
「もしかしたらね」
「こわっ!しませんよ」
「しないか。はは」


花巻さんってわたしが自殺とかするような人間に見えてるのか。それほど今日のわたしって落ち込んでた?
良いのか悪いのか分からないけどわたしは自ら命を絶つ度胸は無いので、花巻さんのお世話になる事は無いように思うのだが。だから、連絡先を貰っても個人的に連絡する機会があるかどうか…いや、礼儀として連絡するべき?こんなの貰ったことないから分かんない。

こういう時どうするのが正解なのか分からずに悩んでいると、「まあまあ捨ててもいいから貰っといて」と花巻さんはけらけら笑っていた。