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女子高生の夏休みってもっと華やかでキラキラしてて、「彼氏とお出かけするの」とか「歳上のダーリンが車で迎えに来るの」とかそういう事が一度くらいはあるもんかと思っていた。

それが高一・高二の夏は半分がバドミントン部の練習、半分はダラダラと過ごしてしまい彼氏が出来ることも無く。
高三になってからは愛だの恋だの言ってられなくなった。家庭教師が毎週日曜日に勉強の進捗を確認してくるし、そのためには月曜から土曜も勉強しておかなくてはならない。

わたしの高校生活終わったな、これはもう大学生活に懸けるしかない。
宮大に入れば真面目で素敵な人が多いはずだ。なんなら国見先生の同級生とかを紹介してもらえばいい。先生は頭がいいから、きっと同じように勉強が出来て素敵な友人がいるに違いない!

…とここまでが昨日までの妄想で、今は予想もしなかった展開に頭を抱えているところ。


『佐々木に連絡先聞いた。小田だけど分かる?』


佐々木とは、バドミントン部もクラスも一緒でわたしの一番の親友ユリコである。
そして小田とは、この間ユリコを含む複数名で海に行ったメンバーのひとり。というか、わたしに好意を寄せているっぽい事を言っていた男の子だ。

その小田くんから、メッセージアプリでメッセージが来た。わたしのアカウントを教えたのはユリコ!あのヤロー。


「わ、か、る…よ。っと」


当たり障りなく返さなくてはならない。小田くんに思わせぶりな事をしてはならない。わたしは小田くんに恋愛感情を持ち合わせていないからだ。


『この間変な事言ってごめん』


いきなり本題と思わしき内容が送られてきた。どうしたらいいのコレ。
ユリコに相談しようかとも思ったけど、わたしの連絡先を教えたのはユリコだしなぁ。それにもし本当に小田くんがわたしの事を好きなら、こんなの他言されたくないだろう。ひとりで解決したほうが良い。


『海のこと?全然気にしてないよ』


これでいい。気にしてないし。…ちょっとだけモヤモヤしたけど。ひとり納得して送信するとすぐに既読がついて、そして、返事もすぐに来た。


『ちょっとは気にしてて欲しかったけどな、笑』


最後に「笑」って付いてるじゃないですか。これ、たぶん小田くんの気持ち、マジなやつじゃないですか。わたしは全く笑えなくなった。


『受験勉強はかどってる?』


悩んでいると小田くんが話題を変えてきた。わたしからの返事が遅いことに気づいたのかもしれない。


『まあまあだよ。そっちは?』
『そろそろ本腰入れなきゃなって感じ』
『まだ入れてなかったの!?』
『そーそー、ヤバい笑』


また「笑」。これは何かを誤魔化すために入れた文字なのか、それとも。


『そんでさー』


考えているうちに、小田くんからは続けて短いメッセージが送られてきた。


『次の土曜日空いてない?』


次の土曜日。今週末だ。ほんの数秒しか経っていないだろうけど、何分間も返事を探したような気分。最終的にわたしがえらんだ返答はこれだった。


『ごめん、その日は家庭教師なんだよね!』


小田くんはわたしに家庭教師の先生が居るのを知っている。教室や海でその話をしたからだ。だから家庭教師を理由に断ると『そっかぁ』とそれ以上誘われることは無かった。
国見先生が来るのは、本当は毎週日曜日だけれども。



それから小田くんと連絡を取らないまま数日が経過し、ある日の昼間。お母さんがバタバタと誰かと電話をしたり家事をしたりしている、その合間にわたしが呼ばれた。


「すみれー、悪いんだけどさぁ、適当なお土産買ってきてくれない?」


お土産、と聞いて何のことかすぐに分かった。もうすぐ家族でお母さんの実家へ泊まりに行くのだ。その時に持っていくお土産を、いつも今ぐらいにデパ地下に買いに行っている。


「…お土産なのにテキトーでいいの?」
「あんたのセンスに任せるから。息抜きしたいでしょ勉強の」
「んー、まあ…」


そう言えば海に行って以降、ユリコや他の友だちとも会っていない。主に勉強したり、大学のオープンキャンパスにも何ヶ所か行ったくらい。
お母さんの「息抜き」という提案を受けて、ひとりで行ってみることにした。


「…ずんだ餅?って、もう少し賞味期限長くないと駄目か」


夏休みという事もあってか、仙台駅の周辺はいつも以上に人が多い。デパ地下スイーツを巡っての列とか、普段は混まない喫茶店も今日は忙しそうだ。
早くいい物を見繕って帰らなければと思いつつもウロウロ歩いていると、後ろから控えめな声がした。


「白石?」


今、名前を呼ばれたような。
振り返ってみると、わたしの顔を見て安心した表情の男の子が立っていた。


「……あ…お…小田くん」
「合ってた、良かった。何してんの」


小田くんはわたしの後ろ姿だけでは自信が無かったらしく、気の抜けた笑顔になっている。
わたしは逆に緊張してしまった。だって、つい先日小田くんからの誘いを断ったばかりだし。世間話だけして早めに別れよう。


「お盆にお母さんの実家行くから、お土産買おうと思って」
「そうなんだ…あれ、今日は家庭教師じゃないの?」
「家庭教師は日曜だよ」
「……日曜?」


しかし、小田くんが怪訝な顔をしたのでマズイ事を思い出してしまった。


「俺、この前、今日の予定聞いた時…」
「えっ、と、あー…と」


すっかり忘れていた何日か前の記憶が蘇る。
メッセージのやり取り。小田くんはわたしに「土曜日は空いているか」と聞いた。わたしは家庭教師だからと嘘をついて断った……やばい。今日は土曜日だ。
小田くんの中では、わたしは今日家庭教師の予定だったのだ。


「……今日は違ったんだ」
「ごめん…」


謝る以外の選択肢が浮かばなくて、その場ですぐに謝罪した。小田くんは呆れているか、それとも起こっているだろうか。または悲しんでいる?いずれにせよ悪いのはわたしだ。


「…なあ。気づいてるだろうから言わせてもらうけど」
「!」


けれど小田くんはわたしを責めたり問い詰めるのではなく、驚きの行動に出た。ぶら下がったわたしの手をぎゅっと握りしめたのだ。
まさか今ここで、告白する気だろうか?周りをたくさんの人が行き交う中で。


「ちょ、駄目だってば…そういうのここで言わない方が」
「何で?それも家庭教師の教えかよ」
「違うってば!どうしたの小田くん、落ち着いて」
「お前のせいだろ!?」


小田くんは普段の彼とは違っていた。初めてわたしを「お前」と呼んで、彼自身もわたしもハッとした。
すぐに小田くんはゴメンと呟くも、その続きはしっかりと発音された。「俺、白石の事が好きなんだ」。


「……ごめん、」


反射的にわたしは言った。どうせ反射ではなくても、出てくる言葉はきっとコレだった。


「わたし、小田くんの事はそう言うふうに見れなくて」


まさかなあとは思いつつも、「小田くんがわたしを好きだとしたら」とここ一週間は考えていた。考える度に行き着く先は同じで、わたしは小田くんのことをクラスメートとしてしか見ることが出来ないという事。


「今は受験に集中したいし。せっかく先生が教えに来てくれてるから」


それに、恋愛に浮かれて受験勉強を疎かにしたくないのは事実だった。国見先生のおかげで勉強がだんだん楽しくなり、成績も上がり、明確な志望校を決めることも出来た。無事に合格して先生に恩返しをしたい。
でも小田くんは、わたしの口から「先生」という単語を聞いた瞬間に鋭く言った。


「…家庭教師って男?」
「え」
「男なの?」
「そ、そうだけど」


そしてわたしが肯定すると、呆然としたような、笑顔でもなく怒りでもない困惑した顔で黙り込む。わたし、何かおかしい事言ったっけ。わたしも黙り込んでいると、小田くんは震える声で話し始めた。


「…なんだそれ。男の家庭教師なんか部屋に入れてんのかよ」
「………え?」
「そいつ何歳?」
「大学生の人だけど…」
「はぁ?」


そこで小田くんの声は少し大きくなった。怖い。今はきっと、怒ってる。


「大学生って…白石が高校生だからって変な目で見てるかも知れねーじゃん」
「なっ、え!?そんな事ない」
「あるだろ、しかも女子高生と部屋ん中二人きりとか」
「勉強しかしてないってば」
「ほんとかよ」


小田くんは何か勘違いというか、悪い方向に考えているらしい。
わたしと国見先生は勉強以外の事なんてしていない。そりゃあ時々部活の話とか、この間も海に行った写真を見せたりしたけれど、そんなの倫理的には何の問題も無いはずだ。でも小田くんは、どうしてもそっちの方面に思考が進んでいるようだった。


「…何かマジで俺、馬鹿みたいじゃん。男なんか部屋に入れてたのかよ」


カチン、と頭の中で何か鳴らされたような気がした。カチンと来た。そうだ、わたしは今カチンと来たのだ!この人に!


「…変な事言わないでよ」


怒りで声が震えるって、多分これを言うのだろう。頭が真っ白になるって多分コレ。「頭に血がのぼって覚えてません」っていうのもきっとコレだ。気付けばわたし、小田くんの服を強く掴んで睨んでいた。


「先生は馬鹿なわたしにも懲りずにちゃんと教えてくれてるんだよ。会った事もないくせにそんな事言うのやめて」


国見先生は決して優しくてユーモアのある人じゃない。でも真面目で、たぶんちょっと不器用で、曲がったことは大嫌いな人なのだろうと思う。
わたしがやる気を出さずに低い目標ばかり言っていた時には叱ってくれたし、三年間取り組んだバドミントン部を引退した時には労ってくれた。
国見先生は女子高生の部屋に入って生徒とどうこうしたいとか、誓ってそんな事を考える人じゃない。


「…国見先生のこと、悪く言わないで」


だから今、小田くんが先生に対して言ったことがどうしても許せなくって。わたしが嘘をついたのは悪い、小田くんの気持ちに初めから向き合っておけばよかったのに、という反省点すら浮かばなかった。この時だけは、どうしても。