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わたしが今の美容室に通い始めたのは十ヶ月くらいの事。実家から仕事に通っていたわたしだったけど、これまで一度も一人暮らしをしたことが無いので「経験しておけ」と家を追い出されてしまったのだ。

最初は自分じゃ何もできないし寂しいしで憂鬱だったけど、慣れた今ではとっても気楽。そして美容室も、家の近所にあところに小さい頃から通っていたのを少しお洒落なお店に変えた。
そこで出会ったのが美容師の花巻さんである。


「はじめまして」
「は…じめまして」


一度目の来店の時、それはそれは緊張していた。だって今まで通っていたところは本当に地域密着型というか、言っちゃ悪いけどお洒落の「お」の字も無いような…いや、少しはあったかもしれないけど…まあそんな感じのお店だったから。

だから初めて訪れたお店で、綺麗な鏡が並んだ店内を案内されて、大きな椅子に座らせてもらって、現れたのが「お洒落」という言葉をそのまま人間のカタチにしたような花巻さんだったのでカチコチに固まってしまったのだ。


「担当させてもらう花巻です。よろしくお願いします」
「お願いします」
「白石さん…はうちの店、初めてですよね?どこで知ってくださったんですか?」


男性の美容師に担当されるのも初めてで、わたしは更に緊張した。普通の美容室ってこんな事聞かれるのか。今まで行ってた店では聞かれなかったぞ。親の紹介だからかもしれないけど。


「最近引っ越してきて…で、家の近くでネットで探してたら見つけました」
「なるほど。新卒とかです?」
「に…二年目です」
「あれっスミマセン、若々しく見えたんで」
「いやいや」


花巻と名乗ったその人は、わたしの緊張を解すように話してくれた。営業トークってやつだろうか。ある程度わたしの肩の力が抜けたところで、失礼します、と声をかけながら今度は髪を触り始めた。


「伸ばしてるんです?髪」


花巻さんはコームで左右の髪を解きほぐしている。彼の言うとおりわたしは髪を伸ばしている、というかずっと長いのだ。髪型を変えるという選択肢を持ったことが無い。


「そうなんですよ、ちっちゃい頃から短くした事なくて」
「バッサリいこうと思った事は?」
「あんまり…冒険すんの怖いなーって思って」
「確かにね、わかります」
「なので、量だけ減らしてもらえたら…」
「分かりました、毛先もちょっと整えときますね」
「はーい」


思えばこの時花巻さんは、わたしにやんわりと「髪を切ってみてはどうか」と提案していたのかも知れない。
でも初めてだったからあまり強く自分の意見を言わず、わたしの希望に合わせてくれていたのだろう。





二ヶ月後、二度目の来店。この日も前と同じくらいの時間帯に予約をしたが、少し混んでいるようだった。
前に担当してくれた花巻さんに頼みたいけど、忙しそうだから別の美容師さんになるかも知れない。またイチから色々話さなきゃならないのか、緊張するな、と思っていた矢先のこと。


「コンニチハ」


笑顔で話しかけてくれたのは花巻さんだった。下手したら指名しなきゃ担当してもらえないかと思ったけれど、「同じ人のほうが安心でしょ」と今回も花巻さんが施術してくれる事になったのだ。


「新生活はどうですか?」


すごい。花巻さん、先日のわたしが引越しを終えたばかりだと言うのを覚えていたらしい。


「…ホームシックは治りました」
「おおー進歩っすね」
「その他は変わんないですね…仕事は変わってないし」
「そうかあ」


そう言いながら毛先の傷み具合などを確認していく。そして、花巻さんからの二度目の提案があったのは恐らくこの時だった。


「髪型は変えてみようとかは思わないんですか?」


きっと短いほうが似合うよ、と言われたならば話は違ったかも知れないけど。この時もまだわたしは頭を悩ませた。


「うーん…」
「維持?」
「…維持で」
「了解でっす」


花巻さんも、短くすればいいのに、などと言うことはなくわたしの返事に同意した。
でもそう言えば、わたしの気にしてる顔周りの毛が少し軽くなったのはこれくらいの時期だ。長さはそんなに変わらないけどスッキリしたな、となんとなく感じたんだっけ。





そしていよいよ三度目、これが花巻さんに髪を切ってもらう最後の時となった。
まぁ彼氏に振られてからまた通い始めたんだけど、振られる前の最後の来店。


「白石さん、こんにちは」
「あ!こんにちは」


この日のわたしはウキウキだった。なんたって美容院の後、出来たばかりの彼氏とデートの約束をしていたのだ。
そのテンションの上がりようが花巻さんにも伝わっていたらしく、すぐに彼はニヤリと笑って言った。


「何か良い事あったんでしょう」
「え」
「顔に書いてあるっすよ」
「え!?」


嘘だ、そんなにわたしニヤけてる?思わず目の前の鏡を凝視すると、花巻さんがぷっと吹き出した。


「嘘です、前と雰囲気違うから。服装とかね」
「え…すご。よく見てますね」
「そりゃねー」


髪の毛をさらさらと撫でながら、前回からどれくらい伸びているのかを確認している。それと同時にわたしの顔とか雰囲気も察知している。わたしがいかに浮かれているかということを。


「ズバリ当てにいくけど、出来た?」


クイズ番組で渾身の解答を出したようなドヤ顔。大当たりである。
わたしはこの時美容師の彼氏が出来たところで、その彼と初めてのお泊まりデートの前だったのだ。だからわたしは「彼氏出来たっしょ?」という意味の言葉に必要以上にニヤけてしまい、さぞ気持ち悪かっただろうと思う。


「…やだあぁ〜」
「ハイそれこっちの台詞です」
「恥ずかしいいぃ」
「ハイハイ今日だけ聞いてあげますからどうぞ惚気てくださいな」


わたしがどれだけ阿呆らしいニヤケ顔を見せても、花巻さんは面白おかしく会話をしながら聞いてくれた。


「…あのね、実はね、その人も美容師なんです」
「お!同業」
「正確には見習い?って言ってて」
「アシスタントかな?」
「多分そんなやつです」


フーン、と花巻さんが言うのが聞こえた。


「で、わたしの髪が長くてさらさらで綺麗だねって言ってくれるんですよ!髪の毛褒められるとかあんまりないじゃないですか!」
「切ったの俺ですけどね」
「半分は花巻さんの手柄にしてあげます」
「マジっすか。結婚式呼んで下さい」
「ええー!結婚とか」


そんなのまだ考えられない!けど、いつか結婚する事になるのかな?その時は花巻さんにヘアセットを頼むべき?それとも新郎である彼にやってもらうべき?
…なんて、夢みたいな話で想像を膨らませた。もちろんそれを花巻さんにも話しながら、幸せですねぇとか、俺の料理にはピーマン抜きで〜とか、披露宴の話にも花を咲かせた。


「じゃ、彼氏と仲良くしてくださいね」
「ふふふ…はい」
「あ、余計なお世話ですか」
「そこまでは言ってません!」


そんな他愛ないやり取りをして、この日もわたしは長い髪のまま施術を終えた。いつものメニューに加えてちょっといいトリートメントもしてもらった。なんたってお泊まりの前だったから。


「お幸せに〜」
「ありがとうございまーす!」


ルンルン気分でお店を出て、向かうは彼氏との待ち合わせ場所。
花巻さんとの会話のとおり、このまま順風満帆に付き合いを重ねていつかは結婚するんだろうなと思っていた。ほんの四ヶ月後、彼氏の浮気が発覚してアッサリ別れを告げられるまでは。