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失恋をきっかけにイメージチェンジをする事はよくあると思う。髪を切った女の子を見て「失恋したの?」なんて決まり文句みたいなもんで、実際失恋したわけじゃない事のほうが多いんだけど。わたしも何度か言われた事があるし、その都度「ちがいますー」と笑いながら答えたものだった。

しかし今日、生まれて初めて失恋による断髪をする事になったのだ。


「三時に予約してた白石です」
「白石様ですねーどうぞー」


受付を済ませて荷物を預け、携帯電話だけを持って案内された席へ向かった。
初めて来たサロンでは無いけど少し緊張する。だってこれまでは二ヶ月に一度足を運んでいたのに、今日ここに来たのは四ヶ月ぶりの事なのだ。


「あれ?白石さん、お久しぶりですね」


と言いながら、いつもわたしを担当してくれる美容師の花巻さんがやって来た。
特に指名をしているわけではないけれど、初めての担当が花巻さんだったのでいつも彼が髪を切ったり染めたりしてくれるのだ。それはわたしが特別なのではなく、単に「他の指名と重ならなければ、基本的には最初に担当した人がやる」とお店の中で決まっているらしい。

だから花巻さんに会うのも初めてではないけど、結構期間が空いたのに覚えられていた事に驚いた。それと同時に気まずさも生まれた。


「お久しぶりです…」
「だいぶ伸びたっすね?今日はカットって聞いてますけど。失礼しまーす」


花巻さんはわたしの気まずい気持ちを知らない、知るはずもないので以前のとおりに接してくれた。
まずは今の髪の状態を見ようとしているのか、わたしの髪へ指やコームを通しながら、表面や内側を観察している。そして、顔周りの毛を見ている時にその手を止めた。


「…あれから誰かに切ってもらいました?」
「え、」
「俺の切り方と違うから」


うわ、やっぱり分かるんだ。
そこから更にわたしの気まずさは増していった。何故なら花巻さんの言うとおり、花巻さん以外の別の人が手を加えたからだ。


「実はですね…あの、彼氏できたって言ってたの覚えてます?最後にきたとき」
「あー」
「その人が美容師で」
「ああ!そういえばそうだった。じゃあコレ彼氏に切ってもらったんだ」


なるほどね、と言いながら花巻さんは持っていたわたしの髪をはらはらと下ろした。
そこで話を終えれば良かったのに、この時のわたしは誰かに聞いてもらいたくて仕方が無かったのだろう。花巻さんには関係の無いことだと分かりつつも、話を続けた。


「…もう、元カレですけど」
「へ?」


ヘアカタログをめくりながら聞いていた花巻さんは、またもや手を止めた。


「この前振られまして…」
「あらら」
「だから、また来ちゃいました…恥ずかしながら」


半年から一年ほどの間ここに通ってお世話になっていたのに、美容師の彼氏が出来たからってパタリと来なくなった事に少しの罪悪感があった。まあ、お客さんが一人来なくなったって特に気にされていないだろうけど。

それでも「別れたから」という理由でまた通い始めるのは気まずかった。だからって全く知らないお店に新たに通い出すのも不安。というわけで結局ここに戻ってきたのである。


「まー色々ありますよね!深くは聞かない事にします」
「あはは、助かります」
「気分転換しちゃいましょ、どのくらい切ります?」


こういう事は珍しくないのだろう。花巻さんがカタログを見せながら聞いてきた。

どのくらい切るか、それが問題だ。わたしはずっと髪を伸ばしていた。
四ヵ月前、つまり最後にここに来た時は少し切ってみようかなと思っていたんだけど、彼氏に「長いほうが好み」と言われて切るのをやめたのだ。


「…もしもーし?」
「えっ、あ、ごめんなさい」
「いえいえ」
「ずっと伸ばしてたんですけど…その、元カレがロングが好きだっていうから」
「はあ」
「でももう飽きちゃったし…バッサリ行こうかなって」
「ショート?」
「か、ボブ。でも短くするのは初めてなんで似合うかどうか」
「確かに勇気要りますよねー」


思えば小学生の時からずっとロングだったのだ。少女漫画とかお姫様に憧れていたから。ツインテールをしたり三つ編みしたり。
だから髪を結べなくなる長さまで切るのはどうしても抵抗がある。でもあの人のことは忘れたい。

花巻さんは会話の最中もわたしの髪を触りながらシミュレーションしていたようだったが、やがてパッと手を離した。


「俺なら似合うように切れる気がするよ。どーする?」


自信にあふれた顔でそう言われると、そうかな?似合うかな?と思えてくる。
良いかもしれない。これを機にがらりとイメージチェンジするのも。髪と一緒に悪い思い出も切り捨てるってやつだ。


「…わかりました!」
「おっ」
「忘れようと思うので、花巻さんに任せてもいいですか」


人任せにするのもどうなんだ、髪を切ったからって失礼を乗り越えられるのか。
色んな意見はあるだろうけど、一度くらいは「失恋して髪を切りました」という体験をしてみてもいいだろう。もしかしたらそれが転機になるかも知れないんだし。前に進むためのきっかけになるかも知れないんだしさ。

シャキン、時にはジャキンと、花巻さんのハサミは勢いのいい音を鳴らせていた。
どう変わんだろ、髪を切ったわたしの見た目。どうなるんだろ、髪を切ったわたしの人生。って大きな変化は無いんだろうけど。明日会社で「髪の毛切ったの!?」とちょっとした話題になるくらいで。

「お前、太ってんだから輪郭隠せよ」と先日別れた彼氏は言っていた。確かに顔が丸いのを気にしていたわたしは彼の言うとおり、されるとおりに髪を伸ばして頬骨がなるべく隠れるようにしてみたりした。
けど、花巻さんはどう思っているのか、どんどんわたしの顔周りを軽くしていく。ジャキン!うーん。なんか、気持ちのいい音に聞こえてきた。


「どうでしょう?」


濡れた髪を乾かして最後に毛先を整え、花巻さんが仕上げをしながら声をかけてくれた。
鏡を見るとそこには、スッキリとしたシルエットで自然に髪をセットされた自分の姿。


「…すごっ。別人」
「でしょ?」
「頭軽い」
「だいぶ切ったからね」


そう言うと、花巻さんが床を指さした。わたしも視線を落としてみると、思わず顔を歪めたくなる量の髪の毛が。


「うわー…ホラーですね」
「はは、これだけの量が自分の頭にくっついてたのかと思うとね」
「でも、なんか…こっちのほうが良いかも」


正直に言おう。自分じゃないみたい。ぶっちゃけちょっと可愛いんじゃないか?だって失恋でダークな雰囲気だったわたしの周りに、少しだけ花が飛んでいるような感じがする。
なんて思いながら首を左右に振って色んな角度から見てみるけど、やはり別人みたいだった。


「うん。ロングより断然良いよ」


花巻さんも満足げで、しかし予想どおりといった様子である。


「…もしかして前から短い方が似合うって思ってました?」
「あ、バレた?」
「え!」
「短いのも良いだろうなって思ってはいたけど。結局はお客さんのイメージどおりにするのが仕事だし、まあ難しいとこだけどね」


なんと、髪を伸ばしていたわたしの事を、本当は短いほうが良いと思っていたのか!なんでもっと早く言ってくれないんだ!
…でもわたし、「長さはこのままで」「伸ばしてるんで」ってずっと伝えてた気がするなぁ。伸ばしたい人に向かってバッサリ切るような真逆の提案をするのは難しいのかも。女の子って気に入らない事があったらすぐクチコミに書きそうだしな。わたしも女だけど。


「気分転換になりましたかね?」


鏡越しに目を合わせて微笑む花巻さん。その笑顔、やっぱり自信に満ち溢れている。嬉しいような悔しいような。自分の事なのに、この人のほうがわたしの髪のことを理解していたとは。


「…バッチリっす」


わたしも鏡越しでグーサインを送ると、花巻さんはピースで返してくれた。
明日出勤した時に、仕事先で何と言われるか分からないけど。少なくとも批判されることは無さそうだから、とりあえずイメージチェンジは成功だ。新しい恋探すぞ!