12


翌日、火曜日。

今日は朝練が無いので目が覚めてから布団の中でごろごろしていた。
正しくは朝練が無いのではなく、「朝練への参加を禁止された」のだが。

しかしやっぱりいつも通りに目が覚めて、しばらく寝転んでいてもお腹がすいて結局起きた。

「今日は遅いなあ」なんて父親に言われ、「朝練無くなったんだ」と嘘をつき、朝の番組の占いコーナーを見れば今日の俺の運勢は8位。

すっごく、どうでもいい順位。


朝食も着替えも、朝の授業に間に合うには充分過ぎる時間に終えてしまっていったん部屋に入る。

机の上に置いた携帯電話には誰からも、もちろん白石さんからも連絡は入っておらず昨夜から充電器に挿していないのにまだ80パーセントも残っている。

そのままズボンのポケットに入れて、部屋を出る前に棚に置いたバレーボールを手に取る。

毎日これを触っている。もしバレーボールができなければ、何をしているんだろう。
白石さんはチアリーディングを辞めて、何をするんだろう。もう関係ないか。

今日の俺の運勢は、人類を大きく12に分けたうちの8位。世界人口が70億人だとすると俺の上には40億人ほどか。

ああものすごく、どうでもいい。





人類の中の自分の位置付けについて少し考えを巡らせた後、気づけばそろそろ家を出る時間となっていた。
こんな時間に登校するのは久しぶりだ。一番の通勤ラッシュ時。相変わらずこの時間の交通事情は最低だ。


ホームに電車がついて、ちらほらと人が降り、俺が乗り込もうとしているのに後ろから更に前へ前へと押されていく。

そんなに無理やり押さなくたって、俺もこの電車に乗らなきゃ学校に行けないんだから無茶しないで欲しい。

後ろにいるサラリーマンが持つ、硬い皮のビジネスバッグの角が脚に押し付けられて痛い。
あーあ。
7位の運勢だったならこのバッグの持ち主はサラリーマンではなく美人OLだったのかな。


やっと学校の駅まで着いて、見慣れた制服の生徒たちが続々と梟谷学園へと向かって歩いていく。
こんな時間帯の電車に乗って、よく毎日耐えられるなあと感じた。

すると前方に、見慣れた制服の中でも特に見慣れた姿が目に入る。


白石すみれ、俺の片想いの相手であり、クラスメートであり、席が隣の女の子。


俺のほうが歩幅が広いので嫌でも近づいてしまうのだが、追い越したくなくて彼女の速度に合わせて歩いた。


今あの子は、誰に会うのを楽しみに登校しているのだろう。


白石さんの好きな相手は同じ学校の生徒では無いかもしれないけど、今頭の中は負の要素でいっぱいだ。

そのとき突然、後ろから大きな声がした。


「赤葦おっはー!」
「…あ、青山さんおはよ」
「今日朝練ないの?」
「あー…青山さんもチアの練習ないんだ」
「朝練は月木なんだよ。大会近くなったら増えるけど…あ、あれすみれじゃん!」


いけない。いけない。いけない。
頭の中で警報が鳴った。

呼ぶな呼ぶな呼ぶなと呪文を唱えるも俺に魔力など備わっていない、当然のように青山さんがよく通る声で呼んだ。


「すみれ〜おはよぉぉ」


すると白石さんが振り返り、青山さんに気付いて手を振って応じる。


「あ、さーやー」


するともちろん、横に居る俺にも気づく。


「赤葦くん、おはよ」
「…おはよう」
「今日は朝練ないの?」


この様子からすると、昨日の俺の態度は大して気になっていないのだろうか。

嬉しいような悔しいような、というのも俺の事なんかどうでも良くてもっと気にするべき大切な人が居るんじゃないかと、朝から頭の中はぐるぐると思考が駆け巡る。


「赤葦きいてる?今日の1限何だっけ?」
「あ、うん。聞いてる」
「さや、赤葦くん疲れてるみたいだからそっとしときなよ」
「疲れてるってまだ朝ジャン」
「でもちょっと元気ないよね?」


白石さんは少し心配そうに顔を覗き込んできた。つまり、首をかしげて俺の顔を見上げてきた。

そんな事、なんとも思っていない男に対しては絶対にしてはいけない行為だ。


「…元気だよ。俺ちょっと部室寄ってから行く」


絶対にダメだ。
なんて悪い人なんだ。
俺の気持ちなんか知らないんだから仕方がないけど、残酷すぎる。辛い。


部室に寄る用事なんか勿論ないので、適当にふらふらしながら時間を潰す。できるだけギリギリに教室に入らなければ。なんたって隣の席なんだから。

2年に上がって隣が白石さんになった時は嬉しくて仕方がなかったのに今や真逆の気分。


校舎内を意味もなくぐるりと一周して、朝のホームルーム開始まで残り1分を切ったかというくらいに教室に入った。

ちらりと自分の席の方を見ると、白石さんは座っていて、俺の席には青山さんが座って二人で喋っていた。これってマジで気まずい。


「あ、赤葦ゴメンネー」


と言いながら青山さんは席を立ち、彼女自身の席へと戻っていった。それを白石さんは手を振りながら見送っているのでこちらを見ていない。

それをいい事に俺は白石さんには声をかけず黙って席に座り、鞄を開けていつもより遅い1日をスタートした。





1限目は英語の授業、昨日は英文を作るという宿題が出ていた。
宿題は辛うじて終わらせたのでノートを机に出すと、英語の先生が衝撃の言葉を発した。


「じゃあ隣とペアになって作った文で質問しあって、ちゃんとイエスノー以外の言葉も使って答えるようにねー」


どうして今日こんな授業なんだ。

俺のノートにはどうしようもなく下らない質問文しか書かれていない(英語で質問文を作れという宿題だった)

一人うなだれていると、机の上をとんとん叩く白い指。


「赤葦くん」


他の生徒はすでに会話を始めていた。
下手くそな日本語英語でおそらく発音なんかもぐだぐだなんだろうけど皆それぞれ質問、回答をしどろもどろにしている。

先生も生徒たちに完璧を求めているわけではないようで、とりあえず自分で考えて英語で答えるという事さえ出来ていれば良さそうだった。


「…赤葦くん」
「あ、うん、ごめん」
「大丈夫?」


大丈夫って、何が?

大丈夫なわけ無い。
今にもこの席から立ち上がって逃げ出したい。白石さんの居ないところへ。

それなのに今、俺たちは椅子を寄せ合って、事もあろうに英語でやり取りをしなければならない。


「………」


明らかに様子がおかしい俺に視線が向けられているのを感じる。
どうしよう、皆と同じようにしなければ。

すると白石さんがノートに何かを書いて、こっちに見せてきた。


『What's wrong??(どうしたの?)』


なんでだよ。

なんでこんなに可愛いことするんだよ。

なんで、白石さんの好きな奴が俺じゃないんだよ。

なんでこんな事で木兎さんにまで気を遣わせて、大事な練習を休まなきゃならないんだよ。


『nothing(何でもない)』
『liar(嘘つき)』
『nooooothing(なーんでもないよ)』
『kidding me(からかってるの?)』


そう書いたあと白石さんが顔を上げて、睨まれた。

初めてこんな目で見られて、しばらくお互い瞬きもしないまま見つめあった後、俺は意地悪を言ってしまった。


「怒ってるの?」


すると、明らかに眉をぴくりと動かした白石さんが声を潜めながらも鋭く言った。


「怒ってるのはそっち」
「俺は怒ってない」
「私だって怒ってない」
「怒ってるね」
「赤葦くん変だよ」
「白石さんには言われたくない」


あ、と気づいた頃には時すでに遅し。


彼女は怒ってなどいなかった。
一生忘れることのできないような悲しい顔で俺の事を睨んでいた。

そして静かに手を挙げて、「すみません、ちょっと頭が痛いので」と先生に告げると「無理しないでね」と先生は保健室に促す。

白石さんは頷いて席を立つ間際、最後に俺のノートに何かを殴り書きした。

その文字を見つめながら、白石さんが立ち去る風を感じて教室の戸が閉まるのを聞いた。


最後にノートに書かれた英文。白石さんの字とは思えないような汚い字で、


『ass!!!!(くそったれ!!!!)』


やっぱり相当怒っていた。
12.突然スラング