14土曜日の全国模試。去年も学校で模試を受けた事があるけれど、どの教科も時間が余って仕方がなかったのを覚えている。数学なんか半分以上余った気がする、分からないから問題を飛ばしてしまうんだもん。
でも今回は違った。落ち着いて問題を読み、習った公式に当てはめたり。もちろん難しくて分からない問題もあったけど、余った時間を使ってはじめから見直しをした。
初めて「早く結果を知りたい」と思える記念すべき模試の日になったのである。
「あ、すみれおかえりー昼ご飯…」
「あとで!」
「えっ?」
帰宅してからのお母さんとの会話はこんな感じだったけど正直覚えていない、ごめんねお母さん。何故ならご飯を食べるより、模試の自己採点を一刻も早く行いたかったのだ。
そうして気付けばお昼時なんてとうに終わってしまい、お母さんにドアの向こうから怒られるはめになった。勉強していて怒られるなんて生まれて初めてだ。
「模試どうだったの?」
「えっとー…国語は結構良かったかも」
「国語が!?」
「なんで驚くの!」
「だってあんた、昔っから漢字も苦手だし読解力も無かったでしょう」
無かったけど。読解力、低かったけど。
それもこれも国見先生の教え方がうまいのと、わたしが家庭教師や学校の授業以外の時間も頑張った結果である。早く先生に報告したいなあ、期末テストの結果と一緒に。
◇今年になってから、早く日曜日にならないかなと思ったのは初めてかも知れない。日曜日たった二時間の家庭教師が嫌で嫌で仕方が無かったのに、いつもすぐにその時間はやって来た。
でも、いざ「まだかな」と楽しみにしているとなかなか時が進まない。
やっと四時半を経過したくらいからわたしはソワソワし始める。国見先生はいつも十分前には家にやって来るからだ。
「すみれ、来たみたいよ」
玄関の掃除か何かをしていたお母さんが言った。頬杖を付いていたわたしはパッと顔を上げ、一目散に玄関へ。ちょうどそのタイミングでインターホンが鳴り、お母さんがドアを開けた。
「先生、いらっしゃい」
「こんにちは」
「国見先生!」
廊下をダッシュしたおかげで足が滑りそうになったのを慌てて止めて、お母さんの背中にぶつかりながら先生を迎えた。国見先生はいつになくハイテンションのわたしを見て目を丸くしている。
「…こんにちは」
「こんにちは!先生早く早く」
「どうしたの?…あ、お邪魔します」
「どうぞ〜」
お母さんはわたしが元気な理由を知っているので通常どおり先生を迎え入れた。
わたしの部屋の、国見先生専用の座布団を敷いたところに先生が腰を下ろす。先生もきっとわたしの期末テスト結果を聞いてくるだろうけど、もう我慢出来ないわたしは机に裏向きで用意していたテストを表に向けた。
「先生、これ見て下さい!」
「ん…ああ、そういえばテスト…」
その続きを先生は何と言う予定だったのかは分からない。そういえばテスト終わったんだっけ、とかかな。でもその言葉をもう聞くことは無さそうだ、国見先生が一枚目、数学のテストを見ながら静止しているから。
「先生?」
「……」
「せんせーっ」
「…これ、白石さんの…」
白石さんのテストで間違いないよね、と今度は言おうとしたかも知れない。でもそれもやっぱり最後まで聞こえてくることは無かった。
「……84点」
「はい!」
「本気?」
「本気です!今回のテスト!それからこっちが昨日の模試の自己採点で…」
差し出した模試の自己採点を受け取ると、国見先生はそちらもジッと目を通した。そして静かに一言。
「嘘だろ…」
「え」
そこから先、先生は言葉を発することなく全てのテストに目を通した。もちろん、見られても恥ずかしくない結果だ。むしろ早く見て欲しい。
でも先生は「嘘だろ」と呟いたあとは何も言わずにテストだけを黙々と見ていくものだから、まさかカンニングでも疑われてるんじゃないかと不安になってきた。
「あの、先生…」
と、わたしが声をかけた時に先生はやっと顔を上げた。
「よく頑張りました」
予想していたのとは全く違う言葉。空耳にしては先生の口はしっかりと動いていた、「よく頑張りました」という台詞どおりの口の形で。
「……!?えっ、が、頑張りました!?」
「頑張ったからこの結果なんだろ?」
「そそ、そうじゃなくて!いやそうですけど違くてっ」
まさかこうも簡単にあっさりと褒め言葉が来るとは思っていなくて、身構えるのを忘れていた。先生はいつも厳しい言葉を投げてくるから、「何これ、どんなイカサマしたの?」なんて聞かれる覚悟もしていたのに。
それに国見先生に教わり出してからというもの、勉強を褒めてもらえるのは初めての事なのだ。
「先生に褒めてもらえるの、初めてかも…なので…びっくりして」
「頑張ったら褒めるよ。ホントよくやったと思う」
大した事じゃ無いのだろうか、先生にとっては。わたしの点数には確かに感心しているようだけど、ペラペラと用紙をめくりながら全てのテストを確認している。
「…先生」
「何?」
わたしがこれだけ頑張ったのは自分の為でもあるけれど、もうひとつ実は目的があって。とても正直には言えない事だけど。
「わたし、自慢の生徒ですか?」
「……え?」
「えっと…わたしが良い点取ったら先生の評価、上がるかなって…」
「そんな事考えて勉強してたわけ?」
国見先生は呆れたように言った。やばい。これじゃ逆効果だ。
「……それもあるんですけど。そっちがメインではなく」
「さっきから何言ってんの」
「えーと…元気出ましたか!?」
もういいや、目的を言ってしまえ!テストでいい点を取れば先生が笑顔になる、喜んでもらえる、元気になれると思って頑張ったのだと!
「元気……?」
「先生、最近元気なさそうだったから。あの、原因は分かんない…ですけど」
「……そう見えた?」
「見えました」
原因が分からないのは本当だ。でも、もしも彼女と別れた事で先生が調子を崩しているのだとしたら。わたしにその穴を埋めるのは無理だから、こうする事でしか貢献できなかった。
「わたしは、良い点取ることでしか先生を元気に出来ないから」
思えばどうしてここまで頑張れたのかは分からない。自分の為になるとは言え睡眠時間を削って勉強するなんて、テスト前の一夜漬け以来だ。…今回は何日間も遅くまで勉強したから、当日は少しフラフラしたけど。
先生はしばらく黙っていたけれどやがて口を開いた。その口からは溜息が出てくるかと思ったがそうではなく、静かに言葉を発した。
「だから大きなクマ作って、遅くまで勉強してたんだ」
「はい…」
「寝不足じゃテストで本気出せないよ」
「う」
「体調管理の仕方まで俺に教えさせる気?そこまで見てられないんだけど」
いつもより少し低い声でのお説教。国見先生に怒られることなんて慣れているのに、なんだか怖くて悲しい。
わたしが頑張ったところで、先生の心には大して響いていなかった。それどころか寝不足を咎められるとは。
でも、それが当たり前だ。国見先生はわたしの家庭教師なんだから。
「…すみません…」
先生に元気になってもらいたくて、なんて余計なお世話だったろうか。今日もこれから二時間、同じ部屋で勉強していられるだろうか。さっき先生を迎えた時のテンションはどこかに消えてしまった。
すると、俯いて意気消沈しているところへぷっと吹き出す音。
「……まあ今のは嘘だよ」
「へ」
「気にしてくれてありがとう」
ゆっくりと国見先生を見ると、先生は見たこともない優しい顔で笑っていた。聞いたこともない柔らかい声でありがとうと言った。
そして、わたしは感じたことのない穏やかな気持ちになってしまったんだけど、それを分析する間もなく今日の勉強が開始された。