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人間、自分の限界を決めるのは死ぬほど頑張った後でも遅くない。
なんて哲学的な考えに至ってしまうほど、わたしは我を忘れて勉強に没頭した。過去に解けなかった問題が解けるのは気持ちがよかったし、授業中の小テストで満点が取れると「みんな、わたしの点数を見て!」と高く掲げたくなる。
そして一学期の期末テストで過去最高の平均点をたたき出すことが出来た自分には、お小遣いを全部遣って何でも買ってあげたくなるのだった。


「すみれが数学…80点超え…」


数学のテストが返ってきた時、ユリコは口をあんぐり開けて驚いていた。
80点という点数は他の人からすると、言葉が出なくなるほど感動する点数では無いかもしれない。でもわたしが、このわたしが!数学なんて人生に必要ないし大っ嫌い、教科書を開くのも嫌だった白石すみれが、数学のテストで84点を取ったのだ。


「自分でも信じられない…夢?」
「つねってみようか」
「痛っいだだだッ!」


ユリコに頬をつねられて、確信した。痛い。夢じゃない!
これが夢か現実かを見極めるために頬がちょっと赤くなった事なんて大した問題じゃない。とにかくわたしは苦手教科で84点を取った。夢じゃないんだ!やれば出来るんだ!


「白石、今回頑張ったらしいなぁ」


午後のホームルームが終わった時、担任の先生がわたしの近くにやってきた。職員室で他の先生から報告を受けたのだろうか?勉強を褒められるなんて初めてで恥ずかしいけど、やっぱり嬉しい。


「そうなんです!本気出しました」
「本気になるのが遅い」
「あはは」
「勉強方法でも変えたか?」


高校三年生の担任だからか、突然の成績アップがとても気になるらしい。勉強方法は特に変えていない、と言うかこれまでまともな勉強をして来なかった。変わったのは環境だ。


「実はですね…家庭教師の先生がいるんです」


四月からやってきたスパルタ家庭教師のおかげで、嫌でも毎週日曜日には勉強をしなければならなくなった。毎回宿題を出されるから必然的に前日の夜も勉強していたが、だんだんとその頻度は増えていった。
極めつけは国見先生が彼女に振られたせいで元気が無さそう、という事。まぁ元気がないのは別の理由かもしれないけど。


「数学80点って本当?」


放課後の教室でユリコと雑談していると、どこかでわたしの点数を聞いたらしいクラスメートが話し掛けてきた。ふふ、本当ですとも。


「ほんと!ほら!見てっ」
「うわ、すげえ」
「最近勉強が楽しくなってきてさぁ」
「へえ、白石が?」


白石が?って失礼な。
このクラスメートは小田くんと言って、去年から同じクラスの男の子である。席が近かった時はわたしの点数が低いのを「それヤバくね」と言われた事もあったっけ。もうそんな事言わせないけどね!


「これで国見先生、元気でるといいね」


そこでふとユリコが言った。いい点を取れば先生が喜んで元気を出してくれるのでは、と提案してくれたのはユリコなのだ。だからウンと頷くと、その場に居た小田くんは首を捻った。


「国見先生なんて居たっけ?」
「すみれの家庭教師だよ」
「家庭教師なんか雇ってんの!?」
「はは…まあ、親が無理やり連れてきたんだけど…」


わたしが家庭教師まで雇って勉強に励んでいるなんて、成績の悪い時代を知る小田くんにとっては衝撃だったらしい。
わたしもまさか自分の家に家庭教師が来るなんて思わなかった。しかも(これ言うの百回目くらいだけど)超絶厳しい先生が。


「その先生が最近元気なさそうだから、教え子がいい点とったら元気になるかなって」


国見先生との勉強は、先生の厳しい声があってこそ成り立つものだと思っている。最初は怖くて仕方が無かったけれど、先生の良いところとか、実は優しいところも知ってしまった。
だから国見先生が調子を崩すと、わたしの調子まで悪くなってしまうんだよなあ。



「すみれーー!!」
「わっ」


帰宅して、トイレを済ませてリビングに行くとお母さんがわたしのテストを見て大声で叫んでいた。近所迷惑である。でも今日ばかりはお母さんが叫ぶのも無理は無い。


「お母さん嬉しい!なにこれ!?夢じゃないの?ちょっとつねってみてくれる!?」


昼間のわたしと全く同じ状態だ。わたしたちってやっぱり親子だなぁ、と思いながらお母さんの頬をぎゅっとつねった。


「痛っ…現実なのね」
「失礼だなあ」
「だってあんた…数学だけじゃなくて古典まで…英語も」


お母さんはテーブルに並べた解答用紙を代わる代わるに見ていた。
そう、大の苦手な数学が84点という事をこれまでクローズアップされていたけれど、他の教科でも結果が出ているのだ。国公立大学を目指しています、と公言しても鼻で笑われないくらいには。
ルンルン気分のお母さんは食器棚から猫のティーカップを出しながら言った。


「国見先生きっと喜ぶね」
「喜んでくれるかなぁ…先生はちょっと大人しいから」
「そりゃあ喜んでくれるでしょう」


そして、鼻歌を歌いながら紅茶を注いでくれている。こんなに褒められるとくすぐったいなぁ。
国見先生はどんな感じで褒めてくれるかな、真顔で「やるじゃん」程度だったりして。でもその素っ気なさが国見先生だから、それはそれで良い。


「もう電話で報告しちゃう?お母さん先生にお礼言いたくって」
「あっ!ちょっと待って」


お母さんが固定電話の電話帳を操作しながら言うので慌てて止めた。国見先生の所属する家庭教師の会社に電話を掛けようとしたようだ。
わたしが直接報告する前に電話で点数を明かされるなんてちょっと困る!それに、まだ追加で報告したい事もあるんだから。


「あのね、明後日学校で模試があるの。その自己採点と一緒に報告したいから」


明後日の土曜日、学校で全国模試が行われる。わたしもそれを受ける予定だ、受験生ですからね。学校のテストだけでなく模試でも良い結果が出れば、先生は更に喜んでくれる…と思う。多分。

お母さんにそれを告げると、あっそう?と軽い返事であった。


「じゃあお父さんには報告するね」
「うん。いいよ」
「またあんたにお小遣いあげちゃうのかなぁ」
「だといいなぁ」
「まあお母さんも、今回ばかりは止めないわ」


早くも勉強の効果あり、目論見通りに臨時収入にもありつけそうだ。
どうして今まで頑張って勉強してこなかったんだろう?テストの点がいいのはこんなにも気分が良くて、受験にも有利で、更にお小遣いまで貰えるというのに。