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昨日の国見先生には明らかに元気がなかった。いつも活力がある感じでは無いけれど、それにしたって上の空な様子が多く見受けられたし、声を掛けても反応が薄かったように思う。

これは完全にわたしの予測だけど、もしかして彼女と別れたことで多少凹んでいるとしたら。
振られたショックで悩んでいるとしたら。

わたしには関係の無い事だけど、どうしても気になってしまった。
国見先生の事を好きだとか、そういう理由じゃない。いつものキレのある先生に戻ってくれなきゃ、調子が狂ってしまうんだもん。


「テスト範囲配りまーす」


翌日の午後のホームルームで、ついにそれは配られた。一学期の期末テスト範囲が書かれたプリントが手元に来て、目を通すまでもなくクラス内から溜息が漏れる。今回の範囲は結構広そうだ。


「多いね」
「期末だもんね…」


ホームルームが終わってからユリコの席まで走り、プリントを見ながらの緊急会議。裏も表もびっしりと書かれた範囲表は苦手な数学は勿論、他の科目も凄いことになっている。


「生物とか見た?過去にない量だよ、本気出さなきゃヤバいかも」
「すみれは国見先生にコツとか教えてもらったら?宮大なら頭良さそうだし」


ユリコはプリントを裏返しながら言った。


「……うん」


確かに、覚えにくいところや理解が難しいところは国見先生に習えばいい。そのための家庭教師だし。
でも「国見先生」と聞くと今はビシビシと指導をしてくる姿より、昨日の集中力の無い先生が目に浮かんでしまうのだ。


「どしたの?」
「いや…それが。先生、なんとなく元気が無いような気がして」


最初は気のせいかなって思ったけれどボーッとしていたり、「真面目だからと言って順調に行くわけじゃない」などと言ったり。先生にしては珍しく後ろ向きな発言だったように思う。だからって前向きな人でもないけど。
ユリコはそんな先生の様子を聞いて、あるひとつの要因が浮かんだらしかった。


「それって元カノに関係あるのかな…」
「分かんないけど…いつもよりキレが無いって言うか」
「キレって」
「わたしまで調子が狂うほどなの」


わたしはいつも、集中出来ていなかったりすると国見先生に叱られていた。最近では勉強に前向きになったから頻度は減ったけど、最初の頃と言ったらもう。

でももし、今のわたしが過去と同じようにやる気を見せていなかったとしても先生は気付かないかも知れない。根拠は無いけど、それほどまでに昨日の国見先生は様子がおかしかったのだ。


「良い点とって先生を笑顔にしてみる?」


ユリコはテスト範囲のプリントを折り畳みながら言った。


「……それがいいかなぁ」
「すみれがテストで結果出したら嬉しいと思うよ。教え方にも自信がついて、気が紛れるかも知れないじゃん」


そうかなぁ。それもそうか。教え子が自分のおかけで成績アップしたとなれば、国見先生だって多少なりとも嬉しいに違いない。
それに成績が上がるって事はわたし自身にも良い事だから一石二鳥。
お母さんも喜ぶし、お父さんはもしたしたらまたお小遣いをくれるかも?良い事づくしじゃないか!


「すみれー、いつものドラマ始まるよ」


夜、月曜日の九時と言えば人気の俳優が出るドラマの時間。
例えテスト期間だろうとも、今までのわたしはリアルタイムでドラマを見ていた。でも今回は違う!テストが終わるまで娯楽はお預けと決めたのである。


「録画しといて!今忙しいの」
「忙しいって何に…」
「勉強してるの!」
「べっ…!?」


まさかわたしが「勉強してるから」とドラマを断るなんて思いもしなかったらしい。お母さんはカエルの鳴き声みたいな声で驚いて、よたよたとリビングに戻っていくのが聞こえた。そんな「娘の頭がおかしくなった」みたいな反応しなくても。
でもそんな突っ込みを入れる余裕もなく、わたしは教科書の応用問題に明け暮れていた。


「コレは大丈夫…こっちは間違えた…」


覚えた公式を使って、ひたすら問題を繰り返し解いていく。
正解したらその応用、正解したら更に応用。間違えたら見直しをして、同じような問題をもう一度。この「見直しをする」という過程も国見先生に出会うまではすっ飛ばしていたものだ。


「…あ。もうこんな時間」


ふと時計を見ると0時を回っていた。こんな時間まで起きてるなんて、漫画を読んだりユリコとの電話が盛り上がった時くらいしか無い。
そろそろ歯磨きをして寝ないと、と部屋のドアを開けると、ちょうどお母さんが立っていた。


「まだ起きてたの?」
「うん…」
「頑張るのは嬉しいけど、ちゃんと寝なさいよ」
「はぁい」


死ぬ気で頑張れと言ってみたり、頑張りすぎるなと言ってみたり、親ってもんは時々無茶なことを言う。
今回のわたしもそう簡単には言いなりにはならない。期末テストを終えるまでは、出来るところまで頑張ってやろうと腹をくくっているんだから。



その週の日曜日は少しだけ寝坊したものの、起きてからはテスト勉強にのめり込んでいた。
お昼ご飯を食べてからも勉強、途中でお母さんが「糖分とったら?」と声をかけてくるまで一言も発することなく部屋にこもっていたのだ。

だから夕方の五時が近づいている事なんて気付かずに、またまたお母さんが部屋をノックした事で国見先生の来訪を知った。


「先生、こんにちはー」
「こんにち……」


先生は部屋に入ってくるなりぴたりと足を止めた。わたしの部屋と、顔とを見て口をあんぐり開けている。もしかして勉強に集中し過ぎて部屋を散らかしていたから、あまりの汚さに絶句しているのだろうか?
けれど先生は部屋の散らかり具合ではなく、別の事が気になったらしかった。


「…白石さん体調悪いの?」
「へ?」
「物凄いクマが出来てるっていうか、…やつれてる」


自分の頬を指で指しながら、先生が言った。
嘘、そんなに見てわかるほどわたしの顔って疲れきってる?サプライズの成績アップ作戦が台無しじゃんか。


「あ…あーこれ…えっと…友達と電話してたら深夜になっちゃってて」


ひとまずここはユリコをネタにして、友達の愚痴に付き合わされたという事にした。


「でも大丈夫です!今日も二時間よろしくお願いします」
「…分かった。」


決して体調は悪くないことをアピールすると(実際、食欲もあるしどこも悪くない)先生は頷いて、いつも通りに勉強を開始した。

配られたテスト範囲を先生に見せると「大変そうだね」と言ったので、やっぱり今回の期末テストは生徒にとって地獄のようだ。
もしもバドミントンの大会に優勝なんてしていたら、今頃は練習と勉強の両立でパンクしていたかも知れない。地区予選負けは悪い事だらけってわけでも無かったかな、うんうん。
…といった調子で、わたしは比較的すらすらとペンを進めていった。

時折分かりづらい箇所を先生に聞くと、国見先生は的確に教えてくれた。
極端に元気が無さそう、って感じでもない。でもやっぱり普段ならわたしに注意してくる時にも何も言わなかったり、いつもと違うような気がした。


「先生」
「なに?」


勉強が一段落した時、わたしはついに聞いてみることにした。


「先生は悩みを他人に打ち明けるタイプですか?」


もしかして彼女と別れたことで悩んでいたりするのなら、「女の意見」としてわたしに意見を求めてくれたりとか、そういう事があるかも知れない。先生から何かを話してくれるかもしれない!…先生がわたしを「悩み相談の相手」の戦力として見てくれるなら。


「……悩み?」
「ほら、あの、たとえば受験で悩んでた事とか」


または、恋愛の悩みとか。
最悪の場合軽く流されるかと思ったけれど、先生はペンで顎を突つきながら言った。


「自分から悩みを相談することは無いかもね」
「じゃあずっと一人で悩むんですか?」
「それは場合によるけど…」


場合によるってことは誰かに相談する事もあるってことか。ノッポのBさん?それとも先輩や親?いや、親に悩みを相談するタイプには見えないな。
そんな事を考えながらも、どうにか国見先生が自ら恋愛事情を話してくれないかと頭を捻っていると。先生は眉をしかめて言った。


「……白石さん。もしかして」
「えっ、」


もしかして、やばい。気付かれた?先生が彼女に振られてしまったっていうのを、どこかから仕入れてしまった事を。だからこんなに悩みがどうとか話している事を。
誤魔化さなくちゃ、わたしは何も知りません!先生が誰かと付き合ってたとか、デートをしていたとか知りません!


「なんか悩んでんの?」


ところが国見先生は全くそんなこと気付いてなかったらしくて(それもそうだ)、わたし自身に悩みがあるから話しているのかと思っていたようだ。
悩みならありますとも。普段厳しくて厳しくて仕方の無い家庭教師の先生に、覇気が足りなくなってきたこと!