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国見先生のデート現場を目撃してから約十日後、先生の彼女が別の男性とデートしているのを見てしまった。
しかもその時の会話は丸聞こえで、国見先生とは二日前に別れたばかりだと言う。先生が真面目で、つまらない人間だったからと。

わたしにとって国見先生は、確かに真面目で怖い人だ。でも決してつまらない人だとは思わない。不真面目で能天気なわたしとは全く違う要素を持っていて、単純にすごいなあと思う。

わたしのような理解力の無い生徒にも感情的にならずに教えてくれるし、何よりわたしの部活動について理解を示してくれた。弱いけど、弱い事を責めない。もっと練習しろとも言わなかった。練習環境が整っていない学校だってある、というのを知っているかのように。
そしてあえなく一回戦で敗退し、泣いてしまったわたしを笑わなかった。先生は絶対につまらない人じゃない。


「…志望校は宮大で決定?」


その次の日曜日、とうとう志望校を最終決定し国見先生に伝えた。自分も他人もビックリ仰天するだろうけど、県内の国立大学だ。


「はい!宮大です」
「思い切ったね…どうして宮大なの」
「目標は高いほうが良いと思いました」


始めはどの大学でも良かった。行けるならどこでも。実家から通える範囲の四年制大学なら。
でも今、わたしの志望校は宮城大学!お母さんは喜んでくれると思ったけど絶句されたんだよなぁ。そして今、国見先生も(元々口数の多い人ではないけど)口をあんぐり開けている。


「…それ本気で思ってるの?」
「そうですよ。なんでですか?」
「いや…出会った頃の白石さんとは大違いだなって」
「え」


出会ったのは二ヶ月ちょっと前の事。嫌々迎えた家庭教師が国見先生だった。
あの日の事は強烈に覚えている、なんたって派遣されてきた家庭教師にあんな事言われるとは思わなかったから。


「覚えてる?白石さん最初、自分の頭で行けるならどこでもいいとか言ってただろ」


そう、楽観的なわたしは正直に志望校が定まっていない事や、どこでも良いと本気で思っている事を伝えた。先生があんなに怖い人だとは思わなかったので。
でも、そんな事を先生が今になっても覚えているとも思わなかった。


「…覚えてたんですか」
「そりゃそうだよ。あんな事言う受験生が居るなんて思わなかった」
「ああ…」


どうやらわたしの言動も、先生にとってはインパクト大だったようだ。


「そのあと先生が、わたしに何て言ったか覚えてますか?」
「…今後そういう事言うなって言った気がする」
「そうです。あと、」


あと、物凄ーーく怖かった事。衝撃を受けた事。はじめて勉強を教える女子高生に向かって言う台詞とは思えなかった事!


「やる気ないやつに教えるほど暇じゃないって」


あの時の言葉を言うと、先生は首を捻った。…もしかして覚えてない?


「……言ったかな。」
「言いました!怖かったんですから」
「怖くしてるつもりはないけど」


嘘だ、自分は厳しい教え方をしていると自覚していたくせに!今となっては先生は怖いだけの人じゃない、って事が分かっているけれども。
だからわたしは勉強を頑張ってみようと思えた。だからわたしの志望校は、宮城大学になったのだ。


「合格したら俺の後輩になるんだね」


先生はわたしの用意したお茶を飲みながら言った。
そのとおり。実は国見先生も今、宮城大学に通っているのである。
わたしが志望校を決めたのは高い目標を持つのも勿論だけど、どうせなら先生と同じ大学に通ってみようかなと思ったから。先生の後輩になれるからだ。


「…頑張ります!」
「うん、頑張って」


相変わらず、聞いていたのかいないのか絶妙な流れ方で先生が言った。最近ちょっと思うんだけど、先生は無表情の時ほど声に出す言葉は本気なんじゃないかなあ。それは都合よく考えすぎだろうか。

先生の「頑張って」の言葉を区切りに、今日の勉強はスタートした。
わたしが数学の次に苦手とする国語。どちらもセンター試験では外せない科目。中学の時からちゃんと勉強しておけば良かったんだけど、後悔してももう遅い。今から必死に頑張らなくちゃ!と心機一転、部活の引退後は自習にも励むようになったのだ。

だから先生に出されたプリントを、ひとまず自分の力で解き終えることが出来た。


「先生」


終わりました、という意味で声をかけてみる。が、国見先生はどこか遠くを見るように目の焦点が合っていなかった。集中できていないのかな?珍しい。


「せんせー」
「!」


もう一度呼びかけてみたら、先生は我に返ったように顔を上げた。


「…ごめん。別の事考えてた」


そして、眉間に手を当てて大きく息を吐いた。考え事をしていたらしい。
それってもしかして、先日別れた彼女の事だろうか。聞きたいけど、聞けるわけは無い。


「珍しいですね、いつもわたしが怒られる側なのに」
「……。ごめん」
「えっ、そんないいですよ」
「解き終わった?」
「あ…はい」


プリントを渡すと先生は片手で受け取って、赤いボールペンを持ちながらざっと目を通していった。いつもよりどこか余裕が無さそうにも感じるが、彼女と別れた事を知っているからそう見えるだけかも知れない。でも他に思い当たることが無い。
振られた理由は、先生が真面目すぎる人だから。


「……先生は…」
「うん」
「真面目だって言われますか?」


あの国見先生が勉強中に上の空になるほどなんだから相当だ。先生が試合に負けて落ち込んだわたしに声を掛けてくれたように、わたしも何かしたい。
けど、彼女と別れて落ち込んでるんですか?とは聞けないから。先生が自分から打ち明けてくれないかなと期待を込めて言ってみた。


「……真面目だって思う?」
「え…まあ…そりゃあ」
「白石さんは不真面目だもんね」
「うっ」


しかし、思いのほか余裕を取り戻していた先生は鼻で笑った。


「…ときどき、不真面目のほうが良いかなって思うよ。俺は」


でもやっぱり先生には集中力が無さそうで、片手でペンを回しながらこんな事を言った。不真面目のほうが良い、と思う時があると。


「それって…?」
「真面目だからって万事うまくいくわけじゃないって話」


先生、それって恋愛の事ですか?
喉まで出かけた台詞をぐっと堪えて、でも先生に元気を出してもらいたくて、真面目であることは間違いじゃないと伝えようとした。


「わたしは…先生の真面目なところは…イイトコだと思いますけど」


こんなわたしを勉強に集中させてくれて、最初は後ろ向きだったわたしの志望校を宮城大学まで引き上げてくれたのは先生だ。
先生がいなかったら、きっと適当に大学を選んでいたに違いない。だからわたしは先生と、先生の真面目さと厳しさに感謝している。


「…じゃあ答え合わせするよ」


でも先生はわたしの言葉には反応せずに、たった今解き終えたプリントにペンを走らせるのみだった。