20180610


雨なんて大っ嫌いだ。せっかくアイロンをあてた髪がにょろにょろになるし、傘を持つと片手が使えなくなるし、どんなに気を付けても靴下が濡れてしまう。

だから天気が悪そうな日は家から出たくないんだけど、日曜日の今日は親戚の結婚式があるので仕方なく外出をした。…おめでたい事なのに何故「仕方なく」なのかと言うと、わたしはその親戚と数えるほどしか会った事が無いから。


「マユちゃん綺麗だったわあ」


お父さんとお母さんはずっとこればかり。確かに花嫁のマユちゃん(あんまり親しくないけど)は綺麗で幸せそうだった。
料理も美味しかったし、引き出物のお菓子も美味しそう。可愛いマグカップも入ってた。

でも、今日は雨だ。せっかく美容室でセットしてもらった髪の毛も、この日の為に買ってもらったワンピースも、同じく買ってもらったヒールの靴もすべて濡れている。あーあ、ほんとうに雨って嫌だ。


「じゃあお母さんたち、ご挨拶してくるから。すみれどうする?」
「うーん…」
「先に帰っててもいいけど。疲れたでしょう」


湿気のせいで崩れた髪を気にするわたしを見て、お母さんは帰宅を促してくれた。


「…うん。帰っとくね」


おめでたい事だからできれば最後まで居たいけど、雨という理由以外にも「その親戚と親しくない」とか「朝早くからの仕度で疲れた」というのは本当の事。
最低限のマナーとして新郎新婦と両家の家族には挨拶をしておき、わたしは先に帰らせた貰う事にした。

そして、電車を乗り継いで一時間ほど。やっと到着した最寄り駅には商業施設も多く無いので、あまり人が居なかった。
駅から家まで歩いて十分くらい。もう少し頑張ればヒールを脱いでゆっくりできる!と、気を抜いたその時。


「いっ!?」


わたしは素っ頓狂な声をあげた。同時に視界に入るものすべてが横に倒れていく。あ、これは視界がおかしいんじゃない。わたしが雨に滑って倒れているんだ。
なんと、べしゃっと鈍い音をたてて駅の改札を出たところに尻もちを着いてしまった。


「……いった」


屋内とは言え土足で歩く場所だから、床は濡れている。しかも泥がついていたりとか。
人は少ないけれど、何人かは転んだ音に驚いてこっちを見た。


「…もーやだ」


お尻は痛いし、足首もちょっと捻った気がするし、人目が突き刺さるし本当に嫌。
消えてなくなりたいけど、自分が立ち上がらなければずっとここに座り込むはめになる。喚き散らしたいのを堪えて立ち上がろうかと、ぐっと身体に力を入れた。


「お前、白石か?」
「!」


手をついて立とうとした時、誰かに名前を呼ばれた。
聞き覚えのある声だし自分の苗字なので顔を上げると、そこには幸か不幸かクラスメートの姿が。


「い…わいずみくん」
「おー、良かった合ってた」
「なんで…」
「部活の帰り。立てるか?」


そこには岩泉一くんが立っており、傘を持っていないほうの手を差し出してわたしを起き上がらせてくれた。

ここはわたしの通う青葉城西高校の最寄り駅なので、同級生や先生も利用する駅だ。日曜日だから生徒は少ないけれど、岩泉くんは部活の為に学校に来ていたらしい。こんな格好悪い姿を知り合いに見られるなんてなあ。


「…ありがとう」
「おう、何でそんな格好してんの?」
「親戚の結婚式で」
「そっか!おめでとう」


何の屈託もない笑顔で彼は言う。特に仲良くも悪くもない親戚の式だったのだが、オメデトウと言われて悪い気がしないのは不思議だ。


「大変だな、雨なのにそんな靴はいて」
「うん…でもあとは帰るだけだから」
「傘持ってんの?」
「持ってるよ……、あ」


今日は大雨だと予報されていたので、大きめの傘をきちんと持ってきた。式場からもちゃんと持ち帰ってきた。それなのに今、わたしの手には傘が無い。…やってしまった。


「…電車に忘れてきた……」
「あるあるだな」
「もおお〜最悪」
「まあまあ」


一番近いコンビニまでは走っても三十秒くらいかかるだろう。このヒールで、雨の中。


「だから雨って嫌いだよ…」


これまでの人生で溜まりに溜まってきた雨というものへの憎悪が今、爆発しそうである。うんざりして愚痴をこぼしてしまった。
岩泉くんはわたしが何故そこまでテンション落ち気味なのか、いまいち理解できていないようだけど。


「雨、嫌いなのか」
「嫌いだよ。好きなの?」
「好きでは無えかなあ」
「でしょ?濡れるし、髪ぐっしゃぐしゃになるし。今も転んじゃったしさあ…」


今日のために買ってもらったワンピースなのに、お尻のところはびしょ濡れになっている。きっと泥とか砂もついているに違いない。こんな格好で家まで帰らなきゃならないなんて、しかも傘無しで。


「これ使う?」


帰宅までの悪夢を想像していると、岩泉くんが言った。自分の傘を持ちあげながら。


「……どれ?」
「これ」
「それ、岩泉くんのじゃん」
「そう。入れよ」
「えっ!?」


岩泉くんの傘に、わたしが!?それは相合傘というやつではないか?


「で、で、でも今から電車でしょ?」
「いや、実は帰りにケーキ買って来いって言われてるんだけどさ。予約の時間までまだちょっと時間あるんだわ」
「ケーキ?」
「しかも俺の誕生日ケーキ。本人に取りに行かせるか普通?はは」
「え!!」


今日って岩泉くんの誕生日だったのか知らなかった!
…じゃなくて、知らないのは当然なんだけど、そんなおめでたい人に送ってもらうわけには行かない。しかも岩泉くんは今から帰るところなのに。


「白石んちそんなに遠くないんだろ?」
「そうだけど…誕生日なのに」
「決まりな」


意外に強引なやり口で、岩泉くんは駅の出口までわたしを誘導した。

相変わらず雨はざあざあ降りで、傘が無ければすぐに身体中が濡れてしまうだろう。持っていた傘をパッと開いて「ホレ」と岩泉くんが中に入るように言った。
男の子と相合傘をするなんて幼稚園の時以来で、ちょっと緊張してしまう。でもびしょびしょになるのは嫌なので、お邪魔します、と言いながら岩泉くんの大きな傘の下に入り込んだ。


「…誕生日まで部活とか、大変だね…」
「んー?うん。大変って感じじゃねえかな、ずっとやってる事だから」
「へえ」
「結婚式どうった?」
「え、うん、んー。すごく良かったよ、花嫁さん綺麗だった」
「ふーん。すげえ荷物だなあ」
「引き出物もらったから…」
「そっか」


結婚式とか出席した事ねえわ、と笑いながら岩泉くんが隣を歩いている。なんとなく歩調を合わせてくれている感じだ。なんたって彼のほうが背が高く脚が長いし、わたしは慣れないヒールを履いているせいで本来の速度では歩けていないから。

お礼を言いたいけれど「わたしに合わせてくれてありがとう」なんて上から目線な気がするし、もしもわたしの勘違いだったら恥ずかしいので心の中でお礼を言っておく事にした。


「あ、家これ。このマンション」


やがて自宅マンションに到着し、建物を指差すと岩泉くんが感心したように言った。


「ここかぁ、学校まで徒歩で来れるんじゃね?」
「だね…15分くらいかかるけどね」


そう、わたしの家から青葉城西高校までは徒歩15分。駅までは10分くらいなので、遊びに行くのも通学するのも便利な場所である。家から近いという理由で高校を選んだ、というのは内緒にしておく。


「疲れてるのにごめんね、ありがと」
「おー、いいよこれくらい」


岩泉くんは完全に雨をしのげる場所まで、つまりマンションのロビーまで傘をさして送ってくれた。これでもう安心だ。
しかし一旦傘を閉じた岩泉くんを見てみると、左側の肩がびっしょびしょに濡れているではないか!


「え!?ちょっ岩泉くんビショ濡れじゃん!ごめん」
「ほんとだ…まあ大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないよ!ほんとごめんね」


わたしは岩泉くんの右隣を歩いていた。彼の左側が濡れているという事は、わたしが濡れないように傘を寄せてくれていたんだ。
雨の野郎、こんなに良い人をここまで濡らしてしまうなんて本当に最低。もちろん傘を忘れたわたしも最低!


「…最悪だねほんと、ごめん」
「まあそんな事言わずに、ちょっとは雨のこと好きになってやれよ」
「なにそれ!無理だよ」
「おかげで良い事あっただろ?」


濡れた傘の水気をはらいながら、岩泉くんが言った。


「…良い事?」


今、良い事があったって言ったのだろうか。外の雨と、傘をばさばさと振るう音が響くせいでよく聞こえなかった。


「少なくとも俺にとっては、だけど」


次に聞こえたこの台詞も、雨のせいで聞き取れなかった。今、なんて言ったの?


「……あの、今…」
「じゃ行くわ。身体拭いとけよー」
「あっ」


たった今水をはらったばかりの傘を豪快に開いて、岩泉くんはさっさと歩き始めてしまった。良い事って、何。まさかわたしと相合傘ができた事?それとも聞き間違いで、まったく別の事を言ったのだろうか?

雨さえなければ、雨の音さえうるさくなければ、彼の声は静まり返ったロビーにちゃんと響いてくれただろうに。


「……やっぱ、嫌い」


雨なんて大っ嫌いだ。せっかくアイロンをあてた髪がにょろにょろになるし、傘を持つと片手が使えなくなるし、どんなに気を付けても靴下が濡れてしまう。親切なクラスメートが去り際に残した言葉さえ、雨の音に奪われてしまうのだから。

Happy Birthday 0610