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4月下旬にやってきた家庭教師の国見先生。どうやら怖いだけの先生じゃ無さそうだ。
勉強に関してはとても厳しいけれど、部活の話は結構ちゃんと聞いてくれる。「社交辞令」だと言っていたが、どうも社交辞令では無さそう。
国見先生も高校の時はバレー部に入っていたらしいし、自分の姿とわたしとを重ねていたりして…そんなわけ無いか。先生は強豪校だったんだもんね。
そんな事より気になるのは、こっちのほう。


「先生、彼女が居ること否定しなかった」


昼休み、おにぎりを頬張りながらユリコに報告をした。偶然国見先生に会った事と、彼女の存在を否定しなかった事を。


「じゃあ先週のアレ、やっぱり彼女だったんだぁ」
「そうみたい…」
「美男美女ってやつだね」


ユリコの言うとおり、美男美女。落ち着いた雰囲気を纏った国見先生と、あでやかに笑う女の人。まさにお似合いのカップルであった。あの人も大学生なんだろうか。明らかにわたしより大人っぽかった。


「でもさあ。彼女が居るのにすみれをお茶に誘うのって、おかしくない?」


ジュースの紙パックを潰しながらユリコが言った。

確かにわたしも、全くそのことを考えなかったわけじゃない。
わたしと一緒に居るところを彼女に見られてもいいのかって事も勿論だけど、そもそも彼女が居るのにわたしと二人で喫茶店に入るなんて、変じゃないか?それとも大学生になればそのくらい普通なのだろうか。ノッポのBさんが来るまでの間が本当に暇だったのか。


「…わたしなんかを誘わなきゃならないほど、どうしようもなく暇だったとか」
「ネガティブだねえ」
「わたしを女として見てないとか」
「もっとネガティブ」
「わたしはただの生徒だし…」


国見先生にとってわたしはただの生徒。仕事の相手だ。歳も三つ離れているし、わたしが「一緒に居ても大丈夫ですか」と聞いた時には「生徒だからこのくらいいいんじゃない」と言っていた。
二人きりで居るのを誰に見られても構わないほど、わたしの事なんて何とも思っていないのだ。


「すみれは、ただの生徒でいいの?」


ユリコにマジなトーンで質問されて、わたしは首を傾げた。


「…どういう事?」
「先生のこと、好きなんじゃないのかなーって」
「えー?だから違うってば」
「違うのかぁ」


予想が外れたらしく、ユリコはも不思議そうに首を傾げていた。
だって国見先生は、わたしにとってただの先生だ。先生から見てわたしが「ただの生徒」であるのと同じように。だからわたしは先生に対して、恋愛感情を伴う「好き」の感情は持ち合わせていない。


「違うのに、ずいぶん気にするね」


どうにも納得いかない様子のユリコはずっと怪しんできたけど、違うったら違うんだもん。彼氏にするならもう少し穏やかで優しくて、怒らない人がいい。怒られるのはやっぱり苦手だ。



その日の放課後、もう部活に行く必要のないわたしたちは大人しく下校していた。今日は寄り道の予定もない。
が、学校から駅までの道を歩いていると不意にユリコが身震いした。


「ごめん、トイレ行きたくなってきた…コンビニ寄って良い?」
「いいよー」


ちょうど道沿いにあるコンビニエンスストアがトイレの貸出を行っているので、中に入る事にした。

ユリコの用が終わるのを立ち読みでもして待っていようかと思ったけれど、このコンビニは立ち読みする輩に厳しそう。雑誌には立ち読み防止のテープが貼ってあるので諦めて、アイスやデザートのコーナーを眺める事にした。


「えーなにこれ、美味しそう!」


アイスクリームのコーナーを見て、嬉しそうな声をあげる女性が居た。
わたしよりちょっと歳上だろうか。やっぱりいくつになっても女子は甘いものが好きだよね、わたしも何か買おうかなぁ。
その女性を避けながらわたしもアイスの入った冷凍庫に近付いていくと、ある事に気付いた。
この人、見覚えがあるような。


「…!!」


横顔だけれどもたぶん間違いない、国見先生の彼女だ!
この髪色、長さ、持っている鞄もあの日見かけたのと同じような気がする。なにより、とても美人であった。


「……」
「すみれ〜お待たせ〜」
「!!ちょ!」


ユリコがわたしの名前を呼びながら戻って来たので、慌てて口を塞いで陳列棚の陰へと引っ張り込む。別にわたしの名前が割れても何の支障もないのだが、何故か危機感を覚えてしまったのだ。


「どうしたの?」
「あれ見て、あそこの」


先生の彼女から離れた場所へと移動して、そっと目で訴えた。ユリコはわたしの視線を追って、その先にいる女性を見つめる。ちょっと見過ぎだけど、女性はアイスを選ぶのに必死だから気付かれていない。


「…誰だっけ?」
「国見先生の彼女…」
「え…?あー…うわ、そういえば。ほんとだ」


ユリコも記憶と一致したらしい。やっぱり先生の彼女で間違いない?だとしたらここに国見先生も一緒に居るかもしれない!
と、店内をそっと見渡してみたけれどそれらしい人影は無く。

お客さんはわたしとユリコ、同じ学校の生徒が数名、お酒のコーナーに居るおじさん。そして、ひとりの若い男性だけだった。
店内を歩いていた男性は先生の彼女に近づいて行き、アイスクリームたちを覗き込みながら言った。


「これ新作?」
「らしいよー、ねーこれ食べたい」
「おっけー」


男性はアイスを一つ取り出すと、買い物かごへと入れた。それだけでなく女性の腰に手を回し、女性のほうも自ら擦り寄っていく。
あれれ?あの人、国見先生の彼女では無かったっけ?隣にいる男の人は誰?わたしもユリコもちんぷんかんぷんだ。


「…あれはカレシ?」
「カレシにしか見えないけど、国見先生には見えない」
「またややこしい言い方を…」
「人違いかも…もう少し近づいていい?」


アイスを見に行くふりをして、わたしたちは彼らに近付いて行った。
もしこの人が先生の彼女でないのなら、別にいい。あの時先生の隣を歩いていたのは別人かも知れない。
もし同一人物だったとしても、悪い言い方をすれば、先生に付きまとっているだけの人かも知れない。


「あっごめん、電話だ」


その時、女性の携帯電話が鳴った。すぐに鞄の中から取り出し画面を見たけれど、一瞬の間を置いて「いいや」と呟きまた鞄へと戻す。それを見て隣の男性もわたしたちも不思議に感じた。


「出なくていいの?」
「んー?うん。元カレ」
「アキラくんだっけ?」
「そうそう」


その声を聞き、ビビッと身体に電流が走った。「アキラくん」という呼び方は聞き慣れないわたしだが、もう100パーセント間違いない。
温度調節のされたコンビニ内にも関わらず、汗が流れそうになった。正真正銘の冷や汗が。わたしの様子を感じ取ったユリコは小声で言った。


「…先生の下の名前は?」
「…ビンゴだった…」
「あー…」


なんとも言い難いユリコの反応。わたしもどうすれば良いやら分からない。いや、どあもしなくて良いのだが。
衝撃を受けたわたしたちとは裏腹に、その男女は腕を組んで話を続けていた。


「何で別れたんだっけ?最近だよね」
「一昨日。つまんなくなっちゃったんだもん、真面目だし…」
「真面目なのは良い事じゃん」
「真面目すぎるの!わたしさ、口うるさく言われんのキライなんだよね」
「なるほどー?」


などと話しながら彼らはレジに並んだので、わたしもアイスを買うか迷っていたけれど何も買わずに外に出た。
ユリコも元々何かを買うつもりだったかも知れないけど、わたしに続いてコンビニを出た。


「…別れたんだ」
「一昨日って…先週あんなに良い雰囲気だったのにね」
「……」


仙台駅の近くの歩道を、腕を絡ませて歩いていたのに。国見先生が真面目で口うるさいから、とあの人は顔をしかめながら話していた。
確かに先生は口うるさい。ただの生徒であるわたしに対してもそうなんだから、彼女にはもっと厳しいのかも知れない。

しかしあの女の人も結構気が強そうであった。「つまんなくなった」と言っていたし、今は別の人とデートの最中みたいだったし、これは…


「…先生が振られた側っぽいよね」
「うん」
「落ち込んだりしてないかな…」


まぁ、あんまり国見先生の落ち込んだところは想像できないんだけれども。
少し前まで腕組みして歩いていたカップルが破局したのを知ってしまい、しかも振られたほうはわたしの家庭教師。
次の日曜日、知らんぷりして過ごすのに苦労しそうだ。