08


ユリコとケーキを食べていた時、偶然にも国見先生のデート現場を目撃してしまった。わたしたちは窓際の席に座っていたので、歩道を歩く二人の姿がまる見えだったのだ。
当人たちは反対側の歩道にいた事もあり、またケーキに興味が無かったのか、ガラス張りの店内に目を向ける事も無かったので先生はわたしに気付かなかったようだ。


「先生、きのう彼女と歩いてました?」


…と、翌日の家庭教師の時に聞こうかなとも思ったけど。物凄く怖い目で見られそうだったのでやめておいた。プライベートの事なんか生徒に知られたくないだろうし。
わたしにしては珍しく好奇心を抑える事に成功し、何事も無く(とは言っても、いつも通りの厳しさで)その日の家庭教師は終わった。


「すみれ、そういえば何買ったの?」


あれは果たして国見先生で間違い無かったのか、そして隣に居たのは彼女だったのか。そんな事を考えながら晩御飯を食べていると、お小遣いを何に使ったのかとお母さんが聞いた。


「まだ何も買ってないんだよね。ユリコとケーキ食べただけ」
「なんだ、そうなの」
「次の土曜に買い物しようかなー」


悲しい事に、部活を引退したおかげで毎週土日は何の予定も無い。日曜日に家庭教師があるだけだ。だからって毎週のようにユリコと遊ぶわけにも行かないので、今度はひとりでゆっくり買い物にでも行こうと思っている。高校生だからあまり行動範囲は広くないけど。


「そういえばフォーラスの近く、おっきいスポーツ店出来たんだってね」


お母さんは冷蔵庫からお刺身を取り出しながら言った。


「…ふうーん。」


スポーツ店かあ、もしもうちのバドミントン部が強豪ならば「行ってみよう」という気になったかも知れないな。
でも果たしてこの先、ラケットを握る事があるかどうか。大学でもバドミントンを続けるかどうかも考えたことが無い。暫くスポーツ店とは縁がなさそうだ。



そしてやって来た土曜日、家でお昼ご飯を食べてから仙台駅まで電車に乗ってきた。駅周辺にはわたしのような学生でも買える値段のお店が何ヶ所かにあるので、それらを歩いて回ってみる事にしたのだ。


「あ。かわいい」


ショーウィンドウのマネキンが、鮮やかな青色の浴衣を纏っている。帯は黄色、巾着や下駄の鼻緒まで色がコーディネートされていてとても魅力的。

こんな浴衣を着たらわたしも少しは様になるかなあ?歩きにくいわたしのほうを振り返りながら、彼氏が「歩けるか?」なーんて言いながら手を差し出してくれたり…


「…そろそろ彼氏が欲しい」


妄想ばっかり働かせるんじゃなくて、本物の彼氏が欲しい。夏祭りや花火大会や海に誘ってくれるような。
でも受験生のわたしたちはそんなの夢のまた夢、まずは勉強して志望校の合格圏内に入らなきゃ恋だのなんだの言ってられない。特に、勉強が大っ嫌いなわたしは。

もうこんな浮かれきったマネキンが飾られた店からは離れよう、と建物を出て歩いていると。見慣れない看板が、でかでかと飾られていた。


『おっきいスポーツ店出来たんだって』


その看板を見て思い出したのは、お母さんの言葉であった。何フロアにも渡り色々な商品を取り揃えているようだ。恐らくここがそのスポーツ店で間違いない。


「オープン記念セールやってまーす!」


入口の近くでフロア案内を眺めていると、道端でチラシを配っていた人に一枚渡された。
夏に向けてマリンスポーツの道具が大きく掲載されているけれど、陸上競技や球技の道具も結構豊富に揃っているようだ。でもなあ、わたしはもう引退しちゃってるしなあ。


「……すごー…」


結局ほかに行く場所もないので、建物の中に入ってみると本当に色々な商品が並んでいた。壁一面のシューズに、野球のコーナーには何本ものバットや色んな形のグローブ。
バドミントンのラケットも豊富だ。そしてシューズも、練習用のウェアなんかも。

お父さんに貰った臨時収入では買えないような金額のものもあるけど、やはり気になったわたしはついつい色とりどりのシューズを眺めていた。


「あっ」


するとそちらに集中していたせいか、入口で貰ったチラシが手から滑り落ちてしまった。
ひらひらと揺れながら落ちた先には、誰かの足が。そして、ちょうど足元に落ちたからだと思うけど、その人がチラシを拾ってくれた。


「どうぞ」
「あ…すみません…」
「……あ。」
「え」


チラシを受け取りながら聞こえてきた声に聞き覚えが。相手もわたしに見覚えがあったようで、顔を上げるとそこには毎週二時間顔を突き合わせて勉強している人の姿があった。


「く、国見せんせっ!?」
「静かにして」
「はっ…ごめんなさい」
「何してるのこんなトコで」


びっくりしてもう一度チラシを取り落としそうになるわたしと、同じく驚いたた様子の国見先生。まさかこの間の彼女と一緒に居るのでは!?と辺りを見渡したけど、今日はひとりのようだ。


「ちょっとフラフラと…そしたら、ここの宣伝が聞こえたので」
「ああ、バドミントンは続けるつもりなんだ」
「いや…」


バドミントンを続ける予定は、無い。でもわたしにしては珍しく頑張った部活なので、気になって見に来てしまったのだ。


「バドミントンは高校で辞めます。…でも、自然と見ちゃうんですよねえ」
「ふーん」
「引退したくせにって感じなんですけど。良いシューズ無いかな〜とか、履いてみようかな〜とか」
「……」


わたしがアレコレ話すのを、国見先生は黙って聞いていた。
いけない、先生が話し掛けてくれたからって調子に乗ってしまったかも。国見先生はバレーボールの強い学校に通っていたと言うし、中途半端な成績しか残してないわたしが部活の話をしたって馬鹿馬鹿しいだけかなと思えた。


「…すみません」
「え、なにが」
「わたし自分の事ばっかりべらべらと」
「あー、ううん」


先生は何度か首を振った。


「その気持ち分かるなぁと思って聞いてた」


ドキン!と思わず心臓が跳ねる。てっきり鼻で笑われると思っていたので、予想外の共感の言葉に言葉を失った。国見先生もこの気持ち、分かるんだ。体験した事があるんだ。「弱小だったくせに一丁前に」とは思わないんだ。


「あのさ、白石さん」
「は!ひ」
「今って暇?」


国見先生はいつもの無表情で聞いた。勉強の質問ではなくて、わたしの今からの予定の事を。…わたしの予定を?


「…え?」


聞き間違いじゃないかと聞き返すと、先生は腕時計を見ながら続けていく。


「俺、いま待ち合わせしてるやつが来なくて。30分くらい暇なんだ」
「……は、はあ」
「もうここ見飽きたし…」


そう言って店内をくるりと見渡す。もう建物内をひととおり見て回ったらしい。それでもまだ時間が余るのだとか。そこへちょうど良く現れたのがわたしという事らしく。


「暇潰し付き合って」


突然のことで思考が止まった。待ち合わせのお相手が来るまでの約30分間、国見先生と家庭教師以外の時間を初めて過ごすことになってしまったのだ!