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はっと気付いたら部室にいた。

あの悪夢(大袈裟だと言われても俺にとっては歴代ナンバーワンを争うほどの悪夢)の後、記憶が飛んでいるようで知らない間に部室まで歩いてきていたらしい。

時計を見ると、先生に古典のプリントを提出してからまだ10分ほどしか経っていなかった。


心ここに在らずの状態でのそのそと着替え、ベルトを外して制服のズボンが床にすとんと落ち、ベルトの金具がかしゃんと鳴る。

はあ。

俺の心も重力のまま地面まで落ちてマントルを抜けブラジルまで突き抜けていきそうだ。
ブラジルに着くころには心の整理がついてサンバでも習いながらケバブを食べて楽しく過ごせるのかな。ブラジルの人もこんな辛い失恋を味わってるのかな。
なのに明るくサンバなんか踊れるなんて尊敬に値する。

サンバで元気になれるなら誰か教えてくれよ。


しかし、永遠にそんなことを考えていられる状況でない事を思い出した。今から部活だ。


着替えなければとズボンを履き、それがたった今脱いだ制服のズボンであったことに気付き、情けない気持ちで運動着に着替えた。


部室を出てから体育館まで、グラウンドからのホイッスルの音やサッカー部の声が聞こえる。
思い切りボールでも蹴ったらすっきりするかもしれない。明日の体育がサッカーだといいなあ。


そして体育館に入る前、また心臓が止まりそうになった。


「あ、赤葦くんプリント終わった?」


体育館前で、白石さんと出くわしたのだ。

何故こんなところに?
さっき誰かに告白されて、そのまま帰ったのかと思っていたのに。どんな顔して会えばいいんだよ。


「私、赤葦くんに助けてもらってばっかりだから何かお返ししないとと思って」


…お返しか。

好きでもない男に何のお返しをしてくれるんだろう。

ほんの20分前の俺なら浮かれて話を聞いていた。
でも、そんな事されるとますます俺は図に乗って、隣の席の彼女に話しかけ、LINEを送り、彼女の恋の邪魔をしていたに違いない。

好きな奴がいるなら、そっちと仲良くしないと。俺と会ってる場合じゃないよ、と心の中で言った。


「…赤葦くん?」
「お返しなんていいよタオルくれたじゃん」
「うん、でもね私実は」
「部活行かなきゃ。じゃね」


白石さんが小さく「えっ」と言うのが聞こえた。

でもそれには聞こえないふりをして、横を通り過ぎて体育館へと入った。

すでに部活内で分かれてゲームを開始しているようで、木兎さんの元気な声が聞こえる。あそこに行かなきゃ。

うだうだ考えている暇なんか無いんだ、俺の居場所はこの体育館の中、コートの中であり、白石さんの隣ではない。


最悪だなっていうのは自分が一番分かってるから、今日だけは力任せにボールを扱ってもいいですか。





「あかーし??終わったぞ」
「え?」


また意識が吹っ飛んでいて、気づいたら体育館の窓や入り口からオレンジ色の光が差し込んですっかり日が沈みそうだった。


「もうこんな時間ですか」
「そうそう。お前がボケっとしてる間に2時間経過」
「…ボケっとなんかしてないです」
「俺に嘘は通用しねーぞ!ボケ葦くん!」
「………はい」
「ちょっといつもみたいに冷たく突っ込んでくんない?」
「すみません…」


いつもなら鬱陶しいなと感じる木兎さんとの会話が今はすごく安心できた。近くに誰か元気な人がいると自分もほっとする。


「あ!あかーし今日の俺どうだった?インナースパイク!どーんッてね」


木兎さんが最近取得したお気に入りの技、超インナースパイクを打つ素振りをしながら言った。


「今日のも凄かったです。明日もバンバン上げていきますんでお願いしますね」
「お前ホント大丈夫?」
「え?」
「俺、今日は成功してないけど。」
「……」
「ついでに言うと今日のお前は俺にトス上げてねえぞ相手チームだったから」
「……うそでしょう」
「疲れてんの?」


まさかこんな日が。
来るなんて。

俺が木兎さんに、カマかけられるなんて。

木兎さんを馬鹿にしている訳じゃないが、本当に自分の頭がおかしくなっている気がする。


すると木兎さんはじっと俺の顔を覗き込んでウーンと唸った後、踏ん反り返って言い放った。


「赤葦お前は明日部活休み」
「は?」


びしっと太い指で指さされ、人差し指が俺の眉間まで5センチくらい。もし木兎さんに距離感覚が無かったら目玉をぶち抜かれている。


「明日はゆっくり休んどけい」
「嫌です」
「お?主将命令が聞けんか!いつもの賢い赤葦なら分かってくれると思うんだけどな!」
「無理です」
「じゃあ朝練だけでも休んで!お願いだから!しゅしょーめーれー!」


木兎さんの人差し指の先と、顔を交互に見ながら本気で言われているのだと悟った。

俺が木兎さんの不調に敏感であるように彼もまた、俺の様子がおかしい事には気付いているのだ。


「都合のいい主将命令ですね」
「おうおう。その皮肉が明日はもっと復活してる事を祈る!」
「……ありがとうございます」


白石さんには俺ではない好きな人が居て、俺は頭がおかしくなって彼女に辛くあたって、木兎さんは異様に優しい。

こんなの全部嘘だ。
パラレルワールドに迷い込んだ気分。
11.パラレルワールドへようこそ