05


わたしと国見先生はきっと、性格的に合わないのかも知れない。
わたしは産まれてからこの歳までずっと能天気に生きて来たし、高校だって家から近くて自分の頭でも入れそうな公立を選んだだけ。入学してからは赤点さえ回避出来ればいいや、という考えだったので成績も振るわなかった。

ユリコと一緒に始めたバドミントン部も、良くて地区予選の三回戦出場まで。基本的には一回戦か二回戦で負けてしまう弱小なのだった。
でも楽しいから良いや、どうせ家に帰ったってする事ないし!…という事で練習にはちゃんと参加している。
試合に出る事も出来ている。まあ部員が少ないからなんだけど。

そんな、行き当たりばったりな人生しか送ってこなかったわたしに訪れた初めての挫折。
「挫折」と呼ぶにはまだ早いし大袈裟だけれども、大きな壁と言うべきだろうか、やって来た家庭教師がイケメンの皮を被った鬼だった。


「すみれ、勉強の調子はどう?」


ある平日の夕食時、お母さんが食卓をはさんだ向かいで言った。


「…どうって、特に…」
「国見先生に見てもらってから何か変わった?」


今、その名前を出さないで欲しい。わたしは国見先生がとても苦手なのだ。
そりゃあ外見はとってもとっても素敵だと思うけど、中身は全く受け入れられない。もちろん悪い人じゃないのは分かる。けど、怖すぎる。


「先生は、ちゃんと教えてくれるけど」
「けど?」
「あの人ちょっと怖いんだけど…」


実はこれを打ち明けたのは今が初めてだ。「家庭教師が怖い」なんて言ったら、最近の親は過剰に反応して何かのハラスメント被害を訴えてしまうかも知れないし。
が、うちはそんな心配に及ばなかったらしく、お母さんは呑気に肉じゃがを頬張って笑った。


「そりゃあそうでしょう、厳しい人を寄越して欲しいって頼んだんだもの」
「あんなに厳しい人が来るなんて思わなかったよ」
「そんなに怖いの?穏やかそうな感じじゃない?」


…お母さんは騙されている。国見先生の美しい外見に。


「…黙ってたら穏やかだけど」
「国見先生ってスゴイ人らしいよ、青城でバレーのレギュラーだったんだって」
「青城?…ああ、マユちゃんが通ってるとこ」
「そうそう。あそこバレーボールが強いんだって」


同じ中学校だったマユちゃんという友だちが、青葉城西高校へ通っている。バレー部が強いとは知らなかった。マユちゃんはあそこの制服が可愛くて選んだって言ってただけだし。
ていうかお母さんはそんな情報どこから仕入れてきたんだ。
それにいくら強豪バレー部で国見先生が頑張っていたとしても、それとこれとは別である。


「そりゃあ凄いのかも知んないけど…」
「少しくらい厳しい環境じゃないとあんた、勉強しないでしょ」
「……。」


それが少しじゃないのよお母さん、超がつくほど厳しいんだってば。



「へー、Aさんって男バレだったんだ」


新しく仕入れた情報は、早速翌日の昼休みにユリコへ報告した。彼女の反応を見ると、青城バレー部が強いという事は知っているらしい。


「らしいね。バレーって今ひとつ凄いのか分かんないけど」
「確か青城って言ったら県内トップだよ。白鳥沢か青城のどっちか」
「うぇー白鳥沢ってバレーも強いの?」


白鳥沢学園と言えばバドミントン部も強くて有名で、試合で当たった事は無いけどいつも決勝まで残っている印象がある。
しかも白鳥沢は県内屈指の進学校。おまけにバドミントン以外の部活も強いだなんてずるい。練習環境が整ってるのかな?お金持ちめ。


「勉強も出来て部活も強くてって…打つ手無いじゃん」
「まあまあ。最後なんだし頑張ろうよ」


項垂れるわたしを見て、ユリコは呆れるでもなく怒るでもなく言った。


「ユリコは偉いよねえ…」
「えー?」
「弱音吐いた事ある?ないでしょ」


ユリコはいつもわたしが挫けそうになった時、こうして背中を押してくれるのだ。本人にその自覚があるかは分からないけど。前向きな発言で元気をくれるっていうか。部活のメンバーにもいつも明るくて優しくて、凄いなあと思う。


「そうかなあ。すみれも充分偉いと思うよ」
「どこがぁ」
「なんとなーく始めたくせに、バド部続けてるじゃん」


確かにわたしはなんとなくバドミントン部に入った。仲のいいユリコが居たから。でも部活を続ける事なんて「偉い」と言われるには程遠い。単に辞める理由が無いからだ。褒められるのはむず痒い。


「だって帰宅部になっても、する事ないしさ…」
「する事なくても辞める子は辞めるよー」
「そうかな?」
「勉強もその調子でガンバレ」


応援されると悪い気はしない、が、ちょっぴり重荷である。だってわたしの場合、勉強はひとりでするもんじゃない。あの国見先生と力を合わせなきゃならないんだから。



そしてやってきた日曜日。
基本的に無駄な話をすること無く二時間が経過して、やっと地獄のような時間が終わろうかという時。荷物を片付けていた国見先生が言った。


「来週は休みだっけ」


先生はスケジュール帳のようなものを開きながら確認していた。黒い表紙のシンプルなやつ。男のくせにスケジュール帳とか持ってるんだ、と思ったのは秘密。


「…ハイ。ちょっと野暮用が」
「野暮用って何」
「えーと…」


高校時代に強豪のバレー部だった先生には少し言いづらい。弱小バドミントン部のわたしが、いっちょ前に大会に出ることなんて。


「部活の、地区予選がありまして」
「ああ…バドミントンだっけ」
「はい」
「そう言えばそういう時期か」


春のこの時期、ほとんどの運動部は夏の大会に向けて予選が行われたりする。バレー部もやっぱり同じだったのか。


「先生、バレー部だったんですよね?」


初めてわたしたちの間に共通(と言えるかは謎だけど)の話題が出来たので聞いてみると、なんと国見先生は思いっきり眉を寄せた。


「…どこで知ったのそれ」
「お母さんに聞いて…」
「お母さんには誰が…あー…まあいいや。そうだよ」
「最後の試合の時って、どうでした?」
「どうって?」
「やっぱ特別だったのかなあって」


完全無欠の国見先生にも、人間らしい感情が芽生えていたのかなあって。なんちゃって。先生は懐古するように視線を動かして、小さく頷いた。


「そりゃあね。多少は」
「へえぇ」
「白石さんはどうなの?」


どうなの、と聞かれると。正直まだ全然実感がわかない。そう言えば前の先輩が引退してからもう一年が経つというのに、ついこの間のように感じられる。


「次の日曜で最後なんて、何か信じられないなーって感じです」


きっとうちの学校はトーナメントの最初のほうで負けるだろう。初めから優勝なんて目指していない。なのに負けるのは毎度悔しいんだよなあ、目標が低いくせに悔しさだけは一人前に感じるんだよな。
こんなわたしの事なんて、強い環境で頑張っていた先生には理解できないだろうか。きっと馬鹿にされてしまうかな。


「最後かは分かんないじゃん。頑張ってみれば」
「……え」


でも、なんと国見先生が、わたしに向かって「頑張ってみろ」と言ったではないか!?次が最後かどうかは分からない、と!一体どうしたんですか先生、そんな優しい事が言える人だったのですか?
けれど感動して呆けるわたしの顔を見て、先生はまたいつもの調子で言った。


「何その顔」
「えっ、いや!先生からそんなエールを送られるとはっ」
「社交辞令くらい弁えてるから」
「しゃ・社交辞令!」


なんだぁ今のは社交辞令だったのか。別に、国見先生が本気でわたしに優しい言葉をかけてくれるなんて思ってなかったけどさ。
でも何か、日曜日の試合は思いっきり頑張っちゃおうかなーって思えてきたかも。