04


「あちゃー…」


国見先生からの言葉を伝えると、ユリコは漫画みたいなリアクションで参っていた。
そりゃあ「あちゃー」としか言えないと思うよわたしも、せっかく先生の心を掴むためにお洒落してみたのに「そんな暇があったら予習しろ」なんてさ!


「酷くない?女子高生に向かって言う台詞じゃないよアレは」
「はははっ、確かに」
「笑い事じゃない!」
「ごめんごめん…でもさ、これで覚悟決まったんじゃない?」
「覚悟?」


お弁当を平らげたあとのポッキーをポリっと食べながら、ユリコは頷いた。


「受験からは逃げられないんだから。Aさんに従って勉強頑張るしかないよ」


ポリポリ、もぐもぐゴクン。
ユリコがポッキーを食べている間、わたしはその姿を眺めながら悶々と考える。
どうせ受験はやって来るんだから、せっかく雇われた家庭教師の言う事が少々厳しくても勉強しろと?ふむむむ。


「……正論。」
「でしょ!」


わたしに向けられたポッキーの袋から二本取り出して、一気に口に放り込む。ボリボリ、可愛くない音。


「やるしかないのかぁ…」


塾に行くのは嫌だし、だからって自分だけでどうやって勉強すれば良いのかは分からない。学校の先生は顔見知りだから甘えてしまって、実のある勉強は出来ないかも。
そう考えると家庭教師はわたしにとって、一番向いてる勉強方法なのかなぁ?



そしてやって来た次の日曜日。これまでは「家庭教師」という存在にネガティブな気持ちを抱いたままだったから、上手くいかなかったのかも知れない。試しに国見先生を歓迎する気持ちを持って迎えてみようではないか。


「おかあさーん!」


四時半ごろ、部活から帰って着替えを終えたわたしは家の中を走り回っていた。


「もうすぐ先生来るから!お茶の準備する」
「え?うん…珍しいね、すみれがやってくれるの?」
「うん」


国見先生を気持ちよくお迎えするにはまず、おもてなしから。いつもお母さんが用意してくれるお茶を自分で用意しようと思ったのである。
どのカップを使おうかなぁと食器棚を漁っていると、ずっと気になっていた箱に入ったままのセットを発見した。


「ね、このカップ出して使って良い?新品の」
「いいよー」


聞くところによると一目惚れして買ったものの出す機会がなく、ずっと仕舞っておいたらしい。箱にかわいい猫の絵が描いてあったから、使ってみたかったんだよね。国見先生がこういうのに興味あるのか分からないけど、地味なものよりは雰囲気が華やぐかも。


「可愛い食器と美味しいお茶で和ませる作戦!だ」


いい作戦名が浮かばなかったけどとりあえずこういう意図があって、わたしはお茶の用意を買って出ている。
しかもペアのカップだから、何気に国見先生とお揃いだ。先生が「なにこれ」とお揃いを見て苦い顔をするのが目に浮かぶけど、まあいい。少しでも勉強の時間を楽しむことが出来れば。


「先生、いらっしゃい」
「お邪魔します」


五時になる少し前、国見先生はきちんと家にやって来た。全然顔が変わらないけど家に上がる前は頭を下げてる。私に向けてじゃなくてお母さんに向けて、だろうけど。


「すみませんねいつも、今日もよろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
「じゃあすみれ、お茶…」
「わたしが持っていく!」
「あ、そう?」


台所に用意しておいたお茶のセットは既にトレーに乗せてあり、準備万端。棚に入っていたお菓子もついでに皿に乗せ、先に部屋で待機している先生のもとへ運んでいった。


「先生、どうぞっ」


運ぶ途中で段差に躓いて転ぶ、という漫画のようなミスも無く無事にテーブルへお茶を届けた。国見先生は突然張り切ってお茶を出し始めたわたしを見て、少し不思議そうな様子。


「…ありがとう」
「紅茶、苦手じゃないですか?」
「ううん。大丈夫」


それを聞いてホッとした。きっと同年代の男子なら「紅茶?」と嫌な顔をするに違いないのに(男子に紅茶を出した事は無いけど)、さすが大人の人は違う。国見先生は大学三年生だからもう二十一歳。紅茶を飲む姿も様になっている。


「あのっ、このコップ可愛くないですか」


一口飲んだカップをソーサーに置いた時、思い切って聞いてみた。これはわたしと国見先生との距離を縮めて、勉強中の空気を和らげるための作戦。
先生は置いたカップを再び目線の高さまで持ち上げると、猫のイラストをじっと眺めた。


「……うん。可愛いんじゃない」
「おお…」
「何」
「いやっ、国見先生にもカワイイっていう感性があったんだなぁと」
「あるよそのくらい」


あるんだ!そういうの全然興味ないと思っていたのに。いや無かったとしても、少なくともわたしに話を合わせてくれたという事になる。
鬼みたいな先生だけど、やっぱり嫌なところばかりじゃないんだ。


「…この家では皆、猫が好きなの?」


カップを置きながら先生が言った。


「なんでですか?」
「玄関に置物があったし。コップの模様も猫だし、あそこにもぬいぐるみ置いてるから」


そして、わたしのベッドに置いている猫のぬいぐるみを指さした。
あのぬいぐるみも玄関の置物も大して大きなサイズじゃないのに、気付いていたのか。


「よく見てますね…」
「うん」
「実は昔、猫飼ってたんですけど…交通事故で死んじゃって。寂しくて猫グッズばっかり集めてた時期があるんです」
「へー…」


だからこのティーセットも、飼っていた猫が死んじゃった直後にお母さんが買ってきたもの。枕元のぬいぐるみはわたしが泣いてばかりいるのを見かねたお母さんが、デパートで買ってくれたんだっけ?それからずっと一緒に寝てるなぁ、そう言えば。

しかし、家の所々にある猫を目ざとく見つけてしまう国見先生も凄い。もしかして先生も猫を飼っていたりするのだろうか。


「国見先生も猫好きなんですか?」
「いや別に」
「そ、そうですか」


バッサリと否定されてしまった。猫が特別好きってわけじゃ無いらしい。


「じゃあ始めよっか」
「はい…」


まだまだ国見先生と打ち解けるには時間がかかりそうだ、このティーセットのおかげで少しだけ話せた気がするけど。盛り上がったかどうかは別として。

ティータイムはすぐにお開きとなり、先生の一声で空気は勉強モードに切り替わった。
今日出ていた宿題も、教科書の練習問題と応用問題を解いておく事。数学が大の苦手なわたしなので、わざわざ教科書の一番最初のページから遡ってくれているのだ。
ただし入試までは一年を切っているので、猛スピードで。


「白石さん」
「は!い」


宿題の見直しをしているとき、前髪がはらりと垂れてきたのを直していると国見先生に呼ばれた。


「…髪、留めたら?」


髪。この前みたいな大袈裟なお洒落はしていないものの、顔が丸いのを誤魔化すために伸ばしている前髪。パッツンだと丸さが強調されてしまうから。
それを留めておけと国見先生が言う、留めたらおデコが見えちゃうから嫌なんだけど。


「…こっちのほうが似合いませんか?」
「どっちでもいいけど、目が悪くなるよ」
「……。」


わたしの髪型なんてどうでも良いってか、そうですか。


「勉強すんのに見た目なんか気にしてらんないじゃん」


そう言う国見先生だって前髪ちょっと長いじゃん、なんて言ったら怒られるかな。
でも国見先生ならどんな髪型でも似合ってしまいそうだ。それに県内で一番の大学に通っている国見先生の事だから、きっと受験の時にはかなり努力したに違いない。


「…ですよね。わかりました…」


反発ばかりしていないで、きちんと言うことを聞かなければ。わたしは今日から心を入れ替えたのだから。

わたしは立ち上がり、勉強机の上に置いていた箱を開けた。
いくつかのヘアピンが入っている。簡単に前髪を留められるクリップが二つあったので、それを取り出して鏡も見ずに前髪を留めた。「鏡も見ずに」というところがポイントだ。見た目に構わず勉強しやすい環境を作ります、という意思表示。

そして、箱を閉めて再び国見先生の待つローテーブルの前に座った。


「なにそれ」


先生はきょとんとした顔でわたしの顔を眺めていた。正確には顔じゃなくて、たった今前髪を留めたクリップを。…猫の飾りが付いたやつを。


「ね…猫です」
「それは見たら分かる」
「これしか無くて…」
「それしか無いの?」


そんなに驚かれましても、部活の時は仕方なくポニーテールだけど普段は顔周りを隠したいから髪は下ろしている。可愛いヘアピンなんか持ってない。
いつか彼氏が出来たらヘアアレンジを練習して、買うかも知れませんけど!
大学生の国見先生からすればこんな子供っぽいもの馬鹿らしいんでしょうけど!

でも「見た目なんか気にしてらんないよ」と言ったのは先生のほうですからね。馬鹿にされる筋合いありませんからね。…と言う念を送りながら先生をチラリと見ると。


「どんだけ猫好きなわけ」


…なんと、国見先生はぷっと吹き出していた。


「……くっ、くにみせんせ」
「何?」
「あの、いま、笑っ…」


笑いましたよね!?とても自然に!わたしの猫のヘアクリップを見て!
今日は猫のカップを「可愛い」と言ってくれたり(半分言わせたようなもんだけど)、猫だらけの家に気付いてくれたり、何だか心を開いてくれているような気がする。可愛いもので和ませる作戦は成功だろうか!?


「それが何か?」


ところが国見先生は、いつの間にかいつもの真顔に戻っていた。


「……何でもアリマセン」
「ふーん」


「外見気にするなら成績気にすれば?」とでも言いたげな顔、ああ怖い、やっぱり怖いよこの先生。