03


女子バドミントン部の朝練は火曜日と木曜日。それ以外は男子バドミントン部が朝のコートを使用しているのだ。だから今日、月曜日はゆっくり起きて登校できる日。
けれども事前にユリコへ連絡しておいたのだ、「どうしても話したい事があるから早めに学校へ来れないか」と。


「ふあぁ…話したい事ってなーに?」


せっかく朝練が無いというのに、朝のホームルーム一時間前に呼び出されたユリコはとても眠そうだ。わたしも実際眠いけれども、電話やメールじゃ無くて直接話したかったのだ。このビッグニュースを!


「わたし、昨日から家庭教師だったじゃん?」
「あ!そうだった。どうだった?」
「それが…何から話せば」
「鬼教師だったの?」
「う…うん」


そう、予告されていたとおりの鬼教師だった。でも絵に描いたような鬼ではなくて、何て言えばいいんだろう。理詰めにしてくる感じの鬼。しかも見目麗しいときたもんだ。
そして最大のニュースはこの家庭教師が初対面では無く、仙台駅で助けてくれたAさんだったという事。


「実は…Aさんだったの。家庭教師」
「Aさん?」
「この前スリに遭いかけたじゃん。あのとき助けてくれた人」
「え!?うそ」


ユリコは予想通りの反応だった。
わたしだって昨日は、こんな偶然があるのかと驚いたもん。日本国内でスリに遭うってだけで貴重な体験なのに(嫌な体験だけど)、その上助けてくれた人が家庭教師としてやって来るなんて。


「ちょっと待って、でもAさんって結構かっこよかったって言ってなかった?」
「…うん。カッコイイ」
「じゃあラッキーじゃん!」
「違う違う違うの…」


問題はそこじゃない。Aさん、いや国見先生は助けてくれた日も昨日も格好良かったんだけれども。甘いマスクに気を取られていると、突然鋭いナイフを喉元に当てられるのだ。


「あの人めちゃくちゃ怖いんだよ。昨日なんて言われたと思う?」
「何?」
「やる気ないやつに教えるほど暇じゃないから。だって」


みるみるうちにユリコの顔から血の気が引いた。血の気がと言うより、国見先生のその台詞にドン引きしている様子。そしてとても低い声で「うわぁ…」と顔を引き攣らせた。


「…やっぱりそれが正しい反応だよね」
「ていうか超怖くない?それ」
「怖かったよ。開いた口がふさがらないって初めて自分で体験したよ」
「そんな人と毎週勉強すんの?」
「そう。しかも二時間も!」


五時から七時、日曜日の部活で疲れた状態で勉強するだけでも嫌なのに。あんな鬼のような人と部屋の中で二人きりだなんて!


「…お気の毒だね…」
「ほんとだよ…人間は顔だけじゃないっていうのが良く分かった…」
「で、でもさ!いい点とったら褒めてくれたりするかも」
「想像できない…」
「教え方が上手いとか…」
「…教え方ねえ」


ユリコは何とか国見先生の良いところを探そうとしてくれているようだが、今のところ先生の良いところといえば外見くらいしか浮かばない。
スリを捕まえてくれた事なんて遠い昔のようだ。むしろ別人だったんじゃないかとさえ思う。よく考えたらあの時一緒に居たBさんのほうが愛想良くしてくれたし。
ああ、だんだん先生の記憶が良くない方向に塗り替えられていく。そんな状態なもんで、国見先生の教え方がどうとか考えられる状態ではなかった。


「……だめ。あの人の教え方が上手なのかヘタなのか分かんない。そんな事よりとにかく怖い」
「そこまでなんだ…」


初めての家庭教師を受けた昨日、その二時間はとても長く感じられた。
それなのにあまり記憶が無い。辛うじて宿題を出された事は覚えている。教科書36ページの応用問題を解いておけと。
先生が帰ってからそのページを開いたけれど訳が分からなくてすぐ閉じた。


「…あ。じゃあさ!いっこ思いついた」


その時ユリコが何か名案を思い付いたらしく、目を輝かせて言った。


「昨日はさあ、部活から帰ってすぐだったじゃん!今度は思いっきりお洒落して出迎えてみたら?」


ナイスアイデア!と自分では思っているらしい。ユリコは身を乗り出しているけど、わたしは今ひとつ理解出来なかった。
というかその案が良い結果をもたらしてくれるのかどうか分からなかった。あの国見先生が、わたしが少しくらい外見を整えたところで態度を緩めてくれるだろうか?


「可愛い身なりの女の子にはなかなか厳しく出来ないと思うよ」
「そうかな…ていうかわたしのお洒落で通用するかなぁ」
「するする!すみれって髪も綺麗だしさ!先生だって男なんだし」


褒めるところは髪の毛か。まあ顔もスタイルも中の中ですけれども。髪だけは母親譲りでサラサラだ。そこはお母さんに感謝している。

でも、なぁ。国見先生ってそういうのに引っかかる人なのかどうか。と言うか、高校生の女子がお洒落に気を遣ったところで「あ、先週と雰囲気違う」と気付いてくれるかどうか。



それからはユリコと作戦を練って(と言ってもネットや雑誌でどんな服を着るか調べた程度)、迎えた次の日曜日。

部活が終わった途端に着替えてさっさと帰宅し、身体だけシャワーを浴びて今朝用意しておいたワンピースに着替える。…このワンピース、いつかデートで着ようと思ってタンスの肥やしになっていたものだ。彼氏が出来なかったから出番が無かったけど。

そして鏡を見てみれば髪の毛がボサボサだったので、くしで解いてヘアコロンをシュッ!(ユリコのおすすめ、ドラッグストアで10パーセント割引)最後にあまり濃くないリップを塗って完成。あ、いけない喉が渇いてきた。ストローどこだっけ……ああもう!インターホン。バタバタしているうちに国見先生が来てしまった。


「宿題やった?」


部屋に招き入れて早々、わたしの見た目とは全く関係の無い言葉。
家庭教師の先生としてはアタリだけれど、頑張ってめかし込んだ女の子に言う台詞としてはどうなんだ。…まあわたしが勝手にお洒落してるんですけど。


「…どうぞ。」
「はい」


出された数学の宿題を一応頑張って解いたので、ノートと教科書を先生へ渡した。それを受け取る国見先生の手首にはちょっとゴツめの黒い腕時計。そう言えば国見先生は色白なのに黒が似合うなあ、髪も黒いし綺麗だし。


「……何?」


おっといけない、見過ぎたようだ。


「なにもないです」


慌てて苦笑いするわたしを怪しがる素振りも見せず、国見先生は宿題に視線を落とした。
なんかこの人、お洒落して優しくしてもらうとか以前の問題では?わたしに全然興味無さそうじゃん。


「今日は部活無かったんだ」


自分が惨めになりかけた時、宿題に目を通したままの国見先生が言った。


「…え?」
「この前は部活帰りだったみたいだから。今日は違うのかなって」
「き、今日は…」


嘘、気づかれた!?わたしが先週と違うって事に!ボッサボサの頭のまま、制服のままだった先週と比べて今週は様々な用意をして待っていたって事に!


「早めに終わったんでダッシュで帰ってきて、それであのっシャワーして着替えを」
「へえ」
「あ、あ、あと!汗くさかったら良くないと思って髪をといたりシュッしたり」
「ふーん」


国見先生は軽い相槌を打ちながら、ふと顔を上げた。うわぁ、目が合った!


「白石さん」
「ふぇっ、はい」
「白石さんは汗くさくないよ」
「…え」


ドキンと少女漫画でしか聞いたことのない擬音が鳴る。
わたし、汗くさくない?もしかしてわたしが気にしてるのを「そんなに心配しなくていいよ」と気を遣ってくれている?先週はただの鬼教師にしか見えなかったのに、なんだか今日は優しいではないか。ユリコの助言の効果あり!?


「ほんとですか…」
「うん。無臭」
「よかった…」
「だから俺が来る前に、あんまり時間かけて髪とか整えなくて良いから」
「え」


気付けば国見先生は、とっくの昔に顔を宿題のほうへ戻していた。しかも手には赤ペンを持って、わたしのノートに巨大なバツを書いたところ。そのノートを閉じてわたしに差し出しながら一言。


「そんな事より予習しといてくれる?」


手ごわい、手ごわすぎるよ国見先生。誰かこの人に「お手柔らかに」という言葉を教えてあげて。