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特技無し、将来の夢無し、成績普通、容姿についてはノーコメント。
しいて言うなら高校一年からバドミントン部に入っているから、運動神経は悪くは無いけど特別秀でているわけでも無い。交遊関係は良好かな、家族関係も良いしご近所さんとも顔を合わせれば挨拶をする仲。

そんな普通の人生を送るわたしは高校三年生になり、進路について悩んでいるところだ。目下のところ志望校は県内の国公立、とだけ決まっている。ちなみに去年受けた全国模試の結果はあまり良くなかった。

つまりわたしの受験戦争勝利への道のりは険しいわけだが、まだ高校三年の四月になったばかり。これから一年弱本気で取り組んだら変わるかも知れないし、県内どこかの大学には受かるだろうとボンヤリ考えていた。


「すみれー、ちょっと」


とある日曜日、バドミントン部の友人と出かけようとした時に母親に呼び止められた。もう靴を履いているし(しかも脱ぎにくいストラップ付き)、電車に乗り遅れそうだから急いでいるのに!


「なにー?もう行かなきゃ」
「あのね、来週ね」
「来週?」
「そうそう。えーと来週の日曜の…」


お母さんはとってものんびり屋だ。しかも来週の話を、急いでいる今ここで言われなくてもきっと大丈夫。


「ごめん!帰ったら教えて」


緊急の用事ならメールか電話をしてくるだろうし、お母さんも「わかった〜」と了承したのでわたしは慌てて家を出た。電車の時間まであと七分か。駅まで自転車を飛ばしていくしかない。



無事に電車に乗る事が出来、仙台駅に到着したわたしは友人との待ち合わせ場所へ急いでいた。そもそも今乗った電車だって待ち合わせギリギリだったのだ。

日曜日の昼間、わりと人通りの多い時間帯なので他人とぶつからないように気を付けながら歩いて行く。友人は地下鉄で来ると言っていたっけ。
天井からぶら下がっている案内板を見ながら地下鉄方面への矢印を確認し、立ち止まってちょうど方向転換をした時だ。


「あ…?」


人混みの中で、立ち止まって駅の案内板を眺めていたわたしは不用心だったのだろう。肩から下げていた斜めのショルダーバッグに知らない人の手が突っ込まれている。
思わず動きが停止するわたし。誰?ていうか、やばい。ここは日本の、しかも主要都市とは言え東北地方なのに。こんなところで白昼堂々と?


「わっ!?あ、ちょ」


わたしに気付かれたというのに、その相手も慌ててしまったのか元々手につかんでいたのか、わたしの財布を引っ張り出してそのまま逃げだしてしまった。
しかしそこは反射神経の高いバドミントン部のわたし、咄嗟に伸ばした右腕が犯人の腕を捕らえ…る事は出来ず。


「待って!ちょっと!すみません!あの人っ」


プリクラとか撮っちゃおうと思ってたから走りにくい服装だし人が多いし、なかなか追いつくことが出来ない。どんどん人混みをすり抜けていく犯人。やばい、今月貰ったお小遣いが全部あそこに入っているのに。


「すみませっ、待って!泥棒です!財布!あの黒い人!黒い人!」


パニックになってこのような事を叫びまくった。自分が間に合わないなら誰か助けてくれまいか。いくら恥ずかしがり屋の日本人でも、うら若き乙女(容姿はさておき)が困っていたら助けてくれるはず!
そう願ってとにかく犯人の特徴である黒い服が目立つように「黒い人を捕まえて」と叫ぶと、前方から誰かの悲鳴が。


「うわぁ」


新たな被害者かと思ったが、そうではない。黒い人つまり犯人の姿が、なだれ込むように倒れたのが見えた。誰かに掴みかかられて、犯人が悲鳴をあげたらしい。


「泥棒ってこいつ?」


やっと人だかりに到着すると、涼しい顔をした男性が這いつくばる男を指さしていた。犯人らしい男にはもう一人の、別の男性が上から抑え込んでいるようだ。


「……は…ハイ」


わたしがひとりで慌てて追い掛けていたというのに、こんなに簡単に拘束しておいてくれるとは。しかも知らない人が。まだまだ日本も捨てたもんじゃない。

今回助けてくれた男性を仮にAさんとBさんとしよう。Aさんが今度は男の手元に落ちている財布を拾い上げ、わたしに提示した。


「財布はこれ?」
「は、はい。それです」


その返事を聞き、Aさんは財布をわたしに返してくれた。 よ、良かった。わたしの全財産。

そうこうしているうちに駅員が到着し、犯人の男とわたし、そしてAさんBさんまでも駅員に同行する事になった。



こんな事件の被害者になるなんて夢にも思わなかった。まあ未遂なんだけど、ドラマみたいな展開。待ち合わせをしていた友人とお母さんに連絡をしてから駅の一室で色々と話をし、解放されたのは約一時間後。


「あの…ありがとうございました」


わたしは勿論仕方ないけれど、助けてくれた二名の男性にまで迷惑が及んでしまった。「いえいえ」と言ってくれたけど有り難さと共に申し訳なくて、もう一度頭を下げた。


「時間取らせてすみません」
「いいよ、俺ら暇だったもんな」
「暇では無かったけどね」
「そこは合わせろよ」


どうやら犯人にのしかかって取り押さえていたBさんのほうが気さくな人らしい。Aさんはハッキリと、暇では無かったと言った。やっぱり犯人を捕まえてくれたせいで、時間を奪ってしまったようだ。


「すみません…」
「べつに大丈夫だよ。ラッキーだったね」


けれどAさんは、Bさんへの対応とは打って変わって柔らかい口調で言った。ラッキーだったね、だって。
そこへ突然わたしの携帯電話が鳴り、画面を見るとお母さんからのメールが来ていた。


『ちゃんとお礼言って、改めてお母さんもお礼するから連絡先聞いといて』


お母さんが大袈裟な人なのか、親ってこういうもんなのか。それとも常識なのか。
連絡先を聞くという事はお礼の品でも贈るつもりなのだろう、それは賛成なのでわたしは去ろうとするAさんBさんを呼び止めた。


「あのう!お礼とか!させてもらえませんか?うちの親が連絡先聞いとけって」
「お礼?…どうする?」


BさんがチラリとAさんの様子を見る。話を振られたAさんはすぐに首を振った。


「要らない。礼とかされるほどの事じゃないし」
「でも…」
「気にしなくていいから」


淡々とした様子のAさんだったけど、ほんとうに「気にしなくていい」と思っているのは伝わってくる。しつこく連絡先を聞かれるのも気が悪いと思うので、わたしは大人しく頷いた。


「…ありがとうございました」


最後に一言お礼を言うとBさんは「気を付けて」と、Aさんは無言で軽く会釈をしたのみで、あっけなく解散となった。

ほんの一瞬の出来事だった。人混みに紛れてよく見えなかったけど、ふたりの男性が男を組み伏せてわたしの財布を取り返してくれたのだ。それって凄くヒーローみたいだったし、ふたりとも大人っぽくて格好よかった。

特にAさんの、物静かだけど礼儀正しく、気を遣ってくれる様子。背も高かったしなんか王子様みたいじゃん、と感じたのはお母さんには内緒にしておく。おっと、友人からの電話が来た。待たせてしまった彼女には今の出来事を事細かに話しておかなきゃ。



あれから友人のユリコには事の端末をすべて話し、大変だったねえと労わられた。でもAさんとBさんの話をすると一転、男二人に助けられるなんてズルいぞと憤慨された。高校三年、彼氏ナシの女子の会話なんてこんなもんだよね。

ユリコとは夕食の時間までには別れて家に帰ったところ、わたしの帰りを今か今かと待っていたお母さんからも質問責めだった。


「でもホントに良かったねえ、あんたボーっとしてるから狙われたんだよきっと」


犯人は捕まって、財布も盗られず怪我もしていないわたしを見てお母さんは安心したらしい。けらけら笑いながら冷たいお茶をいれてくれた。駅でボーッと立っていたのは事実なのでぐうの音も出ない。


「だって…いつもと違う出口に出たから迷っちゃったんだもん」
「気を付けなさいよ」
「わかってるし!」


お母さんがいれてくれたお茶をグビっと飲んで誤魔化すわたし。だって仙台駅のど真ん中で自分がスリに遭うなんて、考えた事無かったし。その危機管理能力の無さを狙われたんだろうけど。


「はあ…あ。でね、昼間言いかけた事なんだけど」


同じようにお茶を飲んでいたお母さんが言った。そう言えば昼間、家を出る前に何か話がありそうだったっけ。


「あんたもう受験生でしょ?」
「……」
「聞いてる?」
「聞いてる!」
「志望校決まったの?」


耳の痛い質問。進路の話は極力避けてきたけれど、高校三年生ともなればそうも行かない。


「まあ、ぼちぼち決まってるよ」
「嘘」
「…だって自分がどこ行きたいか何したいか分からないんだもん」
「目標が無いから勉強にも身が入らないんじゃないの」
「うるさいなあ…」


分かっている。こうやって反抗的な態度なんか取らずに大人しく勉強するのが正解だというのは。

でもわたしはハッキリ言って勉強なんて好きじゃない。得意でもないし。生きていくのに苦労しない程度ならいい。
だから向上心が無く、どんな大学に行きたいとか全く決まっていない。県内がイイなぁ、って事くらい。当然そんなわたしの成績が良いはずは無く。


「だからね、お母さん家庭教師の先生頼む事にしたから」
「は?」


だからって急にこんな事を言われるとは、考えが及ぶはずが無く。もしかしたら空耳だったのかな?と期待を込めて聞き返してみた。


「……なに?」
「厳しめの先生にしてもらうよう頼んどいたから」
「えっ、え!?」


駄目だ聞き間違いじゃない!家庭教師?そんなの嫌だ。しかも厳しい先生?絶対に無理。ていうか家で誰かに見張られなが勉強しろと?冗談じゃない。


「ちょっと待って!そんなの聞いてない」
「昼間言おうとしたじゃない」
「いやいやっ普通さあ、娘の意向聞くもんじゃないの!?」
「さんざん聞いてきたでしょう、今まですみれが話を逸らしてきたのよ」


そうだったっけ。そうだったかな。そうだったかも。危機感が無さすぎるから家庭教師でも呼ぼっか、と言われた事があったような。


「来週の日曜日からね。毎週」
「毎週!?日曜!?時間は」
「夕方五時。それなら部活が終わってからでも大丈夫でしょ」


さすが母親は娘の帰宅時間、部活の事を把握している。お母さんに言われた通り部活が終わって家に着くのは四時半くらい。そこから着替えたり勉強の用意をしていたら、ちょうど五時スタートにぴったりだ。残念な事に。


「…さいあくだあぁ」


声もなく呟いたつもりだったけど、お母さんには聞こえていた。「このまま勉強が上手くいかなくて浪人する方が最悪でしょ」って、そりゃそうなんだけど。せめて家庭教師の先生がイケメンのお兄さんなら頑張ろうって思えるんだけどなぁ。