恋にスピードは関係ない.前


「王様そんな顔してどうしたの?」


面白そうに言うのは同じ部活の月島蛍。

どうしたもこうしたも、抜きうちテストの点が悪かったので課題を多く出されただけだ。

むかつくのは何故かこのテストは俺のクラスのみで実施され他の一年は受けておらず、部員の中で俺だけが課題のプリントをやらねばならないという事。


「なんだ影山はまた補習か」
「ほッ補習じゃないっす宿題が増えただけっす」
「ほ〜宿題は真面目にやってんのか」


本当はいつも宿題すら最低限しかやっていない。
それが教師にバレているのでこの課題だけは必ず提出期限を守らなければ部活動への参加禁止を食らってしまうのだ!

バレーを引き合いに出せば俺がきちんと課題をするだろうという、教師の読み勝ちだ。


「お前それどうやって解くの?」
「…日向以外に教えてもらう」
「月島とか?」
「えっ?お疲れさま」


…月島はさんざん笑っておいて救いの手を差し伸べる事をせず、颯爽と部室を後にした。一人、また一人、居なくなっていく。ついに日向も。


「影山、あの、鍵掛けなきゃならんから…」


おずおずと主将が言ったことで、やっと俺も重い腰を上げた。家で頑張るしかない。





そして帰ってから大変な事を思い出した。鞄のどこを漁っても、部屋のどこを探しても教科書が無いのだ。

在り処は知っている。教室だ。
重い教科書や辞書は全て教室の机に置きっぱなしにしており、毎度持ち帰って予習復習などしていない。でも教科書が無ければこのぺらぺらのプリント一枚終わらせる事ができない。


「…ッくしょォ」


どうする?

明日の朝早くに行って取り組むか?校舎の鍵が開くのはいつだ?きっと朝練の最中だ。ということは課題をするために朝練を休まなければならない。それは嫌だ。無理だ。

俺の家から一番近い同級の知り合いの家は……マネージャーの白石家だ。俺の家から自転車で10分くらいの隣町。

一度交換したきりの連絡先を検索し、LINEを開いて最初の一言に悩む。


「影山だけど、今暇?」

彼氏かよ。

「影山だけど、会える?」

彼氏かよ。

「影山だけど、教科書貸してほしい」

まあ、これだな。

いつくかの選択肢のなかから一番最後のものを採用し、とりあえず白石へ送信した。

すぐに既読がついた。女子とLINEなんて普段しないから緊張すんな。


『教科書?何の?』
『英語、俺学校に置いてて課題が出来ない』
『あ、帰りに言ってたプリントか』
『取りに行くから貸してください』


LINEだとちょっとだけ敬語で、しかも饒舌になってる自分に笑えてくるけど笑ってる場合じゃない。

もう21時だ。白石だってテレビを見たりくつろいだりしたい筈だ。さっさと借りに行って帰ってこよう。


『今から行ってもいいですか』


と送ると、やはりすぐに既読がついて着信がきた。


「はい」
『白石です』
「影山です」
『あははっ!面白い』
「面白くねーよ」
『今から来るの?』
「白石がいいなら、教科書だけ借りに」


そして、少しの間が空いた。

確かにやっぱり迷惑だったか?逆の立場ならちょっと迷惑だ。夜ゆっくりしているところに突然連絡がきて、教科書借りに行ってもいいか、なんて。

だが続いて聞こえた言葉は予想外だった。


『一緒にやる?うちで』
「ッな!?」
『私英語好きだし、今日誰も居ないよ〜』
「おッおまおまお前、俺は男だぞ」
『影山くんは影山くんジャン』


どうやら男を家に上げるという感覚ではないらしい。嬉しいやら悲しいやら、だ。


『でも自分でやりたいなら、一人のほうが良いかも知んないね』


わりと真面目に勉強に取り組んでいる白石の言葉には説得力があった。

先ほどまでは俺も教科書だけ借りれば一人で課題に取り組むつもりだった。しかし、白石の手を借りたほうが早くに終わりそうだ。

甘えるべきか、いやでも仮にも相手は女子で俺は男子で、女子の家とか行ったことないし親に会ったら恥ずかしいし…でも今は一人っつってたな。


「…一瞬だけ手伝ってもらってイイデスカ」
『イイデスヨ〜』


今から人生で初めて女子の家に勉強を教えてもらいに行く。なんだか緊張する。ノートと水と筆箱と念のため財布を鞄に突っ込んで、自転車にまたがった。





『西郵便局に着いたら教えて』


LINEが入った。
白石の家はこの辺りでは大きな西郵便局の近く。と言っても俺は彼女が隣町に住んでいるということしか知らず、家の場所は知らない。何かの話をしている時に、ああ近所なんだと思っただけだ。


『着いた』


送信すると、ほんの1分ほどで白石がやって来た。普段ジャージか制服姿しか見たことが無い女子の私服はなんだか変な感じがする。向こうも同じように思ってんのかね。


「こんばんは〜」
「遅くにゴメン」
「いいよ〜私、影山くんが怒られてるの聞いちゃったんだもん」
「マジで」


怒られたのはまさに今日の英語の授業が終わるころ。チャイムが鳴ったというのに、ずーーっと俺が宿題を提出しない上、抜きうちテストが悲惨な点数であったことに腹を立てた先生が怒鳴っていたっけ。
そして出されたのがこのプリント。


「それやらなきゃ部活禁止でしょ」
「そんな権限あるのか知らねえけどな!」
「分かんないよ、でもやらないよりはちゃんとやるほうが良いよ」
「…真面目か」
「ここ家」
「おお…お邪魔します」


ごくごく普通の一軒家にたどり着いて、駐車スペースに車が無いのを横目に見ながら中に入った。

ここが女子の家。
って、父親とか居るんだから白石の家っていうか白石の家族の家っていうかそんな感じなんだけど。

きちんと靴下を履いてきたので足が臭わないことを祈りながら、案内されるまま階段を上がった。


「どぞー」


そしてとうとう聖域である「女子の部屋」の前まできた。心の準備が必要かと思ったが白石が何のためらいもなくドアを開けてさっさと中に入ったので、それに続く。


なんていうか普通の部屋だ。ドラマとかでたまに見るような、漫画で読むような普通の部屋。おかげであまりキョロキョロせずに済んだ。


「これ教科書、あと辞書」
「あ…辞書」
「どうせ辞書も学校でしょ」
「ロッカーの奥のほうだな」
「ぷっ」


初めての二人きりの空間で会話が続くのは白石が俺に対して変な感情を持っていないからか?と思われた。

俺だって別に何も思ってないけどさすがに男と女が二人きりって健全な高校男子なら緊張すると思うんだけど。

そうこうしているうちに白石はお茶を持ってきてくれて、てきぱきと教科書を開いた。


「プリント見せて」
「ん」


今日、先生から受け取ったままの真っさらなプリントに苦笑しつつ白石が問題に目を通していく。

瞳が左から右、また左へと動く。早い。そして近くでじっくり見て初めて気づくけど目が大きい。
自分で言うのも何だけど俺自身も目は大きい方だと思っていたが女の子ってやっぱり違うのか。


「何?」
「はっ?」
「あ、ごめん勘違い?見られてるかと思って」
「ああ…」


問題読んでたんじゃなかったのかよ。


「じゃあちゃちゃっと終わらせよ!」
「うぃっす」


とりあえず目的はこのプリント一枚終わらせる事。いったん集中して取り掛かる事にする。





約30分後、ほとんどの問題を白石に助けてもらいながらも辞書をきちんと使いつつ終わらせる事ができた。恐らく一人だと倍以上の時間がかかっていたと思う。


「影山くんさ、コートの中ではすんごい眉間にシワ寄せて一瞬で作戦考えてるのにさ、勉強できるのと頭が良いのってやっぱり別モノなんだね」
「………んん」
「まーこれで影山くんが勉強もパーフェクトだったら近付けないけどね」
「?」
「影山くんてさあ…バレー出来るし、まあまあ優しいし、背高いし、かっこいいし、ここに成績優秀っていうステータスが加わったらヤバイよ」


まあまあ優しいっていう微妙なコメントは置いといて、今さらっとカッコイイとか言わなかったか?こういうもんなのか?

テレビに映るジョニーデップを見て「ジョニデかっこいい」とか言うのと同じレベルか?いや俺とジョニデを同じ土俵にしてはいけないか。


「どうしたの」
「なんでも」
「…何か今日は普段と違う」
「………」


どうしてそんなに様子を伺ってくるんだ。白石はいぶかしげに俺の顔を凝視している。女子に直視されている。二人きりの部屋で。

しかし目をそらすとこっちが負けたような気がするから、必死の思いで瞬きを我慢して凝視し返してやった。


「…顔こわい」
「元々ですが」
「でも、やっぱりカッコイイね」
「………」
「元々ですが。って言わないの?」
「……ちょ」


聞き逃した。もう一回。

と言う作戦でいくかどうか迷っている余裕などなかった。
生まれてこのかた、親とか親戚以外の女子に「カッコイイ」なんて言われた事が無いのだから。もしかしたら陰で言われていた可能性も無きにしも非ずだと思いたいが、それでも面と向かって言われるなんて初めてなのだ。


「ちょ、待って」
「待つ」
「…何で今そんな事言う」
「だって、前から思ってたことだから…」


そう言うと白石は、ひどく照れくさそうな顔をした。俺の見る目が間違っていなければ、だが。


「マジすか」
「ウッス」
「何だそれ」
「影山くんの真似」
「あ?」
「…ゴメンふざけるの止める。我慢できない」
「?」
「…あの、好きです」
「あぁ!?」
「ひっ」


やばい驚きすぎて思わぬ声が出てしまった。これでは威嚇にしか見えないではないか。


「ふふふざけて見えたらゴメン、でも私あの」
「いやごめん俺もなんか、」
「おちおおち落ちゅちゅいて!」
「お前だよ」


白石は目の前の水を思い切り飲み干した。

それが身体の温度を少なからず下げる役割を果たしたのか深呼吸すると、「あー」とか「うー」とか唸りながらこちらを見た。目が合う。…そういえば告白されたのだった。


「ごめん」


ぽつりと言う声が聞こえた。

そして白石は辞書やら自分のノート、教科書などを片付け始めた。
俺が来る前の状態に戻し始めている。恐ろしいほどに無音だ。俺にだけ何も聞こえていないかのような。


「じゃあ明日…」
「…ああ、明日」


……ッて、これで気持ちよく「また明日」なんて言えるわけ無い。

明日の朝から部活で顔を合わせ、ボールやタオルやドリンクの手渡しや何から何まで世話になるのにこのまま明日に持ち越しなんて出来ない。でも、それならどうするべきだ。


一番いい方法は、俺の白石への気持ちがどうなのかをきちんと整理して、返事をして、伝える事だ。そう気付いた時にはすでに、帰るための自転車をこぎ始めていた。