05


私は昔から、自分の意見を素直に言う事に抵抗を覚えていた。

相手に合わせれば争いは生まれないし、親の言うとおりにすれば誰からも怒られない。その名残は、この音駒に来てもそのままだった。



夜久くんの去った後の教室は無音だった。
多くのほうから笛の音、掛け声などが聞こえてくるだけ。夜久くんがつい今しがた放った言葉について考えを巡らせるには充分な環境。


「勉強なんて言い訳だよ。でもそうでもしなきゃ話すきっかけなんか作れないだろ」


私は夜久くんのことが好きだ。

でも、その逆なんてあり得ないと思っていた。だからこれ以上自分の気持ちが膨らまないうちに、接点を減らさなければと。

でもある意味私のコンプレックスであった部分を、彼は私との唯一の繋ぎとして捉えていた。

まさかそんな風に思われていたとは、そんな風に思ってくれていたとは。でも、私がそれについて答える前に夜久くんは教室を飛び出してしまった。


…今ここで、恐れを捨てて気持ちを吐き出さなければ私は一生このままだ。





転校初日に初めて連れられた体育館。少し中を覗くとバレー部が熱心に練習をしていた。


「どうしたの」
「!!」


振り返ると、初日にも居たテンションの低いバレー部の男の子が立っていた。
驚いた私の顔を見て誰なのかを思い出したらしく、続けて言葉を発する。


「…クロ?夜久くん?呼んでくるけど」
「終わるまで待ってる」
「あと1時間くらいあるよ」
「うん…待ってる」
「……中で待ったら?」


さすがに練習を遮ってまで話をしようという訳ではなかったのでこの辺りで待つ予定だったんだけど、その子はそのまま中に入って私を手招きした。


「研磨ァ、………っと」


そこへ黒尾くんがやってきて、私の姿を見て立ち止まる。彼も最近、私が隣の夜久くんと勉強していないのを知っているはず。


「そこに立ってた。座ってもらって良いよね」
「いいけど…なんなら今呼ぼうか?」
「…終わったら、でもいいかな」
「もちろん」


部活が終わったら、とは言ったものの当然体育館内に部員ではない制服姿の私が座っているので夜久くんはすぐに私に気付いた。

そのあとすぐに黒尾くんへと何かを言って、黒尾くんもそれに答えていた。遠くの方での出来事で、何を話しているのかは聞こえない。


「コンニチハ!あの、この前も来てました?」


突然声をかけてきたとは、とんでもなく背の高い男の子。
びっくりして顔を見上げると、ヨーロッパ系ではないけれども日本人とも言えない顔立ちの子がにこにこしながら立っていた。この人も、初日に見たかもしれない。


「…コンニチハ。」
「黒尾さんがマネージャー候補って言ってた人ですよね」
「う…マネージャーでは無いです残念ながら」
「あれ?そーなんだ」


灰羽リエーフと名乗ったその彼は、ロシアとのハーフなのだという。

どうりで、と思ったが使用言語は日本語オンリーらしく、音駒にはマネージャーが居ないから来てくれたら嬉しいなあとか、俺は初心者で今頑張ってるところなんだーとか、楽しそうに話してる。


「リエーフ。タメ口聞くんじゃねえ」


そこへ、ついさっき教室で二人きりになった相手の声。夜久くんがすぐそこまで来ていた。


「げっ!夜久さん」
「げっ じゃねえ!サボるとは余裕だな?」
「うわわ!余裕じゃないです!」


私ではなく灰羽くんへの用事があったようで、灰羽くんがコートに戻るのを見届けると夜久くんもそのままコートへ向かう。…私には気づかないふり、してるのかな。


「やく…」
「終わるまで待ってて」
「!」


顔はコートに向けたままだったけど、私に待っておくよう指示すると夜久くんが走り出した。

転校初日、コートに向かう彼の背中に恋をした。その背中の魅力は未だ、衰えていない。





そこから1時間、改めて彼らのバレーボールを見ていた。

夜久くんは勉強の合間に部活のこととか大会のことを話していたっけな。次の大会が最後だから、必ず勝ち進まなきゃいけないのだと。


「…白石さん。」
「!」


私は体育館の近くにあるベンチに腰掛けて待っていた。
着替えを終えた夜久くんが近づいてきたので、少し横にずれると夜久くんが30センチほど離れて座った。


「さっきの事は忘れて」
「え…」
「あんなの困るだろ。…白石さんが優しく教えてくれるから甘えてたんだ」


それを言うなら、私もだ。
それを言いにきた。


「私は夜久くんが話しかけてくれるの、嬉しかったよ。勉強も楽しい。でも」
「…でも?」
「みんな私が珍しいから寄ってくるのかなって、夜久くんも…そんな事ないの分かってるのに。クラスのみんなは良い人なのに、 私あんまり友達とか居なかったから」


だから夜久くんに「アンテナを張っている」と見抜かれた時は怖かった。
そんな私の醜い心が夜久くんのアンテナに引っかかっているのではないかと。


「…私も本当はもっと夜久くんのこと知りたいと思ってるから、また前みたいに勉強…」
「………じゃあ、知れば?」
「え」


また、夜久くんの丸くて少しつり目気味な瞳が私を捕らえた。その目には、私の間抜けな顔が写っているのが見えそうなくらい。


「俺の事もっと知ってよ。俺も白石さんの事知りたい」
「……え、それって」
「勉強以外の事も話そう」
「夜久くん」
「俺、最初に会った日から好きだよ」


その瞳に見つめられるのはとても苦しいのに、今目をそらせばきっと後悔してしまう。この苦しさは乗り越えなければならないものだから。

夜久くんからの素晴らしい申し出を自分の言葉で勇気を出して、受け止めなければならない苦しさだから。


「…私も、最初の日から好き」


そう言うと、夜久くんはまるで予想だにしていなかったように肩を揺らした。


「嘘!?」
「う…嘘じゃないです」
「いや、だって俺…最近避けられてた…」
「それは!夜久くんに気持ちがバレるのが怖かっただけで」
「…うわあ…嘘だろ」


夜久くんは顔を真っ赤にして、自分の手で顔を覆った。

男の子が照れを隠す仕草を初めて目の当たりにして、私まで恥ずかしくなってくる。…告白したんだから恥ずかしいのは当たり前なんだ。
今まで生きてきて、恥ずかしい事や嫌な事から逃げてきたんだから。


「でもすごいアンテナ張ってた!刺さるかと思った!実際最近は刺さりまくってた!」
「ごめん…私、あの…ちょっと、自分の意見とか言うのが上手じゃなくて…」
「それは見てて分かる」
「だから先に沢山、予防線張るの」


そしてそれに気付いていた夜久くんのことが怖かったのだ。
それなのに彼の気持ちは知ろうともしなかったものだから、恐怖と不安に任せて逃げ惑っていた。


「それ、辛くない?」
「………辛い。楽だけど、辛いよ」
「じゃあ今日から禁止でいいよね?」
「えっ」
「嫌な事や分かんない事あったら、俺に言えばいい」


すると夜久くんは立ち上がりこちらを向き直った。私もつられて立ち上がると、夜久くんが右手を差し出した。


「だから俺を彼氏にしてよ」


その瞬間、夜久くんに向けられたアンテナは折られた。

そんなものを使わなくても気持ちを直接伝えろよ、直接受け止めろよ、という彼のパワーによって。

その身長とは見合わないたくましい手に、吸い込まれるように私も右手を合わせる。


「…彼女にしてください。」


夜久くんは力強く手を握ると、嬉しさを隠そうとしない満面の笑顔で言った。


「わかった!」


へし折られたアンテナは、このままここに捨てていく。

あまり会わない親にもこれからはちゃんと、そんなものに頼らずに接していく。夜久くんは私の17年間のすべてをこれから覆していくのだった。

夜久衛輔、わたしのアンテナを破壊して世界を変えてくれた人。
アンテナはへし折られた