20180325


幼稚園から小学校へ上がる時。小学校から中学校へ上がる時。そして中学校から高校へ上がる今、そわそわするような、怖いようなわくわくするような、不思議な気分になるのは俺だけでは無いはず。

今回は北一に通っていた何人かも同じ高校に行くし、既にバレー部の先輩が青葉城西に居るのであまり不安はない。更に俺の隣には必ず、口うるさい人間が付いてくるに決まっているからだ。


「英ーっ」


この声とインターホンが聞こえてきた瞬間から、誰が来たのかは予測できた。
下の階で親が「いらっしゃい」と出迎える声。それからすぐに、我が家の階段を慣れた様子で上がってくる音。次に何の音がするかが分かった俺は、とりあえずドアノブを掴んでみた。


「あき…あれっ?開かな、あれっ」
「なんか用」
「開けてよ!」


幼馴染のすみれが部屋の主に許可なく入ってこようとするのは、もう慣れた。仕方なく固定していたドアノブを離すとすぐにドアが開き、にやにやしているすみれの顔。もう一回閉めてやろうかなと思ったけど、彼女が入ってくるほうが早かった。


「今日は練習ないの?」
「あったよ。午前中だけ行ってきた」
「そっか。大変だねえ」


まだ3月だけれども、既に中学を卒業済みの俺は青城バレー部の練習に寄せてもらっていた。「寄せてもらう」と言うか、バレー部への入部を決めているやつは既に練習に参加している。
見たことの無い先輩も居るけれど、及川さんや岩泉さんが居てくれるお陰であまり緊張せずに済んでいる。


「で、なんか用」
「あ!そうそう。」


午前で終わった部活の事はどうだっていいのだ。問題は俺の許可無く部屋に入ってきた幼馴染である。

べつに入ってくるなって訳じゃないけど、いい加減俺たちは高校生になるんだから、小さな頃みたいに部屋へ行き来するのは控えたほうが良いのでは?それに俺だってそろそろ見られたくない物が出てくるかも知れない、まぁ今はすみれに何を見られても差し支え無いけど。

さて、何をしに来たのか聞いてみるとすみれは意味ありげに笑みを漏らした。その顔を見て思い出したのは、今日が何月何日なのかということ。


「誕生日おめでとう」


すみれは持っていた袋の中から包装されたプレゼントを取り出した。
こんなふうにすみれから何かを貰うのは数年ぶりだろうか。だから、まさかプレゼントなんて持ってくるとは思わなくて呆気にとられてしまった。


「…ありがと」


幼稚園や小学生のとき、俺たちは毎年のように誕生日になればプレゼントを渡しあっていた。ほんとに小さな時はお菓子のおまけとか、シールとか、今となっては使い道のないものを。
小学生に上がれば少ない小遣いを貯めておき、すみれの誕生日に筆記用具とかをあげたり。

それが確か中学に上がってからは無くなったんだっけ。だから、すみれが俺にプレゼントを差し出している光景はとても懐かしくもあり、新鮮でもあった。


「さて、中身は何でしょうか?」
「見られてたら開けにくいから帰れよ…」
「いま開けて!」


俺が中身を見てどんな反応をするか、わくわくしながら待っている姿は前と変わらないなぁなんて。
最後に貰った誕生日プレゼントは小六のとき、中学に上がる直前にシャープペンシルを貰った。小学校では何故だかシャープペンの利用が禁止されていて、鉛筆ばかりだったから。そのシャープペンは妙に使い勝手が良くて、未だに俺のペンケースに入っており現役で活躍している。

3年ぶりの今日は何をくれたのかと包装を開けてみると、これから高校生になる男には似つかわしく無い色のタオルが現れた。


「…タオル。」
「私にしては良いチョイスじゃない?」
「いや、色…何で桜の模様」
「春だからこういうのしか置いてなくって」


そんなわけないだろ。と目で訴えてみるものの、すみれには全く堪えていないようだ。自分が選んだタオルを俺の手からひょいと取り上げ、改めて広げて見せた。


「大事に使ってね」
「うん…風呂上がりに使う」
「部活で使ってよ」
「恥ずかしくて使えないよ」


と、言いながら今度は俺がすみれからタオルを奪い取る。使う分には構わない。けど、こんなの俺が自ら選ぶようなデザインじゃない。という事は必ず誰かに珍しそうな顔をされるに決まっているのだ。特にバレー部の連中、タチが悪い先輩とか。


「青城でもバレー続けるんだよね?」


突然こんな分かりきった質問をされた。バレーは続ける。辞める理由がない。そうじゃなきゃどの面下げて青葉城西高校の門をくぐれと言うのだ。


「そうだけど?」
「ふーん…」
「何、気持ち悪いな」


すみれは意味深に笑いながら部屋の中をゆっくり歩いて、俺のベッドに腰掛けた。俺が座った時よりもベッドの軋む音が小さいのは、俺たちの間に男女の差が開いているという事だろう。


「英にはなかなか会えなくなるね」
「はあ…別に、会いたいなら練習でも見に来れば」
「それが出来ないんだよねえ」
「なんで?」


ふふふ、とすみれは再び笑う。小学生の時、けたけたと派手な笑い声をあげていた女児と同一人物だとは思えない。
すみれは俺が突っ立っているのを見上げて、あっさりと言ってみせた。


「私、青城行かないもん」


りんごは赤い。レモンは黄色い。そんな当たり前のことを覆されたような衝撃が俺の中を駆け巡った。すみれは俺と同じく青城に通う。俺にとって当たり前の未来であった。


「は?」
「へへへ…」
「…は?」
「いつ言おうかと思ってたんだけど」
「いや、え…はあ?」


突然「実は、りんごは青いんだよ」と言われたって理解出来ない。すみれが青城以外の高校へ通うなんて予想できるわけが無かった。


「…すみれ、青城受けてただろ」
「受けたよ。受かったし」
「じゃあなんで?どこ行くの」
「白鳥沢に受かったの」


すみれはまた、あっさりと言ってのけた。県内で最も偏差値の高い進学校。勉強のみならず、バレーボールの偏差値だってトップクラスだ。俺がバレーボールのために青城に行くのを知っていながらわざわざ白鳥沢を選ぶ理由は?


「……マジで意味が分かんない」
「え、青城か白鳥沢なら白鳥沢でしょ」
「は?青城だろ」


俺の「当たり前」を悪気もなく否定する姿には苛立ちを隠せない。
でも頭で理解は出来るのだ。白鳥沢に合格したなら、ほぼ100パーセントの人間が白鳥沢へ通うに決まってる。それだけの頭脳を持つなら相応の教育を受ける権利があるし、受けるべきだとも思う。
すみれは確かに授業を真面目に受けていたが、具体的な成績までは知らなかった。そんなに白鳥沢に行きたかったのか?俺が別の高校へ通うのに?

責めるような俺の視線にすみれは気付いていたようで、爪先を擦り合わせながら言った。


「…でももう制服だって買っちゃったし、今更だよ。白鳥沢行く」
「……何で隠してたわけ?」
「聞いてこなかったじゃん」
「そりゃ青城行くと思ってたから」


わざわざ「りんごって赤いよね?」なんて聞くわけが無いのと同じで、「青城行くんだよな?」と聞くのはナンセンスであった。少なくとも今日、その事実を知らされるまでは。


「とにかく会える機会減るからさ!それ、私だと思って大事に使って」


すみれは俺が手に持ったまま、ぶらんと下に垂れている桜模様のタオルを指した。この軽くて、水分を拭くしか能のない物体を、どうしてすみれだと思えるのか。


「…全然納得できないんだけど」
「英が納得しないからって変えられないよ、私の進路じゃんか」


ずばりと言われた、りんごが赤いものばかりだと思ったら大間違いだと。俺には関係ない事であると。


「同じ高校通いたかった?」


すみれはまだ俺のベッドに座りながら、受け入れ切れていない俺の姿を見上げた。

ここで俺がイエスと答えたところで何が変わるんだろう、すみれにはすみれの進む道があるんだから口出し不要ではないか。俺が引き止めたってどうせ白鳥沢への入学は決まっている。

それに俺は何か明確な理由があって止めようとしている訳じゃない。すみれは青城に通うものだと思っていた、けれど違った、たったそれだけの事。だから「同じ高校通いたかった?」という彼女の質問に俺は首を振る、横に。


「べつに。よく考えたらすみれがどこに通おうと自由だし」
「そうだよねぇ」
「自主練するからそろそろ帰って」


そのように伝えると、すみれは頷いて立ち上がった。
おめでとうね、と小さな一言を発して俺の部屋から出ようと進む。このまま無言で見送っていいのか。何か言うことは?言い残したこと。後悔していることは無いか。がちゃりとすみれがドアを開け、静かな足音をたてて廊下に出る。


「じゃ」
「…じゃあ」


俺たちはその挨拶の瞬間に目を合わせたけれど、ドアが閉まった事でそれは途切れた。

すみれの姿が見えなくなってますます溢れる後悔の念、小学校の時のようには頻繁に関わらなくなった中学三年間。すみれの存在なんて無くても何ら支障のなかった三年間。会おうと思えば会えたから。同じ校舎内で。

いや待てよ、これからだって全く会えないわけじゃない。家同士は近いのだ。俺がすみれの家に行ったり、すみれが俺の家に来れば済む話。すみれの家を訪ねて、こんな女子好みのタオルなんか使えねえよ、と憎まれ口を叩いてやればいいのだ。

それでも俺は、それがもう簡単には行かないことを悟ってしまった。今、この部屋のドアが閉まった瞬間に。


「……一緒に通いたかったよ」


閉じられたドアに向けて額をこつんとくっ付ける、外には人の気配がある。まだすみれはドアの前から動いていない。それならこの声は届いているはず、届いたからって未来は何も変わりゃしないけれど。


「もう遅いよ…」


ドアの向こう側から聞こえた言葉には、この三年間、俺たちが成長するなかで得たものと失ったものを一瞬で思い知らされた。

小学生の俺ならばすぐにドアを開けて、去りゆくすみれの腕を掴み引き止めることが出来ただろう。それが今、意地を張るなどという下らない事を覚えてしまい、劣化した思春期の俺はもう、階段を駆け下りるすみれの足音が聞こえなくなるまで耳を澄ませるのみである。

Happy Birthday 0325