03


色々あったものの、無事に二学期の中間テストを迎える事ができた。

俺と白石はあの一件のあと、放課後になると学校の食堂を利用して勉強をする事にしていた。俺が部活で抜ける時もあったけど、誰かの目がある場所ならば白石も安心だろうと思ったからだ。俺はもう決して白石に安易に触ったり、余計な事をしないように注意していたけれど。
それでもあの日、あんな事があった俺と二人きりで居るのは嫌かも知れないから。


「どうだった?」
「んー、まあまあ。赤点じゃなけりゃ良いや」
「ハードル低っ!」


と、こんな会話が出来るくらいには俺と白石は以前と同じように接する事が出来ている。俺たちの間に何が起きたのかなんて誰も気付かないだろう。

それでも俺には分かってしまった。白石が俺と居る時に、少しだけぎこちない事を。本人でさえ自覚していないかも知れない程度の力みが感じられるのだ。これは時間をかけて償わなきゃならない。


「なあ」
「ん?」
「今日、どっか行かね?」
「え」


中間テストを終えた翌週、だんだんテストが返却され始めた頃。バレー部の午後練が中止になったと聞かされたので、久しぶりに俺から誘いをかけてみた。
あの日以来、学校の外で会おうと声をかけたのは初めてだ。たった三週間ほど前の事なのに、随分昔に感じられた。


「部活は?」
「ナシ。」
「そうなんだ!じゃあ行きたい」
「え。」


予想外の前向きな反応に思わず固まってしまう俺。誘っておいて何だけど、こんなにスムーズにいくとは思わなかったのだ。


「なんで二口がビックリしてんの、誘って来たくせに」
「いや…」


このあいだのお詫びも込めての誘いだったが、最悪の場合、俺と二人で出掛けることに抵抗を覚えられているかも知れないと思っていた。嬉しい誤算である。


「あ!あのさあ仙台駅のさ、この前工事してた場所あったじゃん。あそこ新しいカフェできたんだって」
「おお。じゃあそこ行く?」
「行くー」


白石は自ら行きたい店を提案してくれたので、希望どおりに仙台駅へ向かう事にした。
もしかして白石は、俺が思っているほどあの事を引きずって居ないのだろうか?いやいや勝手に判断してはいけない。俺は白石が「良い」と言うまで触らない、何もしないと決めたんだから。





それから電車に乗って数駅、仙台駅に到着した。歩いてすぐのところに先日まで内装工事していた建物があり、女子の好きそうな造りの喫茶店が出来ている。店の前には学校帰りの学生やカップルで列になっていた。


「…すげー並んでる」
「東北初上陸のお店だから…」
「マジか」
「並ぶの大丈夫?」
「おー。いいよ」
「やった」


白石が楽しんでもらえるなら少々並ぶくらいは構わなかった。暑さはとっくにおさまっているし、過ごしやすい気温だから。
唯一苦痛なのは、店内から美味しそうなにおいが漂ってくることくらい。空腹の俺たちは耐え抜けるかどうか。


「…進まないね…」


並び始めて20分が経過しただろうか、列はなかなか進まない。ガラス張りになっている店内を覗きみたところ、端っこに団体客が座っている様子。彼らさえ出てくれれば俺たちも座れそうだ。


「ねえ、見て見て美味しそう!」


同じく店内を覗いていた白石が言った。ただ彼女は席の状況ではなく、運ばれていくパンケーキなどを見ていた様子。確かに見たことが無いほど色々なトッピングがしてあって、甘ったるそうだけど食欲をそそられた。


「ほんとだ」
「ね、二種類頼んで半分こしよ」
「おう」


そのように答えると、白石は満足そうに笑って再び店内を眺めた。
なぜ会話を続けること無く店内を眺めたのか。それは分かっている。なぜ俺たちのあいだに妙な沈黙が流れているのかは。


「……」


平日の放課後、俺たちは学校帰りの高校生。久しぶりの制服デートというやつで、傍から見れば幸せの絶頂だと思う。
全く楽しくないのかと聞かれれば、そうじゃない。でも今までのデートと比べて圧倒的に足りないものがある。それは何か。ふたり並んで「手を繋ぐ」ことだ。

繋ぐべきか、やめておくべきか。許可が降りていないのに触るわけには行かないけれど、繋ぐのが普通なのではないか。
どうしようかと手をふらふら遊ばせていると、同じく下に垂れていた白石の手に触れてしまった。


「!」


俺と白石は同時にびくりと硬直した。思わず俺は手を引っ込めてしまったが、白石も同じように手を引いた。


「わ…悪い」
「だ、大丈夫」


その後は鞄を持ち替えたり携帯電話を触ったり、片手が空かないように何かしらで手を埋める俺たち。
こんなにおどおどビクビクしながら過ごすのって、本当に「恋人」と呼んで良いのだろうか。このあいだ俺の横っ面を張った白石の手が、こんなにも恋しい。でも駄目だ。なぜ横っ面を張られたのかと言えば俺が悪いんだから。

悶々としているうちに更に時間が経っていたらしく、店の出入口から賑やかな声が聞こえてきた。席を埋めていた団体客が出てきたらしい。まもなく俺たちが案内される番のようだ、ひとまずこのデートを楽しまなくては。


「おいしいー!」
「めちゃくちゃ甘いな」
「二口、甘いの嫌いだっけ?」
「嫌いじゃねえけど予想以上。うまいけど」


約束どおり、俺と白石はそれぞれ別のメニューを頼んで半分ずつ食べることになった。もっとお腹に溜まりそうなものが良かったけど家に帰れば晩飯があるし、白石の食べたそうなものを選ぶという紳士ぶりも発揮している。
美味しそうにパンケーキを頬張る姿は以前のままで安心した。そして食べることに集中し過ぎて、口元がおろそかになっているのも正しく白石だ。


「白石、ついてる」
「えっ、どこ」
「違う逆…」


俺は自然に手を伸ばしかけた。白石の唇のすぐ右に、生クリームが付いているのを取るために。これも恋人なら何ら不思議ではない動作であるが、やっぱり俺は動きを止めてしまった。


「…右。の口んとこ」


と、白石の口元にやる予定だった指で自分の口元を指差す。白石は俺の姿を見てクリームの位置を把握したらしく、テーブルの紙ナプキンで拭こうとした。


「取れた?」
「まだ残ってる」


もどかしい。前にも同じようなことが起きた時、「食い気やべえ」などと笑いながら俺が取ってやったのに。


「インカメラで見たら?スマホの」


俺が直接触れずに済んで、なおかつ一番手っ取り早い方法を提案してみると、白石はぽかんと口を開けた。そこにはまだクリームが付いているのを一瞬忘れたような顔で。でもすぐに視線を落とし、携帯電話を手に取った。


「…うん。そうする」


なんでそんな顔するんだよ、俺が必死に抑えているのを見るのが辛いか?それとも一緒に居て楽しくないか?
俺だってこんなに気を遣いながら過ごすのは正直疲れるけど、先日の事に比べればなんの事は無い。それなのに今の白石はあの時よりも暗くて、どうすればいいか分からなかった。

けれど生クリームを取り終えて、再びパンケーキの味を楽しんでいるときには白石には笑顔が見られた。白石が笑ってくれるたびにホッとする、けれどヒヤッとする。そんな怒涛の時間を経て、食べ終えた俺たちは店を出た。もちろん今日は俺の奢りである。


「ごちそうさま、ありがとう」
「まぁ、たまにはな」
「美味しかったねー」
「だな。晩飯全部食えるかな」
「え!晩ご飯入るの?」
「ったりめーだろ」


甘いものだけでは腹が膨れないし、食べた気にならない。どうしても身体は米と肉を欲しているので、晩飯も全部平らげるだろう。
俺の胃袋のデカさがそんなに面白いのか白石はけらけら笑っていた、しかしすぐに静かになった。


「…じゃ、行こう」
「うん…」


また、駅までの道を歩き始める。もちろん手を繋いではいない。俺から繋ぐことは出来ないからだ。

手を触れないだけでなく、そこからは一切の無言になってしまった俺たちは帰宅ラッシュの喧騒に埋もれていた。「飲みに行こう」「今日は疲れた」「手ぇつなご?」そんな周りの声を聞きながら歩くのはいつもなら何も感じないのに今日は違う、せっかく好きな子と一緒に居るのに無言だからだ。


「……白石」
「え」
「俺と居んの、苦痛じゃね?」


苦痛じゃね?というか苦痛だろうと思う。俺が白石を気遣うのは当然として、白石まで俺を気にしているから。


「なんで…」
「今日ずっと、無理してんのかなって思って」


楽しそうに喋っているように見えても、すぐに訪れる無言の間は辛かった。もしかしたら今日は早く帰りたかったかも知れない。俺が誘ったから断れなかったのかも。しかし白石は心外そうに目を見開いた。


「無理なんかしてない。二口のほうが無理してた」
「は、してねーし」
「私に触らないように必死だった」


ぎくりと言葉に詰まる俺。バレてんじゃん。


「…そりゃあ…仕方ないじゃん」
「そうだけど…」
「迂闊には触れねえよ」
「恋人なのに?」
「恋人だからだろ?傷つけたくない」


俺が勝手に先走って勝手に触った結果の事なのに、凝りもせずまた勝手に触れることなんて出来ない。白石を怖がらせて傷つけるのも嫌だし、そんな姿を見て俺も傷つきたくない。これは互いを護るための我慢だったのだが、彼女にとっては不服だったらしい。


「…ぜんぜん分かってないよ」
「何だよさっきから」
「このあいだの事、気にし過ぎ」
「はあ?忘れて能天気に過ごしてりゃいいのか?」
「ちがう!」


周りの空気が一瞬だけ固まる、がしかしすぐに全員が自分たちの会話へ戻っていく。白石がそのまま声を張り上げて叫び続けたなら注目の的だったかもしれないが、その逆で、どんどん声が萎んでいった。


「一緒に歩いてるのに、手も繋げないのは寂しいよ」


耳を澄ませなければ聞こえないほどの声。彼女の意見には俺も同意だ。けど。


「…けど…」
「顔にクリームついてたら、不細工だなって笑いながらでも取ってもらいたいよ」


今、俺の目線からは白石の前髪に隠れてよく見えない瞳。でも何が起きているのか分かる。震える声と、ぽたりと落ちていく涙を見れば一目瞭然だ。


「割れものみたいに扱わないで。私、二口のことちゃんと好きだよ」


そう言われてホッとした自分、どきっとした自分、ぎくりとした自分。いろんな感情を整理するのはとても難しい。


「…それは…俺もだけど…でも、それとこれとは別なんじゃ?」
「別じゃない」


そう言って、白石は俺の手をぎゅうっと握った。思いのほか冷たい手。それでも伝わってきた「離してたまるか」という気持ちに、俺は動揺した。


「白石?」


手を握り返していいのかどうか、まだ分からない。指に力が入りそうになるのを必死に堪えて白石の様子を伺っていく。と、ゆっくり白石の頭が俯いていった。


「…ゴメン」
「なんでお前が謝る」
「先週からずっと二口が優しいから、すごい罪悪感で」


白石はつむじだけを俺に向けて、絞り出すように話した。


「…私が良いって言うまで触らないっていうの、一生懸命実行してくれてるのは嬉しくて」
「……」
「でも、しんどい」
「しんどいって…」
「私、もう大丈夫だから」
「大丈夫?」
「ていうか、我慢できない」


そのとき俺の手に圧迫感が加わった。白石の反対側の手も、俺の手のひらを力強く握ってきたのだ。それに気づいた時には彼女のつむじは見えなくなっていた。白石が顔を上げたからだ。


「もっと恋人らしいことしたい」


悲しんでる?笑ってる?怒ってる?白石も複数の感情を顔に表している。でもすべてに共通しているのは先程彼女が言ったとおり、俺を「好き」だという事。