02


白石と付き合い始めたのは夏休み前の事。伊達工業はもともと女子が少なくて、一年生の時は違うクラスだったけど、白石すみれという女子が居ることは知っていた。偶然廊下ですれ違った時、むさ苦しい校舎内に広がる香りが一瞬にして変わった気がしたのだった。
俺以外の男子だって同じように感じていたかも知れないが、とにかく俺は一年生の時から白石を好きだった。

そして同じクラスになれた二年生の春から俺のアタックはスタートした。
こんな性格だし、世間から見れば鼻で笑われるようなアピールの仕方だったとは思うけど。それでも想いが伝わっていわゆる両想いってやつになり、白石も俺のことを「好き」だと言ってくれてそれはそれは幸せだった。柄にもなく、大事にしなきゃなあって思ったのだ。


「だいっきらい」


翌朝は白石の恨めしそうな、悲しそうな声で言われた夢で目が覚めた。最悪の寝覚めだ。
時計を見ると目覚ましが鳴る数分前。アラームを解除しようと携帯電話を手に取って、誰からもメッセージが来ていないことに溜息をつく。もちろん白石からも。


『ごめん』


履歴を見れば俺が送った上記のメッセージが、既読になっている状態で終わっていた。
これを送ったのは昨日の夜。白石はきっと怒っているだろう、俺が無理やりセックスしようとしたことを。今日学校で会った時、もう一度しっかり謝ろう。





朝練を終えて教室に入ると、白石が既に席についていた。
このクラスには女子が三人しかいないので、その数人で集まって談笑している様子。この光景はいつもの事だった。俺は毎日その横を通る時、「おはよ」と声をかけている。俺に気づいた白石もぱあっと笑顔になって「おはよう」と返してくれる。いつもなら。


「…オハヨ」


普段どおりにしなければ、白石だけでなく周りの奴らにも変だと思われてしまう。俺だけを揶揄うなら良いのだが、まかり間違って白石に対して「二口と何かあった?」などと聞かれてはたまらない。
だから俺はいつものように白石への挨拶を行った。


「あ、おはよ!」


返ってきた挨拶を聞いて俺は瞬きを忘れた。白石は気まずそうな顔をするどころか笑顔で、いつものような挨拶をして来たのだ。


「右側の髪、跳ねてるよ」
「え。あ、ああ」


更には俺の髪が変な方向に跳ねているのを笑顔で指摘してきた。
あれ、昨日の出来事は俺の夢だったのか?でも携帯電話に残った「ごめん」というメッセージの履歴は確かに本物だし、既読無視されている事実も本物。
どういう事だろうと思いながらも、担任が教室に入ってきたので俺も自席に着くしかなくなった。





それからは四限目が終わるまで、なんとも悶々とした時間が流れた。
クラス内での俺と白石は席が近くはないし、休憩中の白石は基本的に女子と一緒に居る。三限目は体育だったから男女別だったりで、結局何も話さないまま昼休みを迎えてしまった。

いつも昼休みだけは一緒に過ごす俺たちだが、さて俺から誘っていいものか。


「お昼たべよ」
「!」


悩んでいるところへ驚きの誘い。なんと白石が俺の席へやってきて、何事も無かったかのように昼飯を一緒に食べようと言ってきたのだ。


「お…おう」
「屋上いく?」
「屋上?…ああ…食堂とかは?」
「屋上がいい」


しかしいつもと違ったのは、白石が屋上を指定してきた事。
風があるし日差しもあるので、白石はあまり屋上を好まない。だから教室や食堂で食べることが多かったのだが、今日は屋上が良いらしい。いや、「屋上が良い」という訳じゃない。きっと、なるべく周りに人が居ない場所でなければならないのだ。


「昨日、ごめん」


階段を登りきって、屋上の扉を閉めた途端に白石が言った。


「…え」
「私、思わず嫌がっちゃって…」


昨日の話をするのだろうとは思っていた。昨日何が起きたのかなんて、気にしない素振りを見せていたけどやっぱり気にしていたんだ。

しかし白石のほうから謝罪の言葉が出てくるなんて思わなかった。昨日は俺があわよくばセックスしたいという糞みたいな理由で家に誘って、受け入れ態勢の整っていない白石の服を無理やりめくり上げようとした。白石から謝られる要素なんてどこにも無い。


「…なんでお前が謝ってんだよ」
「だって」
「俺が全部わりーんだよ」


それでもなお白石は首を縦には振らず、申し訳なさそうに眉を八の字に下げていた。その様子が更に俺の罪悪感を掻き立てていく。


「…ごめん。昨日はびっくりしただけで」
「謝んな」
「ご…、うん」


ようやく白石が頷いてくれた。それで俺の罪が消えるわけではないけれど、白石に負担に思われるよりはずっといい。俺は俺で昨日のことを、携帯のメッセージだけでなく自分の言葉で詫びなければならない。


「ごめんな」
「二口こそ謝ってんじゃん」
「完全に俺が悪かったろ」
「……」


白石は否定とも肯定とも取れない様子だ。昨日あんなに嫌がって、凄い力で俺の手を払ったというのに。きっと相当な恐怖を植え付けてしまったんだろうと思う。


「俺、怖がらせたと思うし」
「ち…ちょっとだけだよ」
「違うよ、分かれ。ちょっとでも怖がらせたら彼氏失格なんだっつの」


この言葉、昨日雑誌を読んで浮ついていた俺にぶつけてやりたい。俺は白石の事を去年からずっと好きだったし大事にしようと思っていたはずなのに、性欲ひとつ制御出来ないどうしようもない奴だった。


「…あそこまで嫌だとは思わなかった。白石がちゃんと心の準備出来るまでは、我慢すっから」


俺だけが準備をしても意味が無い。俺は白石の初めての彼氏だ。手を繋ぐのも、キスも俺が初めて。セックスだって俺が初めての予定、だから恐らく誰にも身体を触られたことがない。
自分でも触ったことのない場所を俺に触られたり見られたりするんだから、相応の準備が必要に決まっているのだ。


「……準備…」
「だから白石が良いって言うまで、俺はもう何もしない」


俺からではなく、白石からの許しの合図があるまでは。
付き合ってから三ヶ月、正直言って白石と触れ合いたくて仕方がないけど。もう昨日のような、悲しそうで恐ろしそうな顔をされるのはもっと御免だから。


「……いいの?」
「いいよ。つーかそれが普通だろ」
「そうかな…」
「昨日は俺が焦り過ぎてた」


そう言うと、白石はやっと納得したように何度か頷いた。全面的に俺が悪いのに、彼女も俺を拒否した事について罪悪感を感じていたのだろうか?だとしたら俺、めちゃくちゃ最低だな。そうじゃなくても最低なのに。


「…つうワケだから。悪かったな」


最後にもう一度謝って、持ってきた弁当袋の中身を広げた。白石は「ありがと」と呟いて、自分も弁当の包みを広げ始める。昨日の今日で屋上にふたり並んで弁当食えるなんて、俺は恵まれ過ぎじゃないか。
もう絶対に俺からは手を出さない、誓って何もしない。「まだ陽が当たってると暑いね」と笑ってみせる白石を見て、決意はいっそう強くなった。