01


「彼氏とのエッチのタイミングが分からなくて困っています」「エッチを誘うのは彼から?あなたから?」「する時の場所はどこが多い?」「あなたの一番感じるところ」

…そこまで読んで俺は雑誌を閉じた。俺が読んでいたのは女性向けティーン雑誌に書かれたセックスのコーナーだったし、隣に立ち読みの女性が並んでしまったからである。ただでさえ女向けの雑誌を読む男なんて怪しいだろうし、内容が内容だ。俺は今制服を着ているから伊達工の生徒である事も一目瞭然、学校の評判を下げる訳にもいかないので何も買わずに本屋を出た。
時計を見れば夕方の6時。そろそろ待ち合わせの時間だ。


「二口、おっつー」


駅前広場の時計の下で待っていると、白石すみれが俺を呼んだ。
声のするほうを振り向けば俺好みの顔、俺好みの髪型、俺好みの体型をした女が手を振りながら歩いてきている。それもそのはず、何を隠そう白石は俺の恋人なのである。


「おつ。」
「待った?」
「大丈夫。立ち読みしてた」


何を読んでいたのかは死んでも言えないわけだが、白石は内容には突っ込まずに「ふうん」とだけ言った。恐らく俺の悩みなんか分かっちゃいないのだ。

こんな事は誰にも言えないが、俺、二口堅治17歳は重大な悩みを抱えている。勉強が難しい?うーん合ってる。けど違う。先輩がウザい?別にウザくはない。彼女が可愛すぎて困ります?困ってないし超幸せですけど。まあ、それに付随している悩みだ。


「二口が勉強誘ってくるなんて珍しいね」
「だってよ、今回の中間テストやべえんだもん」
「眠そうにしてるもんね、授業中」


白石は女子特有のくすくす笑いをしながら俺の隣を歩いていた。俺の家のほうへ向けて。

来週行われる中間テスト対策のため、俺は一緒にテスト勉強をしようと彼女に持ちかけた。答えはもちろんイエスだったので、どこで勉強するかと言う話になった時「俺んち来いよ」とさり気なく伝えるところまでは成功している。
だから白石は何の違和感も抱かずに二口家のほうへ歩いていた。


「ここ最後のコンビニだけど、なんか買ってくか?」
「だいじょぶー」
「おっけ」


俺もコンビニに寄る予定は無い。必要なものは全て家に揃っている。万が一そういう雰囲気になったときに使うあれこれ等も。

でも、ここまで用意周到(と胸を張れるのかはさて置き)にしている俺が何故、さきほど女性向け雑誌のセックスについてのコーナーを読みふけっていたのか。
俺の大いなる悩みを解決するためだったのだが、あいにく一番読みたい部分まで進める事が出来なかった。「付き合ってからエッチするまでの期間は?」の部分である。


「お邪魔しまーす」
「ただいまー」
「白石さん、いらっしゃい」
「あ、こんにちはっ」


母親が白石を笑顔で出迎えると、白石は一気に緊張した様子で頭を下げた。もう家に呼ぶのは3回目くらいだけど、俺の親に会うのはまだ慣れないらしい。挙動不審になるところもちょっとカワイイじゃん、なんて思いつつ彼女を俺の部屋へ入っておくよう促して、冷蔵庫から適当なジュースを取り出して俺も部屋へと続いた。


「りんごとみかん。どっち」
「みかん!」
「うい」
「ありがと」


二種類の缶ジュースのうち、蜜柑のほうを白石へ渡しながら座布団へ腰を下ろした。
いつも朝起きて、夜寝ている俺の部屋なのに違う場所のように感じる。部屋の中に白石が居るっていうだけで、一気に空気が変わるのは不思議だ。


「じゃあ現代文から?」
「おう」


テスト範囲になっている教科書を開き、配られた練習問題のプリントに目を通していく。が、俺はもちろん集中できやしない。今日ここに白石を呼んだ理由は大きくふたつ。ひとつはもちろん勉強のためだが、もうひとつは勉強に全く関係の無い事だから。

けれど恋人どうしなら意識して当たり前の事だろう、付き合って3カ月が経とうとしている間柄で「セックスしたい」と考えてしまうのは普通の事だ。男ならきっと。しかし女子がどうなのか、それが気になって雑誌の立ち読みをしていたのに分からなかった。


「二口ー」
「ん、なに」
「焦点合ってないジャン。眠いの?」


気付けば少し時間が経過しており、俺のプリントは真っ白のまま。白石は既に半分を解き終えているようで、勉強の進んでいない俺の様子を伺っていた。ちょっとだけ前かがみになって、俺の顔をのぞき込むように。


「眠くはねえよ」
「ほんとに?あっ、ごめん問題考えてた?」
「そうでもないけど…」


問題の事なんてこれっぽっちも考えていない。ただ丸いローテーブルの隣で肘をつき、「具合悪いの?」と俺の不調を心配する白石の姿に見惚れているだけなのだ。

制服のリボンがテーブルの上に押し付けられて形を崩している。最近伸ばし始めたという髪の毛も、はらりと肩から落ちてきた。ジュースを飲んだばかりだからか白石の唇は潤っていて、ますます勉強どころじゃなくなってくる。
いや、集中できないならしないほうがいい。こんなくだらない勉強なんか。


「白石」
「ん?」
「ちゅーしよ」
「へっ?」


かしゃんとペンを机に投げて肩を抱き寄せると、白石は身体を強張らせた。白石から進んでキスをしてくる事は少ないし、俺が「しよう」と言った時はいつも戸惑いながらも顔を上向きにしてくる感じ。
だから今日もキスをするのが嫌なんじゃなくて、ただびっくりしているか照れているだけなのだろうと理解した。


「ふ、二口」
「しよ」


俺の肩を押し返してくるのは、「勉強しないの?」という疑問からだろう。
でも、いつも最終的にはキスに応じてくれて、幸せだって言葉にしてくれる事もある。俺も幸せだよって返せたらいいのだが「あっそう」と済ませてしまうのは許して欲しい。代わりにこうして、好きだという気持ちを前面に押し出したキスをくれてやるから。


「…ん、っん」


白石の顔は丸くて少しやわらかくて、力を入れるとスライムみたいに形が変わってしまうんじゃないかと思う。今も俺の親指が白石の頬の丸みを崩しているが、弾力のある肌は触れているだけで気持ちが良い。
押し付けた唇の隙間から白石の吐息交じりの声が漏れる。でも今はもう、俺の身体を引きはがそうとする動きは見られない。何度か下唇を吸い上げて、最後にぺろりと舐めてやり、息を求めるように大きく開いた口の中へ舌を押し込んだ。


「っふ、ん…っ、」
「……」


俺の舌を噛んでしまわないように、白石は素直に口を開いて応じている。私も何かしたほうがいいの?とでも思っているのか、ほんの少し白石も舌を動かしているかに思えた。やっべえカワイイ。「彼女が可愛すぎて困ります」って俺も今度から使えるじゃん。

普段ならもっとたくさんのキスを繰り返すのだが、今日の俺はそれじゃあ収まらない。今日どころか今までずっと考えて、悩んで、耐えてきた。
結局「付き合ってからどのくらいでエッチしたい?」という女子へのアンケート結果を読む事はできなかったが、3カ月も経っていれば上出来じゃないだろうか?


「……なあ。いい?」


顔を離して、やたらと神妙な面持ちで言う俺の顔を白石が不思議そうに見上げた。


「え…なに…が…」
「分かってんだろが」
「……?」
「…あーもうっ、だから…」
「え」


どうすりゃ分かってくれるんだよ、エッチしようぜって口で言えばいいのか。いくらなんでもデリカシー無さ過ぎだろ、というわけで俺は黙って白石の肩を抱き、ブラウスを引っ張り上げてスカートの中から出した。


「っ!?」


突然のことに自分のブラウスを見下ろす白石だったが、更に目を見開いたのは空いた隙間に俺の手が入り込んできた時だ。あ、ちょっと怯えてるカワイイ、と俺は興奮してしまいボタンを外しにかかろうとした。


「ば…馬鹿!!」
「ぶぁ!?」


景気のいい乾いた音が部屋に響く。同時に俺の頬にびりびりとした衝撃が。さっきまで間近にあった彼女の顔は離れており、恥ずかしそうに染まっていた白石の頬は別の感情で赤く染まっていた。


「ってぇ…何すんだよ」
「な…なっ、なにするのはこっちの台詞」
「何って」
「そのために呼んだの!?」
「…は?ちが…」


今日は中間テストの勉強をするために家に呼んだ。あわよくばやりたい、と言うかセックスのきっかけが欲しいと思っていたのは事実。そして白石も自然に俺に話しかけて身体を寄せたり、顔を覗き込んできたりしたという事は、拒否される事は無いだろうと思っていたのだが。
俺の予想は大いに外れ、今実際に居る白石は乱れた自分のブラウスを物凄い力で握っていた。


「なんで、なに…急に…さわっ、さわって」
「白石?ちょ、落ち着けって」
「さ…触んないでっ!」


伸ばした俺の手を、再び強い力で払われる。めちゃくちゃ痛い。女の力じゃない。
普段なら「ゴリラかよお前」とからかう程度の事なのに、今の俺からはそんな言葉が出てこなかった。何故ならこれは白石が発揮した「火事場の馬鹿力」、緊急のとき我が身を護るために出される力。
つまり俺の事を悪だと認定しているからこその力なのだ。


「だいっきらい。帰る」


机に広げた筆記用具を乱暴にかき集めて鞄に詰め込み、飲みかけの缶ジュースもそのまま置いて立ち上がる。引き止めなくてはと俺は再び手を伸ばした。


「白石…、」


が、白石は信じられないほど怖い顔で俺を睨みあげた。ぎょっとした俺は言葉が出なくて、そんな俺を見て今度は彼女の顔が違う形に歪んでいく。怒った顔よりなによりも、一番見たくない顔だった。心底悲しそうな顔だ。


「……」


俺、最低じゃん。これ、やばいやつじゃん。完全に勘違いして早まったって事じゃん。

いまだ何も言えない俺の横をすり抜け、白石はすたすたと部屋から出た。
俺が歩くといつもぎしぎしする階段を、軽く駆け下りて行く音がする。階段の下はすぐに玄関だ。扉の開く音がして、ローファーの足音が遠のいていく。扉が閉まる気配はない。
人の家の玄関を閉め忘れてしまうほどなのか、今の彼女の心境は?そして、そんな彼女を追いかけようとも出来ないほどに俺自身もショックを受けているのか。笑えない。


「あれ?白石さんは」


洗濯物か何かを入れるために2階へ上がって来た母親は、部屋にひとりで突っ立っている俺を見て言った。


「…帰った」
「え。一緒に晩ご飯食べてくんじゃなかったの?」


不思議そうにする母親へのうまい言い訳も浮かばない。「用事が出来たんだって」と適当に吐き捨てると、「じゃあ白石さんのハンバーグも、あんたが食べる?」などと能天気な返事。こんな日にでっかいハンバーグ2個も食えるかよ。食欲なんか無えんだよ。

しかし俺たちの為に夕食を用意した親に向かってそんなことは言えやしない。「食うわ」と返すしかない俺、そして食卓に並んだふたつのハンバーグを結局ぺろりと平らげてしまう自分に嫌気がさした。
テレビのニュース番組ではアナウンサーが言う、「女性に暴行した容疑で男を逮捕」。俺かよ。誰か俺を逮捕して説教しやがれ、そして教えろ。この罪の償い方と、恋人に拒絶されたショックの和らげ方について。