04どうやら俺は白石さんに避けられている。
嫌われるような事をした覚えは無い。あるとすれば、彼女の厚意に甘えすぎて毎日のように勉強を見てもらったことだ。白石さんの大切な昼休みの時間を奪っていた。
そりゃあ俺と勉強なんかしていたら、せっかくできた友達と話す暇も無いに決まっている。
でも、どうしてもこれしか無かった。
俺が白石さんと話すには、これしか。
バレー部の練習だってあれから誘ってないし、自分から来ようともしないって事はやはり興味が無かったんだ。
「夜久くん」
「何?」
「…怪我しないでね。」
研磨はそれだけ言うと、自分の練習へ戻っていった。「怪我しないでね」つまり「ぼーっとしないでね」と言ったところか。
部活中に他のことを考えてしまうなんて自分でも驚いている。一人の女の子にここまでの感情を抱いた事が無いからだ。
「夜久、最近白石サンとの勉強会サボってんの?」
同じクラスの黒尾は俺が白石さんを気に入っていることにいち早く気付いていた。隠すつもりも無かったけど。
「…誘っても断られる」
「マジか。俺まで凹むわ」
「なんかオカシイ気がする…」
「何が?」
「白石さん、自分からすっごい線引いてるよな?それが最近はめちゃくちゃ分厚いコンクリの壁になった。そんな感じ」
その壁を叩いても叩いても返答がない。何故ならそこは壁であり窓も扉もついていないから。
「…重症だねぇ」
「重症だよ。悪いかよ」
左右対称のきれいな顔立ちも、幅のそろった美しい二重もあまり高くない鼻も、バレーとバレエを勘違いした時に見せた照れた笑顔も、俺は白石さんの全てに惹かれていた。
もっと知りたい、もっと話したいと思うのに共通の話題は勉強だけ。勉強を教えてもらう事でしか会話ができない。
だからもっと話して、そこからたくさんいろんな事を聞き出したいのに。
◇
授業が終わり、いつものように俺と黒尾は部活に向かう。
白石さんとは昼休みの勉強会が無くなっただけで、会話が皆無というわけではないので「また明日」と声をかけると、「うん。」と短く言った。
顔を見てはくれない。でも、鞄を持つ俺の手元は見ているような気がした。
そして部活が始まり少し経ったころ、教室に忘れ物をした事に気付いた。
今朝の部活で使ったタオルを教室の後ろのロッカーの中に突っ込んだままだ。
「ちょい教室に忘れ物した」
「ほーい」
持って帰らなければ明日には強烈な汗の臭いを放ってしまう気がして、仕方なく取りに戻る事にした。
歩き慣れた廊下を進み、昼間勉学に励む自分の教室へ。
見たところ、換気のためなのか教室の戸が開いているのでそのまま入ろうとすると中に白石さんが残っていた。
…しかし彼女だけではなく、別のクラスメートも残っていた。
「なるほど!白石さん教えるの上手い!」
「そう…かな…ありがとう」
「じゃあこっちは?ていうかonとatの使い分けが分かんなくて」
なんと、白石さんがクラスの別の男子に英語を教えているという光景が広がっていたのだ。
それは俺にとってショックの大きい事で、と言うのも最近は英語を教えてと声をかけても何かとはぐらかされて拒否されていたのに何故別の男には教えているんだ?と理解のできない怒りがこみ上げてきた。
本当に俺が何か気に障る事をしたのなら謝るがそんな記憶は無い。どうして俺は駄目で、あいつは良いんだ?
「それは、一応決まってるんだけどどっちを使っても良い場合もあって…」
「あ、夜久じゃんどうしたの?」
「!!」
男が俺に気づいて声をかけてきた。
目に見えて動揺している白石さんの姿が余計に俺の心を抉り、こんな時に忘れ物をした自分を呪った。
「…忘れ物。」
「そっか。がんばれよバレー部」
「おお」
そして悔しい事にこいつはクラスメートとしては害もなく普通の良い奴なのだ。
嫌いな奴が白石さんと二人きりで勉強しているならまだしも、誰を責める事も出来ない。その上追い討ちのように聞こえてきたのは楽しそうに話す男の声だった。
「…そうだ白石さん、終わったら何か食べに行かね?お礼したい」
「え…」
「このへん知らないだろ?転校してきたばっかりで」
その役目、意地でも俺が買って出たかったのに。
ロッカーからタオルを取り出して首にかけ、ここから早く立ち去りたい気持ちとこの会話を最後まで盗み聞きしたい気持ちとが喧嘩をする。
「…ごめん、私予定があって…」
「予定?ごめん!俺、引き止めちゃったかな」
「ううん」
「どこ行くの?送ろうか」
「えっと…あー」
なんとなく、ぴんと来た。
白石さんに予定など無いという事を。
どのように断るんだろうと、ちらりと彼女のほうを見ると目が合ってしまった。いや、幸運にも目が合ったと言うべきか。
困った顔でこちらを見ている白石さんに、一か八かで声をかけた。
「バレー部見に来るんだよ。な?」
ただでさえ大きめの瞳がもう一回り大きく開き、そこには困惑の色も見られた。失敗したか、と思ったその時白石さんは頷いた。
「……うん、そう。見学いくの」
「そうだったの?わりー夜久、知らなかった」
「いや…」
「んじゃ俺、宿題出して帰ろーっと」
どうやら今日提出を忘れていた宿題を手伝ってもらっていたらしく、「また明日」とそいつは鞄をとって教室を後にした。
教室に残されたのは二人だけで、そこにしばらく会話はなかった。
バレーを見に来るなんて、言い訳に使ったたけなんだから本当に来るわけでは無い。
だから俺はもうここにいる意味はなくて、俺の方こそ早くバレー部に戻らなければならないのに。
「夜久くん、あの…ありがとう」
「いいよ別に。ていうか断るなら断れよ、俺がいなきゃ嫌々ついて行ってたの?」
「…ごめんなさい」
こんな事が言いたいんじゃないのに、ついつい口からはきつい言葉が出てしまう。
謝らせたいわけじゃないのに。
聞きたい事があるのに。
どうして俺には勉強教えてくれないのか、と。
「ごめん。バレー部を言い訳に使うなんて」
「いや、俺が言ったんだし」
「夜久くんにあんまり迷惑かけちゃいけないの、分かってるのに」
「……迷惑って何?」
迷惑だなんて思ってもない言葉だった。
白石さんがいつ俺に迷惑をかけたのか、記憶を辿っても出てこない。英語を教えてもらって、時間をもらっていたのは俺の方だ。
「転校してきたばっかりで、夜久くんに色々面倒な役割させてるから」
面倒って?何も面倒な事なんか無かった。移動教室の案内も掃除用具の場所を教えるのも、一緒に勉強できるのも嬉しかったし、白い指が教科書を辿るのを眺めるのが好きだったのに。
「俺、面倒なんて言ってないけど」
「でも色々気遣って話しかけてくれたりとか…現文教えてくれたりとか…」
「俺だって英語教えてもらってる」
「でも」
「でもじゃねえよ!」
気づいた時には、大きな声で叫んでいた。好きな女の子に向かって。
「……やく、くん」
「俺はもっと白石さんの事知りたいよ。だから話しかけるんだよ。なのに、最近は」
「………」
「勉強なんて言い訳だよ。でもそうでもしなきゃ話すきっかけなんか作れないだろ!俺だってさっきみたいに、普通に…どこかに、誘ったり…」
そこまで話して、気付いた。
白石さんが驚きと、怯えと、戸惑いを隠せず立ち尽くしている事。自分の中の、気持ちをコントロールする機能がショートしている事を。
「……ごめん。行く」
「ま…」
待って、と言おうとしたのだろうが待ったところで何になる?もう最悪だ。
好きな子に勉強を教えてもらう、話しかける、趣味とか好きな事を聞く、たったそれだけの事をどうして出来ないんだ。
避けられている理由も分からない。他の男と二人でいる現場を見て、頭に血がのぼって怒鳴る。自分でも驚くほどに情緒不安定になっていた。
故障したアンテナ