20180214バレンタインデーが誕生日だととてもややこしい。更に、俺を取り巻く環境はそれ以上にややこしい。男子バレーボール部の面々はその活躍ぶりのおかげで、バレンタインの差し入れがとても多いのである。
「これ、牛島くんに渡しといて」
「こっち瀬見くん」
「これ一年のパッツンの子!」
「コッチが山形くん」
机の上にてんこ盛りになったチョコレートたち。最後に俺宛の明らかな義理チョコが置かれた。
これをそれぞれの男に分けて回らなければならないのは大変だ。渡したい相手に直接渡す方が本人達も喜ぶと思うのだが、クラスが違ったり若利は既に抱えきれないチョコレートを受け取っていたりするので、それも難しいらしい。
「いやいや若利のぶんは渡せよ、そこに居るだろ」
「そんなの恥ずかしくて渡せないじゃん!分かれ!」
恥ずかしくて渡せないって事は、若利にある程度の気持ちを抱いているんじゃないのか。直接じゃなくていいのか。
とは思いつつも、とりあえず俺が中継となり紙袋いっぱいのチョコレートを持って若利の席まで運んでやった。
「若利これ、お前のだって」
「…こんなに食べきれない」
「とりあえず受け取れよ」
「結局捨てるはめになると思、」
おいおい教室内ではそれ以上言うな。と人差し指を口に当ててみせると、若利は素直に黙ってくれた。どうして黙らなければならないのかという事までは理解していないと思うが。
「今年も大変だねえ…」
苦笑いしながら教室に入って来たのは白石と言うクラスメートで、俺の隣の席である。
2年生のときも同じクラスだったので、俺が色んなメンバーへのチョコレートを預かっているのを知っているのだ。
「おお…なんか去年より量が増えた」
「バレー部が活躍してるからだよ」
活躍ねえ、活躍かあ。確かに牛島若利は全日本ユースにだって出ているし、悔しいけど2年生の不愛想組はまあまあ見た目が良いと思うし、五色工は顔が小さく背も高いし、瀬見英太は単純に顔立ちがいい。ほんの少し活躍するだけで人気が急上昇する要因はたっぷりとある。
ちなみに俺だって誰からも貰わないわけではない。他のクラスから「山形くんの」と渡しに来てくれる人も居るが、見た感じ本命じゃない。例え本命だったとしても言ってくれなきゃ分からないので、1年のときも2年のときも微妙な気持ちで今日という日を過ごしていた。
「白石も誰かに渡すの?」
「えっ」
白石の鞄の中に、誰かに渡すためのラッピングが施されたものが入っている。鞄の中身を机に移している白石に話しかけると、びくっと驚いて教科書を取り落としそうになっていた。
「それ。違った?」
「こ!?これ、ええ、ああ…うん」
「バレー部宛なら預かるけど」
と、何も考えずに俺は手を出した。その俺の手を見て、白石は気まずそうに唸り始める。もしかして他のやつに渡すのだろうか。なにも男はバレー部だけじゃないのだ。
「…あーごめん、自分で渡すよな普通」
「そうだね…」
白石は愛想笑いをすると机の中を整理し始めた。
そのときちょうど朝のホームルーム開始を告げるチャイムが鳴り、バレンタインデーに浮かれていた教室内はだんだんと静けさを取り戻す。
若利は貰ったチョコレートを机の上から鞄に移すのに苦労しているようだ。若利がこれから1日どれほどの量をもらうのかが見ものである。
◇
慌ただしいバレンタインの授業はあっという間に終わった。昼休みにもそれ以外の休憩中にもひっきりなしに教室に来る若利のファンは、若利が「もう持てないから山形に預けてくれ」というのを素直に聞きやがったので、俺も本日は大荷物だ。
「重てえ…」
両手に持たされた袋は意外と重い。果たして若利が甘いものをこんなに食べ切れるかどうか。どうせ後輩たちに配るんだろうけど。
「先に行くぞ」
「おお…ってお前これ!これも若利のぶんだからちょっと持っていけ」
「ん。」
当の本人はさっさと荷物をまとめ終えたらしく、俺よりも早く部活に出発してしまった。俺の荷物の中にはまだお前のチョコレートも入ってるんだが、まあべつにいいけど。その様子を見ていた白石は苦笑いを浮かべていた。
「持てそう?」
「ぎりぎりかな…マジでなんなんだよこの風習」
「はは」
若利宛の紙袋ふたつと、最後にひとまわり小さい(それでも一人では食べ切れない)袋を持つと、白石は「まだあったのか」と驚いたように目を丸くした。
「それは山形くんの?」
「おう、すげえよなあ」
俺自身、バレンタインという日に自分がここまで女子からの贈り物をされるなんて思わなかった。これは若利のおかげもあるし、バレー部全体の活躍のおかげでもあるのだが。
しかし、悪いけど俺も甘いものばかり食べるわけには行かないので、やっぱりこれらは寮に帰って後輩に配る事になりそうだ。
「あれ」
そのとき、ふとあるものが目に入った。帰る用意をしている白石の鞄の中に、今朝見かけた誰かへのバレンタインチョコレートらしきものが入っているのを。
「白石、それ持ったまんまじゃん」
「!」
俺の指摘に白石は今朝と同じくびくりと反応した。一瞬慌てて隠そうとしたらしいが、既に俺に見つかっている事に気付いたのか、隠そうとした手は自身の後頭部へ回る。
「あっ、うん…大丈夫…いや大丈夫じゃないけど…とにかく大丈夫」
「バレンタイン終わっちまうぞ」
「あはは…」
声は笑っているが目はまったく笑えていない。その様子からして、渡したいけれども渡せずに時間が過ぎてしまったようだった。そしてそのまま諦めて帰ろうとしている、と。
「ほんとにいいのか?って余計なお世話だけど」
「……」
白石は口をぎゅっと結んでいたので、本命なんだろうなと思えた。それなら尚更渡すべきだと思うんだけど、白石の性格だと勇気を出すのは難しそうだ。
「渡したい人は、もういっぱい貰ってるみたいだったから…」
「それとこれとは別じゃね」
「でも…荷物、増やしちゃうし」
そう言いながら鞄の中のそれを一度だけ両手で取り出したが、白石はすぐに鞄へと戻した。
「それにこれ、バレンタインじゃないから」
「……?よく分かんねえけど…まあ白石がいいならしつこく言うつもり無いけどさ」
人の恋路をとやかく言う権利もないし、本人が渡さないと言うならそれでいい。後悔するんじゃないかなって思うけど。白石の相手が誰なのかも知らないし。既に彼女が居る男とか、先生だったりしたら軽率には渡せないだろうから。
「じゃあ俺、行くわ」
「うん。また明日」
力なく手を振る白石にガンバレよと心の中で応援を送り、俺は教室を出た。もちろん両手に大量の紙袋を抱えた状態で。
「あ!山形さん」
校舎内を歩いていると、ちょうど同じ部活の五色工に出くわした。こいつもこいつで受け取ったチョコレートが多そうで、大きな紙袋を下げている。
「おお。モテモテじゃん」
「おかげ様で!」
「否定しねえのな」
1年生にして若利の後を継いだエースということで、春高予選以来こいつの人気も上昇中のようだ。誇らしそうに袋を持っている姿は男のくせに可愛らしい。
「あ、そういや工のやつ預かってて…あれ。もう一個あったんだけど」
「ほんとですか」
今朝、クラスの女子から「一年生の前髪パッツンの子に」と預かっていたものがあるのだった。確か別の袋に突っ込んだはずだったけど、肝心の袋が見当たらない。どこにやったっけ?
そういえば朝一番に貰ったものはひとまずロッカーに入れたのを思い出した。
「あー…ロッカーに入れてるんだった」
「明日でいいですよ」
「や、手作りだったら気まずくね?取って来るわ。コレ持ってってくれ」
「う?お、重っ」
丁度良いので俺が持っていた重い袋を五色に押し付けて、先に部活へ行かせる事にした。両手が軽くなってラッキーである。
身軽になったので小走りで教室へ戻りドアを開けると、もう誰も居ないかと思いきや白石が一人で座っていた。
「お?」
「わ!?」
俺が来たのを見て、白石は今日一番の悲鳴を上げた。そりゃあそうだろう。白石がどこに座っているかって、何故か俺の席に座っているのだから。
「や…やま…ど、どうして」
「いや…忘れもの」
「え…」
「つーかそこ俺の席」
白石は気まずそうに顔を伏せた。いったいなんだ、俺の机に落書きでもしたか?と近づいて行くと、白石は両手をぶんぶん振って抵抗した。
「こ、来ないで!」
「何かあんの?」
「や、だめ!来ないでクダサイ」
「俺の席なんスけど…」
「それでもだめ、あ」
俺は自分の席にたどり着いた時、白石が「来るな」と言うのを聞いておくべきだったかも知れないと感じた。
机のなかに見覚えのあるものが入っている。それを必死で隠そうとする白石。さっきも見た光景だ。持ってきた「誰か」への贈りものを隠す姿。今は白石の鞄ではなく、俺の机に入っているけど。
「…だ…だめって、言ったのに」
未だ隠すのを諦めずに白石が言った。
「これ、白石の?」
「……」
返事は無い。俺だって逆の立場なら何と言えば良いか分からないと思う。
俺、ここに来ない方が良かったんじゃないか。でもこれは明らかに俺に向けたものだったんだよな。だとすれば今朝からの俺の言動、振り返ってみると褒められたもんじゃない。「バレー部宛なら俺が預かる」「渡さずに持ったままで良いのか」と、俺本人から言われるなんて白石はどんな気持ちだったろうか?それでも白石は沈黙を破り話してくれた。
「今日…山形くんが…誕生日だから」
それを聞いてすべてが繋がった。さっき白石は「これはバレンタインじゃない」と言っていた、つまり誕生日プレゼントだったのだ。バレンタインデーに気を取られて、クラスの誰ひとり知らなかったであろう俺の誕生日。
「でも…みんなと同じように渡したら、バレンタインのプレゼントだと思われちゃうから」
白石は机に入れたそれを取り出して、両手で包んだ。
「誕生日のやつだよって、意味で…渡したかったけど…タイミングとか…ていうか、勇気が…あの」
膝の上で持っていたプレゼントの包みに、なにかが落ちた。気のせいかと思ったけれど、その後も何度かぽたぽたと落ちてくる。気のせいじゃない。
「……白石?」
「う、…」
「おまえ…」
女の子に目の前で泣かれるのは初めての経験だ。対処方法が分からない俺までしどろもどろになって、慰めれば良いのか無視すればいいのか分からない。だってこいつ俺のせいで泣いてるんだし。
「…ごめ、なんでもない」
「何でもなくない」
「なんでもないからっ」
「んなワケあるか」
とは言ったものの、どうも何と声をかけるのが正しいのか分からない。そもそも俺だって今は相当焦っている。
白石が持っているものは俺への誕生日プレゼント。しかも今日一日渡すタイミングも勇気もなかった。という事は白石が抱く俺への気持ちは、そういう事だ。白石は俺の事が好きなんだ。だからこうして、どうにか俺に渡そうとこっそり机に入れようとしていた。運悪く俺が教室に戻ってきて現場に出くわし、こんな状況になっている。
でも俺だってそんな姿を見せられたら、そんなことを言われたら黙って下がるわけにも行かない。
「それ、くれねえの」
「……」
手の中で少しぐしゃぐしゃになりかけているプレゼントを顎で指すと、白石はゆっくりと立ち上がった。
そしてやはりゆっくりと、両手を前に出してプレゼントを俺の胸元へ。目は合わせてくれないけど逆に有り難かった。今こいつと目が合ったら俺も結構大変だ。
「…でも山形くん、いっぱいバレンタインもらってるし…荷物になるし…要らなかったら返してくれても」
「俺は…」
ここでも俺は正しい回答が見つからない。白石をいちばん傷つけない答えは何か?でも嘘は吐きたくない。
俺は間違いなく同年代の男子よりも多くのチョコレートを受け取っている、それは事実である。でもたった今もうひとつ、新しい事実ができた。
「…俺は今日貰った中でコレが一番うれしいけど」
「え、」
「だから返さねえぞ」
白石からのプレゼントを両手で受け取り、なかなか離そうとしない彼女の手からやや強めに引っ張ってみた。白石はやっとプレゼントを手放したが、手のやりどころに困っている様子だ。
そして、この無言に俺も困っている。次に喋るのはどっちの番だ。どちらかの番だったとして、何を喋る番なのだ。
結果、白石の番だと俺は考えた。
「……それだけ?」
「え…?」
「俺に言う事…あー…渡すもの」
俺に言う事、ってつまり告白したり俺に対してのなんらかの気持ちが無いのかとか、そういう意味である。でもこんな言い方で告白させるなんてどうなんだよ、と思って慌てて「渡すもの」と言い換えてみたが遅かったかもしれない。
「……うん…それだけ」
「そっか」
やっぱり白石は何も言ってはくれなかった。好きな相手に「ほら告白してみろ」と言われたも同然なんだから無理もない。
「…じゃな」
「うん」
いたたまれなくなって、俺は受け取ったプレゼントを手に教室を出ようとドアに手をかけた。
いいのか、これで。これでよかったのか。明日からも隣の席で顔を合わせる白石と気まずくなってしまう。いや、そうじゃなくて。
「なあ…」
「誕生日おめでと!」
やっぱり駄目だと思って振り向いたと同時に、白石が言った。というよりは叫んだ。
俺はびっくりして目を漫画みたいにぱちくりとさせ、白石も俺の背中に向かって言うつもりが真正面になってしまったので、驚いてしまっている。
「…お?」
「お…おめでと…う」
だんだんと尻すぼみになっていくその言葉は、先ほどの「言う事はそれだけか」という俺の台詞に対してだろうか。
そっちの意味じゃなかったんだけど、それでも面と向かって祝われるのはとても嬉しくて、どきりとした。だって今日俺にバレンタインではなく誕生日のことを話してきたのは部活の連中と、白石だけなのだ。告白じゃなくても充分に有り難い。しかし、白石の言葉は続いた。
「それから…あの…」
続きは俺の耳には届いてこなかった、音としては。でも見えた。口の動きと、白石の目がそれを訴えかけてきたから。
やっぱり白石に言わせるなんてひどい仕打ちだ。白石だけに言わせるなんて男らしくもない。
教室を出ようと手をかけていたドアから離れ、白石の突っ立っている俺の席に辿り着くまでは一瞬のことであった。
Happy Birthday 0214