二学期に体育委員なんて、ついてない。じゃんけんに負けてしまった私は1年6組の体育委員となり、体育祭に向けての色んなことを率先してやらなければならなくなった。
しかも私は帰宅部だから良いんだけど、一緒に体育委員になった佐藤くんはサッカー部の人気者。彼も同じくじゃんけんに負けた被害者である。

だから体育祭の応援パフォーマンスをどうするとか、曲は何を使って衣裳はどんな感じにするとか、そういうのは佐藤くんの部活後でなければ話し合えないのだ。


「そろそろ決めないとヤバイよな」


佐藤くんが苦笑いしながら言ったので、そうだねえと私も返す。今週中には決めておかないと応援合戦の練習だって始められないし、用意もできないから。


「部活、何時に終わるの?」
「あ、体育委員あるから抜けさせてって頼んだ。どっか駅前で話し合おう」
「あー…うん」


駅前で話し合う、ってさすがに道端や公園で話すわけじゃないよなあ。
食堂を使ってもいいんじゃないかと思ったけれど、あまり嫌がる素振りを見せるのもよくないかと思い「彼氏に聞いてみるね」と一度保留にさせてもらった。


「…って事だから、佐藤くんとふたりであそこのカフェ行く事になったんだけど…」


昼休みのこと、英とご飯を食べながら佐藤くんとのことを切り出してみた。英はドライな人だけど一応私の彼氏だし、他の男の子とふたりで勝手に出かけるなんて良くないだろうから。なんなら「なに考えてんの?」と叱ってくれてもいい。


「ふーん。わかった」
「ふーんって」
「何?」
「男の子と二人っきりだよ?」


しかし、英は私の期待から大きく外れた反応だった。…期待からは外れているけど予想は当たっていた、というべきか。ひとつも顔をしかめる事なく、涼しげにぐんぐんヨーグルを飲みこんだ。


「そんな事言われても。体育委員なんだから仕方ないじゃん」
「そうだけど…」
「けど?」


英は私の言葉を待っていた。なんでこっちが責められる気分になってるんだろう。話し合いとはいえ男の子と二人きりは良くないと思ったから、こうしてちゃんと確認を取っているのに。


「なんか…嫉妬とかしないの?」
「…は?しないけど」
「しないの!?」
「嫉妬する要素が見つからない」


しかもこの言いぐさである。英は普段から私の事を特別扱いすることもなく、可愛いとか好きとか一切の甘い言葉を口にしない。付き合い始めの頃は多少あったような気がするけど。まあ、多少。今では慣れてしまったのか全然だ。
私が「好きだよ」と伝えたときでさえ「うん」と返事をするだけだし、本当にこの人は私と付き合っていて楽しいのか?


「じゃあいい。行ってくるから」
「ん」


私が機嫌を損ねてしまった事だって、英は気付いていないに決まってる。英が止めないんだったら思う存分好きにさせてもらう。男の子との放課後デート、行ってやろうじゃんか。





「放課後デート」とは言ったものの、もちろん本題は体育祭の話し合いだ。変な雰囲気には一切ならず、佐藤くんと私は喫茶店の机を挟んでうんうん唸っていた。


「…こんなもんかなあ」


やっとリレーの参加者とか、応援合戦の内容とかが決まってきたところで、どちらからともなくペンを置いた。勉強以外でこんなに頭を使うのは久しぶりかも知れない。佐藤くんも長時間机に向かうのは苦手なようで、思い切り伸びをしていた。


「何とか決まりそうだね」
「あとはクラスの奴らがどれくらい協力してくれるかだけど」
「確かにー」


けど体育委員だって誰もやりたがらなかったし、この話し合いだって私たちしか意見を出し合っていないんだから文句は言わせない。応援合戦もなるべく準備が少なく済みそうで、かつ盛り上がりそうなものを何パターンか考えたんだから誉めて欲しい。


「国見って、ちゃんとやってくれると思う?」


アイスコーヒーをストローで吸い上げながら、佐藤くんが言った。


「どうだろ…?苦手だとは思うけど…クラス全体のことだから、真面目にやるんじゃないかな」
「へえ」


佐藤くんがこんな話題を出してくるくらいには、英はクラスの中でも大人しい。というか基本的に大勢の人と一緒に過ごすのが苦手なようで、全員が何かの話で盛り上がっていても端のほうで聞いているだけの事が多い。
それでも協調性が無いわけじゃないから(バレーボールだってしているし)、さすがにクラスの行事はきちんと参加すると思いたいが。


「白石って国見と付き合ってどれくらいなの」
「えーと…3カ月くらいかな。3カ月経ったところ」
「あいつ結構冷めてるよな?ちゃんとデートしたり電話したりしてんの?」
「んー…」


デートは正直、あまりしていない。毎週月曜日の放課後が英にとって唯一固定されたフリータイムだけど、毎週それを私に充ててくれるわけじゃないから。部活仲間と出かけたり、家の用事があったりで。
部活の後にちょっと会う事はあるけれど「デート」として休日にどこかへ出かけた事は、うーん、いつが最後だったかな。


「まあ…英は部活が一番だから…」
「あー、確かに」
「嫉妬も束縛も全然ないしね…はは」
「へえ、冷めてんね。それって寂しくね?」
「え、いや」


寂しくね?という佐藤くんの指摘にぐさりときた。この上なく寂しいからだ。今こうして佐藤くんと居る事に、私がいくら罪悪感を覚えたって英にとっては痛くもかゆくもない。何とも思っていないのだ。嫉妬なんかしない、と今日の昼休みにはっきり言われてショックを受けたばかりである。
思わず大きな溜息をついたのを見て、佐藤くんがふき出した。


「あ、ごめん溜息なんか…」
「ううん、ずっと思ってたんだけどさ。俺って白石のこと結構タイプかも」
「はい?」


何か月かぶりに聞く、男の子からの甘い台詞。あまりの事にまともな返事ができなくて戸惑っていると、なんと佐藤くんが私の手を握り始めたではないか。


「ちょ、離して」
「国見とデキてんのは知ってっけどー」


佐藤くんの手が私の手のひらをふにふにと揉んでいる、かと思いきや指を絡めようとしてきた。必死に手を引っ込めようとするが男子の力には敵わない。周りには他のお客さんが居るから乱暴な事も出来ず、私は首を横に振って抵抗した。


「俺は部活も白石も両立できると思うよ?」
「な、なに言ってんの」
「なにって」
「やだ!」


ついに思い切り手を振り払ったとき、がたんと机が揺れた。痛い、膝が机の脚に当たってしまったようだ。


「ごめん、そんなに駄目だった?」


周りの目を気にしてか、佐藤くんも私の動きにびっくりして声を落としてきた。
無理に決まってる。英と付き合っていて、英のことが好きなんだから。たとえ英が私の事を何とも思っていなかったとしても。


「駄目、ごめん」と伝えると佐藤くんはコッチこそごめん、と頭を下げた。





「すみれ。」
「んっ!?」


翌日の昼休み、英と一緒にご飯を食べていると名前を呼ばれて飛び上がった。名前なんていつも呼ばれているのだが、ついつい昨日の事を考えていたもんだから。


「な…なに、どしたの」
「こっちの台詞。考え事?」


男子にしては大きな瞳が私の顔をじっと捕らえる。英への誤魔化しは効かないだろうと分かってはいるけど、まさか昨日の出来事を素直に話せるわけもなく。
そもそも止めもせずに送り出したのは英のほうなんだし、という怒りだってまだ私の中には眠っている。


「…べつに何も…」
「ふーん」


と、苦し紛れの返答だったにもかかわらず珍しく英は突っ込んでこなかった。
やっぱり私が誰と一緒にいようが興味が無いんだろうか。そこで他の男の子から告白された事だって、どうでもいい事なんだろうか?英の中の「彼女」とは一体なんなのか。
昼ご飯を食べ終えたばかりにも関わらず小難しい顔をしていると、英は次のように提案した。


「屋上でも行く?」
「え?」
「ちょっと寝たいから。ここじゃうるさい」


昼休み真っ最中の教室内は確かに騒がしい。毎日朝早くから朝練だし、ひと眠りしたいのだろうか。貴重な昼寝に誘ってくれたのはやっぱり嬉しかったので、私はうんと頷いた。

…しかし屋上までの道のりを歩いている間、とくに会話は弾まない。私はどうしても昨日の罪悪感とか、張り続けている変な意地があるからだ。階段をすべて登り切って扉を開けると、屋上には数組の生徒が散り散りに座っていた。


「……」
「静かだね」
「う、うん」


幸いにも屋上に居る他の生徒たちは騒ぐことも無く、静かに昼休みを過ごしているようだった。
私たちも端のほうへ移動して、持ってきたビニール袋をお尻に敷いて座り込む。風が強いけれども気温が高く、心地いい。心の中はどんよりだけど。


「体育委員の話し合いは進んだ?」
「え?あ、ああ、…」


隣に座りながら、英が突然昨日の事を聞いてきた。まさかこのタイミングで聞かれるとは思わなくて声が裏返ってしまったのを、ごほんと咳で誤魔化してみる。
が、この人にそういうものは通用しないのを忘れてた。


「なんか隠し事してる」
「し…してないよ」
「してんだろ」
「してない」
「絶対してるね」
「してな…」


してないってば、と顔の前で手を振っていたときだ。英はじっと私の顔を見ていたけれど、視線がふと下に下がった。


「…それ何?」
「え」


それ、と言いながら英が見ていたのは私の膝にできた、大きな痣だった。昨日佐藤くんと揉めた時に、お店の机にぶつかってしまった時のもの。まだ赤黒く痛々しい。


「これ…あ、これは」


なんて答えたらいいんだろう?顔を背けようとした瞬間に英の目が再びこちらを向いたので、逃げられなくなった。


「これも」


次に私の腕を見て、いつの間にかついていた引っかき傷を指差した。これも昨日すぐには気付かなかったけど、佐藤くんの手を振り払った時についたものだと思われる。どうしよう。


「どいつ?」


じろり、またはぎろりという擬音がぴったりの目で英が私を凝視する。他人による傷だと断定しているようだ。


「…ど…どいつでもない…私が勝手に転んだっていうかぶつけたっていうか」
「誓える?」
「……」


どうして今日に限って、そんなことを言ってくるんだろう。いつもなら私がドジをしただけだと言えば「馬鹿じゃねーの」と鼻で笑うだけなのに。誰かと何かがあった時に限って、どうして簡単に気付かれてしまうのだ。
もう一切の隠し事はできない、諦めて私は昨日の事を話すことにした。


「…さ、佐藤くんと昨日…打合せしてたときに」
「分かった。そこに居て」
「ちょ、っと待って!」
「何」


座っていた英がいきなり立ち上がろうとしたので慌てて止めて、もう一度座らせる。だって目がものすごく怖いんだもん、立ち上がってどこに行って、誰と会って何をするかが予想できてしまうほどに。


「ちゃんと断ったから!私と英が付き合ってるのも知ってるし…ちゃんと断ったし、分かってくれた」
「俺と付き合ってるのを知ってるくせに告白してきたって事?頭おかしいんじゃねえの」
「ちが……」


いつもなら私だって、恋人が居るのを知っていながら告白するなんてどうかしてると考える。けど、昨日私を止めようとしなかったのは国見英のほうだ。男の子と二人きりになるぞ、それでもいいのかと私はちゃんと聞いた。半ばやけくそで、当てつけみたいだったけれども。


「…私が…英はあんまり、嫉妬も束縛もしないって言う話をしたら…冷めてるって。俺ならそういう扱いはしないって、言われた」


ぴりっと緊張がはしるのを感じた。英は普段が大人しいおかげで、何が彼の逆鱗に触れるのかがまだ把握できていない。
恐る恐る英の顔を見ると、ブラックホールみたいな目で私を見下ろしていた。


「で?」
「でって…だから断ったってば」
「すみれもそう思ってんの」


その質問に正直に答えてもいいものか。それでも下手な嘘をつくよりは良いと判断し、観念して言った。


「……時々だよ…昨日だって、佐藤くんと二人きりなのに嫉妬しないのって聞いたじゃん」
「佐藤とは体育祭の打合せをするって聞いたからだよ。やましい事はないと思ってたから」
「やましい事なんか」
「あっただろ」


昨日のあれが英の中で「やましい事」として処理されているならば、そうなのだろう。実際私は英にすぐに報告できなかった。英への苛々だってあったけど、少なからず罪悪感を感じていたからだ。


「俺の事がそんなに信用できない?」
「……そんな事は…」
「彼女にこんなモン付けられて平気なわけないんだけど」


英は傷のついた私の右腕を、傷には触れないように握った。普段は氷みたいに冷めているくせに、いま私の腕を触る手がとても暖かい。そして初めて気づいた。私、英のことを傷つけてしまったんだ。


「…ごめん」


嫌がらせみたいに佐藤くんとふたりで出かけて、話の本題は体育祭の事だったにしても軽率だった。あわよくば英が嫉妬してくれればいいと思っていたし、もしも嫉妬しないなら私が誰と何をしたって関係ないじゃん、と思ってしまったのだ。

しばらく腕を握られたまま、私たちは無言だった。顔はまっすぐ自分の膝に向けている。こんな不細工な泣き顔見られたくないから。
でもなかなか顔を上げないせいか、英は私の腕を握る力を強めた。


「好きだよ」
「……」
「おい」
「はっ、はい」
「ちゃんと好きだから」


そして手を離すと、引っかかれた傷をさらりと撫でて、私の頭のてっぺんに英の手が乗った。うわあ、この重み、いつぶりだろうか。ぐしゃぐしゃっと、シャンプーする時みたいな強さで頭を撫でられるのは。


「もう馬鹿みたいな事しないで」


呆れたような英の声に、私も「はい」と答えるしかない。
結局英は言葉足らずなだけで、私をちゃんと好きで居てくれてるという事だ。少し口が悪いっていうのもあるけど、ムードが崩れるのでこれは次の機会に言う事とする。


「あと、佐藤に言っといて。次なんかあったらぶん殴るって」
「え!?…つ、次でいいの?今回は…」
「今回は俺も悪かったから」


それに、英が自分の罪を認める事なんてそうそう無い。私の崩れた髪を整えながら、ばつが悪そうに謝ったのだ。普段あんな様子の英が謝罪してくるので、私も昨日の考えなしの行動について改めてお詫びした。


「ごめんね…」
「もううるさいから謝るのやめて」


せっかく謝ってみたのに、もうこれ以上は要らないらしい。
それなら今日はもう少し甘えてみてもいいかなあとゆっくり英の制服に手を伸ばすと、黙って私の頭をわしゃわしゃ撫でられて、また髪の毛がぐしゃぐしゃになってしまった。

どうせ意地っ張りのふたり