03


本当はスイスから帰ってくるときに親から出された条件は、都内屈指の名門へ編入する事だった。


それを押し切って、逆らって、とにかく別のどの高校でもいいからと入ったのが音駒高等学校。

選んだ理由は適当だった。

家から遠すぎず、近すぎず。また習っていたバレエ教室からは反対方向である事も、少しのプラス要素のひとつだった。

そこで10ヶ月ほど、残りの高校生活を送る。自分の知らない人がいる場所で、親の監視からも逃れられる場所で、親の思い通りではない場所で。





隣の席になった夜久くんは、何かと気にかけてくれるようになった。
最初は少し話しにくい人かと思ったけれどバレーボールに熱中していて、全国大会に行くのだと意気込んでいる。

そしてなかなか自分から周りに溶け込めない私を自然と輪の中に入れてくれたり、ものすごく気遣ってくれている…気がする。

自意識過剰かもしれない。

だって私は初めて会った日の部活で、あろう事か彼を好きになってしまったんだから。


「白石さん?」
「はっ、はい」
「あのさ英語で分からないところがあって…」


授業の合間に、私は現代文や古典を、夜久くんは英語を互いに質問しあう仲となった。

なぜかと言うと私は日本から離れていた間、英語を共通言語として使用していたからだ。
そしてもちろん日本語の授業など無かったので、高校3年生の現代文や古典にはなかなかついて行けなかった。


「キミたちほんとに仲良いねー」


黒尾くんも話しかけてくれるようになり、嬉しい反面もう少し夜久くんと二人で話したいなと思う事もあった。そんな事考えてたら失礼だけど…

でも夜久くんのいつも生気のこもった鋭い目つきとか、眠いのを一生懸命起きようと拳で頭をコンコンするところとか、机の横にかけた大きな鞄からバレー部のジャージが覗いているところも、全部魅力的だと思うようになった。


「仲が良いっていうか勉強してるだけで」
「え、俺も教えてー英語ワカンネ」
「駄目!どけ!あっち行け」
「あ?やっくんヒドくない?」
「うるせー俺は静かに勉強したいの!」


夜久くんが、黒尾くんには到底及ばない短い手をぶんぶん振って追い払っているのが微笑ましい。

それと同時に、私と二人で勉強したいと考えてくれているのかな?という自惚れが。


「あーくそっ、どこまで進んだか忘れた」
「ここだよ、この行」
「どれ…」


一冊の教科書の長い文章を、同時に指でたどっていく。と、互いの指が触れてしまった。


「ご!こめ、」


慌てて手を引くと夜久くんが顔を上げ、丸い瞳でこちらを見た。


「何で引っ込めんの?」


何でと言われても私はすでに夜久くんに心奪われていて、その相手と手が触れるなんて心臓に悪い。

それなのに夜久くんは訝しげに様子を伺ってくるので、それもまた心臓に悪い。そんな目で見られたら私の気持ちを見透かされそうで。


「白石さんて、すごい色々考えてるよな」
「そうかな…」
「めちゃくちゃアンテナ張ってる。あっちこっちにね」
「…そう、かなあ」
「でも俺にはやめて」
「え?」
「俺は何も考えてないから。白石さんの嫌がるような事は」


その言葉の意味は理解できなかった。

しかし夜久くんも夜久くんで私にアンテナを向け、私が新しい環境に慣れづらい事や、こんな変なタイミングで転校してきたのを気にしている事を、なんとなく悟られているのでは無いかと感じた。


「ありが…」
「それより次の問題教えてくんない?」


私のお礼を遮るように夜久くんが言った。
彼を見ると、「礼なんか言われる事じゃ無い」といった顔で夜久くんもこっちを見た。

目が合った。
そして、同時に逸らした。





「すみれちゃん!みんなでミスド寄って行こうって話してるんだけどどう?」


そんな私にもクラスに女友達ができた。
学校帰りにどこかに誘われることは中学の時もあったけれど、毎回必ず断っていた。なぜなら無理やり詰め込まれた予定があったから。


「…行ってもいいの?」
「誘ってるんだから当たり前ジャン!」
「高校最後の年だもんねー交流しとかなきゃね」


その彼女たちは眩しいくらいきらきら光っていて、寄り道なんて自分の経験に無かった私はついて行けるかどうか不安だった。
でも、そういう線を無視して誘ってくれる事に感謝と喜びを覚えたのも事実。

私は「ふつうの女の子」として「ふつうの高校生活」を送れている。自分の好きなように、好きな場所で、好きな人たちと。


「ていうか夜久が面倒見よくてビビったよ」


ドーナツを食べながら女の子のひとりが言った。続いて口元をザラメで少し汚している子も同意する。


「ツンケンしてるもんねー小さいのに威圧感あんの」
「いや私達よりは大きいから!」
「あ、そーだったわ」


ふたりの女子はあでやかに笑った。


「すみれちゃん夜久と仲良いよね?」
「えー…勉強教え合ってるてるだけかな」
「夜久がー!?」
「惚れてんじゃないの?」


女の子ってどうしてこういう事には目ざといのだろう。私がすでに彼のことを好きだと勘付かれているなんて。


「…確かに夜久くんて素敵だよね」


でも認めるのも恥ずかしくて、ひとまずこう答えると女子たちはぱたりと笑うのをやめた。


「……すみれちゃん夜久が好きなの?」
「え?」
「夜久がすみれちゃんに惚れてんのかなとは思ったけど」
「えっ!?」


なんという事だ、私の気持ちを勘付いているのではなく夜久くんの事を言っていたらしい。

いや、それよりも夜久くんが私に惚れているなんてそんなことはあり得ない。
偶然隣の席になり、私が彼に「転校生の世話」という面倒をかけているんだから。


「…夜久くんが?無いよ」
「あるよ。あるね。女の私から見てもすみれちゃんは白くてカワイくて良い子。しかも帰国子女というハイステータス」
「はは…」


そうか。

そういえば、私が帰国子女でなく英語の出来ない普通の転校生だったなら、夜久くんは私に話しかけてなど来ないだろう。


「…英語の勉強したいだけだと思うよ」


だから必要以上に思い上がらないように期待しないようにと、自分に言い聞かせるように言った。





英語の授業は毎日行われる。

私にとっては苦では無いけれど、横では夜久くんがいつも頭を抱えていた。
バレー部のレギュラーであるとはいえ彼は高校3年生。どうしても「勉強」というものを無視することは出来ない状況なのだった。


昼休み、最近は夜久くんと勉強するのが日課になっていたけれど昨日の話を思い出すとなかなか声をかけられない。

帰国子女であることが、私の付加価値。
そうでなければ夜久くんが私と同じ机で同じ科目を勉強するなどあり得ない。


「白石さん、あのさ」
「ごめん!先生に呼ばれてるの」
「え?あ、そうなんだ」


だから、いつものように夜久くんがせっかく話しかけてくれたのを逃げるように教室から出てしまった。

英語ができることは確かに良いことだ。でも、それしか私と彼を繋ぐものが無いのだろうか?

私が帰国子女だから、転校生だから、普通と違うから構ってくれるだけなのか?

と言うことは、親の言うとおりにしていなければ私には何の価値も無かったということ。


こんな考え、馬鹿げているのは分かってる。冷静になればすぐに分かる。
でも私の中の負の感情に夜久くんはすぐに気づく。そこを指摘されたら私はうまく答えられない。何故だか彼は、私のことを鋭く察してしまうのだから。

気持ちの整理ができるまで、または夜久くんへの想いが無くなるまで、二人きりになりたくない。
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