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杉本さんと話しているところを赤葦さんに見られた。
あれから杉本さんは色々な事を察して謝ってくれたけど、何も言わずに去ってしまった赤葦さんの事を考えると笑顔では返事できなかった。きっと誤解をされたと思う。赤葦さんは私が仕事を頑張っていると思っていただろうに、他の男性と一緒に居たんだもん。

もちろん赤葦さんから携帯電話への連絡は無く、それどころか本当にうちの会社へも来なくなってしまった。
社内システムで山田部長のスケジュールを覗いてみても、それらしき予定は入っていない。私が居るビルになんか近づきたくないんだろう。たぶん幻滅されたし、最悪の場合、嫌われちゃったんだ。


「どうしたの?暗いね?」


受付で働く最後の日、里香さんはやっぱり私の様子に気付いて声をかけてくれた。あーあ、仕事でも負担をかけるのに日常生活の悩みなんか話して困らせたくない。けど。


「…ちょっと良いですか」
「え。泣きそうじゃん」
「やばいっす…」


聞きなれた先輩の声を聞くと安心感のせいか、ここ最近我慢していた色んなものが溢れてきた。
ほんとうは泣きたい。赤葦さんの意味の分からない言動だって問いただしたい。「どういうつもりだ!」って胸ぐらを掴みたい。引かれるかもしれないけど。

「飲みに行こう!」という里香さんの誘いに勢いよく頷いて、私たちは駅近くの個室居酒屋へと入った。





「…あのイケメン!名刺なんか渡してきてたんだ」
「しー!しーっ」


最初の一杯を飲んだ瞬間から「で?で?」と興味津々な里香さんに赤葦さんとの出会いを話すと、里香さんは目玉をとても大きく開いた。
目玉だけなら良いんだけど、いくら個室とはいえ外に声が漏れたら大変だ。同じお店に会社の人が居たら、この話を聞いて誰かに告げ口されてしまうかもしれない。小声でそれを伝えると、里香さんは少し声のトーンを落とした。


「凄いねえ…あの人、大人しい顔してなかなか…」
「…でもそれが今じゃ、全部おしまいですよ」


赤葦さんとは仕事終わりにご飯に行ったり、休みの日にお茶したり、とてもいい関係を築いていた。これからもっと楽しいことが起こるのかなと思っていた。仕事は忙しくなったけど応援してくれていたし。


「良い雰囲気だったのに私が秘書課で忙しくなって、で…会ったり連絡する頻度が減っちゃって」
「すれ違いになったんだ」
「ハイ」
「でもさあ、まだ1カ月経つか経たないかだよ。そのくらい辛抱できない男ってどうなの」
「うう…」


ぐさりと言ってのける里香さんの言葉が気持ちよくもあり、複雑でもあり。
赤葦さんが単に私を突然突き放してきたなら、それはそれで良いのだ。いや良くないけど。私と離れているあいだに他に好きな人が出来たとか、もしかしたらそういう事だってあるだろう。でも。


「…たぶん、それだけじゃないんです」
「なに?」


私は言葉に詰まってしまった。杉本さんのことを言うべきかどうか。でも赤葦さんの話だって言ってしまったんだし、もう隠さなくてもいいか。今私、お酒飲んじゃってるし。お酒のせいだ。


「最近ですね、社内の人に言い寄られてて」
「えっ誰!?」
「企画部の杉本さんって知ってますか」
「杉本…?あー、わりと好青年な」
「はい」


杉本さんは里香さんのお眼鏡にかなうほどの好青年である。私みたいな社員に声をかけてくれるのは、本来なら有難い話だ。


「その、言い寄られちゃってるところを赤葦さんに何度か見られてしまって」


そういった瞬間、里香さんはなんとも言えない顔をした。眉を寄せて、辛いのを我慢するような。痛みに耐えるような。そして一言こう言った。


「…それは辛い。」
「ですよね」
「どっちも辛いな」
「でしょ」


私はもちろんとても辛い。他の男性に言い寄られているところを好きな人に見られるなんて。
そして、赤葦さんも良い気分じゃないに決まってる。私は「仕事が忙しい」という理由で会うのを控えているのに、他の男性と一緒に居る私を見てしまったんだから。


「もう連絡も来ないし…私から連絡なんてとてもじゃないけど無理です」


だからもう赤葦さんとの事は、彼の言うとおり終わりにするのが一番いいんだ。杉本さん以外の良い人をゆっくり見つければいい。と、無理やり決意を固めようとしていたのに里香さんは不服そうだ。


「でも白石さん、そのアカアシさんが好きなんでしょ?」


里香さんはそう言うと、ビールジョッキをぐいっと飲み干した。
私は赤葦さんが好き。そのとおりだ。受付の仕事を楽しいなと思わせてくれた人。誰にでもできる仕事じゃないよと言ってくれた人。そして新しい事に挑戦すべきだと力をくれた人。


「…すきです。」
「好き!って思える男なんて、意外と現れないよ」
「はい…」
「私も今の彼氏と付き合うまで、全然彼氏いなかったし…」


ふう、と椅子の背にもたれながら里香さんが言った。


「せっかく相手も自分を好きなんだから、納得いくまで気持ち伝えないと損じゃないかなあ」


とても美しい意見だなあと思う。それに、もしそれが出来るなら一番いいと私も思う。納得いくまで気持ちを伝えるのは難しい。怖いし勇気が必要だ。
それにまずは、気持ちを言わせてもらうチャンスを与えてもらわなければならない。


「…けど、赤葦さんはたぶん…私の事はもう嫌いになっちゃってると」
「いやいや無いよ!それは無い」
「え」
「嫌いじゃないよ。アカアシさんも今の白石さんみたいに悩んでるんだよ」


赤葦さんも悩んでる。そんな姿、想像出来ない。でもあんなに完璧に見える人だって仕事に自信を無くして緊張して悩んでいたと聞く。今も悩んでくれているのかな、私のことで?


「…だと良いですけど」
「すぐは無理かも知れないけどさ、週明けにでも連絡してみたら。案外すぐに返事きたりして」
「はは…」


里香さんは居酒屋のドリンクメニューを私にすすめた。今日はとことん話を聞くぞ!って意味だと思う。「私が出すから」という言葉に甘えてあと何杯か飲ませてもらい、その後は他愛ない話をして過ごしたのだった。


「なんか元気でました。ありがとうございました」
「こちらこそ。長らく一緒に働いてくれてありがとう」
「辞めるわけじゃないんですから…」
「寂しいんだもん」


道端でぎゅううと女同士特有の強めのハグをしてもらい、里香さんは私から離れた。


「頑張ってね」
「…ハイ。」
「私も頑張って寿退社する」
「あ、仕事じゃなくて恋愛のほうですか」
「どっちも!!」


そして、別々の駅へ向かうため里香さんとは駅前ロータリーで別れることになった。
今日話ができて良かったなあ。里香さんも今の彼氏さんと上手くいって結婚できますように。

私は今もらった勇気を持って、週が明けたら赤葦さんに連絡してみようかな。…なんて連絡したらいいんだろう。


「はー……」


それはその時考えたらいいか、今日は金曜日。明日と明後日は久しぶりにまるまる休みを取ることが出来る。最近は土日も半日だけ出社したり勉強したりして忙しかったから、心と体を休めるのに丁度いいかもしれない。
そんなことを考えながら駅ビルに入ろうとした時、目の前にひらりと何かが落ちた。


「……ん?」


見たところ男性もののハンカチだ。私の足元近くに落ちてきたので拾おうかな、と屈み込もうとした時。先に誰かの手がそれを拾った。
あ、と思ってその手のひら、腕、肩、首すべてを辿って見ていくと現れた顔は私のとっても好きな人。


「…赤葦さん?」
「白石さん…」


時間が止まるってこの事だ。赤葦さんが突然目の前に現れて、手を伸ばせば届く距離のところで私を見下ろしていた。

テンポ・ディ・ワルツの夢めぐり