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ふつうに学校に通い、ふつうに友達と接し、たまに寄り道して帰り、時には休日に遊びにいく。

そのふつうの事をあまり経験した事がない。

願ってもいないのに私の家はお金持ちで、父母はどちらも当然のように容姿端麗、小さな頃から習い事ばかり。
ピアノに書道に水泳に英会話は当たり前、他の習い事よりは順調だったバレエのために親のすすめでスイスの高校に留学。

でもそのレベルの高さについて行けなくて、途中で帰ってきた私が転入したのが音駒高等学校だった。


「帰国子女だって。カッコイイ」


帰国子女がカッコイイと思われるのは、なんとなく分かる。
私も中学生まではずっと日本に居たのでそのへんの感覚は理解ができた。でも、いざそのコソコソ話の対象が自分になると居心地が悪い。それが悪口では無かったとしても。


こんな時は聞こえないふりをするべきなのか悩んでいると、隣の席になった男の子が話しかけてきた。


「名前は?」


声の主を見ると、意志の強そうなくりっとした吊り目が特徴的な子が座っていた。名前、さっきの自己紹介で名乗ったんだけどな。


「…白石です」
「俺、夜久衛輔」
「よろしく…」
「こういう時ってフルネームで名乗るもんじゃない?」
「え、えーと」


なんだか、初対面なのにえらい食いついてくる人の隣になってしまった。
仕方がないので「白石すみれです」と言い直すと、「そう。」と言って夜久くんは前を向いてしまった。

いきなり変な人に嫌われたかもしれない。どうせ好かれても、友達になんかなれないんだろうけど。
私は中学までずっと学校と習い事と家を行き来するばかりで、学校にいる間も習い事の課題なんかをやっていた。

今となってはそれらに追われる事も無くなったけど、スイスにいて、突然日本に帰ってきて友達なんか簡単にできるはずもなく。


「スイスって寒いの?」
「…え、いや…時期によるかな…」
「ハイジみたいな感じの場所あるの?」
「んーと、昔ながらの街並みも残ってるよ」
「スイスの学校どうだった?」


海外しかもスイスなどという割と珍しい地域からの帰国子女という事で、私はいろいろなクラスメートから質問責めにあっていた。

ちやほやされていると考えれば喜べるのだろうけどあいにく私は、単に帰国してきた訳ではない。周りのレベルについて行けずに逃げてしまったのだ。


「楽しかったよ」


苦し紛れに出た言葉は全くの嘘だった。





「コンニチハー。黒尾です」


そしてまたクラスメートが一人声をかけてきた。
次はどんな質問を投げられるのかと思ったら、どうやら私の隣の子に用事があるらしくすぐに夜久くんへと猫なで声を発した。


「やっくん宿題見ーせーて」
「ふざけんな」
「真面目です」
「転校初日に日本の恥を晒すんじゃねー」
「あら。こんなの日本だけ?」


黒尾くんは不思議そうにこちらを見てきた。この人身長が高いなあ、運動部だろうか。


「私の行ってたところは、みんな結構真面目だったから…」
「マジメそーだもんネ」
「お前はもうちょいしっかりしろよ」


私は真面目なわけではない。
逆らう勇気を持たないだけで、親の言うまま周りの言うままにやって来たのだ。

そのレールから初めて外れて訪れたのが音駒高等学校。ここで無くても良かった。都内随一の名門校に入るので無いならどこでも良かったんだけど。


「次、移動教室。」


突然、夜久くんの声が聞こえた。
はっとして顔を上げるとクラスの半数はすでに教室内におらず、がやがやと移動を始めている。


「生物の教科書と、あとなんか筆記用具あったらいいと思う」


次の授業って何だろう。
どこに移動するんだろ。
何が必要なんだろ。

これら全て口から発すれば良いだけなのになんだか勇気が出なくて聞けないのを読み取ったかのように夜久くんは言った。
驚いて「ありがとう」とだけ返事して、机の中から生物の教科書を探しているとさらに一言。


「遅れるから早くして」


なんと私を移動先まで案内してくれるつもりだったのだ。


「一応隣の席だから」と謎の念を押して、夜久くんは1日目に色々と世話をしてくれた。

ほかのクラスメートも沢山助けてくれたし、私の音駒での学校生活は今のところ「ふつうに順調」に始めることが出来たのかもしれない。





最後のホームルームが終わり、これから生徒たちは部活をしたり帰宅をしたり、または少しお喋りをする。

私は習い事…は全て辞めたので何もない。帰っても両親は帰宅が遅いか出張で居ないだろう。
でも教室を出る以外の選択肢は無いので、鞄に色々詰め込んでいると。


「夜久ー行くぞー」


今朝、夜久くんに宿題を見せてくれと言っていた彼がやって来た。
いけない、名前を忘れてしまった。でも私に話しかけてるわけじゃないのでそのまま帰ろうと、鞄を閉じる。


「そういや白石サンは、」


それなのに突然私に私を振ってきた。


「部活とか入る予定ある?」
「いや…特には…」
「俺たち3年だぞ?今から部活なんか入るやつ居ねえよ」
「まあまあ。何かスポーツとか経験あったり〜興味あったりしない?」


スポーツ…何だろう。
走るのは速くないし球技は下手くそ、唯一あるのはバランス感覚。体の柔らかさ。

でも、そんなの「一般的に考えるとすごい」ってだけでレベルの高い人の中では劣る。スポーツとは言えないけれど体を動かして表現するのは好き、それは何かというと、


「…バレエかな」
「「バレーーーー!?」」


初めてこの二人が声を揃えて叫んだ。続いて口をぱくぱくさせながら顔を見合わせている。何かおかしい事言った??


「黒尾。おい黒尾!」
「ホラね聞いてみるモンじゃん?」
「あのー、何か…」
「俺たちバレー部なんだ」
「バレエ部!?」


そんな部活あるの?日本の男子にここまで人気だったろうか?いや女子ですらダンス部ならまだしも、学校の部活でバレエなんて聞いた事がない。

それにこんなに背の高くガタイの良い男の子が優雅に踊れるのだろうか?


「め…珍しいね…」
「そおかな?良かったら見学どうですかー」
「え、いや…でも…女子もいるの?」
「いない」
「いないの!?」


まさかのモンテカルロバレエ団方式なのか。そんなに真剣な人たちならば逃げてきた私が見学に行くなんておこがましい。


「うわ、早く行かなきゃ。ほらほらちょっと見てくれるだけで良いから、楽しいからネー」
「誘拐かよ」
「うっせーよ夜久!さあ行こう」
「ええっ」


流されるままに、というか私の鞄を大きなほうの男の子(やっぱり名前が出てこない)に持たれてしまったので、仕方なくついて行く事にした。
どうせ帰っても何も無いし、少しだけ覗いていくなら、いいかも知れない。





そこは大きな体育館。

中からは大きな声と、ばしんばしんとボールが叩きつけられる音、シューズと床の擦れる音が響く空間。

あれ、バレエシューズは?バーレッスンはどこで?という私の疑問はすぐに吹っ飛んだ。

ここは、バレーボール部なのだ。


「ハイハイ皆ー今日は特別ゲストだよん」
「うおお女子じゃないスかあぁぁ!」
「うるさい奴は接近禁止ねー」
「…誰その子。」


この、男子バレーボール部の面子の中で唯一波長が合うかもしれない男の子が呆れたように言った。


「転校生の白石さんです。あわよくばマネージャーにと思い連れてまいりました」
「マジすかキャプテエエェェェン!」
「いやそれ、聞いてないです…」
「まあ座って座って」


こっそりと黙って帰る勇気などなく、私は用意された椅子に座ってバレーボール部の見学をする事になってしまった。


30分後、部活内での試合が始まるらしく2チームに分かれ始める。すると、夜久くんがコートの脇にやって来た。


「…夜久くんは出ないの?」
「あ、俺はリベロだから」
「リベロ…だから…出ない…の?」
「……?出るけど…」
「…………」
「…………」


リベロって何?出るの?出てないのに、出るの?頭がこんがらがってきた。どうしよう。
夜久くんは私をバレー経験者だと思っている。言わないと、バレエと勘違いしてましたって。言わなきゃ。


「やく、」
「リエーーーフ!!ブロックん時目ぇ瞑るんじゃねえ!ボール追わなきゃ意味ねーだろ!」
「!?」


突然怒鳴り声を上げた夜久くんに驚いて思わず飛び跳ねた。


「あ、ごめん」
「いや、あの、いや、」
「白石さんはポジションどこだったの?」
「えっ…と」


バレーボールってポジションとかある、の?野球みたいに分かりやすく配置されてないし、コートの中で皆んなが入り乱れてるのにポジションとか決まってる…の?

大変だ。夜久くんは怒ったら相当怖そうだ、嘘をついたと思われたらどうしよう。


「白石さん、」
「夜久!」


私が困惑していると、背の高い彼が指で「交代」の合図をしていた。それを見ると夜久くんが立ち上がる。

コートに入ろうと足を踏み出そうとした時、彼は振り返って言った。


「見てて」


笑顔でも無い。
怒ってもいない。
かといって無表情でも無い。

大きな猫目の中に静かな闘志と決意を秘めて、夜久くんがコートに向かって歩き始めた。


ほんの下らない勘違いが私をここに連れてきただけだと言うのに。

バレーボールのコートに向かう背中に恋をした瞬間だった。
その背中にアンテナ