「……っくしょい!」


ぶるぶるっ、と身体を震わせる事の多いこの季節。先ほどの盛大なくしゃみは恥ずかしながらわたしのものである。体育館から少し離れた倉庫にて、ひとりで作業をしているのを良い事に気持ちよくくしゃみをしてしまった。

街中がイルミネーションで彩られるこの時期も、わたしたちにとっては関係ない。
約1か月後にはバレー部が東京の体育館で試合を行う、そこでわたしもチアリーディング部として応援するのだ。今年の春ごろに初めて見た、憧れの先輩が立つ最後の舞台で。

…なんて事を考えながら、練習で使用するポンポンなんかを運び出す作業を行っている。練習の用意は当番制になっていて、今日はわたしの番なのだ。
本当はもう一人居るんだけどクラスの用事で遅れてしまうらしい。ちょっと寒いし大変だけど、北先輩の晴れ舞台を応援する練習ならばなんの事はない。

わたしの憧れは三年生の北信介、先輩。バレーボール部の主将である。
去年はあまり試合に出ていなかったのか、わたしは彼の存在を知らなかった。ところが今年の春、初めて北先輩をコートの中に発見したのだ。その時からわたしは彼の虜で、チアの練習に今まで以上に精が出ている。おかげで「白石、最近頑張ってるな」と自分の評価も高まって一石二鳥。北先輩を応援しているご利益かもしれない。


「…先輩、試合でてくれるかなあ…」
「お疲れさん」
「はい、お疲れ様で…でっ!?」


危うく持ったものを落っことしそうになった。北先輩が倉庫の入口に立っていたのだ!


「きっ!?北、せん」
「なに?」


涼しい顔をして入ってくる北先輩。ああ、さっきのわたしの言葉、聞こえてしまっていただろうか?かろうじて名前は口にしなかったはずだから大丈夫だと思いたい。
先輩も倉庫の中に何かを取りに来たらしく、わたしの立っている付近をきょろきょろ見渡している。やばい、わたし邪魔だ。


「す、すみません!どけます!すぐどけますんで!」
「いや大丈夫、急いでないし」
「いや…」
「それ出すん?」
「え」


先輩がそれ、と言ったのは練習用のポンポンを詰めた箱である。
ありがたい事に北先輩とは体育館で何度か挨拶をし、わたしがチアリーディング部に属しているのを知っているのだ。
そして、体操服に書かれた苗字のおかげでわたしの苗字も覚えてくれている。元々物覚えが良くて律儀な人なのだろうけど、初めて「白石さん」と呼ばれた時には嬉しかったっけ。


「だ、大丈夫ですから!自分で出しますから」
「ええって。下がって」


決してわたしに触れようとはしないものの、先輩は手のひらをわたしに向けて下がるように言った。動きのひとつひとつが丁寧で、意味を感じさせる、奥ゆかしさがある。
彼の言葉に甘えて一歩下がると、北先輩が倉庫の隅に置かれた箱を持ち上げて入口まで出してくれた。


「…すみません…」
「人に何かしてもらった時はアリガトウやろ」
「あ、ありがとうございます」
「おう」


箱を地面に置いてからぱんぱんと手をはらう先輩を見て、やっぱり手を汚してしまって申し訳ないなあと感じる。
でも謝ってしまうとまた「アリガトウやろ」と言われるかも知れないので、聞こえないようにゴメワナサイ、と呟いた。


「白石さん、風邪っぴき?」


と、北先輩は唐突に言った。わたし、風邪っぽい仕草なんてしていただろうか。


「さっきめっちゃデカイくしゃみしてたやん」
「うっ!?聞こえてました…?」
「ばっちり」


ばっちりですか。誰も居ないと思って思い切りしてしまったのに最悪だ。よりにもよって好きな人に聞かれてしまうなんて。


「…すみません…お恥ずかしいところを…」
「ええやん別にくしゃみくらい」
「ええ事ありません…」


こいつ女のくせにすげえくしゃみしてやがる、と思われたに違いない。大和撫子っぽい人が好きそうだもんな。どうにかして名誉挽回できないかと考えていた時、北先輩はもう一度倉庫の中に戻った。


「もう何も用事ないか?」
「あ、あと…バトンを5本」
「へえ、またバトンやってくれんの」
「そりゃもう、バレー部の応援は出来る事ぜーんぶやりますもん」
「へー」


稲荷崎のバレー部はこの辺りでは有名な、超がつくほどの強豪だ。全国出場は常連で、県内外から練習試合の申し出も後を絶たないと聞く。
そんなバレー部の試合にはブラスバンド部とチアリーディング部が駆り出され、彼らの気持ちを盛り上げるのが仕事だ。


「白石さん今回もバトンすんの?」
「い、一応」
「へー、楽しみやなあ」


はた、と動きが止まる。北先輩が今、楽しみだと言ったような気がする。確かに言った。


「…楽しみって…?」
「うん。白石さん、俺と話す時いっつも怖がってるやんか」
「怖がってるわけじゃ…」


怖いわけではない。緊張しているのだ。先述のとおり強豪の中の強豪であるバレー部の、主将という立場である北先輩はとても凄い人なのだ。そんな人に話しかけられて、まして手を煩わせてしまったんだから。
極めつけは、わたしがこの人に片想いをしているという事。そんなの緊張してうまく喋れないに決まってる。顔なんか超引きつってるはずだ。


「けど応援してる時は、いっつも楽しそうやんか?」


北先輩は、まとめて保管してある練習用のバトンを1本ずつ取り出しながら言った。ひとつの作業をこなしているだけの彼なのに、重大な台詞をさらりと言い放たれてわたしの思考が止まってしまう。

わたしは確かに二階席からメンバーを応援するのは楽しいし、なにより誇らしい。必ず勝ってくれるのだから、その素晴らしいパフォーマンスで。
それよりも北先輩は、二階で応援している時のわたしを知っているのか。見られてる?いつ?いっつもって、いつ?


「こないだバトン落っことして慌ててんの、傑作やったわあ」


一気に顔が赤くなるのを感じた。先月応援に行ったとき、立ち位置を間違えてしまい慌てて戻ったはいいものの、その動揺が抜けきらずにバトンを取り落としてしまったのだ。


「…見てたんですか!」
「うん」
「何で…あん時わたし、隅っこやったのに」


そう、隅っこだった。しかも試合開始前の合わせの時だったから、あまり見られてないと思ったのに。


「白石さんの位置はいっつも把握済みやねんで、俺」


なのに、さらっと、5本目のバトンを取り出しながら北先輩は言う。単なる世間話でもしているかのように、なにも特別なことなんて無いかのように。


「……それって…なんで」
「何でやろなあ。はいこれ」


こんこん、と5本のバトンを揃えると、北先輩はそれらをわたしに手渡した。わたしはバトンを(せっかく揃えてもらったのに悪いなあと思いながらも)ポンポンの箱に入れて持ち運びやすくする。


「あとこれも」
「え」
「くしゃみ、また出るかも知らんやろ」


北先輩が続けて何かを出したので顔を上げると、先輩の手にはポケットティッシュが持たれていた。

ああ、さきほどわたしが放ってしまった男性顔負けの立派なくしゃみ。そういえばあれを聞かれていたんだった。ほんの少し心が熱くなったところだったのに、一気に冷やりと背筋が凍る。
が、北先輩はわたしのくしゃみの音声なんてあまり気にしていないのか、ポケットティッシュを「ほら」ともう一度差し出した。


「そんな寒そなカッコせんほうがええんちゃうか?」
「え…」


受け取りながら自分の身体を見下ろすと、確かに12月に相応しい服装ではない。これから屋内で練習なのであまり厚着をして来なかったのだ。
そして、わたしは黒く短いスパッツの上に、やはり練習用の短いスカートを履いていた。


「あー…これですか」
「長ズボン履いたらええやん、風邪ひいても文句言われへんでそれ」
「まあ、そうなんですけどね…」


先輩の言うことはもっともだ。北先輩はいつだって間違った事を言いはしない。しかし先輩が「それ」と言ったこの服装、実は仕方なくこのような格好をしているのであった。


「脚のラインちゃんと見えるほうが、動きやらポーズ揃ってるか分かりやすいんで…寒いんでヒイヒイ言って頑張ってますよー」


チアリーディングはたったひとりが完璧な動きを見せても意味がなく、全員揃って初めて美しく見えるのだ。上げる脚の角度は低くても、ぴったり揃えば見栄えする。なんてことないポーズでも、全員ぴたりとタイミングが合うと決まって見える。ので、みんな難しい振り付けは苦手だけれども寒さに耐えつつ練習している。

…という理由を上記のように手短に伝えたところ、北先輩はじっとわたしを見下ろしたまま黙り込んでしまった。


「………北先輩?」


なにか悪いことでも言ったかなと首を傾げると、先輩は首を振った。続けて顔の前で手を振った。その手を彼自身の頭に乗せて、ぐしゃぐしゃとかき始めたではないか?


「ほんま申し訳ない」
「へっ?」
「俺、しょうもない小言言うてもうたわ」
「小言?」


小言を言われた覚えはない。しかし北先輩は青汁でも飲まされたかのような渋い顔だ。…彼にとって青汁は好物かもしれないけど。
とにかく何やら苦しそうにしているので、どうしはったんですか、と聞くと先輩はやっと頭から手を離した。


「あかんねん俺、ついつい自分が正しいと思ってしまうねんけど」
「……?」
「ちゃんと理由があってんな、それ」


二度目の「それ」はわたしの脚から目が背けられていた。女の子の脚を見ることに抵抗があったのではなく、「自分たちの応援練習をするために曝された脚」だから見ないようにしたのかも知れない。


「そ…そんなん謝らんでええです」
「や、すまん」


ぺこりと綺麗な形の頭が下げられた。わたしは2年生だし北先輩は3年生だしバレー部主将だしこんな謝罪は要らないし、慌てたわたしが「頭上げてください!」と言うとようやく身体を起こしてくれた。いまだ後悔している顔で。この人、真面目すぎて人生を損してしまうんじゃないだろうか。そんなところも、もちろん魅力なのだが。

それから本来彼が倉庫に来た目的であるボールの空気入れを抱えたところで、やっと倉庫のドアが閉められた。今から練習に向かうようだ。


「じゃあ、頑張ってください」
「おう。白石さんも」
「…はい、あ…あの」


このまま北先輩をさっさと練習に戻してあげなければならない。分かっているけど引き留めてしまった理由はついさっき、わたしの立ち位置をいつも把握してる、と言われたのが気になるから。でも、あれはどういう意味ですか、と聞く勇気はない。


「わたし、あの…次、応援するの…いっちゃん前なんで」
「最前列?」
「はい、バトン使うんで…えーと…5人だけ、最前列です」


そうだ、北先輩を応援するために張り切ったお陰でバトントワリングをするたった5人のメンバーに選ばれた。
それもこれも先輩のため。近くで応援したい、目立ちたい、わたしのことを見て欲しい、そのためだ。でも彼はすでにわたしの事を見ていた、らしい。


「ほんなら次も見とくわな」


だってほら「次も」って言いながら、先輩が優しく笑ったんだもん。嬉しくて「はい」と答える声が上ずってしまい、北先輩はまた笑った。

やっぱりわたし、この人のためにもっと練習しようっと。面と向かっては緊張してしまうけど、応援中は笑顔を向けよう。楽しそうなわたしをもっともっと見てもらわなくては。

明日は燃え上がる火の中に居たい
こちらの夢は「1周年&50万打企画」として書かせて頂きました。皆様からのアンケートをもとに上位のキャラクターの夢を書く、という企画です(企画の詳細はコチラ

北信介については、いくつか頂戴したご意見を組み合わせて書かせて頂きました。
「正論パンチを食らいたい」「ラッキースケベ」「とぼけたカップル」「後輩女子とのラブコメ」などなどでした。上手く全てを入れることは出来なかったのですが…ありがとうございました♪
※試合会場の二階席でバトントワリングが出来るスペースがあるのかは謎なので、軽く流してください…。