容赦なく降り注ぐ白い雪は「ホワイトクリスマスだ」なんて浮かれる余裕もないほどの勢いで、ずぶずぶと歩くごとにわたしの足から体力と熱を奪ってゆく。
このような日には家でゆっくりしているのが一番いいというのに。既に冬休みに入っているにも関わらず学校になんか来なくてもいいのに。わざわざクリスマスに予定を合わせて落ち合う恋人なんて存在しないというのに。

足がすっぽ抜けてしまいそうなほど、雪はわたしのブーツを固定してなかなか離さない。学校にたどり着くまでもう少し時間がかかりそうだ。あの人はまだ身体を動かしているだろうか。燃えるような眼差しで、飛び交うボールを追いかけながら。





「すてきでした」


あの時わたしは彼の事を「すてき」、それ以外の言葉で表現できなくて、本人にそのまま言い放ってしまうという考えなしの行動に至っていた。

ひとつ上の白布先輩は、同じクラスの五色くんに誘われて観に行ったバレーボールの大会ではじめて見かけた人だ。五色くんはクラスのみんなに「絶対観に来て」と誘っていたし、そうでなくとも全国行きを決める試合とあって沢山の生徒が応援に向かった。
結果として負けてしまったその試合、もちろん誰も五色くんを責める事はなかった。わたしだってそうだ。何と声をかければいいか分からなかった。

でも同級生の彼に声をかけるのも忘れて向かった先は、ちいさな顔の面積の中に大きな目がふたつ、その目が2階から応援しているこちらをも焼き殺すような強い力を持っていた、あの人のところだ。きっと負けたばかりで一人で居たかったに違いないのに追いかけた挙句、わたしのかけた言葉は「すてきでした」たったそれだけ。


「何が?」


当然のように白布先輩は聞き返してきた。またわたしの心が焼かれた、彼の鋭い眼光で。ごくり、唾をのんでもすぐに蒸発してしまいそうなほど熱い。


「わたし、1年の白石です。五色くんと同じクラスの」
「…それで?」
「すきになってもいいですか」


その瞬間に場の空気が凍り付いたのをわたしも感じた。先輩の表情がさらに冷たくなったからだ。


「……そんな事、いま言われても困るんだけど」


じゅわじゅわ、と心の奥が焼け野原になっていくような感覚をどうして快感と捉えてしまったのか。白布先輩は首を傾げたままわたしの横を通り過ぎ、ぴんと背中の伸びた美しい姿勢を保ったまま部員のもとへと歩いて行った。

すきになってもいいですか、なんて馬鹿げた台詞をこの口が吐く日が来ようとは夢にも思わなかったのだから、どうか許してほしい。

白布先輩、ひとつ上の学年で、誇り高い紫色のユニフォームを身に纏うバレー部のひと。雪のように白い肌、氷のように冷たい声、それに似合わぬ確かな情熱を瞳に宿し、一瞬にしてわたしの心に火をつけたひと。「すてき」、それ以外の言葉でどう形容すればいいのかいまだに分からない。


「白布先輩」


ある木枯らしの日、しゃくしゃくと落ち葉を踏みながら白布先輩に声をかける。先輩はわたしのほうを振り向こうとはしないけど「なにか用」と口にした。その瞬間にはくしょん、と大きなくしゃみをしていたから、わざと振り向かないで返事をしたのかなと思わず唇をかんで笑うのを耐えた。


「風邪ですか」
「…アレルギー。」
「えっ、なんの」
「なんだと思う?」
「……葉っぱ?」


いま思えば「お前だよ」と言われても仕方がなかったこの場面、白布先輩は「葉っぱ」と答えたわたしを鼻で笑うと、もう一度「なんの用」と聞いてきた。


「えっと…用は無いんですけど」


用はない。しいて言うなら白布先輩に会う、という事がわたしの用事であった。
先輩はわたしに用事なんて無い事を察していたらしく、あっそう、と吐き捨てた。だからと言ってその場を離れようとはしない、わたしを帰らそうともしない、一定の距離を保ったまま。


「今日は寒いですね」


わたしの心は灼熱地獄だけれども。というのは声に出さないようにして彼を見ると、先輩はちいさく頷いたように見えた。「寒い」という感覚を共有できただけで舞い上がりそうなほどに嬉しい。


「いまは休憩中ですか?」
「…待ち合わせ」
「え、ごめんなさい…」
「べつに」


こんな寒空の下で待ち合わせって誰だろう。相手のことを聞くと嫌われてしまうだろうか、ただでさえわたしを好いてくれているとは思えないのに。女性だったらどうしよう。そういえば白布先輩には彼女が居るのかどうかを知らない。

そのように考えているところへ、わたし以外の別の足でしゃくしゃくと落ち葉を踏んでいく音が聞こえて来た。


「お待たせー、…あれ」


振りむけば白布先輩と同じコートに立っていた背の高い人がいて、片手を上げて挨拶をした。先輩もそれに対して首を縦に振るのみの挨拶を返す。
背の高いその人はわたしのことを不思議そうに見下ろしたあと、白布先輩へと向き直った。


「…邪魔?」
「全然。行くぞ」
「お、おう」
「あ…あの!白布先輩」


ふたつの背中に声をかけると、彼らはわたしの方を振り向いた。


「今月ずっと、練習ですか?冬休みも」


背の高いほう、確か川西先輩という人が白布先輩をちらりと見やる。白布先輩も一瞬だけ目を合わせたけど、答えてはくれずに大きな溜息をついた。


「…五色に聞けばいいだろ」
「でも」
「聞いてやれば?」


川西先輩が言った。白布先輩はちょっとだけ彼を睨んだように見えたが、川西先輩が「先行ってる」と片手を挙げたことで観念したようだ。わたしにも首だけで会釈をしてくれて、ぺこりと会釈を返すと、川西先輩は歩いてきたほうへと戻って行った。
その川西先輩が声の届かないあたりまで進んだころに、白布先輩は再び溜息混じりに言った。


「…大晦日まで練習だよ。ずっと」
「大晦日まで…」
「それが?」


なぜわたしがそんな質問をしたのか、彼は見当もつかないのだろうか。または、予想はついていても分からないふりをしているのか。


「クリスマス、会えませんか」


どちらにしてもわたしの言葉は変わらない。12月25日、一年に一度の特別な日に好きな人と会いたい。わたしの頭は小さなころに読みふけった少女漫画で汚染されていた。
たいていの少女漫画の中では、相手の男性はうんと頷いてハッピーエンド。しかし目の前に居るのは難攻不落の白布賢二郎だった、わたしの質問にはもちろん頷くことはなく、苦々しい目でこう言った。


「……俺、大晦日までずっと練習だって言ったばっかりだよな?」
「そ…それは分かってます、わたし学校まで来ますから」
「そういう意味じゃ…」
「プレゼントさせてください」


何をあげるかなんて考えていないけど。白布先輩の好きなもの、または苦手なものが何なのかなんて知らないけれども。どうしてもその日に会って、少しだけでも一緒に居たい。
わたしは瞬きも忘れて白布先輩の、今は少し落ち着いている瞳を見上げた。


「…はあ。勝手にすれば」


呆れたように言い放った白布先輩の吐く息は白く、冬の訪れを感じさせる。すっかり枝から落ち切った落ち葉をしゃく、と踏んで、白布先輩はわたしに背を向け歩き始めた。

こうしてわたしは、かなり無理やりではあるけれど、なんとか好きな人と会う約束にこぎつけたのだった。「約束」とは言えないかも知れない。正しくは、会うために学校へ押しかけても良いという許可を得ただけの事だったが。





そして半月ほど経過した今、何度も足をとられながらやっとの思いで学校に到着した。バス停から学校に着くまでの間に雪が弱くなってきた。帰りには止んでくれるだろうか。

バレー部が練習している体育館がどこにあるのか、それはすでに調査済みであった。五色くんが教えてくれたというのもあるけど、先輩のことを好きになったあの日、すぐに調べたのだ。
彼の言う通り今日も体育館からはボールの弾む音、部員たちの声が聞こえてくる。今もこうして練習しているのだ。世の中が陽気な雰囲気に包まれているクリスマスに、あの人たちは。

そういえば練習が何時から何時まで行われるのか聞いていなくて、時計を見るとお昼の3時。夕方までずっと練習なのだとしたらあと数時間は待っておかなくてはいけない。
ちゃんと考えておけばよかったな、と後悔するのはもう遅い。なるべく体育館の音を聞きながら座れる場所がないか探すため、周りを歩いてみる事にした。


「…凍っちゃったかな」


ざく、と雪を踏みながら気にするのは持ってきたお菓子だ。白布先輩が甘いもの好きかどうかリサーチするのを忘れていたけど、手作りではなくて市販の物ならきっと食べてくれるだろう。
そう思ってデパートに売っている、ちょっぴり豪華なお菓子を買ってきたのである。へんなものを渡すよりは、こうして食べて消費できるもののほうが重荷ではないだろうし。

でもこの気温だし雪が降っていたし、かちこちに凍っていたりして。
ふと心配になり袋の中をのぞいてみると、それが間違いだった。転ばないように気を付けていた足元から気を逸らしてしまい、ずるんと滑ってしまったのだ。


「わあ」


べしゃ、漫画のような効果音があたりに響く。幸い降り積もった雪がクッションになり、軽く尻餅をつくだけで済んだ。
けれど自分のお尻がこれ以上割れてしまうことよりも心配なのは、今朝買ってきたクッキーの事だ。慌てて袋の中身を覗いてみると、箱がぐにゃりと曲がっている。


「やば、」
「…なにしてんの」


雪の上に座ったままのわたしに向けて、明らかに変人扱いをするような声。その声だけで誰なのか分かった。気付けば白布先輩がすぐそばでわたしを見下ろしていた。


「しらっ…」
「ん」


目の前に白くて、形のきれいな手のひらが現れる。いくつかの指にテーピングの巻かれた白布先輩の手だ。


「……え」
「早く」


もう一度わたしの顔に向けてずいっと手を突き出され、初めてその意図に気付いた。地面について雪だらけになった手を急いで払い、白布先輩の手に乗せる。…あたたかい。こんなにも寒い場所に居て、こんなにも白い手なのに。


「ありがとうございます」


先輩は軽々とわたしを起き上がらせた。いくらバレー部のなかでは小柄といえど、白布先輩は決して背は低くないし力も弱くない。わたしからすれば立派な男性だ。
立ち上がってお尻の雪を手で払うわたしを見ながら、白布先輩は肩を落とした。


「ほんとに来たのかよ。暇なやつ」
「だってプレゼント……あ!?」


プレゼントを渡しに来たんですから、と言おうとして思い出した。箱がひしゃげてしまったクッキーのことを。
雪の上にぽつんと置かれた袋(しかし、やはり形は歪んでいる)を拾ってもう一度中を覗いてみると、やっぱり箱の形は崩れてラッピングのリボンもおかしな事になっていた。


「ほんとに持ってきたんだ」


白布先輩は袋の中を覗き込むわたしを見て言った。


「……はい、でも…中ぼろぼろになっちゃったかも」
「ふーん…」


彼特有の、あまり感情の乗っていない声。白布先輩はわたしのことを馬鹿みたいに思っているか、その逆だったとしても、もうこんなもの渡せないな。
なんとも惨めな気持ちになりながらクッキーを鞄に突っ込もうとした時、白布先輩が言った。


「ちょっとそこで待ってろ」
「えっ?」
「動くな。ついて来るな」
「は、はい」


ぴしゃりと言い放たれてしまい、思わず直立不動になる。わたしが動かないのを確認すると、白布先輩は踵を返してどこかに行ってしまった。

ざく、ざく、と雪を踏む音が遠くになり、いったいどこへ行ったのだろうと首を傾げる。いくら首をひねっても答えは出ないなあ、と最終的に視線を落とした先では無残なクッキーがわたしの手に。


「…やっぱり割れてるな…」


恐る恐る箱を開けてみると、いくつかのクッキーのうち半分くらいは割れていた。いいやつだったのに、さくさくのを選んだから割れやすかったのかも知れない。仕方がないから自分で食べよう。


「白石さん」
「!」


やがて白布先輩が戻ってきたらしく、足音とともに声が聞こえてきた。慌ててクッキーの箱を閉めて振り返ると、白い息を吐く先輩の姿が。


「あ、せんぱ…」
「ん」


そして、さっき起こしてくれた時みたいにずいっと手を突き出された。先ほどと違うのは、彼の手にもわたしと同じような紙袋が持たれているということ。


「……?」
「呆けてんなよ、早く」
「こ、これは…?」


わたしの予想が正しければ、わたしが自信過剰でないのなら、これは白布先輩からわたしへの贈り物。けれどにわかに信じられなくて受け取れずにいると、先輩は痺れを切らしてわたしの胸元に押し付けた。


「プレゼント渡すって予告されてんのに、ただ貰うだけなんて良くないだろ」
「わたしにですか…?」
「お前以外に誰が居るんだよ、今の流れで」


そこでやっと、わたし宛で間違いないのだと確信した。好きだった白布先輩からのクリスマスプレゼント。袋には有名なお菓子屋さんのロゴが描かれていて、これをわたしのために選んでくれたのかと思うと夢のようだ。


「……ありがとうございます…」
「ん」


袋の持ち手を受け取るとき、少しだけ白布先輩の手が触れた。さっきよりもあたたかい。ああこれ、大事にしなくては。中身の箱も破れないように開けて、袋はしわにならないように仕舞っておいて…。


「そっちは?」
「え?」
「それ俺のじゃないの」


受け取ったものを感慨深く眺めていると、白布先輩が言った。
先輩はわたしが彼に渡す予定だったクッキーの袋を見ている。でもこれはわたしが転んでしまった時に、お尻で半分潰してしまったものだ。


「これは…やっぱり割れてたんで…出直してきます」
「いい。そのままで」
「でも」
「食ったら一緒だろ」
「……」


白布先輩の強い口調に負けてしまい、わかりました、と袋を差し出す。
先輩は「ありがと」と受け取って中を覗き込んだ。あまり見ないでもらいたい、せっかく買ってきたものを転んで台無しにするなんて。ただでさえ先輩は一方的なわたしに呆れ返っているだろうに、そのわたしから渡されたプレゼントが砕けたクッキーだとは。

先輩はどの程度崩れているのかが気になるらしく、中の箱を開けて見ているようだった。がさ、と中を漁る音が聞こえる。それと同時に白布先輩が吹き出した。


「すっげえぼろぼろ」


先輩の肩が小さく揺れている。笑ってる。ぼろぼろのクッキーがツボに嵌ってしまったらしい。どんな所に笑いのスイッチが付いているんだ、と思ったけれど、それよりも。それよりも、だ。


「…白布せんぱい」
「何?」
「あの、いま…」


笑いましたよね、とても自然に。とそのまま続けたかったんだけど、白布先輩の表情はすぐにいつもの冷めたような顔に戻ってしまった。


「…何?」


いつもの顔、いつもの冷たい声。彼の笑顔に見とれてしまった事など口にしたらもっと声が低くなりそうだ。


「なんでも、ないです」
「なんだそれ」
「わたしの中だけに仕舞っておきます」
「気持ち悪い」


どちらにしても白布先輩からあたたかい言葉が降ってくることは無かったが、そんな対応をされてもなおわたしの心は燃えるように熱くなった。

プレゼントを渡すという目的を果たしたわたしには、これ以上の用はない。興味本位に運動部の練習を見学する事は禁止されているので、体育館への立ち入りも出来ない。
先輩はもう行かなくてはならないはずだ、体育館からはまだ練習の音が聞こえている。いったい何人の部員達がクリスマスを犠牲にしているのだろう。


「クリスマスですよ、今日は」
「言われなくても知ってる」
「…会ってくれてありがとうございました」
「お前が押しかけてきたんだろ」
「そうですけど…」


わたしが勝手に押しかけてきたという解釈は正しい。今日もし、わたしが来なかったとしても白布先輩には何の影響も無い。けれど先輩が渡してくれたこのお菓子は、恐らくわたしのために用意されたもの。


「…来ると思って、これ準備してくれてたんですか」


そうだとしたら、夢みたい。
でも白布先輩は乙女心に配慮した言動などしない人だった。わたしの問いには頷きもせず、首を振ることもなく無言であった。
「無言」である事こそが彼の答えなのかも知れないが、それを正しい意味で理解するのは難しい。だってどうしても、自分に都合よく考えてしまうのだ。


「…もう戻るから」


しばらく間を置いてやっと喋ってくれた白布先輩の口から、真っ白な息が漏れた。


「白石さんももう帰れよ」
「わかりました」
「で、このこと三学期になっても五色に言うんじゃねえぞ」


きっとクリスマス、わざわざこうして女の子に何かをあげた事なんて誰にも知られたくないのだろう。白布先輩がそういう人だろうな、というのはよく分かっているので「分かってます」と笑い返すと、先輩はまた長く、白い息を吐いた。
透き通った肌、薄い唇から吐き出されるその息は氷の魔法でも使っているような美しさだ。それなのに今、白布先輩の瞳は先程よりも温かく染まっているかに見えた。


「先輩、メリークリスマス」


帰り際に声をかけると白布先輩はちらりと、本当にちらりとだけわたしを見て、かすかに頷いた。

「メリークリスマス」と同じ台詞が返ってくることは無い。それを期待もしていなかったけど、今日はクリスマスで、あなたに特別な想いを持って会いに来たということを最後に伝えるための言葉であった。先輩がそれに対して頷いてくれただけでも充分だ。それだけで充分幸せだったのに。


「滑んなよ。足」


わたしの足元を指さして、白布先輩は色素の薄い髪をさらりとなびかせ、体育館へと歩いていった。

ざく、ざく、と白布先輩の足が雪を踏んでいく音がする。いつの間にか雪は止み、雲のあいだからあたたかな太陽の光が差し込んでいた。来る時はとても寒かったのに、身体の内側からじわじわと熱がこみ上げてくる。
今から夜をともに過ごす恋人たちは、残念ながら舞い散る雪の中ロマンチックなデートが出来ないかもしれない。わたしと白布先輩、たったふたりの熱だけで、冬の寒さを吹き飛ばしてしまったのだ。

ブリリアント・ジュール
こちらの夢は白鳥沢の面々の「クリスマス」をテーマとして書かせていただきました。
odetteのララさん「瀬見英太×先輩×恋人×プレゼントをもらう」
suiのioさん「川西太一×同級生×両片想い×プレゼントをわたす」
わたしは「白布賢二郎×後輩×片想い×プレゼント交換」という設定で書いています。