朝、朝食もそこそこに家を飛び出して向かうは学校の体育館。

勉強が学生の本分だと言うけれど俺にとって勉強はオマケみたいなもの、むしろ無くてもいいもので、メインディッシュだけを楽しむために毎朝早起きしている。

そして、シューズと床の擦れる気持ちの良い音で耳が刺激されるとやっと目が覚める。ああ、今日もボールに触れるのだ!


「げっ!影山早えなぁクソ」
「フツーだろゲホッうぇ」
「バテバテじゃん」


もはや回数も忘れた日向との勝負。
…勝負の種類は様々で、テストの点数や朝練のスタート時刻、ダッシュ本数に反復横跳びの回数、時には購入したおにぎりのサイズまで競う事がある。


「おはよう」


そして、マネージャーとして入ってきた白石すみれへの挨拶の早さもだ。


「白石さんおはよっす!」
「…はよ」
「んん?元気が無いねえ影山クン」
「うっせ日向ウルセーボケ」


今のは絶対に俺のほうが早かった、日向の無駄に大きな声が目立っていただけで。その証拠に、「おはよう」と返した挨拶に先に彼女から笑顔を向けられたのは俺だ。


「朝から元気だね二人とも」
「俺のが元気だよ、チャリぶっ飛ばしてっから」
「40分くらいだっけ」
「ふふふ、それを30分で来てるのだよ」
「信号無視で轢かれろ」
「影山クン!」
「じゃあ朝練も頑張ってね〜」
「「あ」」


白石さんは華麗にマネージャー業務へと戻っていった。

もう少し話したかったんだけどなかなか話題なんて見つからないし、日向という邪魔者が居てはゆっくり会話ができない。

そして日向の一番の問題は、白石さんの事が好きとかそういう感情を持っていない事だ。


「白石さんも朝早いのにスゲエよな〜」
「……」
「んじゃ練習しよーぜ!」
「言われなくても」


ただのマネージャーへの挨拶、対応ですら意味も無く張り合ってしまうお陰で、素直に白石さんに好意を表せない自分が情けないなと思う。

けど、そうしたってバレーが上手くなるわけじゃ無い。逆に嫌われたりして、それを俺が気にしてしまってプレーに影響が出ては元も子もない。

こういうのは表に出さず仕舞っておこう。向こうだってたくさんの部員の世話をしなきゃならないのに、一人の部員に構っていられないはずだ。


そんな事を考えていたら案の定、朝練はあまり身のある結果とはならなかった。

昨日少し遅くまで起きていたっていうのも原因かもしれない。勉強は嫌いだが、さすがに宿題を全部無視するわけにはいかなかったから。


「大丈夫??」


すると朝練終わりの移動中、白石さんに話しかけられたでは無いか!しかも、大丈夫?って何かを心配するように。


「…えっ、何が?」
「いや、なんか、調子悪そうカナ?って思って」
「……俺が?」
「うん…あれ…勘違いだったかなゴメン」


やべ、緊張して気の利いた返事ができないせいで白石さんが慌て始めた。
ほんとうは嬉しいくせに素直に「気にしてくれてありがとう」と言えないクソヤロー(あ、自分だ)に腹がたつ。


「じゃあまた」


そう言って5組の白石さんは教室のほうへと走っていった。
こんな時「また放課後に!」と返したいのにそれも出来なくて、無言で頷くだけで終わってしまった。





そして放課後、いつものように日向とともにジャージに着替える早さから何から全てを競い合い、体育館でストレッチを始める。先輩たちもやって来た。

白石さんは俺や日向がいつも通りストレッチをする姿を少し眺めていた(ような気がする)


合間合間に水分補給をしていると、なんという事だろう、白石さんがこちらに向かってくるではないか。
何か愛想よく喋らないと、愛想よく、明るく元気よく。


「おつっおっお疲れ」
「お疲れさま!」


カミカミなのが聞こえてないのか、聞こえなかったフリなのか、白石さんがにっこり笑って言った。

まずは第一関門「自分から話しかける」をクリア。次はプラスアルファの会話だ。


「白石さんあの」
「あーー!白石さんナニソレ美味しそうなの!」
「あ、日向くんお疲れー」
「………」


自分の中では絶好のタイミングだったというのにクソボケ日向が突っ込んできて、会話が途切れた。まあ大して会話してないけど。


「これお母さんに教えてもらって作ったんだあ」
「なになに?レモンだ」
「白石さん気が効くね〜はちみつレモンは疲労回復に良いんだよね」
「皆さんどうぞー」


なんだこれ。なんだこれ?

ついさっきまで二人きりで、というか俺が一人でいるところに白石さんが来てくれたのにいつの間にか先輩も含め人だかりができてしまった。

みんなに配ろうとしていたんだろうけど、そんなの持ってきてくれてるなら、他の誰よりも先に貰いたかったのに畜生め。幸い、一番に食べたのが日向ではなく菅原さんだったから良いものの。


「すっぱ!甘!うめ!影山いらねえの?」


このクソ無神経ヤローにすすめられて食べるなんてまっぴらゴメンだ!


「…いらね」


本当はめちゃくちゃ食べたい食い散らかしたい完食したいけど。ついつい意地になって拒否の言葉を発したその時、白石さんと目があった。


「…ごめん、苦手だった?」


そして彼女は残念そうに笑った。…最悪だ。





その後の部活はなんだか集中できなくて、サーブはミスるしスパイクも決まらないし、朝と同様あまり有意義とは言えなかった。

こうして貴重な1日を無駄にした。自分のくだらない意地、しかもバレーに関係のない意地のせいで。

終わってから帰るまで、白石さんと顔を合わせる事もなかった。…これはこれで有難いかもしれない。
だって、どう喋っていいか分からないし、下手したらさっきのは、彼女をひどく傷つけたかも知れないんだから。


「…走ろ」


練習に身が入らない事は、過去にもあった。
でも毎晩一人で行うロードワークだけは安定して、ウォークマンで洋楽とかを流しながら決まったルートを走る。

ちなみに洋楽を聞いても歌詞とかは特に聞き取れない。ちょっと格好いいから洋楽にしているだけだ。


折り返し地点を過ぎたころ、白い影が見えた。人だ。…まあそんなに遅い時間じゃないから誰かとすれ違う事くらいあるのだが、なんとその人物は白石さんだったのだ。
思わずスピードを落とす。


「あ…」


すると向こうも気づいたようで立ち止まった。俺も、落としたスピードを完全に止めてしばらく無言が続いた。

白石さんが何かを言おうと口を動かしている。あれ?聞こえない。やべ、ウォークマンしたままだった。


「…っていうか、こんな時間まで走ってるんだ」


セーフ、最初の言葉はあまり重要ではなかったようだ。


「…うん、まあ」
「すごいね」
「べつに毎日やってる事だから」


どうしてこんなに刺々しい事を言ってしまうんだ?「そんな事ないよ、白石さんこそこんな時間にどうしたの」と、どうして言えないんだ?


「…今日はごめんね」
「え…」
「わざとじゃないから」
「何が」
「あの、酸っぱいの苦手なんて知らなかったから」


ああ喉から手が出るほどに欲しかったはちみつレモン。全然苦手じゃないっつーか例え苦手だったとしても白石さんが作ったものなら食べたかった。


「…苦手じゃない」
「え、そうなの?でも今日」
「あれは日向が…」


そこで、ふと口をつぐんだ。
こういう時、日向を言い訳に使うのはどうなんだろう。あまりにも男らしくないじゃないか。


「…ごめん。好き」
「すっ!?」
「いやっあのレモンがレモンがだよ」
「ああ…あはは」


白石さんの事も好きだけど…ってこんなついでみたいに告白すんの最悪だし、もっとべつの機会に言うべきだ。
俺は耐えた。勢い余って告白しないように。


「ほんとに好き?」
「………」


影山飛雄、高校一年男子。

いまのところ人生のほとんどをバレーに捧げているため恋愛経験など無し。

身長差20センチの女の子に夜、二人きりで見上げられながら「好き?」と聞かれた経験、無し。

そしてそれに対し、好きだと答えた経験…もちろん無し。


「……好き」
「ほんと!じゃあまた作る」
「…うす」


今の、好きとかなんとかのやり取りはもちろんはちみつレモンの話なんだけど。主語が無いだけでこんなに緊張してしまうとは。


「よかったあ嫌われたかと思ってた」
「…え、なんで」
「朝からちょっと…素っ気ないかなって…あっいや勝手に私が勘違いしてたんだけどね!」


いや、それは俺がもともと「無愛想」を絵に描いたような顔をしているせいだ。

そんな俺が「愛嬌」を絵に描いたような彼女に惚れている。はたから見れば笑えるだろう。

でもどうしようもないんだ、眩しい笑顔を向けられるときゅううと胸が締め付けられて素直に会話ができないんだ。中学生かよ!数ヶ月前まで中学生だったけども!


「じゃあ明日作っていく」
「…おお」
「ナイショだからね」
「うん…?なんで?」
「明日は影山くんのだけ」
「…………」


飛雄、喋れ。はやく!次の言葉を!

でもそんなのは無理な話だった。おそらく俺の顔は夜の闇の中でも分かるほど真っ赤だったけど、同じように目の前には頬が赤く染まった女の子が立っているんだから。

熱い。顔が。身体が。
それ以降お互い何も喋らず、そのまま無言で会釈して、別れた。


今夜はもう一周走ることにする。
きっと疲れるけど、明日は白石さんの手作りはちみつレモンを食べられるんだ。悪くない。悪くないぞ。
甘酸っぱさの正体は