03


オフィスレディのアフターファイブや週末が華やかなものだなんて一概には言えない。
私のように予定も無く録りためたドラマを見たり、やる事が無さ過ぎて自炊にハマった挙句、外出しなくなってしまう女子も少なくないはず。デートに誘われるなんてもってのほか、同僚からの誘いも無い。

だから今日も家でぐうたらしようかと思っていたけれど、お気に入りのマフラーが街中でなにかに引っかかって穴が開いてしまったのだ。そのままほつれて駄目になってしまったので、泣く泣くゴミに出した。
これからどんどん寒くなるのでマフラーが無いのは辛い、と言うわけで今日は新しいマフラーを買いにお出掛けする事にしたのである。もちろん一人ですけど。

仕事に行く時はヒールを履いたり、わりとかっちりした服装だけれども休日はどちらかと言うとカジュアルな服が多い。と言うより、きれい目な服を着て一緒に出掛けるような人が存在しない。
いつかそういう人が現れたらお洒落なデート服を買いたいけど、今はその兆しが無いので貯金に回っている。いいもん、お金は裏切らないから。今日はちょっと良いマフラーを買ってやろう。

街中へ出るついでに、自分へのご褒美と言う事で良いランチでも食べようかと携帯電話で周辺のお店を検索する。オープンカフェとか寒いだろうか。でも最近流行りのお洒落な料理写真が撮れるかもしれない。まあ見せる人居ないんだけどさ。

だんだんネガティブになってきたので適当に歩いて探そうかと歩き始めた時、数歩先で誰かがこちらを見ているのに気づいた。


「……あ」
「あ、やっぱり」


やっぱり、と口にしたその人は…ええと…赤葦さんだ!最近うちの会社に出入りしていた赤葦さん。彼も土日は休みなのか今日はスーツでは無く私服姿だ。


「こんにちは」
「あ…こんにちは」
「じろじろ見ちゃってすみません。なんか似てるなあと思って」
「い、いえ」


じろじろ見られていたのか、ひとりランチのお店を検索する姿を。ビュッフェかハンバーグかパスタか悩んだ結果、行き当たりばったりの場所にしようと決意した場面を。恥ずかしい。


「今日お休みなんですね」
「はい。あー…赤葦さんも?」
「カレンダー通りの休みです」
「へえ…」


と、言いながら私は赤葦さんの私服姿を眺めていた。会社に居る時は私も7センチのヒールを履いていたけど今日はフラットシューズなので、いつもより身長差を感じるのだ。この人意外と背が高かったらしい。普段スーツを着ている人の初めての私服、ってちょっと新鮮だ。


「あ、ごめんなさい。引き止めちゃいましたね」
「いや…」


赤葦さんは謝ってくれたけど、引き止められたって特に困らない。だって誰とも約束していないし、このまま夜まで喋っていたとしてもお腹がすくだけで他には何も支障がないのだ。あ、赤葦さんには支障があるだろうけど。


「…赤葦さんは、今からどこか行かれるんですか?」
「どこかに行くっていうか…まあ…そうですね、ちょっと」


言葉を濁している。もしかして彼女とデートだろうか。だとしたらまずい、こんなところで独り身の女につき合わせる訳にはいかない。スーツもお洒落に着こなしていたし、私服だって清潔でシンプルだ。きっと彼女はモデルさんみたいな人に違いない。


「えっと、それじゃ私は」
「あの、今って時間あります?」
「え」


思いもよらない質問に間抜けな声が出た。本当に私に向かって言ったのかな?と周りを見ても他には誰もいないので、私への質問で間違いない。
赤葦さんはそんな私の様子にはあまり構わずに言葉を続けた。


「待ち合わせしてる人が、電車が遅延してるらしくって…30分くらい」
「……はい…?」
「よかったら少し付き合ってもらえませんか」


普段仕事でしか接していない、しかも他の会社の社員さん。そんな人から時間潰しに付き合ってくれとはいったいどう言う事だ。彼の時間が空いてしまったタイミングに偶然私が通りがかったからなのか。それとも私だから?いやいや何を都合のいいことを。


「…あ、すみません…ご予定ありましたか?」


またもや私は一人で勝手に想像を巡らせていて、赤葦さんの声で我に返った。
断る理由は特にない。断ってしまうと今後、気まずいかも知れない。それに、これからも赤葦さんがうちの会社に来るのなら、仲良くなっておくほうが都合がいいかも。
昼ごはんは後でも良いかなという結論に至ったので、少しだけ彼の時間潰しに付き合う事にした。





「なんかすみません」
「いや、僕のほうが付き合ってもらってるんで」


出会ってすぐの場所にあった喫茶店に入り少し話をする事になったのだが、赤葦さんがお金を出してくれた。一応断ったけど「誘ったの僕ですから」と制されてしまったのだ。

もしかしたら待ち合わせの相手が通りがかるかも、との事で外が見える窓際の席に座った。さりげなく私を奥側に進ませて座らせてくれるあたり、女性慣れしているのかな?と感じる。


「…勤めて長いですか?」


あまり親しくない男性と二人きりになるのは大学の時以来なので、話題に困っていると赤葦さんから話を振ってくれた。


「会社にですか?」
「はい」
「全然…新卒で入って、今は2年目ですかね」
「あ、若いんですね」
「はは…」


やはり赤葦さんのほうが年上のようだ。落ち着いているし、身長のせいで大人びて見える。私だって立派な大人のはずなんだけどなあ。


「赤葦さんは、どうなんです?」
「俺は5年目ですけど…まあ、やっと慣れてきたって感じで」
「あ、一人称オレなんですね」
「あっ、やべ」
「いやいいですよ、今は仕事じゃないですもん」


はじめは「僕」だった一人称は「俺」に変わっていた。今日は休日だしお互いに私服だから気が抜けたのかもしれない。私もそのほうが緊張せずに済むので有難い。


「5年目でも慣れないもんなんですねえ…」
「そうですね。やっと仕事任せて貰えるようになった程度です」
「へえー」


こんな人でも新入社員の時代があったんだなあ、当たり前だけど。
でも5年間働いて、まだ若いのに独りで他の会社に営業とか打ち合わせに来たりするなんて、きっと会社から信頼されているに違いない。ばりばりに仕事をこなすサラリーマンだ。私もこんな感じで、色んな仕事を任される人間になりたいなあ。


「…なんか、いいなあ…」
「何がですか?」
「あ、いやっ」


願望が口に出てしまったらしく、赤葦さんがきょとんとした様子で顔を上げた。
違う会社のしかも異性の人に向かって「いいなあ」なんて、変な女だと思われたらどうしよう。しかし赤葦さんは私が話すのを待っているのかじっとこちらを見たままだ。

仕方なく「赤葦さんのように仕事をこなすのが羨ましい」のは内緒にして、自分の事だけ話すことにした。


「…私っていっつもあそこに座ってるでしょ。でも受付嬢って誰でも出来るじゃないですか」
「そうですか?立派な仕事だと思いますけど」
「またまた」


分かっているのだ、これが単なるうわべだと言うことは。「社交辞令」というものが世の中には溢れかえっていることを、入社してからの1年半で嫌という程思い知った。
けれど、私が苦笑いで返したにも関わらず、赤葦さんは特に笑顔を見せない。いたって真面目にこう答えた。


「少なくとも俺があそこに座るよりは、断然いいと思いますよ」
「なんですかそれ」
「ああいうのは女性のほうが華やかでしょ」
「…あー」


私のことを励まそうとしているのか本当にそう思っているのか、全く分からないけど「こういう考え方もあるのかな」と感じてしまった。私の様子を見て表情をあまり変えないので、もしかしたら本音なのかも知れない。

プライベートの時間なのになんだか仕事の話ばっかりしてるなあ、と思い始めた頃にメッセージの通知音が鳴った。赤葦さんの携帯電話だ。


「…あ、そろそろ着きそうみたいです」
「あ、ほんとですか」
「はい」


どうやら遅延していた電車は無事に到着したらしい。もう待ち合わせの相手は電車を降りて、こちらに向かっているとの事だった。


「すみません、無理やり付き合わせちゃいました」
「いや、そんな…なんか新鮮で楽しかったです、はは」
「俺もです」
「…へ」


その時赤葦さんが今日初めてちょっとだけ笑った、ような気がした。いつも会社で見せるものとは少し違う、くだけた感じの笑顔…というのは都合よく捉えすぎだろうか?


「あの、今更なんですけどお名前聞いてもいいですか?」
「えっ?」


更には私の名前を聞かれてしまった。もしかして赤葦さん、私と仲良くなりたいとか、そんな感じの事を考えている?
どうしよう。同じ会社内でも男性からの誘いなんか受けたことがないのに、取引のある他社の人と。


「な、名前…私のですか?」
「はい。また会社にお邪魔する予定なので」
「ああ…」


私の妄想はあっけなく崩れた。当たり前か、受付でまた顔を合わせるんだから名前くらい知っていたって損は無い。社会人としてのお付き合いのために、私の名前が必要なのだ。この人は会社関係の人なんだから、気を引き締めろすみれ!


「白石といいます」
「白石さん。わかりました、またよろしくお願いします」
「こちらこそ…」


喫茶店の前で互いに軽く頭を下げて、赤葦さんは待ち合わせの目印にしているという看板の下へ歩いていった。

赤葦さん、遠くから見てもやっぱり背が高いな。今日は会社で話した時よりも声のトーンが高かった気がする。休みだからリラックスしていたのかな?

それにしても「待ち合わせまでの時間を一緒に」なんて、普通有り得ることだろうか。まさか私に近付いて、うちの会社の情報を抜き取ろうと思っていたり?そうだとしたらなんてやつだ!絶対にその手には乗りませんからね。
…そこで私のお腹がぐううと鳴ったので、くだらない妄想はお開きになった。

テンポ・ディ・ワルツの夢めぐり