20春の香りはまだまだ感じられないが、正真正銘の春を実感させられるこの季節。学校の寮から3年生は姿を消して、談話室が空いているのがとてつもなく寂しい。校舎内の食堂だって席を取るのが容易だ。
3月上旬、無事に全員進路の決まった先輩たちは白鳥沢学園を卒業していった。
「ひさしぶりだな、二人で出かけるの」
ずず、と鼻をすすりながら隣を歩くのは同級生の川西太一。去年の今頃も同じようにずるずる言っていたのできっと花粉症にでもなったのだろう。
彼の言う通り俺と太一が二人っきりで出かけるのはとても久しぶりの事だった。最近じゃお互いに恋人が居るので、時間が空けばそっちと一緒に過ごしていたのだ。それが何故今は女子を従えずに駅まで繰り出しているのかと言うと、理由はたったひとつ。
「俺、バレンタインに本命貰ったの初めてなんだよね実は」
太一は目の前に並べられたいくつものお菓子を眺めながら、顎に手を当てて悩んでいた。いよいよホワイトデーがやってきたのだ。
残念ながら大層なものを作る技術や場所も無く、遠くに特別なものを買い出しに行く余裕は持ち合わせていない。だからこうして一番近くの大きな駅へとやって来た。高校で寮生活をしているうちはどうか我慢してほしい。
「けんじろー去年は何あげたの?」
「何だっけな…ナナコのやつすぐに全部食べ切ったから覚えてない」
「まじかよ」
「まあ甘いもんが無難だよな」
無難というのは女子の好みとしても、自分たちの予算から見ても、という意味だ。部活にばかり明け暮れているせいでアルバイト経験も無く、自分でお金を稼いだことは無い。したがってあまり自由に使えるお金は持ち合わせていないのである。
「白石さんは何が好きなの?」
ひと月前、やっと心を通わせることに成功した太一に質問してみる。あの時は驚いた。同じ食堂内に居たのに、知らない間に白石さんからの告白を受けていたとは。
「えっとねー、すみれちゃんは好き嫌い無し!だってさ」
「…すみれちゃんって呼んでんのかよ」
「悪い?まあ徐々に呼び捨てたいところではありますが」
互いの呼び方については二人がいいならそれでいいとは思うけど、太一の口から「すみれちゃん」なんてこれからも聞かされると思うと顔が引き攣った。ナナコの事は呼び捨てのくせに、同じ部活だから仕方ないけれども。
「で、すみれちゃんには何あげる?」
「すみれちゃんって呼ぶのやめてくれません?俺の特権だから」
「はっ、特権」
「覚えてろよコノヤロー」
と、太一は俺から目を離してホワイトデーのお返しを選び始めた。無事に上手くいっているならまぁいいか。
白石さんは太一のことを「太一くん」なんて呼んでるみたいだし、その初々しさは羨ましくもある。俺はいつどのタイミングでナナコを呼び捨てにし始めたっけな。
「…あ。」
考え事をしながらディスプレイを眺めていると、ある場所で目が止まった。俺の声に太一も反応し、屈んでいた身体を起こして「なに?」と俺の見ているものを見た。
「俺、去年こういうのあげたかも」
「ナナコに?」
「おう」
「へー、いいじゃんいいじゃん。すげえ可愛いじゃん」
太一が手に取ったのは、ありきたりだけど詰め合わせになった焼き菓子だ。賞味期限をあまり気にしなくていいし、女子の好きそうな小動物のぬいぐるみが一緒に入っている。
「俺これにしよっと」
無難だし今年もこれにしようかな、と手を伸ばしかけたが、太一が先に決定したらしく嬉嬉として言った。
「俺もそうする」
「ちょ、真似すんなよ」
「仕方ねえだろ俺もこれが良いと思ったんだから」
ぶーたれる太一を横目に、少しだけ配慮した俺は色違いのものを選んだ。どうせナナコも白石さんも俺たちが一緒に選んでいるのは予測できているだろうし、その結果同じものを買ってしまう事も容易に想像できるはず。特にナナコは。
「…賢二郎はこういうの、去年からずーっと経験してるわけね」
会計を済ませてデパートを出た時、太一はしみじみと言った。「こういうの」ってどういうのだ。
「どういう意味?」
「あのー、そのー、好きな子に何あげたら喜ぶのかなっていう幸せな悩みを…去年から経験してたんだなあと」
「……」
俺よりも10センチ以上でかい男は今や、恋する乙女も顔負けの表情だ。こんなやつが俺と親友でありチームメイトなのか。気持ち悪、と口に出すのは我慢して、最大限顔を歪めるだけに留めておく。しかし太一は自分の顔が緩みきっていることに気付いて青ざめた。
「…俺きっも」
「気付いてくれて良かった」
「教えてよ、キモイぞって」
「言ったら傷つくだろ」
どっちにしても傷つくんだよ、と太一が溜息をつく。まあさっきの顔は相当気持ち悪かったが、そこまで落胆することもない。太一には大好きな彼女ができたんだし。
「いいじゃん太一も、これからチョー幸せな事いっぱい待ってるんじゃね?」
付き合い始めは何をするのも幸せだった。今だって幸せだけど、一度訪れた場所も彼女と一緒なら違う風景に見えたりとか、「そんなわけ無いだろ」と鼻で笑っていた事が現実になるのだ。太一も今後それを実感していくんだろうな、幸せ者め。
「…そうかなあ」
「すみれちゃんと一緒なら何だって楽しいだろ」
「だからすみれちゃん呼ばわりやめろって」
「ナナコの事もナナコちゃんって呼ばせてやるから」
「いらねっつの」
「あ、ちょっと待って」
どうでもいい会話をしながら歩いていると、ポケットの中で携帯電話が震えた。待ち合わせをしていた相手からの連絡だ。
「着いたって」
「おお、ちょうどよかった」
俺たちも用事を済ませて時間を潰していたところなので、そのまま待ち合わせ場所に向かって歩き出す。太一は胸に手を当てて深呼吸をしていた。
「はあー緊張すんなあ」
「いいだろ一緒に渡すんだから」
「けど…」
「クリスマスの勢いはどこ行ったよ」
太一がこれほどまでに緊張している事から分かるとおり、今から会うのは白石さんとナナコだ。太一が白石さんと付き合い始めてから、女子二人は幸いにも話が合ったらしく親交を深めてくれた。最初は太一がナナコと仲がいいのを誤解されないために紹介したのだが、思いのほか仲良くなってくれて安心している。
「あのさあ」
ごそごそと、先ほど買った袋の中を漁りながら太一が言った。
「賢二郎、アリガト」
そして俺の前に何かを突き出してきた。どこからどう見ても俺が「なにこれ嬉しい!」と喜びそうもない女の子向けのお菓子を。
「……は?」
「これ俺から」
「いやキモッ、何」
「ホワイトデーとかそういうのじゃねえから!色々協力してくれてアリガトって意味だから!こういうのしか売ってなかったんだよ!」
どうやら俺が白石さんへのアプローチを協力した事へのお礼らしい。俺に対して変な気持ちを思っているのかと焦った。同じ寮で同じ部活なのもあり、俺たちは少しばかり仲が良すぎる気がするからだ。友だちとしては好きだから別にいいんだけど。
「ややこしいんだよ…」
「ごめんごめん。ナナコと分けて」
「さんきゅー」
太一からのものを受け取ってリュックに突っ込み(あくまで丁寧に)、再び進もうかと前を向いた時にちょうど目当ての二人が目に入った。
目印にしている時計の下に居るのは白石さんとナナコで、二人ともこちらには気付かず談笑している。今この広場で最も可愛くて魅力的な二人だよな、と考えてしまうのは仕方の無いことだ。
同じように自分の彼女の可愛さに息を呑む太一を小突き、声をかけるように促した。
「先、行けよ」
「賢二郎こそ」
「今日はお前が先だろ」
「俺は別に」
遠慮がちな太一を先に行かせるのは失敗らしい。俺もこの場で「お待たせ」なんて声をかけるのはちょっぴり照れくさいのだ。今からホワイトデーのお返しを渡すのを、二人とも分かっているんだから。
「…一緒でいいか。」
「そだな」
結局女子には見栄を張っても格好つけてもボロが出るのは分かっているので、せーので一歩を踏み出した。
去年のホワイトデーも運良く部活は夕方よりも早く終わり、俺とナナコは二人で出掛けることが出来た。太一は「いってら」と見送ってくれていたけど、なんだかちょっと悪いなあとも思ったものだ。ナナコと付き合うまでは、何かと一緒に居たのが太一だったから。
その太一にも無事に白石さん、いや、すみれちゃんという彼女が出来てめでたく一件落着だ。過去の俺のように馬鹿みたいな理由で破局しないよう、太一のこともしっかり見張っておかなくては。…というのは賢いこいつにとっては要らぬ心配だろうけど。
花と水であるように