何か不安な時、ピンチの時などに出会った・関わった異性に恋愛感情を抱いてしまうことがある。それを吊り橋効果という。洋画なんかでドンパチ闘っている最中に、なぜかいがみ合っていた男女が突然キスしちゃったりするアレもそのひとつだ。

私たちのような平凡な学生が吊り橋効果に陥る機会があるならば、体育祭とか部活とか学園祭とか、「本当に上手くいくのかな」という不安を共に乗り越えている時だろうと思う。というか、きっとそうだ。私はその餌食になってしまった、クラスメイトの菅原という人間のせいで。


「白石、服べっちょべちょ」


学園祭の準備をしている時に、けたけたと笑う声が静寂を切り裂いた。
菅原が笑いながら指さしているのは私の体操服だ。そしてそれが緑色のペンキか絵の具で「べっちょべちょ」に汚れている。集中していたから気付かなかった。


「うわー、ほんとだ」
「早く洗濯しなきゃカッピカピになるんじゃね?」
「うるさいなあ…そっち塗れたの?」


今は学園祭の演劇で使うための大道具を作っている。私も菅原も出演はしないので、役者陣が練習している最中にこうしてセットを作っているのだ。緑のペンキで草むらっぽい絵を描いていたのに、自分の体操服が草むらに負けないほど緑になっていた。気づくならもっと早く気づいて欲しい。

菅原は「ほい」と、自分の塗った「お城の壁」に使うためのセットを見せてきた。


「俺けっこう絵心あるよな?」
「自分で言うぅぅぅ?」
「ココこだわり」
「へぇぇぇ?」
「伸ばしすぎな!ココ見てココ」


やたらと頑張った箇所をアピールしてくる菅原の、示す場所には絵画が描かれていた。めちゃくちゃ細かい絵画が。ハムレットのお城の壁にかかった絵画、という設定らしい。


「…うっま」
「だろ?」
「無駄に上手いね」
「ンな事言っても無駄無駄無駄ァ!」
「うるさっ」
「王の間ってアレじゃん?立派な絵とか飾ってありそうじゃん?それをイメージしてみました」
「へえ」


なんか黙々と作業してるなあと思ったら、それを一生懸命描いていたようだ。菅原が描いた絵の目の前で、見せ場の殺人シーンが演じられるのは嬉しいだろう。私はせっせと草むらを描いているだけだが。


「まだ終わんねーの?」


自分の作業を終えた菅原が私の横に座り込んできた。この人は他人のパーソナルスペースにすっと入り込んでくるのでとても苦手で危険な存在だ。気付かれないように数センチずつ反対側に動きながら、会話を続けた。


「もうちょっとだけど…もう少し、小川のほとりの可憐な感じを出したい」
「ぶ、可憐!!」
「なぜ笑う。」
「白石の口からそんな単語が聞こえてくるなんて思わなかったわ」


失礼失礼アンド失礼、可憐じゃなくて悪かったな。確かに私は可憐じゃないけど、ガサツでも無いつもりだ。
そんな彼のことはひとまず無視して、黄色や紫の小さな花が咲いているように描き足していこうかと思っていたその時。


「俺も描いちゃお」


と、菅原がにゅっと腕を伸ばした。
恐らく普段の私なら、いや私以外の誰であっても「勝手に触るな!」と払い除ける場面である。
でもびっくりして固まってしまった。隣の彼が伸ばした腕が意外と太くて、肩の位置が高いことに気づいてしまったのだ。


「おーい」
「…え!なに」
「ここ描いていい?」


腕を伸ばしたまま菅原が言った。「描いていい?」と聞いてるくせに、もう紫の筆がべったりと付いているけど。
そんなのは問題ではない。そんな立派な腕を持っているくせに、ことりと首をかしげて私の顔を覗き込んできやがった。


「……ブリッコしないでくれますか?」
「ひどっ!?俺天然のブリッコなんだけど」
「結局ブリッコじゃん!」
「天然だからいいの。描くからなー」


どきどきを誤魔化すために菅原の仕草を指摘してみたけど、突然間近で顔を見られたもんだから気が気じゃない。
普段ふざけたりはしゃいだりする菅原だけど、顔は普通の男の子なのだから。そしてその腕は、普通の男の子よりも少しだけ鍛えられているのだ。


「できた」


器用にいくつかの花を咲かせた菅原の美的センスは、なかなかに良いものだった。素直に褒めてあげられない。すぐに「ありがとう」と言ってあげられない。ちくしょうちくしょう、吊り橋め。





菅原孝支はそれから先、特に私の近くにやってきてブリッコしてくる事は無かった。腕まくりしたその腕を見せてくる事も。
しかし菅原との会話が無い時ほど、どうしても菅原の姿を目で追ってしまうようになったのだ。ああ、吊り橋効果の餌食になってしまった。一緒にこの演劇を、草むらの絵を作り上げたことによって。


「捨てるものはあっち!残すのはこっち〜」


教室内は机をすべて端っこに寄せて、学園祭の片付けが行われていた。
あっという間に本番を迎え、気づけば全ての工程が終了していた高校生活最後の学園祭。大道具としてセットの転換に追われていたので、ハムレット本番中のこともあまり覚えていない。


「みんなー!集合写真撮ろっ!」


ある程度片付いた時に誰かが声を上げた。そう言えば準備期間中も本番前とかも、自分たちのカメラで集合写真などは撮っていなかった。高校生としてクラス一丸となって何かをするのはこれが最後だから、撮影にはクラス全員が賛成だ。


「もう少し寄ってー」


と、教壇に誰かのスマートフォンがセッティングされる。全員の場所がいい具合に納まり、実行委員の子がタイマーを「10秒後だからね!」と設定してから列の中に入ってきた。


「どんな顔しよ〜」


私の横では菅原がそんなことを言っている。30人以上写る中の1人なんだから、大して彼の顔だけを凝視する人なんか居ないだろうに。…私は見るかもしれないけど。


「白石、変顔する?」
「しない!シャッター押されちゃうから黙って」


肘でぐい、と菅原の腕を押すと「いてて」と聞こえてきた。その歪んだ顔で撮影されるがいい!
菅原の事はほっといて撮影に集中しようと前を向き直す。一番前の子が「さーん、にーい、いち!」とカウントダウンをしてたおかげで、私はタイミング良くニコリと笑うことができた。のに。


「このあと二人で撮ろっか?」
「……はっ?」


私の疑問詞と全く同じ瞬間に、設置されたスマートフォンのフラッシュが光った。


「はいオッケー!あとで皆に送るね」
「えっ、ちょ、」


私の顔は恐らく口が開く瞬間の、とっても変な顔になっているはず。そんなのが全員に回されるなんて最悪だ。


「ちょっと、あんたのせいで変顔が出回っちゃうじゃんか!」
「ごめんって!撮り直したらいいじゃん」
「撮り直すったってもう皆バラバラになっちゃってるし」
「だーかーら、二人で撮り直さね?」
「………」


菅原は悪戯っぽく笑いながらも、その声は私にしか聞こえない程度のかすれたものだった。

二人で写真を撮ろうなんて、本気だろうか?私はそりゃあ学園祭のおかけで菅原の事をちょっと気に入ってしまってるけど、もしかして菅原も吊り橋効果の影響を受けて私のことを?
そんな都合のいいことあるか、ないない。写真なんてなんの意味も持たないはずだ。

そう自分に言い聞かせて、平静を装って「別にいいけど」と返答した。頼まれたから仕方なく、といった感じで。
菅原は私のOKの返事を聞くと自分のスマートフォンを取り出して、教室の端っこでにゅっと腕を上に伸ばした。ううう、腕、太いな。たくましい。ときめいちゃうじゃんか。やっぱり菅原も私のこと、そんなふうに見てるの?

あまり浮かれた顔にはならないように心を落ち着かせて深呼吸すると「押すべ」と聞こえたので、私はうんと頷いた。


「こっちは可愛い顔して写れよぉ」
「え」


ぱしゃ、とシャッター音が鳴る。今度の私もびっくりして顔を上げてしまったので、絶対にぶれぶれの変顔だ。いやいや、それよりも。可愛い顔しろよってことは、まさかまさか。


「す、菅原いま…」
「ぬふふっ。ドキッとした?」
「ど……」


ドキッと、するに決まってる。徐々に徐々に「好きかも」と思っていた相手からそんなふうに言われるなんて。顔がみるみる赤くなっていくのを感じる。まずい、もうこんな顔見られるわけにはいかない!

幸い菅原はたった今撮った写真を画面で確認しているところだから、赤い顔を見られる心配はないのだが。写真を見ている菅原がぴくっと動いた。え、なんだ?


「ぶはは、お前顔ブレッブレ!」
「………。」


吊り橋効果、もしも本当に感じてしまっていたのなら、こいつを吊り橋から突き落とそう。

ごめんごめんと再び謝ってくる菅原を許したのは、彼の謝罪が20回を超えたあたりだった。悔しいのはそのあともう一度「撮り直そう」と言われた時に、頷いてしまった事くらいか。

キャンバスを侵色せよ
こちらの夢は「1周年&50万打企画」、として書かせて頂きました。皆様からのアンケートをもとに上位のキャラクターの夢を書く、という企画です(企画の詳細はコチラ

菅原孝支くんについて、「文化祭のあとの記念撮影/今度は二人で撮ろう、と耳打ち」という設定を使用させて頂きました。
他にもリクエストのあった菅原くんのシチュエーションは「同じバイト先、帰りに送ってもらう」「手作りのお弁当でお花見」「一泊二日の温泉旅行」「ひとつのマフラーを二人で使う」「片想いから両想いへ」「一緒に雨宿り」などなどでした!ありがとうございました♪