秋晴れの空が清々しい、と言うにはもう辛くなってきたこの季節。
制服のブレザーだけでは物足りず、セーターを着こまなければ寒くて外出もままならない。スカートだけは中途半端な長さだと不格好になってしまうので、歯を食いしばりながら丈を短くしているのである。

そうまでしてわざわざ自分の通っていない学校までやって来たのには理由がある。しかも放課後の貴重な時間を使ってまで、と言う事はさぞかし大事な用事だと思われるだろう。大事な用事と言えば大事な用事、なのだが。

青道高校のグラウンドは非常に広く、何度か来た事がある私でも迷ってしまうほど。そもそも生徒数が多いので敷地そのものが広大で迷路のようだ。
しかしご親切に「グラウンド」と書かれた矢印の看板が立っているのでそれに従って進んでいくと、だんだんと部員の掛け声とともに気持ちの良いバッティングの音が聞こえ始めた。


「アイツ下手くそだなー」


と、がやがや笑っている野球部OBらしき人たちに紛れながら私もグラウンドへ目をやる。確かに豪快すぎるスイングで全くボールに当たらない人が居た、私から見ても下手くそだ。
でも彼は夏の甲子園予選でピッチャーをしていた人だ、私も試合を観に行ったからよく覚えている。

大きな動きと声量のせいで目立ってしまうその人から意識を逸らし、別のところへ目を向ける。
と言うよりも私はある人物を探している。私と同じ同学年、高校2年生のナンバーワンとも言われ高い評価を受けているキャッチャーだ。


「御幸も大変そうだなあ」
「まあバッティングは期待してないんじゃないの、沢村に」


OBさん達からはこんな声が聞こえてくる。けれども「沢村くん」を応援しているらしい事は伝わるし、応援したいと思わせるような魅力を持っている人だなあとは思う。沢村栄純、だったかな?その人を眺めていると、突然沢村くんの横から現れた顔に釘付けになった。
私と同じ中学校に通っていた、同級生の御幸一也である。


「げ」


思わず声を上げてしまったのは、OBのおじさん達に紛れてのぞき見している私に気付かれてしまったからだ。遠くに居るのに何という目ざとさ。目が合うと彼はにやっと笑って、口パクで「あっち」とある場所を指さした。

丁度レギュラー陣は休憩との掛け声が響いて、御幸一也が真っすぐ私の方に向かってくる。
私は彼の指差した端のほうに移動して木陰に隠れてたつもりだったけど、がさがさと近づいてくる足音のせいで既に居場所が見つかっている事に気付いた。


「何しに来てんの?」


その声とともに、にゅっと御幸一也の顔が現れた。何をしに来たかと言われると、真っ向からは非常に答えづらい。


「…て…偵察」


そう答えると彼は「へえ」と更に口角を上げた。そんな顔をされるのは無理もない。


「野球部の偵察?弓道部の癖に」
「うっ」
「変装もせずに堂々と、他校の制服で」
「………」


彼の言う通り私は野球部とは全く関係の無い弓道部である。野球部のマネージャーとして強豪校の偵察に来るような用事は無い。仮にそうだとしても他校生が素直に自分の制服を着て、いかにも偵察ですと丸わかりの状態で来るわけが無い。


「何しに来たのかねえ」


御幸一也は木陰に腰を下ろしながら言った。


「何を言いに来たのかね?」


そして、立ったままの私を見上げながら手招きするので私もその場にしゃがみ込む。手に持った大事なものは地面に置かないように気を付けながら。


「…何を渡しに?」


その、「大事なもの」に視線をやって御幸一也は続ける。彼はこれが何なのか分かっている。そして、今からそれが自分に渡される物である事も。私が何をしに、何を言いに来たのかという事も。


「いちいち聞かなくても分かってるじゃんか!」
「や、分かってるけど言って欲しいじゃん」


そう言ってへらりと笑うこの男は私の彼氏なのであった。
今日は一也の誕生日で、一日じゅう学校の敷地内にこもっているせいでデートに出歩くような過ごし方は出来ない。それは構わないのだが全く会えないのは嫌なので、少々遠いけれども私が青道高校まで会いに来たというわけだ。

「誕生日、行くよ」と予告はしていたけれど、会うたび会うたび数週間ぶりだから顔を合わせるのが照れくさい。今日だって、前回会ってから2週間が経過している(しかも、前回も数分しか会っていない)のでこんなに近くで隠れて過ごすのはドキドキするのだ。
だから素直にプレゼントを渡すのが気恥ずかしくて、持っていたものを一也の胸元にずいっと突き出した。


「はいタンジョウビオメデト!」
「えらい早口だな」
「…お、た、ん、じょ、う、び、」
「おいおい」


一也は呆れながら笑うと、しゃがみこんだ私の腕を引っ張った。お尻がつかないよう気を付けていたのに地面に尻もちをついてしまい「ぎゃ」と可愛くない声が漏れる、それにも笑われた。が、相変わらず一也は驚きや慌てた表情を見せずに私を見ている。


「ちゃんと言って?普通に」
「……やだ…」
「なんで」


だって面と向かって誕生日をお祝いするなんて恥ずかしいだもん、ただでさえ滅多に会えないのに。なかなか言わない私を見て困ったように笑いながら、一也は私の頬をつんつん突いた。


「な?今日はすみれに会えんの楽しみに頑張ってたんだから、ご褒美くれよ」


そう言われると、おまけに頬なんか突かれると、もう言うしかなくなるじゃないか。
むくれっ面で一也をじっと睨むと「その顔好き」とか言いながらもう一度指でつん、と頬を押されて、口からぷすっと空気が漏れた。


「……誕生日おめでとう」


こういう時にっこり笑って可愛らしく言えたらいいのにな。その願いは叶わずにぼそっとお祝いしたにも関わらず一也は満足げにうんと頷いたのだった。


「ありがと」
「誰かに祝ってもらった?」
「そりゃまあなー」
「…女の子からは?」


そのように聞くと一也は目を丸くした。驚くような質問では無いはずだ。彼氏の誕生日に他の女の子がプレゼントを渡していないかどうか、気になるのは当然である。


「お前それ、去年も聞いてこなかったっけ?」
「だって理由は分かんないけど一也モテるって聞いたもん」
「理由分かんねえのかよ」
「分かんないもん」


うそだ本当は分かっている。御幸一也は暑苦しいと言われる高校球児の中でも端正な顔立ちで、下半身を鍛えているにもかかわらず身長と若さのお陰ですらりとしている。
そんな人が大勢いる強豪野球部員の中のレギュラーなんだからモテるに決まっているのだ。中学の時だってそうだったから、もう諦めている。

でも私の知らないところで知らない女の子に告白されたりモテたりして、そっちの子になびいたらどうしよう?という不安は常に付きまとっているが、その不安をはらうかのように一也は首を振った。


「女子からは貰ってねーよ、部員一同からってやつにマネージャーのは入ってるけど」
「…なら許そう」
「上から目線ですねえ」
「一也の下についた覚えは無い」
「こわいこわい」


その顔は可愛くないよすみれちゃん、と猫なで声でわしゃわしゃ頭を撫でてくるのは反則だ、レッドカードだ。でも一也の手が大きくてあったかくて気持ちが良いから仕方なく撫でられてあげる事にする。

ひととおり髪の毛を撫でまわされた後はプレゼントを渡して、中身は一也の好きなお店の和菓子であるのを伝えると「野獣に見つからねーように食わなきゃ」と喜んでいた。
野獣が生息しているとは恐ろしい寮だ、と笑いそうになった時にグラウンドからホイッスルの音が聞こえた。


「ヤベ、戻らねえとだわ」
「え、もう…」


あっという間にお別れの時間である。
こうして会えるのはいつも少しだけなのに、そうだと分かっているのに、毎回照れくささで可愛くない態度をとってしまうのだ。
好きだよ、とか、キスして、とか言えたら良いのにそれが言えないから、まだ今日は手も握っていない。名残惜しいけれど休憩の終わりを告げる笛が鳴ったのでは仕方ない、練習の邪魔はしたくないから。

そのような私の葛藤は表情に出てしまっていたらしく、一也は小難しい顔をした私を見て手を広げた。


「おいで」


こうしていつも折れてくれるのは一也なのである。うん、と頷いて広い胸元にぎゅうと抱きつくその一瞬、汗のにおいと、前に私があげたシャンプーのにおいが漂ってきた。一生このまま一也の背中に手を回していたい。
ユニフォームをぎゅっと強く握ってしまった事で「離れたくない」というのが伝わってしまったのか、一也は優しく頭を撫でて頬にちゅっと口づけてきた。


「ガンバレ…」
「ん、さんきゅー」


そして最後、唇にキスをしてくれると一也は立ち上がった。野球部の主将がいつまでもこんなところで油を売っているわけに行かない。
グラウンドのほうへ向かうのを見送り、私もギャラリーの人達に混ざって練習の続きを見ようと歩き始めた。


「すみれ!」
「へ、…うわ」


突然一也に名前を呼ばれて、どうしたのかと振り向くと何かを投げつけられた。一也が羽織っていた青道のウインドブレーカーだ。


「それ着て偵察してな」


そう言って、一也はじゃあねと手を振り今度こそグラウンドへ戻って行った。先ほど渡した和菓子の紙袋を、人から見えないように小脇に抱えながら。

もう寒いから、あと少し練習を見たら帰ろうかなと思っていたんだけど。「偵察」は立派な任務だし、今日だけはこのジャージを羽織って最後まで見ておく事にしようか。

だれか仕様のご都合主義
御幸一也くんのお誕生日おめでとう夢です。キャプテンがんばれ〜!