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白鳥沢学園の入学試験。さぞかし受験生は張りつめた空気の中ペンを握っている事か、うちの学校は県内トップの進学校だ。
俺は恐らく一般入試での入学は絶対に不可能だっただろう。毎回の中間テストや期末テストも賢二郎の助けが無ければ危ない時があるんだから。

中学3年生がペンを走らせているのと同時刻、俺は学校からほど近い大き目の駅前である人物を待っていた。
突然の誘いを「いいよ」と受けてくれた白石すみれさん。言わずもがな俺の片思いの相手だ。夕方までに寮に戻ってその後部活に出なければならないので、俺に与えられた時間はあまり多くない。


「川西くん、お待たせ」


今日の予定をどうするべきかと考えていると聞き慣れた声、しかし俺の心に花咲かせるような声が聞こえてきた。白石さんが小走りで駆け寄ってきて、俺の前で立ち止まったのだ。


「待ってないよ、大丈夫」
「そう?」
「うん。まだ5分前だし…」


俺は20分前には既にここに立っていたなんて気持ち悪いだろうから、俺も今来たところだよと嘘をついた。だって楽しみだったし緊張しているんだから仕方ない。
俺は今日、白石さんに告白をするのだ。今まで何度か気持ちは伝えてしまったけど、今日改めて告白すると決めているから。


「あの、せっかく休みなのに呼び出してごめん」
「いいよそんなの、気分転換になるしね」
「気分転換…」
「うん。気分上げたいから」


気分を上げたいという事は、今彼女の気分はあまり上向きでは無いという事。まだ大会で負けた事から立ち直れていないのだろうか。


「川西くんこそ、忙しいのに誘ってくれてありがとう」
「別に俺、忙しくはないよ」
「バレー部はいつも忙しそうじゃん」
「んー…まあ、そうかな」


やばい、全然会話が盛り上がらない。何を話そうとしていたんだっけ。とにかく最終的には告白をするという目標しか設定していなかった。
とりあえずどこかでご飯でも食べる?と声をかけよう。そう思って改めて白石さんの姿を見た時に俺は言葉を失った。


「……どうしたの?」
「え、えっと」


どうしたもこうしたも。聞いてくれ諸君、俺は今初めて好きな女の子の私服姿を目にしたのだ。たった今まで白石さんの登場に慌てていて気付かなかったけど、いつも白いブレザーに紫色のスカートをはいている・もしくはジャージ姿の白石さんの、特別な私服姿を。少し大きめなシルエットのコートに首元にはやわらかそうなマフラーを巻いて、マフラーの中からあふれた髪の毛がふんわりと浮いている。流行りのタイトなひざ丈スカートからは黒いタイツで護られた脚が覗き、きゅっと締まった足首はショートブーツの入口から辛うじて見えていた。すっげかわいい、どうしよう。


「今日、なんか…かわいいね」


馬鹿か俺、白石さんがかわいいのはいつもの事なのに、これだと今日初めてかわいいと思ったような言い方だ。言い直さなければと言葉を探していると先に白石さんが咳払いをした。


「…川西くんってさ…」
「え」
「そういう事、平気で言える人なの?」


白石さんは俺の様子をちらりと見ながら言ったが、俺に見下ろされていることに気づくと慌ててそっぽを向いてしまった。
こんなに可愛い女の子に平気で「かわいい」と言えるような神経の太さは無い。勝手に口から出てしまったんだから、あまりの可愛さに。俺もマフラーを巻いてきて良かった、にやけている口元だけはせめて隠すことが出来るから。


「……とりあえず、歩く?」


声をかけると白石さんは頷いた。マフラーの中に納まりきっていない髪がぴょこんと跳ねるのが可愛い。いったい今日は何度「かわいい」と口にするのを我慢すれば良いのだろう。





それからは具体的に何をしたか、報告するまでもないような事だった。
なにせあっという間に時間が過ぎて覚えていないし、白石さんの様子を伺いながら「今言うべきか、やめておくか」と考えていたらタイミングを掴めなかったのだ。それもこれも彼女の姿を見るたび「あ、かわいい」と思考停止するせい。


「今日は時間作ってくれてありがと」
「ううん」


またたく間に別れの時間となり、俺は白鳥沢学園へ、白石さんは自宅へ向かうために駅に到着した。やばい、もう今日のデートは終わってしまうのか。せっかく予定を合わせたのに。賢二郎にどやされる。


「大変だね。今から戻って部活なんて」
「いや、まあ…毎日やってるから」


何か良いきっかけが無いものかと思いながらも、味のない返事しか出来ないまま改札口を通る。
白石さんも俺の後ろをついて改札を通り、同じ路線ホームへと歩いた。学校と白石さんの家は反対方向だ。タイムリミットはどちらかの電車が到着するまで。


「凄いよねバレー部は。朝早くから夜も遅くまで練習して、休みの日も一日中だもんね…そりゃ全国出場常連だよ」
「………」


白石さんは笑いながら言っていたけど、心からの笑顔では無いようだった。
そんな顔を見せられたら俺が一人で舞い上がって告白なんて出来ない。けど、言いたい。どうすればいい。やがてついに「2番ホームに列車が参ります」とアナウンスが聞こえてきた。


「…ねえ。今日は私に何か言いたかったんじゃないの」
「えっ、」


ところが白石さんのほうから、恐らくその話題を振ってきた。驚いて久しぶりに白石さんの顔を凝視すると真っ直ぐに見られていたので、もう逃げられないなと緊張が走る。


「……うん」


逃げる理由もない。言いに来たんだから。


「…とっくに気付かれてると思うけど。白石さんに改めて言いたい事があって」


遠くのほうから電車の近づく音が聞こえる。ホームには音楽が流れ始めた。電車の音にかき消されないうちに言わなければ。


「好きだよ。白石さんのこと」


いつもより張ってみたその声は、ぎりぎり電車が近づく前に言い終えることが出来た。白石さんは驚いた顔は見せないものの(気持ちを伝えたのは初めてじゃないから当たり前か)、俺の目を見たまま動かずに言った。


「……ほんとうに?」
「本当。」
「…私、あんなところで吐いてたのに?」
「あれも含めて好きだよ」


すると白石さんのほうが初めてびっくりした様子で顔を伏せた。真横で電車が減速していく。「黄色い線の後ろにお下がりください」、そのアナウンスとともに周りの人間はドアの位置に合わせて並び始めた。


「あのね。最初はね、正直びっくりしたよ。川西くんの事あんまり知らなかったし」
「うん…」
「でも私が無理してる時に叱ってくれたりとか、吐いてるときに躊躇なく助けてくれたりしたのはびっくりした。いい意味で」


やがて、電車が停車した。けれども俺は電車なんかを気にする余裕はない、いま到着したのは俺が乗るべき電車だというのに。


「私で良かったら、お願いします」


白石さんが頭を下げるのと同時に電車のドアが開いた。乗客が中から出てきて、新たに乗車する人の列が前に進んでいく。どうしよう。俺も乗らないと。早く乗らないと。でも続きを話さないと、「まじで?」と確認しないと。


「……まじ、」


聞こうとすると、白石さんが俺の背中を押した。電車に乗れ、という意味だ。
なかなか足が動かない俺に「早く」と声をかけ、白石さんに促されるがまま俺は電車に押し込まれてしまった。無力だ俺は、好きな子を目の前にすると。

一番最後に俺が乗り、電車のドアは閉められた。ホームに残った白石さんは無事に乗った俺を見てかほっとしたように笑って、携帯電話を取り出した。何かを打ち込んでいる。即座に俺宛だと察しがついて俺もポケットを漁り始めた時にちょうど携帯電話が震えた。


『よろしくお願いします』


届いたメッセージに目を奪われていると電車が動き始め、慌ててホームの白石さんを見る。
目が合った。彼女は小さく手を振って、かすかにガンバレ、と口を動かした…
まじかよ、まじなのかよ、これ。

ハッピーは遅れてやって来る