09期末テスト直前の土日に賢二郎とナナコを連れまわしてしまったが、無事にテストを終える事が出来た。
ふたりとも元々成績が良いので特に問題なかったらしく俺もとりあえずは平均点のキープに成功。同じクラスに居るサッカー部のハヤシも、部活に勉強に大忙しのようであったが赤点は回避できたようだ。俺は心の中で「おめでとう」とハヤシに送っておいた。ハヤシが赤点で補習だったとしたら、全国大会を控えたサッカー部にとっては大きな穴になるだろうし。
「白石さん、どう?」
全てのテストが返ってきた日の昼休み、食堂で賢二郎に聞いてみた。隣にいるナナコは言いづらそうに首を横に振る。体育での白石さんはあまり調子が良くないらしい。
「テストは全教科受けてたよ。点も大丈夫だと思う。白石さんは勉強できる人だし」
「そっか」
それならよかった、体調不良でテストの結果まで悪くなってしまったら可哀想だ。俺は他人の心配が出来る成績じゃないけれども。しかし賢二郎は浮かない様子で続けた。
「けど、体調はまだ悪そうかな」
「……そっか」
「アレ渡せば?お守り」
「ん、うん」
このあいだ購入した必勝祈願のお守りと、こっそり買い足した健康祈願のお守りを白石さんにいつ渡そうか俺は悩んでいた。
これらを渡せば少しは元気になってくれるだろうか。または、鬱陶しがって更に気を遣わせるはめになるか。それは避けたいけど、大会前までには渡したい。
サッカー部の練習終わりを狙って渡しに行くという手もあるんだけど、俺がのこのことグラウンドまで出向くと目立つだろうし、ロードワークの帰りに偶然会ったとしても「そういえばコレあげる」と突然お守りを渡すのも怪しいし、どうしたもんか。
◇
その日の午後の練習は引退した3年生が何人か来てくれて、1・2年生以上に張り切って動いてくれるもんだから俺は隠れて休憩していた。
サボっているわけじゃない。自分の体力を調整しているだけ。…と言って引退前の天童さんは頻繁に休憩していたので、俺は天童さんからそれを引き継いでしまった。
12月中旬とは言え身体を動かせば涼しい場所を求めてしまうもので、体育館から出て歩きながら身体を冷やす事にする。
途中で尿意をもよおしたので屋外のトイレに寄って、すっきりしてトイレを出た時だ。女子トイレから白石さんが出てきたのは。
「…あっ、白石さん」
「え…あ」
俺に気付いた白石さんは浮かない顔をしていたので、ヤバイ嫌われてしまったのかなと血の気が引いた。
が、俺の血の気どうこう以前に白石さんの顔が真っ青である。
「大丈夫?体調悪そうだけど…」
「…ん、だいじょうぶ…」
そう言いながら白石さんはおぼつかない足取りで歩き始めたが、すぐに壁に手をついて、しんどそうに口元に手を当てた。
顔が真っ青っていうか真っ白っていうか、とにかく血が通ってないみたいだ。
「ほんとに大丈夫?」
「うん」
「いや、ウンじゃなくて」
「………ごめ、ん」
「え?」
「は…吐きそ……」
ぎょっとした。吐きそう!?
屋外だから吐いても支障は無いだろうけど女の子がこんなところで吐くなんて嫌だろうな、女子トイレに戻ってもらって便器で吐いてもらうか、でも一人で歩くのは困難そうだ。と言う事は俺が男子トイレに連れて行って吐かせる?そんなの絶対おかしい。
これらの事を一瞬で考えた結果、今にも倒れそうな白石さんの身体を(極力触りすぎないように)支えながら、勇気を出して女子トイレのほうへと誘導した。
そろそろと足を踏み入れると、よかった誰も居ない。白石さんは今にも戻してしまいそうなのを必死に堪えているようだ。俺は彼女を一番手前の個室に入れた。
「じゃ、外で待ってるから…」
と声をかけたけど、白石さんは俺の声を聞く間もなくトイレに向かって吐き出していた。
それから五分程トイレの前で待っているけど白石さんは出てこない。
ずっと吐きっ放しなのか、吐いたけれども気持ちが悪くて動けないのか、どちらにしてもヤバイ事に変わりない。様子を見に行きたいけどどうしようか、ナナコはどこだ。
「あれ川西さん、休憩ですか?」
そこへ、1年生の五色がやってきた。手には水の入ったペットボトルを持ち、首からタオルをかけている。恐らく五色もちょっと涼みたくて外に出たのだろう。
「休憩っちゃ休憩…ナナコ何してた?」
「天童さんの話し相手です」
「はあ…」
天童さんは賢二郎の苛々する顔を見たくてナナコによくちょっかいを出すんだよな。今夜の賢二郎は荒れているかもしれない。
そんなことはさておいて、ナナコが近くに居ないんじゃ白石さんの様子を代わりに見てもらうわけにはいかないしどうしようか。五色にナナコを呼んでもらったら、ついでに天童さんまで付いてきてしまうかもしれない。
「俺もう戻りますけど、呼んできますか?」
「んー…あ、五色」
「はい」
「そのペットボトル、水?ちょうだい」
「はい?」
「後で奢るから!お願い」
手を合わせて頼み込んだところ「いっぱいあるんで良いですけど」と言いながら五色が水をくれた。かわいいかわいい後輩だ、いつかお前が恋に悩んだときは手助けしてやるからな。
五色はその後体育館へと戻って行ったので俺はあたりを見渡して、再び女子トイレへと足を踏み入れた。
「…大丈夫?」
便座の前でいまだに苦しそうな白石さんの背中がいつもより小さく見える。どれだけ体調不良長引かせてるんだ。白石さんはかすかに頷いて「ありがとう」と言ったように聞こえた。
「これ、飲みかけだけど」
五色の飲みかけのペットボトルを白石さんの視界に入るように見せてあげると、彼女は少しだけ顔を上げた。でもすぐに気持ち悪くなってきたみたいでペットボトルを無言で受け取り、ぐびっと飲んで、げほっと咳をした。
この際、白石さんが五色と間接キスをしてしまった事は仕方ない。悔しいけど。先に俺が一口飲んでやればよかったか。
「…ありがと…」
また五分程経つと白石さんはだいぶ落ち着いたみたいで、しかしペットボトルはすっかり空になっていた。偶然通りかかった五色のタイミングに感謝だ。
「歩ける?保健室まで」
「だいじょぶ、もう戻るから…」
「…戻るって?部活に?」
トイレの壁に手を付きながらよろよろと立ち上がる姿は、どう見てもサッカー部のマネージャーとして充分に働けるとは思えない。
「…よく分かんないけど風邪こじらせてるよね。絶対マズイよ」
「で、でも」
「そうまでして頑張る事が必ず正しいとは限らないよ」
「な…川西くんには…」
「関係ないだろって?」
白石さんが顔を上げた。やっぱり関係ないと思われていたのか、と残念な気持ちになるけれど正直関係のない事だ。俺はバレー部、彼女はサッカー部。サッカー部が試合で勝とうが負けようがバレー部の俺には関係ない。けど。
「残念ながら関係あるんだよね」
ひとりの男、川西太一としては充分に関係がある。何故なら俺はこの数ヶ月、広いグラウンドを駆けて大きな声で部員たちを応援する白石さんを見ていた。教室内では目立たず騒がず何をしているのかと思えば部活のことばかりなのも、賢二郎から聞いている。
そんな女の子が体調を崩してしまうなんて、こんな大切な時に。本人がどれほど悔しい気持ちでいるのかは容易に想像がつく。
「結構しんどいんだよ。好きな子が目の前で辛そうにしてるのは」
だから俺も白石さんを止める。こんな余計なことばかり言う俺はもしかしたら嫌われてしまうかも知れない。まあ嫌われたらその時だ、と前も保健室で色々言ってしまったのを思い出す。
「応援したくなるんだよ。好きな子が全力で頑張ってる事は」
そこまで伝えると白石さんは俺から目を離し俯いていた。俺を押しのけてグラウンドに行ってしまうかと思ったけれどその様子は無い。そんな元気も無いのかもしれない。
しかし、しばらくぎゅうと閉じていた唇をうっすらと開けて「今日は帰る」と言って白石さんはゆっくりとトイレから出ていった。
良かった、ちょっとは伝わってくれたかな。安堵した時に誰かが入ってきて「きゃっ」と叫んだので、俺が今いる場所が女子トイレであったことをやっと思い出した。やばい。
トイレから出て外の冷たい空気に当たった時、またもや俺は思い出した。
俺、無意識に告白しちゃってたわ。
模範的やさしさ