20170920


最近やっと提出し終えた夏休みの宿題はとうの昔に提出期限を過ぎていたが、スミマセンと笑って見せればそれ以上何も言われなかった。

自他ともに認める勉強嫌いの俺だし、と少々甘えている部分があるのは自覚している。それがあまり良くない事だとも分かっているし、そんな俺に嫌悪感を抱く人が少なからず居るんじゃないかって事も分かる。

けど他人の為に自分を変えるのは違うよなあ、なんて宿題の提出を先延ばしにする言い訳を作っていた。


「木兎くん、ボタン」


屋上へ向かう俺の足を止めたのは一人の女子生徒の声だった。
振り向くと階段の下に俺を見上げている、正しくは俺を「睨んでいる」女子の姿があり、それがうちのクラスの学級委員であるのは直ぐに分かった。


「ボタン?」
「開けすぎだよ。第二ボタンは留めて」
「やだよ、暑いんだもん」
「規則だよ」


学級委員と言う仕事を絵に描いたような人間である白石すみれははっきり言って冗談が通じないし面白味が無くて大真面目な子だ。俺が授業中に居眠りするのもこうしてボタンを「規定より少しだけ多めに」開けて歩くのも気に入らないらしいのだ。さすがは学級委員といったところだが風紀委員の仕事まで奪っている気がする。


「へいへい留めたらいいんだろ、留めとくから」
「シャツもちゃんと入れて」
「入れるよー、ったく」
「屋上は立ち入り禁止だよ」
「……。」


そんなことは分かっている。しかしこんなに天気のいい日の昼休み、屋上でひと眠りしてすっきりしたいと考えるのは普通の事だ。1限目から4限目まで訳の分からない授業を受けて俺の頭は疲れ切っているんだから。


「白石さんに俺のリラックスタイムを邪魔される筋合いはねーんだけど」
「屋上以外でリラックスできる場所を探してください」
「ちぇー」


めっちゃくちゃ面倒くさい女だ、俺絶対こいつとは気が合わねえな。屋上以外でリラックスできる場所を探してください、だって。赤葦かよ。

去っていく白石さんの背中が小さくなっていくのを確認し、角を曲がったのを見届けてから俺は鼻歌交じりに階段をのぼり屋上のドアを開けた。立ち入り禁止なら鍵でもかけておけばいい。





「…っつー女が居るわけ。今日も帰りにシャツ出すなって言われてさあ!部活だからどうせすぐ脱ぐのに」


昼休みは無事にあのまま昼寝をする事が出来たのだが、どうしても腑に落ちないので部室で愚痴る俺。赤葦はひととおりうんうん聞いてくれたが、俺の主張が終わるとため息交じりにこう言った。


「まあ言ってる事は学級委員さんのほうが正しいですけどね」
「けっ。あかーしはアイツの味方だと思ったよ、分かってますよ」
「そんなに毎回言われるなら、シャツぐらい入れたらどうですか」


どうしてこいつは毎回毎回、的確な事ばっかり言ってくるんだろう。


「…だって」
「暑くないでしょう教室は。クーラー効いてるんですから」
「だってさあ」


お陰で俺は「だって」と子どもみたいな事しか言えなくて、脱いだ制服を突っ込み強めにロッカーの戸を閉めた。
いちいちシャツを入れるのが面倒くさい、ただそれだけだ。そして指摘されればされるほど反発して「絶対に言う通りには動いてやらないからな」と考えてしまうのだ。


「その人に注意されんの待ってるんですか?」
「んなわけあるか」


注意されるのを待ってるなんてドMかよ、俺は絶対Mじゃないと思う。
俺がMなのではなく白石さんが極度のSなのだ。きっとそうに違いない。クラスには他にも違反してるやつなんか沢山居るのに俺にばっかり注意してくるしさ!


「…って事はあいつ俺の事好きなのかな」
「はあ?」
「俺にだけ注意してくんの」
「木兎さんが悪目立ちしてるからでは」
「ぬぬ…」
「先走って変な事言っちゃ駄目ですよ」


変な事?と聞き返す前に赤葦は着替え終えて体育館へ行ってしまった。
変な事なんか言わないし、そもそも俺から白石さんに話しかけた事なんか一度も無い。きっとこれからも無い。俺あいつ苦手だもん。


「木兎くん」


ほら来た、翌日の朝一番、教室に入る直前に白石さんが俺を呼ぶ声。
ちなみに今日も俺は例外なくシャツのボタンは多めに開いているしシャツは外に出しているし首からタオルをかけておりネクタイは結ばず手に持っている。指摘される要素は満載だ。


「なーに?どうぞ、どっからでも!」


いったいどこから攻めてくるかなとやや開き直って振り返ると、白石さんは俺の服装なんか見ていなかった。それどころか俺の真後ろで廊下にかがんでおり、彼女の後頭部が見える。何してんだ、と思ったら勢いよく立ち上がった。


「これ落としたよ」
「えっ」


白石さんが持っていたのは首からかけている、と思っていた俺のタオルだった。落っことしてしまったらしい。


「どーも…あ、ていうかゴメン俺の汗」
「だいじょぶ」
「そ、そう」


そのまま俺の横をすり抜けて教室に入ろうとする白石さんがちょっとだけスローモーションで見えた。

あれ、俺今なにも注意されなかった。それどころか先程流した汗を吸ったタオルを触ったのに「だいじょぶ」なんて言って、やっぱり俺の事好きなんじゃねえの?だとしたら全然素直じゃないぞ。自分で言うのもなんだけど俺って鈍感だからそういうの言ってくれなきゃ気付かないんだけど。

と、考えを巡らせたところで白石さんが振り返り、スローモーションが解けた。


「木兎くん」
「え、おお、何」
「ちゃんとシャツ入れて」
「……」


ああもう可愛くない!おしとやかにそのまま去っておけばいいものをいちいち思い出さなくていいんだっつうの、分かりましたよ入れれはば良いんだろ入れれば。白石さんが俺の事を好きなのかなーなんて前言撤回だ。


「…っつー事があったわけ!」
「いや入れましょうよシャツくらい」
「ここまで来たら意地でも入れたくねえ卒業までこのまま行くぞ俺は」
「そうですか…」


こんな先輩で悪かったな赤葦よ。お前はどうか後輩に慕われる3年生になってくれ。





そのまた数日後、9月20日。俺の誕生日がやってきた。

といっても平日なのでいつも通りに朝は部活に参加したり、クラスの中で俺の誕生日を知っている人間も多くないし、いくら俺でもわざわざ「俺、今日誕生日だぞ!」と言いふらすような事はしない。バレー部の連中からは一声かけてもらったけど。
だから特別な事は何も無く、今夜の夕食がちょっと豪華になっていると良いなあなんて考えながら午前中の授業を受けた。

そして4限目までの授業を受けると、やはりいつものとおり眠気に襲われたので真っすぐに屋上へと向かった。途中で白石さんに出くわさないように気を付けながら。

幸い姿が見えなかったので、見つからないうちにさっさと行ってしまおうと屋上までの階段を一段飛ばして登り切り、勢いよくドアを開けた。


「…お?」


どうやら屋上には先客が居たらしく、誰かが座っている脚が見えた。立ち入り禁止だからと言ってそれを素直に守っている生徒は少ないので、時々俺以外の利用者が居るのだ。

それは構わないしちょっと昼寝したいだけだから構わずドアを閉めて進んでいくと、座り込んでいる先客の姿が見えた。ついでに顔が見えた。
それが白石さんだってことも見えた。


「…うわ」


そして、白石さんが泣いてるって事まで丸見えだった。
おいおい、屋上は立ち入り禁止じゃありませんでしたっけ?と嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったのに泣いてるなんて卑怯だろ。


「…屋上は立ち入り禁止なんじゃなかったっけ?」


けど、とりあえず今までの仕返しでこれだけ言ってみた。


「……そうだね。ごめん」


白石さんは頷いて軽く自嘲したかに見えた。泣いてる理由が気になるけど俺が聞くのも変だしなあ放っといてやるか、と思ったら白石さんは立ち上がって屋上から出ようとするではないか?


「ちょっと待て待て嘘だよ冗談だよ!戻んなくていいよそんな顔で」
「だ、だって」
「真面目ちゃんかよ、居ればいいじゃん」
「……」


しばらくどうするか迷っていたらしいが、白石さんは頷いて元居た場所に腰をおろした。
隣に座るのは気が引けたけど、こっち側じゃないと日陰にならないから仕方なく三人分くらいの距離を空けて俺も座った。


「友だちと喧嘩でもしたかあ?」


こういう暗い空気は苦手だ。相手は苦手な白石さんだけどどうにか会話を弾ませてみようかと聞いてみると、ずずっと鼻をすする音。


「………振られちゃった」
「へ」
「し・つ・れ・ん」


やばい。失恋って。とんでもないタイミングに来てしまったのと、とんでもなくデリカシーの無い質問をしてしまった自分を恨んだ。


「…ゴメン」
「ううん」


少しのあいだ会話は無く、白石さんのすすり泣き(を止めようと頑張っているような音)が聞こえた。
隣で女子が泣いてるなんて初めてだ。慰めるなんて繊細な事は出来ない。だからって無言で立ち去るのも違うよな。このまま無視して寝るのも変だ。どうしよう。


「…好きな人が居たんだけど、さ、その人に今日頑張って告白しようって、ずっと決めてて」


すると白石さんが途切れ途切れに話し始めた…なんだ好きな人が居たのか。俺の事好きなんじゃねえの、と言う俺を止めてくれた赤葦に感謝しなければ。


「そしたら我慢できなくなって、誰もいないところってここしか思い浮かばなくて」


それで、やむなく立ち入り禁止の規則を破って屋上で泣いていたわけらしい。
白石さんの目元は既に真っ赤なので、俺が来るまでに派手に泣いていたであろう事が見て取れる。まだまだ泣き足りないかもしれない。


「…そっか。じゃあ俺行くよ」
「え、いいよ行かなくて」
「誰もいないところが良いんだろ」
「もう泣き止んだし大丈夫」
「ふーん…」


嘘つけ、と言えるほどの仲じゃないので本人がそう言うなら突っ込まないでおこう。これは約1年半を赤葦京治と言う男と過ごしたおかげで培った気遣いの心だ。ついで2年半を共に過ごした同級生たちのおかげ。

横目で白石さんをちらりと見ると、ひとまず涙は収まっているらしかった。俺が突然来てしまったからかも知れないが。


「何で今日、告白しようって決めてたわけ?」
「…今日がその人の誕生日だから」
「今日?」


今日は俺の誕生日だ。9月20日。クラスの中に祝われているやつなんか居たっけ?心当たりは無い。別のクラス?別の学年か?


「…それって俺じゃねえよな!?」
「はい?」
「俺も今日誕生日だから」
「え」


白石さんは間抜けな声で反応した。いつものきびきびとした表情の彼女とはかけ離れている。


「違うけど」
「あ、そう…」


安心したような残念だったような微妙な気分になったけど、そういえば告白された覚えが無いから当たり前か。
白石さんは手元にあったペットボトルを一口飲んで、ふうと一息吐いた。


「私、マジメ過ぎるんだってさ」


そして、ぽつりと呟いた。…これは俺に向かって言っているんだよな。


「へー、確かに真面目だよな。俺いっつも注意受けてるし」
「木兎くん目立つんだもん」
「はは」
「けど、真面目な女は疲れそうなんだってさ」


俺もそう思う。と言うかまさに、俺はそう思う。奇抜な髪色はやめろ、ネクタイをしっかり締めろ、授業中に寝るな、廊下を走るな、挙げればキリがないほどの注意を先生や学級委員のこいつから受けているのだ。
俺だって真面目なやつと居るのは疲れるし、きっと白石さんも俺と居るのは疲れるだろうし。白石さんの片想いの相手も俺みたいな適当な男だったに違いない。
けど、やっぱり真横で女の子がブルーになっているのは気の毒である。


「…はあぁ…」
「幸せ逃げるぞ」
「振られた瞬間に逃げたよ…」


皮肉を言えるほどには元気になっているようだ。「そりゃそうか」と返すと彼女は力なく笑ったが、笑える力があるなら良いか。


「…いつも木兎くんに注意してるのに、ごめんなさい」
「べつにいいよ、まぁこれから緩めてくれれば嬉しいけど?」
「それはしない」
「へいへい、分かってます」


いつもの白石さんみたく厳しい回答を得ることが出来たので、もう大丈夫かなと様子を見ると白石さんはちょうど立ち上がった。規定どおりの膝丈のスカートがひらりと揺れて、お尻部分を手で払っている。


「私、もう行く」
「おお」


特に用事なんか無いし、去るなら去ってくれれば有難い。貴重な昼寝の時間に誰かが居るとリラックス出来ないからだ。
それなのにこのまますんなり行かれるのは何だか調子が狂う。


「…俺の事注意しねえの?」
「え?」
「立ち入り禁止だろ」
「ああ…」


立ち入り禁止の屋上に、よんどころ無い事情がある訳でもない俺が居座るのは校則違反だ。
「屋上は立ち入り禁止だよ」と普段の冷めた目で言ってみろよ、そうじゃなきゃ何か変な感じがするだろ。しかし白石さんは俺の希望とは反して、ふにゃりと笑った。


「誕生日くらい、いいよ」


そして、ゆっくりとドアを開き、またゆっくりと閉めたのだった。

白石すみれはクソ真面目の大真面目で冗談が通じない、面白くないやつ。今だって俺の求めるように屋上から俺を引っ張り出してくれれば良かったのにどうしてそれをしないんだ。
しかも「誕生日くらい」って何だよ。誕生日だからひとつくらい俺の望みを叶えてやろうって事なのか?そんなの全然面白くない。


「……誕生日だからじゃなくて、話聞いてくれたお礼にって言えよなあ…」


そうすればもう少しマシで、もう少し違った誕生日になったかも知れないのに。ほんの少しでも俺の心をくすぐるくらいの事を言ってくれれば、なんて真面目なあいつに求めるのはおかしかったかな。

Happy Birthday 0920