うちの学校はどうやらバレーボールの名門らしい。

私はあまりスポーツに興味がないし、野球やサッカーなら分かるけどバレー??あまり聞かないなあとぼんやり思ってた。


「五色くん、先生がノート集めてって」


月曜日。

今日から1週間、週番をすることとなった五色くんとはあまり話した事がない。
特別仲のいい男子もいないし私はいつも女友達といるので、クラスのほとんどの男子とは関わった事が無いのだけど。


「え、何?ごめん部活行かなきゃ!」
「???うん、でもあのノート…」
「やべっこんな時間!」


五色くんはものすごい勢いで大きなスポーツバッグを担ぎ上げ、教室の戸にバッグをぶつけながら走り去っていった。

…あの人、自分が週番だって忘れてるんだろうか?それとも、覚えてて逃げたんだろうか?
まあ集めたノートを職員室に運ぶくらいなら、一人でもできるかな。


「…出来るわけ無いっつの、」


35人分のノート(そのほかプリントもあった)はそれなりに重く、教室から職員室まで一気に運ぶには少々難儀だった。

言っちゃ何だけど私は運動も苦手で筋肉なんてついてない。
階段を上りきった時に少し誰かにぶつかって、よろけた拍子にノートが床にばさばさっと落ちてしまった。うわあ最悪。


「ごめん。大丈夫?」


声をかけてきたのは恐らくぶつかった人で、2年生だった。
ノートを一緒に拾ってくれて、職員室まで一緒に運んでくれた。申し訳ない。


「…あ、工のだ」


その人はあるノートの名前が目に入ったらしく、そう呟いた。ノートの表紙には「五色 工」と太いマジックで書かれている。


「知り合いなんですか」
「うん。バレー部の後輩で…うわ、字きたねー」


ノートをぺらぺらとめくりながら、その人は笑った。

五色くんバレー部だったのか。そして、この人もバレー部。五色くんのほうが少し背が高いかなあと感じたが、落ち着き方などは到底及ばないかも知れない。


「…五色くんも週番なんですけどね」
「え?マジで?」
「急いで部活に行っちゃいましたけど…」
「ああ1年だからネット張らなきゃいけなくて…いや週番の仕事はしなきゃダメだろ」
「忘れてるみたいです。あの様子だと」


名前を聞き忘れたけれど、薄い茶髪の先輩は大きくため息をつき「ごめん。明日から週番優先しろって言っとく」と詫びてくれた。
こんな力仕事でなければ別に一人でもいいけどなあと思いつつ、素直にお礼を言っておいた。





翌日、朝のホームルーム前。

駆け足で教室に駆け込んでくる音が聞こえた。大きなスポーツバッグを揺らしながら、またもや教室の戸に派手にぶつけている背の高い男の子。

その子は自分の席には向かわず、まっすぐ私のところにやって来た。


「ごめん!昨日、俺週番って忘れてた!」
「えっ…あー…」
「白布さんにすっげえ怒られて!」


その、シラブさん?という人が昨日運ぶのを手伝ってくれた人だろうか。
五色くんは鞄も下ろさずにぺこぺこしているので、こっちが申し訳なくなった。


「いいよ私は帰宅部だし、五色くんはバレー部らしいじゃん。大変なんだし別に、」
「え!そんなの関係ある?」
「………無い?」
「さあ、俺は無いと思…あ!?やッばい英語のノートが無え!忘れた!」
「あ、えーと…昨日集めて提出したよ…」
「あー!そうだった」


五色くんはいちいち大きな声で話しながら自分の席へと歩いて行った。やはり、昨日はわざと週番を忘れたふりをした訳では無さそうだ。


五色くんてこんな人だったのかあと思い、その日少し彼のことを観察してみると、授業を聞きながらこっくりこっくりしているのが見えた。
一応進学校なので、頑張って起きようとしているところは見受けられた。


1限目が終わってからの休み時間、五色くんは大股で(脚が長いから大股に見えるだけか)近づいてきた。


「白石さん!俺消すから!」


消す、というのは黒板で、私からの返事を待たずに五色くんが黒板消しを始めた。
手足の長い彼はあっという間に黒板の隅々まで手が届き、消しやすそうなことこの上無い。気づいたら綺麗になっていた。


「ごめん、ぼーっとしてた」
「いい、俺昨日全然やってないから」
「次は私が消すね」
「いい!やる」
「え、いいよ」
「いいから!」


…シラブさんという先輩に、よほど怒られたんだろうか?そこまで言うならお願いします、という事で、今日は黒板消しを彼に丸投げする事にした。





そして午後の英語の授業、昨日集めて提出したノートが返される。
この昼休み中に週番の私たちが職員室までノートを取りに行き、配る事となっている。


「五色くん、あとで職員室にノート取りに…」
「やべー!ミーティング遅れるッ!」


…どうやら自分の声の大きさのせいで私の声が届いていないらしく、五色くんは大急ぎでお弁当袋をひっつかみ、たぶんバレー部のミーティングへと走って行った。

昼休みまで部活に拘束されるなんて大変だなあ、まあ私は大切な用事も無いので友達に頼んで一緒に運ぶとしよう。


お弁当を食べてから、仲のいい友達と一緒に職員室へ向かう。
「もう一人の週番は?」と聞かれ、「五色くん。部活のミーティングだって」と答え、あとは他愛ない話をしながら歩いた。

職員室に到着し、英語の先生からノートを預かり二人で手分けして運ぶ。

そこでまた、ばったりと昨日の先輩に出くわしたのだった。


「あ」
「あ!昨日はどうも…」
「…もしかして週番」
「はい。あ、でも今日は友達連れてきたんで!五色くんはミーティングですよね」
「ミーティングは終わったよ。ああでも残って部室の掃除するッつってたな…ごめん大丈夫?」
「平気です」
「平気です!!」


なぜか私の隣で友達も元気良く答え、シラブさん?は職員室へ入っていった。こいつ、惚れたな。あの人に。


「ちょッ!ちょちょちょ!誰今の人?」
「五色くんの先輩だって」
「かっこいいね…!」
「そうかな。そうかも」


確かに色素の薄い肌、髪、背も低くは無いし今みたいに気遣ってくれるしかっこいいと言えばかっこいいのか。

…って、私なんかに批評されるのも良い気はしないだろうなあと思いつつも教室に戻りながら友達がウキウキしているのを感じていた。


そして昼休みの終わり際、5限目が始まる直前。
ノートをみんなの席に配っていると五色くんが教室に戻ってきた。それはもうものすごい勢いで。


「ごめんっ!!なさい!!!」
「え?」
「白布さんからLINEきて」
「ああ…」
「明日から黒板消し全部やるから」
「いやいや、いいよ」


あの先輩、どれだけ怖いんだろう。
五色くんは目の色を変えて、いかに自分が黒板消しにふさわしい人間であるかを語っていた。


「黒板消しはいいから、えーと日誌は手伝って欲しいなあ」
「日誌か。わかった!たぶん俺、また忘れるから声かけてくれる?」
「…う、うん」


日誌を書くなんてあと数時間後のことなのに、忘れる宣言をされてしまった。あまり話したことが無かったけど憎めない人だなあ、と少しだけ心が和んだ。





そして放課後、五色くんは日誌の事をちゃんと覚えていたようで私の席までやって来た。

1日の授業科目と内容を簡単に書かなければいけないのだが、いざ文章に起こすとなると一言で説明するのは難しいかんじ。

体育の授業内容を書くときに五色くんが「男子:ハードル走」と書いてるのを見て、走るの速そうだなぁとぼんやり考える。


「女子は体育何だった?」
「バレーボール」
「えっ!!くっそ!いいなあぁぁ」
「そ、そお?」


私はバレーなんて体育の授業でしかやった事が無いし、なんとなくオーバーで上げるのはできるけどアンダーなんて無理。どこにボールが飛ぶか分からない。

すごく目を輝かせているので、そういえば五色くんはバレー部だったのを思い出した。


「そんなにバレー好きなの?」
「好きだよ!プロになりたいから」
「ぷ……プロ!?」
「そー」


私の驚きをよそに、五色くんは何もおかしな事など無い様子で日誌を書き進めていく。

プロってさ、バレーボールってさ、ワールドカップもあるしオリンピックもあるし、プロっていうのは結構な夢なんじゃ無いか?


「すごいね…私、そんな大きな夢ないや」
「そう?夢っていうか、俺はなるつもりだけどなあ」


また、こういう事をさらりと言う。
もしかしてビッグマウスなんだろうかと彼の顔を見ると、その表情はいたって真剣、いたって真面目。本気で言っているのだ。


「…五色くんは、プロの選手に、なるんだ」
「うん、だから白鳥沢でスタメンだからって威張れない」
「すッ、スタメンなの!?」
「そうだけど…?」


いくら私だって、自分の学校がバレーボールの全国大会常連校であることぐらいは知っている。

そこで1年生の五色くんがスタメン?
って、スターティングメンバー?

バレーは確か、コート上に6人だった気がする…という事は、1年生から3年生まで合わせて何十人も居るバレー部の中で彼はその6人に選ばれた人物。


「1年でスタメンってかなり凄いんじゃ…」
「いやそれが!全国には強豪校なんていくつもあって、それぞれにエースが居るんだよ。まだスタート地点にも立ってない。エースにならなきゃ」
「エース?」
「そう。エースってのはチームを引っ張る存在で!いざってときにエースが決めてくれるって期待も責任も全部背負って、ちゃんと実行する人の事!まずは白鳥沢でエースになって、そんで、次は…あ?ゴメン日誌書かなきゃ」
「あ、いや…」


五色くんがその「エース」について楽しげに、でも誇らしげに語るのを私は思わず見惚れていた。

こんなに何かに熱中し、本気でプロの世界に入る事を目標とする人なんて今まで会った事がない。
私なんかが、同じ日誌を協力して書くなんておこがましいとさえ思えた。


「なんか五色くんは眩しいなあ…」
「マブシイ?」
「私とは遠い世界の人って感じ」


何の目標もなく、なんとなく大学を卒業してなんとなく就職するのがとりあえずの目的である私からは、遠いなあと。


私が就職活動をしているとき、この人はテレビの中でワールドカップの試合に出ているのかな。チームで1番の得点を重ねて、「エース」になっているのかな?


私はそれを画面越しに見ながら「この子、同級生なんだ」と指差して、えースゴイね紹介してよ、なんて言われる一般人。


「遠いって、なんで?」
「いやホラ。プロになったらテレビに出たり世界に出たり…ちょっと自分が恥ずかしいなあ〜なんて」
「恥ずかしいの?」
「五色くんみたいな凄い人と居るなんて、私みたいなフツーの子がさ」
「??? そう…?」


五色くんは、今ひとつ理解し難いという顔をしていた。

自分のことを、凄いとも特別だとも思っていないその姿が何とも言えず眩しくて、この日誌を仕上げるほんの少しの時間で彼のとりこになってしまった。来週も再来週も二人で一緒に週番だといいのに。

…ああ、それだと五色くんは部活に参加するのが遅れちゃうのか。世の中うまく行かないな。


「できたあァ!提出してくる!じゃっ」


仕上がった日誌を手に取るとまた勢い良く立ち上がって、横の机に大きなスポーツバッグがガツンと当たった。

きっとまた明日も黒板消しの事なんて忘れてるんだろうなあと思うと笑みがこぼれる。
五色くんが教室を出る直前、なぜか「あ、言わなきゃ」と頭の中で指令が出た。


「五色くん!」
「んっ?」


ちょうど廊下に出たところだったのを一歩だけ教室に足を突っ込んで、五色くんが顔を出した。


「がんばって!」


そして、思ったより大きな声で叫んでしまって焦ってしまった。

けど彼は大きな目を更にくりっと丸くしてから、「ありがと!」と私より大きな声で叫ぶと廊下を騒がしく走り去っていった(遠くで、「走るな!」と怒る先生の声が聞こえた)


私は一気に静かになった教室でもう一度席につく。

さっきまで五色くんが座っていた横の机が、彼の立ち上がるときにぶつけたバッグのせいで大幅に列からずれているのを見て、胸がじーんと熱くなった。
ああ、惚れたよ。まぶしい君に。
たとえば世界のてっぺんで金メダルを首から下げたとしても、きっと彼は満足しないのだろう