05


2年生2学期の期末テスト間近。さすがに俺だってテストの結果が自分の将来に響く事くらいは分かっている。同じクラスのハヤシも勉強に頭を悩ませているようだ。今は机に向かう時間すら惜しいだろうな、年明け早々全国大会なんだし。

俺はサッカー部の健闘を祈りつつも自分の恋について頭を悩ませていた。
白石さんは今、隣のクラスでどんな様子で授業を受けているのだろう?授業中の彼女は積極的に発言するのだろうか、いや、大人しそうだからしないだろうな。賢二郎とこっそり入れ替わって4組で白石さんを観察したいが、俺と賢二郎の体格差を考えると到底無理な話である。


「…普段の白石さん、どんな感じ?」


最近通い詰めの4組の中、賢二郎の席で過ごす昼休憩。いつものように教室の前のほうで友人たちと昼食をとる白石さんを見ながら小声で言うと、賢二郎は苦笑いした。


「普段も何も、毎日うちのクラスに来てるんだから分かるだろ」
「昼休みしか来てないもん。授業中とか、朝とかホームルームの時とか掃除とか…どんな感じなのか知りたい」


ぼんやり白石さんを眺めながら喋ったせいで、口元からお米が落ちた。それを見てため息をつく賢二郎。俺だってため息しか出てこない。今まで誰かを好きになった時、ここまで緊張したり私生活に影響が出るような事は無かったのに。


「あの子はいつも普通だよ。最近はちょっと寝不足って言ってるのが聞こえたかな」
「寝不足か…」
「色々あんじゃね?テスト近いし」


お前も1回くらい寝不足になるほど勉強してみろよと言われたが、勉強より健康のほうが大事じゃないか?

しかし今は自分のテストや健康よりも白石さんが心配だ。朝練も放課後の練習も男子と同じように行動しているけど、体力的には結構きついに違いない。
おまけに部員も初めての全国大会で緊張というか浮足立っているかも知れないし、いよいよ寒くなってきているし、体調崩してなきゃいいんだけど。





テスト期間も白鳥沢は部活動が行われる。他の部活は知らないけどバレー部はそうだ。ちょっとだけ時間が短くなるだけで残り時間は自主練になるから、結局ほとんどの部員は残って自主練をするんだが。

今日はそろそろ上がって俺もテスト勉強に本腰入れないとなと思っていた時、1年生が話しかけてきた。


「川西さん、テーピングってどこで補充できます?無くなっちゃったみたいで」
「え。…どこだっけ」


こういうのはいつもコーチとかナナコがやってるから正直よく分からなかった。既に自主練の時間で監督もコーチも居なくなってるし、ナナコは遠くのほうで何やら忙しそうだ。


「保健室とかにあるんじゃない。俺もらってくるわ」
「えっ、いいですいいです」
「いいって」


こういう時、山形さんや瀬見さんは進んで動いてくれていたっけ。
たまには先輩らしい事しなきゃなあと思い後輩を制して保健室へと向かった。ちなみに、こんな時は決まって天童さんの顔は「先輩」の枠では浮かんでこない。

渡り廊下を歩き、保健室のある校舎までやって来るととても静かであった。テスト前の期間中だから皆図書室や自習室を使って勉強しているのだろう。さすが名門だなと他人事のように感心する。


「失礼します」


軽くノックして保健室のドアを開けると、俺の大好きな保健室の先生が机で作業をしていた。何故大好きなのかと言うと、俺の声にいつも「はーい」と明るい返事を返してくれる優しい女の人だから。唯一残念なのは、この先生が58歳って事くらい。


「どうしたの?怪我?」
「いや…テーピングが切れまして。あったら貰いたいんですけど」
「はいはい。伸びるほう?」
「どっちだろ…両方ください、伸びないやつも」
「はーい」


いつものように可愛い返事を返してくれる先生は、ごそごそと医療品などが入った引出しを漁り始めた。先生がそれらしきものを探し当てた時、ぷるると保健室の電話が鳴った。


「もしもし。はい、はい。…あ、はい分かりましたー行きます」


先生は電話をしながらテーピングを取り出してくれて、間違いないかどうか俺に示して見せた。よく分かんないけど多分あってる。俺がうんと頷くと同時に電話が終わり、先生は受話器を置いた。


「これ持って行って」
「ありがとうございます」
「白石さーん、私ちょっと職員室行ってくるからねえ、ちゃんと寝ててね」


先生は荷物をまとめながら、カーテンで仕切られた向こう側で寝ている人に声をかけた…このままさっさと体育館に戻るはずだったのに、ちょっと待て。もしかして白石さんがそこで寝ているのか。
テーピングを持ったまま棒立ちになっていると、かすかに「はい」と返事が聞こえた。ちょっとかすれているけど恐らく白石さんの声だ。

保健室のドアを開けた先生は俺がまだ室内に突っ立っているのを不思議に思ったらしく、出かけ際に俺のほうを振り返った。


「出ないの?」
「あっ、あー…えっと…ちょっと熱測ってから戻ります」
「熱?風邪流行ってるみたいだからお大事にね。そこに体温計あるから」
「ハイ。」


優しい優しい保健室のセンセー、いつか何らかの形でお詫びします。
そう思いながらドアが閉まるのを待ち、全く風邪の気配がない俺は先生から受け取ったテーピングを無造作にポケットへ突っ込んだ。そして同じ室内の、カーテンで仕切られた向こう側に意識を向ける。


「………」


あの向こうに白石さんが寝ている。そう思うと変な興奮に襲われかけたので、自分の脇腹をぎゅうとつねった。痛ってえ、けどお陰で冷静になった俺は真っ直ぐ歩き始める。そして、ゆっくりとカーテンを開けた。


「…白石さん」
「っ!?」


当然っちゃ当然だが、急に現れた俺の姿と声に白石さんは飛び上がって驚いた。見たところ寝ていたわけではなく、ちょうど起き上がったところらしい。


「…あ、白布くんの…えっと…」
「川西。ごめんびっくりさせて…風邪?」
「ただの微熱、もう下がったから戻らなきゃ」


白石さんはにこりと笑ってベッドを降りようとしたが、本当に「にこり」と笑えているなんて本人しか思ってないだろう。俺から見た彼女はいつもより顔が赤く、ちょっと頬がむくんでいて、じんわり汗をかいている。
微熱ってのも下がったってのも嘘で、大絶賛高熱に襲われ中だ。


「…ちゃんと寝てろって言われてなかった?」
「大丈夫だよ、何ともないよ」
「けど…」


何と言えばいいものか。
このまま白石さんがグラウンドに出るのは絶対にやめたほうが良い。マネージャーに限らず、同じ空間にフラフラの誰かが存在しているだけで練習に集中出来ないからだ。
でもそれをそのまま言ってしまえば「頑張ろう」という白石さんの気持ちはどうなる。難しい。


「先輩も今、熱出して寝込んでるの。だからマネージャー私しか居なくて…皆には練習に集中してもらわなきゃ」
「いやいや待って」


白石さんがぐしゃぐしゃになったシーツをめくり、ベッドの横に脱いであった上履きをはこうとしたもんだから俺は慌てて止めに入った。目が虚ろだし、額に乗せていたであろう濡れタオルはすっかり熱を帯びて枕の横に落ちている。

それに、白石さんを止めようとした時に思わず掴んでしまったその腕の温度たるや。


「身体あついよ」
「……さ、触らないで」
「離したら部活戻っちゃうだろ」
「だって…」


どうしようか、このまま腕を握っていたら変質者だと騒がれても文句は言えない。騒がれたら騒がれた時に考えたらいいか、そうしよう。
俺は白石さんが外に出るのを制した。しかし、それですんなり引き下がる女の子ではないようだ。


「…初めてなんだよ全国行くの。私がじゃなくて、サッカー部自体が初めてなの。部員の皆に変な負担かけたくない」
「白石さんが無理して出るのは部員の負担にならないわけ?」
「ならないよ!」


何を根拠にそう言えるのか分からないけどきっと根拠は無いのだろう、けれど俺は冷静なので言い返すのはぐっと堪えた。ただ言わせて欲しいのは白石さんの無理な頑張りが必ずしも幸運を呼ぶ訳では無いという事だ。


「部員に風邪が移ったとしても?」


それだけ静かに伝えると、白石さんの腕から力が抜けた。こんな意地の悪い言い方しなくたって他にも良い方法はあったかな、と後悔したけど遅いかも。


「…まあ、余計なお世話だよな」
「……」


少なくとも今は、白石さんは動くのを諦めたらしいので手を離した。
握ってたところがちょっと赤くなってる、まずい。力を入れ過ぎただろうか。 でもその焦りを隠すよりも先に口から出たのは、素直な自分の気持ちなのであった。


「部活の事を考えるのは尊敬するけど。自分の事も大事にしなきゃ駄目だよ」


白石さんはきょとんとした顔で俺を見上げた。一瞬だけ熱が引いたような表情だ。彼女が冷静な反応を見せれば見せるほど自分が恥ずかしくなってくる。これ以上ここには居るまいと振り返ると、白石さんが俺の背中に向かって言った。


「…それってどういう」
「………」


どういう意図で、なんの意味があって言ったのか。 そんなの決まっている、白石さんが苦しむ姿を見たくないからだ。好きだから。


「…そのままの意味。じゃあ俺は行くね」


そのままの意味、ってすごく卑怯な言葉だよなと思いながら俺は保健室を出た。白石さんの事が好きだから心配なんだよ、なんて言えやしない。言う度胸もない。
少なくとも俺が廊下を歩いている時には、白石さんが保健室を抜け出す音は聞こえなかった。

理屈の底を叩く雨