08


これまで松川さんがどういうつもりで、どんな気持ちで私に触れていたのかは分からない。私の事を好きだとか、特別な存在だと思ってくれているなんて考えないようにしていた。期待を持てば持つほどに辛くなるからだ。

それで良かった。だって恋人が居るなんて知らなかったんだもの。
でも駄目だった。だって恋人の存在ひとつで私の気持ちは変わらないんだもの。


「ま…ッ ぁあ、ふ」


ぐじゅりという水音は紛れもなく私たちの結合部から聞こえてくる。いつもよりもやや乱暴に私に触れる彼の心の内が読めたらいいのに。でも、這いつくばっている私を後ろから責める松川さんの顔が見えないのだから仕方ない。


「やん、だめです…ッ、駄目」
「…駄目ならもっと抵抗してみて」


松川さんが私の言う事をこんなふうに無視して行為に及ぶなんて考えられない事だった。
起き上がろうとする私の背中を軽々と押さえつけ、お尻を突き出す形にされる。すると彼は私のお尻をぐっと開いて、一層奥まで入り込んできた。いつもより強く、突き刺すみたいに鋭く。


「ひ、うッ!まつかわさ、」


かたく反り上がったそれが、私の中を無理やりな角度でこじ開けてくるのだから凄い刺激だ。やめてほしいのか続けてほしいのか決断しかねる私は、単純にその刺激を感じるまま声を上げるしかない。
ただ、松川さんの声を聞くたびに私の心も下半身も、苦しいくらいにきゅうきゅうに締まっていくのだった。


「名前呼んでくれないの」
「…名前、だって…でも、」


いつもベッドの上にいる時だけは下の名前を呼び合っていた私たち。でも恋人の存在を知ってしまった今、私にその権利があるのだろうか。良いならば喜んで呼びたい、呼び合いたい。だって、せめてここでこうしている時は、松川さんは私のものなんだ。
しかしなかなか従おうとしない私を見てか、松川さんは悲しそうに言った。


「……ごめん。最低だ俺」
「…ま…一静さん」
「無理しないで、ごめん」


松川さんは私の頭を優しく撫でると自身を引き抜いて、四つん這いだった私を仰向けにさせた。
そしてもう一度、顔にかかった髪をはらうようにして私の頬に触れる。自分が最低だと自負しておきながらそんな事をするなんて、ひどい人。そのひどい人を好きになってしまったんだから、どうしようもない。


「…このまま…最後までして下さい」


頬にあてがわれた手を逃がさないように、松川さんの手に自分の手を重ねた。


「私は一静さんが好きです、から…こうやって出来るのは、嬉しいですから」


この温かい手が私に触れている時だけは、彼は私のもの。頭の中に他の女性が居ようとも松川さんの目は私を見てる。それでもいいから一緒に居たい。その間だけでもこうしていられるのは嬉しい。嬉しいのに、なぜだか泣きそうだ。


「…悲しそうな顔してる」
「う…うれしい、です」


我慢していたのにとうとう涙も出てきてしまって、松川さんは困ったように眉を下げたけど優しく涙をすくい上げてくれた。そのまま離れようとする彼の手を私が握って離さないので、しばらく松川さんは私の真意を図るためか、真っ直ぐに私を見下ろした。私は彼の手を強く引くことで意思を伝える。そんな目で見られても気持ちは変わりません、と。

松川さんは無言のまま頷くと、仰向けの私にまたがり顔を近付けてきた。求め合うように激しい舌の動き。私自身がこんなキスの仕方を知っているなんて自分でも驚きだ。唇に集中していると気付けば松川さんが挿入の態勢に入っていて、既に濡れそぼったそこへ一気に押し込まれた。


「……ッふぅ ぁ、」
「………」


私が痛みを感じていない事は手に取るように分かるだろう、こんなにもぐしょぐしょで、こんなにも伸縮しながら松川さんを締め付けている。もう何度か彼を受け入れたそこは松川さんの大きさや硬さを記憶しているのかも。
だからすぐに松川さんは動き始めた、いつもより激しく、いつもより奥へ。


「あっ、あぁ!や…っだめ、それ」


一番深いところにごりっと先を押し当てられて、そのまま暫く擦り付けられるのがたまらない快感だった。このまま松川さんごと私の中に入ってくればいい、そしたら他の誰にも取られないのに、なんてぼんやり頭に浮かぶ。


「…気持ちいい?」
「きもち、です…もっと、お願いしま…」
「もっと?」


これ以上されたらどうなるか分からないのに、自然とおねだりする自分の淫乱さにうんざりだ。
でも松川さんは私の要望を受けて、一層強く出入りを始めた。さっきまでは聞こえなかった肌と肌のぶつかり合う音が響き、飛び散る液体が彼の寝床を汚している事も忘れてしまい、与えられる刺激の反動でだらしない声だけが漏れていく。


「ああ、も…いきそ、ッは、あっあ」
「…うん。いいよ」


いいよ、と許可の声が聞こえた途端、ストッパーが外れたみたいにいきなり快感の波が押し寄せた。松川さんが私の感度をコントロールしているみたい。
その気持ちいい波を逃がさないように松川さんがぎゅっと私を強く抱きしめて、私が余韻に浸るのを許さずに 、松川さんが限界を迎えるまでずっと激しく責めたてられた。





「…松川さん」


ぐったりとベッドに横たわる松川さんが何を考えているのかは分からなかった。そんな松川さんの名前を呼ぶと、彼は少しだけ顔を上げたが私のほうは見ていない。それでも構わず私は続けた。


「私、松川さんが好きです」


シーツだけを身にまとって言うような台詞では無いかも知れない。でも、今言わなければもうチャンスを与えて貰えないような気がして。

松川さんは私の言葉を聞くと「うん」と小さく返事をした。でもその顔は笑っていなくて、どこか私とは関係の無い遠くの事を考えている顔だ。松川さんの彼女は恐らく宮城県に居るのだろう。その人の事を考えているんだ。


「…わたしは…松川さんが帰るまでの間だけでも、いいです」


それでもいいから傍に置いてほしいと言う願いを伝えると、切れ長の松川さんの目が大きく開かれた。


「それって…」
「帰っちゃったら諦めますから…ここにいる間だけ、駄目ですか?」
「………」


このお願いが、松川さんを困らせる内容だという事くらい分かっている。でも苦しくて言わずには居られない。私ひとりで対処できるほどの苦しみでは無くなっているのだ。
しかし松川さんは案の定眉を下げてしまった。


「ごめんね。ほんとにごめん」
「……」
「そういう事言ったら駄目だよ。俺みたいなやつに白石さんは勿体ない」
「そんなこと…」


むしろ逆ではないだろうか、私みたいな世間知らずの幼稚な女を松川さんが相手にしてくれるなんて、数々の偶然が重なった結果に過ぎない。
別の出会い方をしていたら絶対にこんな事にはならなかっただろう。松川さんが私を目に留めることは無かったに違いない。

けれど私は例え別の場所で会ったとしても、きっと松川さんに恋をしたと思う。


「白石さんには絶対、もっと素敵な人がいるから」


だけら、こんなこと言われたって到底理解できなかった。私にとっての素敵な人は松川さんしか居ないから。


「終わりにしないと」
「……え…?や、です…」
「俺が全部悪かったから…」


松川さんは苦しそうに言った。ああ、私が我儘を言ってしまったから困らせているのだ。私のせいなんだ、と後悔の念が浮かぶけれど同じだけの憤りを感じる。


「…じゃあ…どうして私に、あんなふうにするんですか?」


そんなふうに終わりにするなら、どうしてあんな態度で私に接してきたんだ。私をとても愛おしく思っているかのように。恋人みたいに。


「まるで、私のことを…好きみたいに」


真意を私に悟らせない絶妙な振る舞いは、だんだんと私に「もしかして」という期待を持たせるようになっていた。

それでも松川さんが湘南に居るのはたったの2ヶ月、夏が終われば会えなくなる。そう思って気持ちを抑えていたのに、まさかこんな事がきっかけで告白してしまうなんて。そして、振られてしまうなんて。
それも「ごめんね、そういう対象じゃないから」と言う断り方なら諦めもつくのに、松川さんは細い杭で私の心臓をぎりりと痛め付けてくる。


「……気付いてるでしょ」
「分かりません。…それって…凄く…ひどい、です」


もう消えてなくなりそうなほど私の心は弱っているし、消えてしまえばどれほど楽なのか分からない。それが出来ないのは松川さんが私を力ずくで帰そうとせずに、泣き崩れる私の頭をいつもと変わらぬ手つきで撫でてくれるせい。

目の前で女の子が泣いていれば反射的にそうしてしまう人なのだろう、それがどれほど残酷な事なのかも知らず。


「……さいていです」


精一杯の憎しみを込めた言葉なのに、私の顔には「憎い」という感情なんか浮かんでいなかっただろう。本音は全くの逆だ。


「…好きです。一静さんが」


「一静さん」と呼ぶと、松川さんは悲しそうな顔をした。悲しませたいわけじゃない。ただ一緒に、時間を忘れて触れ合っていたかっただけなのに。
もう少しだけ、あなたが帰るまでの間だけお願いしますと手を握るけれどもそれは優しく振りほどかれた。


「白石さん」


そして、松川さんは私の苗字を呼ぶ。


「…ごめんね。」


なんと言われたって諦められない、彼女が居るからと言って簡単に忘れられるわけはないのに、そんな四文字の言葉だけで私を宥めようなんて浅はかだ。
声が枯れるまで松川さんを責め続けて、泣き続けて、いつの間にか夜は開けていた。

ブルーモーメントに眩む