03


俺たちバレー部が烏野に負けて決勝敗退したというのに、サッカー部は全国大会への出場権を獲得するなんて。お陰で白石さんは練習試合の日程組みとか用意とか、部員の事や自分の事でたいそう慌ただしそうだ。

俺が賢二郎に会いに(ゴメン、本当は白石さんを見るために)4組へ行くと、友人たちと話している時もあるがそれ以外は一人で机に向かっている事も多かった。
賢二郎によるとメンタルケアだか何だかの本まで読んでいるとは、ナナコにも見習わせろよ。まあバレー部にはメンタルケアが必要なヤツなんて今のところ賢二郎しか浮かばないけど。これ内緒。

そんな折、12月に入ったばかりの時期。何故だかよく分からないが宮城県内の1年生が白鳥沢に招集されての合宿が行われている。その中にはあんまり顔を合わせたくない烏野のミドルブロッカーも居たりして。だって決勝の時、こいつに何度止められたか分からないんだもんな。


「…10番も居るし。」
「うげえ」
「まあそう言わない!数日間は顔合わすんだからさ!」


俺と賢二郎は本当に本当にあの試合の事を思うと胸が痛くなるんだけど(ナナコだって同じだろうけど)ナナコは既に他校の人に挨拶していた。来年も練習試合や公式戦でお世話になるんだからーだって。出来過ぎちゃんかよ。
賢二郎はナナコの言う事には気持ちが悪いほど従順なので、苦い顔をしながらもすれ違う時には会釈をしたりしていた。


「セッターは来てないんだ」


しかし、同じポジションの烏野9番の事だけは気になるらしい。あいつの姿が無い事を不思議に思った賢二郎はちらちらと体育館内を眺めていた。そして、9番はユース合宿に呼ばれているのだと知った時には盛大な舌打ちをしていたってのは言わなくても分りますよね。
ユースで揉まれた年下セッターが来年も宮城県内に存在するなんて考えたくない。ので、そんな事は忘れるために今日も俺はロードワークに出ようとしたのだった。白石さんの姿を拝むために。

監督は他校を含めた1年生を見ているし、声が大きな五色もそいつらと混ざって別の体育館。ラッキーなことこの上ない。
練習が一段落した頃に「俺ら走ってくるわ」と無理やり賢二郎を引っ張って外に出ると、うーん、いい具合に寒いな。


「っくそ…寒い」
「ちょっと我慢して下さい。」
「まあいいけど。白石さんどこ?」
「えーと…あれ。居ないや」


グラウンドにはサッカー部が練習する姿はあるものの、肝心の白石さんが居ないじゃないか。これでは出てきた意味がない。
ハヤシたちはシュート練習やパス練習をしていて、相変わらず足でボールを操るハヤシは様になっているのだった。


「ベッカムみてぇ」
「…太一、この前ベッカムは古いって言わなかったか?」


確かに言ったかな。でもあんな揉みくちゃの状態で仲間の足元に正確なパスをするなんて凄いよなあ。俺もサッカー部だったら白石さんと仲良くなれたかな。しかしサッカーがうまくできる自信は無い。これでもバレーボールだって必死ですから。


「…あのー。」


グラウンドを覗いていると女の子の声がした。それだけで飛び上がった俺は分かりやすかっただろうか。一瞬の間にマシな表情を作り上げて振り返ると、白石さんが立っていた。


「あ、白石さんお疲れ。」
「お疲れ様…何してるの?」
「今ちょうどロードワーク中で」


…ロードワーク中に立ち止まってサッカーグラウンドを眺めていた事は告げ口しないような人だと信じたい。


「サッカー部気合入ってるね」
「あ、うん…初めての全国だから。でもみんな緊張してるみたい」
「だよね…」
「あ、二人はインターハイ経験者だっけ」
「経験者ってほどでは」


まあ経験者なんですけどね。賢二郎のほうも瀬見さんの座を奪って正セッターでの出場だったから、胸を張って「経験者」と言えるだろう。


「けどホントに凄いと思うよ。サッカーで全国なんて」


隣の賢二郎がさらりと言った。お前その台詞は俺に譲れよ。白石さんは明らかに顔色が明るくなって誇らしそうに言った。


「ありがとう!今日から週末は合宿なんだ。寮が騒がしくなると思うけどよろしくね」
「……え。合宿」


合宿ということは。合宿用施設を使うのだろうけど、人数の多いサッカー部は恐らくあそこには収まらない。
これまでも野球部やサッカー部の何名かは寮の空き部屋を使ったり、食堂や共用スペースを利用していた。今までは何とも思わなかったけどハヤシも来るって事だよな。

でも、でも。それはつまり、もしかして。


「白石さんも学校に泊まるの?」
「うん。女子寮に」


なんということだ!今日は金曜日。今日から日曜日までの二泊三日、白石さんもずっとこの学校の敷地内に居るのだとしたらとんでもない幸運だ。俺の頭の中は色々な妄想でいっぱいになった。夜に偶然出くわして校庭を散歩したりとか、あわよくばあんな事やこんな事が出来ちゃったり言われちゃったり。
しかし、浮かれ気分で白石さんと別れた俺に賢二郎が一言。


「ハヤシと白石さん、夜に落ち合ってたら笑えるな」


笑えねえよ馬鹿野郎。今まで賢二郎のこと、ちょっとからかい過ぎたかな。





待ちに待った夜だったが俺たちは寮から出る用事もなく、白石さんが女子寮から1人で外出する用があるとも思えず。談話室が少し賑やかになった以外は何も変わらない夜だった。


「サッカー部の合宿?フーン」
「すげえな。サッカーで全国行くほうが大変だろ」


そんな中、引退はしたけれどもまだ寮生活を送っている天童さんと瀬見さんがやってきた。突然人の増えた談話室を見て何事かと驚いていたのでサッカー部の事を告げると、何故か天童さんは面白くなさそう。


「そんな事より小腹が空いたよ俺は」


面白くなさそうというよりは、全く興味がなさそうだ。


「お前さっき俺のポテチ食ったじゃねえか」
「英太くんがコンソメしか持ってないから仕方なくコンソメを食べたけれども!うすしおが好きなの俺は!」
「知らんわ」


そろそろここを離れたほうが良いかもしれない。目配せすると賢二郎も頷いたけど、いま席を立つと目立ってしまう。目立つということはつまり、こういう事だ。


「そこのかわいい後輩たちよ!」


天童さんの大きな声。近くに座っていた俺と賢二郎は自分たちが呼ばれたのだと気付き天を仰いだが、とりあえず振り向かずに耳だけ傾けた。どうせこのままでも話が続くので。


「受験を頑張る先輩のためにポテチを買ってきてくれないかね」
「えー…」
「えーじゃないよ太一、今度英太くんが練習付き合ってくれるから」
「いりませんよ」
「何で俺が傷付くんだよ」


ぶひゃひゃと天童さんの笑い声が響き渡る。瀬見さんが付き合ってくれるのは有り難いけどあんまり迷惑かけられないんで、という意味だったんだが省略し過ぎたかな。瀬見さんごめんなさい好きですよ。

すると賢二郎が時計を見やってからゆっくり腰を上げた。


「俺も何か食いたいし行ってきますよ」
「おっ!ありがと〜」


賢二郎はコンビニへのお遣いに行くらしい。どうせ今からする事も無いからなのだろうが、時々こうして面倒な仕事を引き受ける賢二郎は凄いと思う。そんな尊敬すべき親友に俺も一声かけてみる。


「うまい棒めんたいこ買ってきて5本くらい」
「お前も来るんだよ馬鹿か」


あ、やっぱりそうですよね。





寮から一番近いコンビニまでは歩いて5分くらいなので、面倒くさがるほどの距離でも無いんだけど。入浴を終えて寝る準備万端にしてしまった後に外出するのはけっこう大変だ。

この生真面目な賢二郎はなんだかんだ「先輩は敬うもの」という考えを持っていて、1年の時からすげえなと思っていたものだった。瀬見さんに対してだけが刺々しかったけど、それも落ち着いたし。…瀬見さんの引退後だけど。

まあ、そんな感じで俺としては若干…いやかなり面倒くさいお遣いだったので、賢二郎の背中に向かってぐちぐち言いながらついて歩く。賢二郎はそんな俺の言葉をスルーしながらコンビニまでの道のりを歩き、到着したとたんに立ち止まった。

どうしたのかと前方を見たとき、俺はお遣いという名のパシリに連れ出してくれた賢二郎に感謝したのである。


「……白石さん!」


運命・神様・仏様というものを今から信じよう。白石さんがコンビニの中から現れたのだ。


「あ、ふたりとも」
「何してるの?買い物?」
「うん。こんな時間だけど甘いもの欲しくなっちゃって」


照れくさそうにコンビニの袋を揺らす姿の可愛らしいこと。一緒に食いてえ。チョコレート「あーん」とかやりてえ。「口元についてるよ」「えっやだ恥ずかしい取って」からのキス、みたいな事してえよ。


「泊まりで合宿なんて大変そうだね。白石さん実家通いだろ」


俺が妄想を繰り広げていたら賢二郎が冷静な声で言った。だからそういう台詞は俺に譲れよ!…俺がぼやっとしてるから言ってくれたのか。


「そうだね…でも凄くやり甲斐あるよ」
「………」


白石さんは、昼間と同じように誇らしそうに言うのだった。
運動部のマネージャーを軽視する声を聞いたことがあるけれども、絶対に楽な仕事ではない。こういう人たちが居なければ部員は気持ちよく練習が出来ないのだ。ってのをナナコのお陰で知っているので、白石さんの大変さや、大変な事以上にきっと嬉しい事のほうが多いんだろうというのは安易に想像できた。その「嬉しい事」というのがハヤシに関わるならショックだが。


「ハヤシは…やっぱり…凄い?」
「え」


あっ、やばい聞いちゃったかな。賢二郎は俺がハヤシの名前を出したことに驚いているようだ。だって気になるんだもん。
白石さんはどうして俺がそんな質問をするのか不思議そうだったが、すぐに笑顔で頷いた。


「うん。なんて言うんだろうね?華があるよねマコトくんって。チームに居ると空気が変わるの。クラスではそんなことない?」


聞かなければ良かった。白石さんがハヤシのことを「マコトくん」と呼んでいるのを知らずに済めたなら。嬉しそうにハヤシの話をすればするほど俺の精神が削られていく。
嫉妬という醜い感情の他に、その嫉妬対象であるハヤシが「サッカー部に必要不可欠な存在」という揺るがない立ち位置である事にも、俺には敵わないという劣等感を感じさせた。だって、せめてハヤシに何かが欠落していれば俺の心は救われるじゃないか。

けれどそんな醜い感情、白石さんはおろか賢二郎にすら見せたくはない。だから俺はいつもの通り、けろりと笑って見せたのだった。

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