01


一つの目標を失って部員みんなの心がばらばらになるのかなと思われた秋。なんとも結束力の硬い白鳥沢学園バレーボール部の面々は休むことなく練習に明け暮れていた。

中学の頃は自分がここまで熱血になれるなんて思ってもみなかったが、元主将の牛島さん直々に時期ブロックの要などと言われたのでは期待を裏切るわけにはいかない。
それに、昨年度の終わりから晩夏にかけて、長きにわたり俺の心をひやひやさせた男女はすっかり落ち着いていた。


「太一おつかれー」
「うい」


外はすでに肌寒いのに、身体を動かせばとめどなく汗が流れ出る。
練習がひと段落したころにドリンクを配ってくれたナナコは白布賢二郎の彼女で、よくできた女の子だ。部活中は賢二郎を特別扱いすることも無く、言われなければ二人が付き合っている事に気付かない人間だっているかも知れない。それを気付いてしまうような目ざとい人は無事に引退しているし。


「賢二郎は?」
「瀬見さんと話してる」
「うわ…瀬見さん来てんの」


驚いてナナコの指さしたほうを見ると確かに瀬見さんと賢二郎が仲良く並んで話をしていた。まあ二人の顔に笑顔なんか見えていないので「仲良く」なのかは知らないけどさ。


「賢二郎が瀬見さんに声かけたみたいで。ちょっと話聞いてもらえませんかって」
「え!?あいつから?」
「びっくりだよねえ」
「びっくりっすわ…」


初めて出会ったときからツンツンしていた賢二郎が先輩の教えを素直に聞くようなやつになったのは、絶対に俺のお陰だと思う…嘘。辛抱強く賢二郎を想っていたナナコのお陰だと思う。

春高予選の決勝が行われ敗北してからというもの、俺と賢二郎の負担はちょっとだけ増したがマネージャーの彼女も同じように仕事が増えたに違いない。3年生にはマネージャーが居なかったけど、そのぶん先輩たちが担当を振り分けて行っていたいろんなことをナナコが受け持つようになったのだから。
そんな彼女を今度は賢二郎が「しんどくないの?」などと気遣う場面が見えてきて俺は嬉しさで胸がいっぱいである。

それと同時にそんな仲睦まじい二人を見ると明確に思ってしまうのだった、「俺も彼女がほしい」と。


「つうかお前好きな子いんの?」


彼女がほしいな、お前らうらやましいな、とぽろりとこぼした昼休み。賢二郎はうどんを食べながら聞いていた。

そうだよな、「彼女がほしい」と言ったって相手が誰でもいいわけじゃない。好きな子と付き合わなければ意味がない。しかし俺だって何も考えずに「彼女がほしい」と言ったわけではないのだ。実を言うとここ最近気になる女の子がいるのである。


「俺、黙ってたんだけどさあ」
「うん」
「好きな子できたわ」
「ぶっ!」


賢二郎がすすっていたうどんを危うく逆流させるところだった。
残念ながら汁が数滴こちらに散ってきたので机に常備されている布巾で拭きながら、今の驚きようはどういう意味だったのかを聞くことにする。


「何びっくりしてんの。俺にだって好きな子くらいできますよ」
「げほっ、いや…急だったもんで」


急も何も、お前がナナコと別れた〜とか抜かした時のほうが急だったんですけど。
賢二郎は口の周りに飛び散った汁を拭くためにポケットを漁り始めたがお目当てのものが無いようで、きょろきょろと見渡している。見かねた俺はロードワーク中にいつも道端で配られているポケットティッシュを渡してやった。


「さんきゅ…で、どこの誰?」
「4組の子」
「は?俺のクラスじゃん」
「そうなの。羨ましい」
「で、4組の誰」


ひととおり口元を拭けたところで箸を置き、賢二郎はやっと話を聞く態勢になってくれた。そこへちょうどよくナナコが親子丼を持って合流してきたので、女子の意見を聞ける良いチャンスかもしれない。


「お待たせー。食べるの早いね」
「うん…ナナコ、座って食ってて。んで太一の話聞いて」
「え、何々?いただきまーす」


ナナコは割り箸をきれいに割ってとろとろの卵にすっと箸を入れ、一口ぱくりと口へ運んだ。食事を始めたばかりのナナコには悪いけど話を本題に戻す。


「俺、好きな子できたわ」
「ぶっ!」


今度はナナコの口から米粒がびゅんっと飛んできて、俺のネクタイにくっついた。


「…おたくら二人お行儀悪いよ」
「悪かったな」


賢二郎はまるで、突然恋のカミングアウトをした俺のほうが悪いかのように睨みをきかせてきた。俺が渡したポケットティッシュを1枚取り出してナナコに渡し「これで拭いて」「ありがと」などと話している。先に俺に渡せよ。それ俺のだし。


「で、どこの誰?」
「4組の子」
「賢二郎のクラスじゃん!」
「そう。賢二郎がうらやましい」
「で、4組の誰?」


やっとナナコと賢二郎の意識統一ができたところで話を続ける事ができる。
ふたりに気付かれないように溜息をついて、近くに同級生が居ないのを確認してから「白石さん」と小声で言った。耳を澄ませていた二人は恐らく白石さんの顔を頭に浮かべているのか目線が宙を浮いている、そして同じタイミングで「ああ」と納得したように言った。こいつらもう夫婦じゃん。


「ナナコも知ってる?白石さん」
「うん。4組と体育が合同だから」


体育は2クラス合同で行われるので、ナナコの居る3組と4組は一緒らしい。そう言えばそうか。これはナナコにも協力してもらう機会があるかもしれない。


「…白石さんてあんまり目立たない人だよな。なんで太一が知ってんの?」


賢二郎の質問はごもっともだ。白石さんは派手じゃない感じの女の子だが、それがまた魅力なのである。
もちろん美人で派手系のお姉さんも好きっちゃ好きだけどそれはそれとして、なぜ俺が別クラスの女の子を知り、興味を持つに至ったのかを説明しなければならない。けれどそれには少しだけ、ナナコと賢二郎の機嫌を損ねることになるかもしれないが。


「白石さんさ、サッカー部のマネージャーなんだよ」
「……サッカー部」
「そう」


ナナコと賢二郎が一度破局している間に、ナナコと1・2か月だけ付き合っていた男がサッカー部に居る。それを思い出したらしい二人は少しだけ苦い顔をしたが、そこは聞き流してくれないと話が進まないので俺は続けた。


「ロードワークん時にグラウンドの横通るじゃん俺ら。ハヤシの事があった時からちょっとだけ見るようになったんだけど…で、白石さんが居た」
「一目惚れ?」
「んー…いや」


一目惚れというわけじゃないかな、何度か見かけてから惹かれ始めたから。
サッカー部も白鳥沢の中ではそこそこ強く、そんな部員の多いサッカー部のなかでマネージャーは二人だけだ。白石さんと、あと…誰か知らないけど。

大変そうだなと思いながら見ていたのが始まりで、いつしか朗らかな笑顔で部員に接する彼女に心が揺れ始めたのである。


「太一は白石さんと喋ったことあるの?」


あれから無事に親子丼を食べ続けているナナコが言った。


「一応認識はされてると思う。4組入る時、白布いますか〜って何回か白石さんに聞いたんだよね」
「…最近やけにうちのクラスに来るなと思ってたけど、白石さん目当てかよ」
「ええ、まあ」


俺は食堂以外で昼休憩を過ごす時には決まって4組に行っている。利用できるものは親友であっても利用させていただくのですよ。それに賢二郎だって俺の居る5組に来るよりは良いはずだ、なんたってうちのクラスにはハヤシが居るからな。

賢二郎はしばらく考え込んでいた様子だったけど、意を決したかのように言った。


「……本気なら協力する」
「え!?」


思わず驚きの声が出た。賢二郎がそんな慈愛に満ちた言葉を発するとは思いもよらないじゃないか。しかし俺がびっくりしたのを見て賢二郎の表情は慈愛度がゼロになった。


「なんで驚いてんだよ」
「や、賢二郎のほうからそう言ってくれるなんて意外…いや嬉しくて?」
「失礼だな。協力はするよ、できる事なら」
「私たちのキューピッドだもんね」
「…ありがと」


賢二郎もやる時はやってくれる男だけど、こういうのはナナコのほうが向いてそうだ。女子が恋の協力をしてくれるのはとても心強い。べつに賢二郎が頼りないってわけじゃないのだが。
しかし俺がこれまで彼らに尽くしてきたことを考えれば、期待をしても良いかもしれない。





「…あ、ほら。あそこ」


その日のロードワークの行き帰りに、早速賢二郎もサッカー部のグラウンドに目をやっていた。
練習が行われる広いグラウンドの脇で何名かの部員とマネージャーが二人、ビデオを撮ったり記録をしたり片付けをしたり。やはりその中でも俺の目に入るのはたった一人だった。


「白石さんだ…かわいい」
「はいはい」
「冷たっ。協力してくれるんじゃなかったのかよ」
「惚気話の相手をするとは言ってない」


してくれよ、そのくらい。今夜は賢二郎の部屋で白石さんの事を語り尽くしてやろう…と考えているとホイッスルが鳴り、コートで動き回っていた部員が監督のもとへ集まり出す。


「……ハヤシだ」


もちろんハヤシもその中にいた。ビブスに書かれた背番号は文句無しの10番。恐らく実際のユニフォームも10番を与えられているのだろう。ハヤシと俺は同じクラスで、他の部員と部活の話をするのを聞いたことがある。
その時の様子からして、あいつが白鳥沢学園サッカー部のゲームメーカーである事には違いない。

ハヤシはコート脇に居るマネージャー二人のうち、白石さんからドリンクを受け取った。今絶対指が触れただろ。羨ましい。そのまま何やら会話を始めた。


「喋ってる…」
「そりゃそうだろ」
「……」


真面目そうな顔をして話している彼らを見ていたけど、それはだんだん和やかなものに変わっていった。白石さんが口元に手を当てて笑うのが見える。ハヤシの顔は見えないけど。ハヤシの飲み終えたボトルを受け取った白石さんは、彼に何か声をかけて背中をぽんと叩いた。


「…あ…あれ?」


あの雰囲気って、なんだかあまり良くないぞ。いや一般的には良い雰囲気なんだけど。俺にとっては全く良くない。


「……言いたかないけど」


賢二郎もぴりりとした表情で、「言いたかないけど」と言いながらもズバッと続けた。


「白石さん、ハヤシのことが好きなんじゃねえの?」


…やっぱりお前もそう思った?俺もちょうど感じたところだ。まだ俺たちの前に立ちはだかるのか、ハヤシよ。

01.とある僕の恋の話