06


ふたりで江ノ島に行った夜、私がアルコールの影響を受けていなかったとすれば松川さんの唇が私に触れたのは確かだ。温かくて、柔らかい唇が。

それから1週間ほど松川さんからの連絡は無くて、私から連絡をする事もできなくて、あれで私たちの関係は終わってしまったのかなと感じていた。「私たちの関係」なんて言っても大した事は無く、一緒にサーフィンをして江ノ島に行って、最後に一度キスをしただけの仲なんだけど。

そんなときの気晴らしはやっぱり散歩だったので、休日の朝海岸沿いを歩いていた。今日も富士山が綺麗で、松川さんと一緒に行った江ノ島もくっきり見えている。
砂浜には早くから海に出ようとする人が沢山居て、その中に松川さんの姿が無いかなあなんて思いながらぼんやり眺めている…と。


「今日はしないの?」


ほんとうに夢みたい、私と彼は何かで繋がっているんじゃないだろうか。松川さんがスーツ姿で立っていて、眩しそうに手のひらを額に当てていた。


「松川さん!おはようございます」
「オハヨー」
「今から仕事ですか」
「うん。」


松川さんは暑い暑いと言いながらジャケットを脱いで手に持つと、鞄の中からタオルを取り出した。どうやらものすごい汗が出ているらしい。


「い〜天気だね。俺も海入りたい」
「暑いですよねえ…私は今日は散歩だけですけど」
「代わりに仕事行ってよ俺遊んでくるから」
「無理ですよお」


このあいだの夜の事は嘘みたいに普通の会話ができていて、安心したような少し残念なような。
このままあの時の話はしないほうが良いだろうか。あの時どうして私にキスしたんですか、なんて。その場の雰囲気だけだったかもしれないし、深い意味は無かったとしたら…


「白石さん」


優しい声で呼ばれてどきりとする。松川さんは相変わらず穏やかで(暑そうである事以外は)、私がひとりで緊張しているのが恥ずかしい。けど、もっと緊張してしまう事を言われた。


「次の金曜日って仕事?」
「…? 仕事です」
「何時まで」
「早番で、6時まで…です」
「6時か…」


だんだんと心臓の動きが速まっていく。前に閉店時間を聞かれた事はあるけれどその後特に何も言われなかったし、今回も特に意味の無い質問かも知れないのに。だから期待をしてはいけないのに。
それなのに松川さんが私の事を優しく見下ろしてくるからいけない。


「8時まで空腹我慢できる?」
「え、」


退勤してから2時間、空腹を耐えられるかとの事。我慢しようと思えばできる。いや、絶対に我慢できる。次に松川さんから発せられる言葉が私の予測通りなら。


「何か食べに行きませんか?」


その質問に私は何度首を縦に振った事か分からない。松川さんとわざわざ仕事の後に待ち合わせて、晩御飯を食べに行ける!

2時間なんかじゃ足りやしない。仕事が終わったら一目散に家に帰ってシャワーを浴びて、着替えてメイクしなおさないと!





待ちに待った金曜日、朝起きると松川さんから『8時に迎えに行くよ』とメッセージが入っていた。松川さんがお家に迎えにきてくれる。嬉しい!

仕事中も上の空で、少しでも今夜の私をスリムに見せるため昼ごはんを少なくしたりもした。何着て行こう?昨日の夜ちゃんと考えたけどやっぱり不安だなあ。

そうしてあっという間に夜、一度シャワーを浴びて髪を乾かしながら考える。…今日って晩御飯を食べに行く約束だけど、それだけで終わるのだろうか…いや、終わるんだろうけど…余計な事を考えてしまう。
松川さんともしかしたら、そういう事にならないかなあと。

今日だけでもいい、いつかは帰ってしまうんだから。一度だけでも松川さんの優しい目に見られながら夜を共にしたいなあ、って何考えてるんだ私は…ああもうこんな時間!デジャヴである。


「あ、来た」


慌てて階段を下りてマンションの入り口に出ると、既に仕事帰りの松川さんが立っていた。私の姿を見つけて小さく手を振ってくれるのがもうたまらなくて、私も小刻みに振り返した。


「すみませんお待たせしました…」
「まだ5分前だよ。優秀」


そう言いながら松川さんは私の頭をそっと撫でた。なにこれ、なにこれ。シャワー浴びておいて良かった、家を出る前にヘアコロン振っといて良かった。


「…なんか良いにおいする」
「へ、あ、そうですか?」
「うん」


それはヘアコロンの手柄なのだが言わないでおこう。松川さんが「何だろ」と言いながらすんすんと鼻を鳴らしているのが可愛いから。


「どこ行きますか?」
「この道沿いに色々おしゃれな店あるじゃん。一人で行くの抵抗あったからちょっと付き合ってもらおうかと」
「わあ…」


確かに、駅から海岸沿いを歩くと色々な飲食店が並んでいる。ハワイアンな感じのところ、ちょっと高級そうなところ。
私も興味はあったけど行けていないのでとても嬉しい。それよりも、一緒に行く相手として私を選んでくれたことが嬉しい。


「車で迎えに来るのが理想だけどね」
「そ、そんなこと…出張中だから車ないでしょう」
「まあ男はそんなもんなのよ。女の子の前じゃ見栄張りたがるの」


しれっと言い放つ松川さんの隣を歩きながら、私は考えた。松川さんは私をコドモとか妹みたいな存在じゃなくて、「女の子」として見てくれてるって事?それは私に松川さんの彼女になるチャンスがあるという事?
だから誘ってくれたの?江ノ島も、今日も。だからあのとき、私にキスを…


「白石さん、苦手なもんとかある?」


意識が過去にさかのぼっているうちにお店に入り、気づけば席に座っていた。何やってんだ私は。


「大丈夫です!何でもいけます」
「いいね〜」


ふたりでメニューを見ながら注文をして、ちょっとだけアルコールも頼んだりして、どこからどう見てもカップルのデートみたいな状況だ。
料理が来るまでの時間は緊張して黙り込んでしまうかもしれないと思ったけど、松川さんが色々と会話をしてくれた。


「お酒強い?」
「弱くはないと思います」
「頼もしー」
「松川さんは?」
「うーん、人並み程度」


下戸には見えないもんなあ。しかし私は折角のアピールチャンスに「弱くはない」と答えてしまうなんて。「弱い」と答えておけば可愛げがあったのにと後悔した。


「白石さんて、どうして地元出てきたの」


程よくお腹が膨れたころに松川さんが言った。以前同じような事を聞かれて濁した時は、それ以上の事は聞かれなかったのだが。
正直これには答えにくい事であった。が、もっと私の事を知ってほしいという気持ちも溢れてくる。


「たぶん、松川さんが聞いたら馬鹿らしいって思うかもですけど」
「大丈夫。馬鹿みたいな知り合いいっぱい居るから」
「そ、そうなんですか」


松川さんのお友達は皆、背が高くて仕事をばりばりにこなして美人の彼女が居て、六本木ヒルズに住んじゃうような感じの人を想像していたけど違うのか。


「私、地元で…三重で普通に就職してまして。でも、ちょっと…その時付き合ってた人と…まあ…端的に言うと振られまして」
「ああー…ごめん」
「いや、それはもう大丈夫なんですけどね!でも、どうせなら彼氏も友達も親も居ない場所で一人でやってみようかなーって」


そうしてやって来た湘南で、探そうとしていたものを彼に言うべきだろうか。ドラマや漫画に影響された馬鹿なやつだと思われるかも。


「…そこで新しい恋見つけようかなあ、なんて思って…」


でもここまで話してしまったら、その言葉は自然と出てしまった。


「そっか」


松川さんはほんの少し俯いて、テーブルの上をぼんやり眺めていた。
そう、そしてあなたを見つけたんです。私は松川さんへの声に出せないメッセージを視線に乗せる。そのタイミングで松川さんが顔を上げて言った。


「見つかった?新しい恋」


どくりと血液の循環が速まる。
私の新しい恋はもう、すぐそこに。あなたが、まさにそれなんです。


「………み…」


見つかった、あるいは見つかっていない、どちらを答えようとしたのかは覚えていない。私が答えようとした時にちょうどお酒が運ばれてきたので、その話はそこで終わってしまった。





アルコールを程よく摂取したものの、私の頭は冴えたままお店を出た。
松川さんは私の気持ちにきっと気付いているのだ。私がそれを隠すべきか迷っている事にも。それなのに私とこうして会ってくれるのはどうしてなんだろう、松川さんは私の事をどう思っているんだろう。

家までの道を送ってもらいながらそんな事ばかり考えて、いつもよりも黙りこくってしまった。


「静かだね」


とうとう松川さんにも苦笑される始末で、「原因はあなたです」なんて言えずに私も苦笑して返す。もっと一緒に歩いていたいような、それとも一人になって考えたいような微妙な気持ちになりながらあっという間に家の前に到着した。
そうなれば一気に離れるのが寂しくなってしまい、私がマンションのロビーのドアをくぐるまで待っていようとする松川さんの前から動く事ができない。


「…ご、ごちそうさまでした」
「いいえ」
「………」


やっぱり離れたくない。松川さんの事が好き。今日だけでいいから一緒に過ごしたい、これで終わりになっても。
なんてがらにもない事を考えて、私はいつの間にか松川さんのシャツをぎゅっと握っていた。


「…まつ…かわ、さん。私、あの」


伝えるべき?秘密にしておくべき?とっくの昔に知られているだろうこの気持ちを。


「大丈夫?酔った?」


なかなか喋らない私に向かって松川さんが言った。私は酔っていると思われているらしい。全くこれっぽっちも酔いなど回っておらず、はっきりと松川さんが好きだと認識している。
でも、ぴんときた。お酒のせいにしてしまえば良いのだ。そうすれば少しの我儘だって、少し積極的になってしまったって言い訳が出来るじゃないか。

ちょっとだけ酔いました、と呟きながら松川さんの腕に手を添える。分厚い手のひらに触りたいし、触って欲しい。このあいだみたいに。


「…あの、わたし…」


口を開いた時、松川さんの手が私の手と絡み合った。指と指の間に松川さんの指が。
すごく手が大きい事にびっくりした頃にはもう片方の手が私の後頭部に回っていて、今夜も月明かりの下で唇を重ねる事となった。でも今日はそれだけじゃあもう足りない。私も、たぶん松川さんもそうだと良いなあ。





「酔った私を介抱してもらう」という名目で松川さんは私の部屋に上がってくれた。でも水を飲ませてくれるとか顔を洗ってくれるとかそんな事は無く、私が部屋のドアを閉めると靴も脱がずに抱きしめられる。
ああ、少しだけ汗のにおいがする。松川さんが1日仕事を頑張った汗か、それとも今この状況に少なからず緊張してくれている汗か。それを判別できる前に、初めて強く唇を押し付けられた。息が出来ないほどの激しいキスはたとえアルコールが入っていなかったとしても意識が朦朧とするだろう。


「……まつかわさん」
「ん、」
「…あの…あっち」


ここはまだ玄関だからと部屋のほうを指さした。その指さす先と私の表情で松川さんは読み取ったようだ。このまま上がって、私の事を好きにしてくださいというお願いを。

こんなに積極的な自分が信じられない。やっぱり酔っているんだろうか、それでもいい。今私は松川さんに組み敷かれ、ぐしゃぐしゃになったシーツの海であおむけに溺れている。
暑そうにシャツのボタンをひとつずつ外していく彼を見上げながら、枕元にあるクーラーのスイッチを押した。


「白石さん」
「…は、はい」
「俺、もう止められないけど…」


つうと私の頬を撫でて松川さんが言った。私だってこんな状態で止められる方が無理だ。


「やめないでください」


全てのボタンが外されたシャツを引っ張りながら今夜だけの我儘を伝えると、松川さんは少しだけ微笑んだように見えた。
着ていたものを脱ぎ捨てて、いよいよ私に覆いかぶさるとワンピースのジッパーを下すため背中に手を回す。脱ぎにくい服を選んだ事を少しだけ後悔した。


「…脱がすの勿体ないね」
「えっ、」
「今日の白石さんすげえ可愛いから」
「…か…、」


今、私の事を可愛いって言った。もう一回言ってもらいたかったがそのままキスしてずるりと服を脱がされていったので「もう一度可愛いと言って」なんて子供っぽい事を言える雰囲気でもなくなってしまい、背中を浮かせて私も自ら服を脱いだ。
そして、今日家を出る前の自分に感謝したのである。もしかしたら、という期待を胸に真っ白くてかわいい下着を着用した自分に。

松川さんはそんな私の下着姿をどのような気持ちで見下ろしていたのか分からないけど、ゆっくりと顔を近づけてきてもう何度目か分からないキスをした。それだけで自分の下半身がじんわりと湿って来るのを感じる。
そして控えめな胸を覆う下着に松川さんの手が乗せられ、やんわりとその指に力が込められていった。


「……、ん…っ」
「白石さん、名前なんていうの」
「え…なま、え」
「そう。下の名前」


そういえば、私は名前を名乗っていなかった。名札に書かれた苗字だけをずっと呼ばれていたのだ。


「…すみれ…です」


こんな状況で改めて名前を言うのは恥ずかしい。松川さんは私から視線を逸らさずに、私の口が名乗るのを見ていた。そして名前を聞いた後「ふうん」と呟いて、止まっていた手の動きを再開させる。


「…すみれちゃん」
「あ、ッ…や、ふぁ」


名前を呼ばれながら先ほどよりも少し強めに胸を揉みしだかれると、どうしようもなく気持ちよくて甘い声が漏れた。
松川さんが私の名前を呼んだ。まだ下着の上から触られているだけなのに、自分でも分かるほど硬くなったそこを松川さんも気づいている。

早く直接触ってもらいたい、その温かい口の中で好きなようにいじめて欲しい。そんな願いはまだ届かないようで、彼は私の下着を脱がさないまま首元に舌を這わせるのみだった。


「…ッんん、ぁ、あっ…あ」


時折下着越しにかりりと乳首を引っかかれるような感じがして、その都度背中がぴくりと仰け反る。そんなのじゃ足りないのだ、もう。


「松川さん…も、むり…です」
「何が?」
「もう…これ、取って」


懇願するように言うと、松川さんが目を細めて私の唇にかぶりついた。それから素早く背中に手を回し下着のホックを慣れた手つきで外してみせる。ほかの女の人の下着もこうやって剥いでいるのかな、と少し残念な気持ちにもなった。勝手な女だ私は。

下着をするりと腕から抜いて上半身が露わになり、そう言えば私は堂々と見せられるような身体ではない事を思い出す。
しかしもう遅かった。こりこりに硬くなったそれをぬるりと舐め上げて、優しく音を立てて吸い上げられたらもう、遅い。


「っぁあ、やっ…だ、め」


自分から下着を取ってと頼んだくせに「だめ」なんて矛盾している。でも本当に駄目だと思った。これまで感じたことがないほど気持ちいい。


「ぁん、も…ッ、ふぅ、あ」


松川さんは器用に舌を動かしながら、するすると私の肢体を撫で下ろし下半身へと手を伸ばした。内もものあたりをわざとらしく撫でられて、脚ががくがくと震える。
もう私の股関節が充分にほぐれていると理解したのか、松川さんの指が私の一番熱いところを通過した。


「ひゃ…っ!?」


それだけで背中が浮いてしまい、じわりと何かが身体の内から出てくるのを感じる。その私を見下ろしながら、とうとう彼は私を守る最後の下着に手をかけた。


「……いい?」
「ん、はい」


ゆっくりと下ろされていく下着がだらしなく濡れているのが分かってしまい、思わず手で顔を覆った。淫乱すぎる。付き合ってもない人とこんなふうに身体を重ねて、いらやしくおねだりして濡らしてしまうなんて。


「…すごいね」
「…や…すごくない…です」


松川さんが私のぬるぬるになった部分に指をあてて、入口のあたりを擦っていく。その近くにはすぐにでも触って欲しそうに膨らんだものがあって、既にねっとりとした指でにゅるりと摘んだ。


「あ、あぁぁッ…、!」
「…やべ」


やばいって、何がやばいの。私がだらしなく喘ぐ姿が滑稽なの、それとも?

大好きなこの人の視界の中で乱れているという状況は、いつ意識を手放してしまうか分からないほどの高まりを与えてくれた。松川さんが時折話しかけてくれるおかげで、まだ正気を保てているだけ。


「白石さんは…すみれちゃんは、こういう事するの久しぶり?」
「…ひ…さしぶり」
「そっか」


短く言うと松川さんは私の下半身から手を離した。もう止めてしまうの、とねだるように自然と腰が揺れる。けれど松川さんが今度は両手で私の脚をぐっと開かせたことで、反対に私は硬直した。


「じゃあ、先にちゃんと気持ちよくなってもらわないと」
「…え」


どういう意味かと聞き返す間もなく彼の頭が私の股間へと近づいていく。何をするのか気づいた時にはもう、どう足掻いても隠せない距離になっていた。


「あ…!?ま、松川さ、ん」
「んー」
「駄目、きたな…ッ」


だめだめだめ絶対にだめだ、仕事の後にシャワーを浴びたとはいえこんな事。
それなのにお構い無しで私のぷくりと膨らんだところを暖かい口内に入れ、柔らかい舌でざらりと一度舐められる。

途端に私が松川さんの頭をぐしゃっと掴み引き離そうとしたけど、それは彼の手で祓われてしまった。器用に指でまわりの皮を広げ、直に舌が当たっているせいか今までに感じたことのない快感に襲われる。


「…ひ、あぅ…っや、だめ、だめ…っ」


こんなに気持ちのいい事ってあるの?どこにも刺激を逃がす場所が無く、シーツが破れそうなくらい握りしめてみても抑えられない。
いやいやと振っていた首はいつかそんな余裕も無くなって、最終的にじゅるると何かを吸い上げる音と一緒に背中が浮いた。


「………ッふああぁ、っ…!」


びくんと大きく震えた身体はその後小さな振動を繰り返し、やっと背中がベッドに落ちた後も私の肩は上下に動いていた。
今のって、あれだ。誰かに触られたり舐められたりしてこうなった事は無かったのに。松川さんが私のを、松川さんの口で…とまだ頭がぼーっとしてるのに、彼は身体を起こして私の様子をじっと見下ろしているではないか。


「…も…見ないでください」
「それはずるいでしょ、こんなに可愛いのに」


そっちのほうがずるいよ、こんなに格好いいのに。
松川さんは息の上がった私の額をそっと撫でて、汗でくっついた前髪を綺麗に分けてくれる。好き、幸せ、いまこの瞬間がとっても幸せ。


「……まつかわさん」


大好きです、という気持ちを伝えるのは我慢して、その代わり思いっきり愛しさを込めて呼びかける。そうしたら松川さんは私の頭を撫でながら言った。


「…俺、松川一静っていいます」


…松川一静。
名前を音で聞くのは初めてだ。
まつかわいっせい。


「……」
「呼んでくれないの?」
「い、一静…さん。」
「なあにすみれちゃん」


すみれちゃんと呼ばれるだけで沸騰しそうなほどに熱くなる。松川さんは私の頬を両手で覆い、優しく深く口付けた。控えめに私の口内を侵蝕する舌の動きがなめらかで心地よい。
そうなると自然とまた下半身が疼いてきて、膝を擦り合わせてしまうのでる。


「…すっげえ今更なんだけど、初めてじゃないよね」


松川さんが少し心配そうに言った。


「ない、です」
「デスヨネ。よかった」
「でも、」


キスの後、顔を離そうとした松川さんの腕をぎゅうと握りしめる。私の中に収まりきらない気持ちを言葉に乗せて。


「…本当はこれが初めてだったら良かったのにって思ってます」


私の初めての相手が松川さんだったなら。
私たちがもし恋人同士であったなら。
こんな期間限定の間しか会えないような関係で無かったならば。

松川さんは少しのあいだ押し黙っていたけど少し表情が硬くなって、かと思えば突然私の腰をぐっと力強く持った。


「……そんな事言って、俺の事煽ってどうする気?」
「煽ってなんて」
「煽ってる」
「ちが、…っ」


軽々と脚を広げられて恥ずかしいところが露わになり、代わりに口をつぐんで恥ずかしさを耐え凌ぐ。ついさっきそこを間近で見られて舐められていたと言うのに。

松川さんが彼自身を私の入り口へあてがうのを感じる。ああ、ついに。ついに松川さんと。でもそんなロマンチックな気分に浸ったのも束の間、ずぶりと入ってきた松川さんの圧迫感に痛みが走った。


「…う…ッ」
「痛い?」
「ちょ…っと、だけ」


久しぶりだからっていうのもあるだろう。私の経験が少ないからっていうのも。
けど、そんなの関係なくてきっと松川さんのが大きいのだと思う。それでも松川さんが慣らすようにゆっくり動いてくれたし、すっかり濡れていた私のそこが松川さんに慣れるまでは、そんなに時間がかからなかった。


「…ッあ…は…ぁ、ん」
「……いたい?」
「だいじょぶ…です」


次第に痛みは消えて甘ったるい快感のみが溢れてくる。私の声から苦しそうな響きが無くなったのを感じ取ったのか、松川さんは私が「大丈夫」と伝えた途端にずんと置くまで入ってきた。


「あっ!?松川さ、待っ…」
「…さっき名乗ったんですけど」
「い…っせい、さん」
「そっちで呼んで、今だけでいいから」


私の耳元で、初めて松川さんが頼み込むように言う。名前で呼んで、と。


「い…今だけ、…」
「だから俺も、今だけすみれちゃんって呼ばせて」


すみれちゃん、と松川さんの声で聞こえてくるのできゅううと下半身に力が入るのを感じた。
松川さんが何度か私の耳たぶを甘噛みしながら「すみれちゃん」と呼びかけてくる、そのたびに私は限界に近づいていった。

夢見るようなその時間が永遠に続けばいいのに、朝起きたら私たちは恋人であったらいいのに。このままずっと夜が明けずに松川さんの体温を感じていられたなら。

明くる朝のあこがれ