04


「白石さーん」


ぼやっと窓の外を眺めていると店長に呼ばれた。昨日の朝、海辺で松川さんに会ってからというもの私の心はここに在らずである。まさに恋がしたくて地元を飛び出した私の前に現れた王子様みたいな人。優しい声で気遣いも出来てユーモアも兼ね備えた完璧な人。
ああ松川さん、今日はお店に来てくれないのかなあ。


「白石さん。商品出してちょうだいって何回言えば聞こえるのかな〜」
「わ!すみません」
「まあ今日は暇だからいいけどね」


このへんの人は嫌味ったらしくなくて良い。私がぼーっとしていても、仕事を覚えるのが遅くてもちゃんと教えてくれるし。皆、せかせかと時間に追われずゆっくりと過ごしている。…だからこそ仕事に関係の無い、余計なことを考えてしまう時間が増えるんだけど。


「…わあ」


新しく入荷したTシャツは真っ白なさらさらの生地にポップな柄が施されていたり、ワンポイントでロゴがついていたり。
メンズのこういうTシャツかわいいな、きっと松川さんも似合うだろうなあ。アメリカサイズだけどLでも入りそう。背が高いし身体もがっしりしてるし、何があっても護ってくれそうだ。ほんとうに王子様みたい。


「あーこっちも可愛いな…」
「ホントだ可愛い」
「ね〜。ぎゃっ!!!」


知らない間に真横に人の顔があり、そこから好きな人の声が聞こえたもんだからびっくりしてしまった。しかも野太い声で。


「ま!松川さん」
「こんにちませ〜は言ってくれないの」
「…あれは言い間違いじゃないですか…」


松川さんは私の驚きようを見て笑いをこらえてる。この間の言い間違いも覚えられているし最悪だ。
気を取り直してこほんと喉を鳴らし、ちゃんと仕事をしようと背筋を伸ばすと、あることに気づいた。松川さんはスーツのジャケットと鞄を手に持っていて、まさに今から帰宅しようかという状況の様子。


「もうお仕事終わったんですか?」
「うん。もう8時前だよ」
「え」


言われて初めて外を見ると、すっかり暗くなっていた。今日ずっと松川さんの事を考えていたら、知らないうちに時間が過ぎていたらしい。


「…気付かなかったぁ」
「お店何時までなの?」


松川さんの質問にどきりとした。何でそんなこと聞くんだろう?


「……8時半です…」


もしかして私の仕事が終わる時間まで待っててくれるとか、そのあと一緒にご飯に行こうとか?まさかまさか。


「ふーん。」


…と思ったけれどそれだけで終わった。そりゃそうだよね。少し残念な気持ちで棚に並んだ洋服を畳み整えていると、続けて松川さんが話しかけてきた。


「ところで白石さん、俺は夏服を持ってきてないわけですよ」
「え?」
「荷物になるのが嫌だったからさ」
「…??」


彼の目は、今私がきれいに服を並べていた棚をまじまじと眺めている。これは今度こそ、もしかして?


「どれか見繕ってくんない?」


喜んで!と答えるのはちょっと恥ずかしかったので「私でいいなら」と返事をすると、松川さんはにこりと微笑んだ。松川さんなら絶対に何でも似合うから全部着てもらいたい。それに好みを知ることが出来る良いチャンス。

しかし閉店時刻が近いおかげで流し見程度になってしまったが、シンプルな感じのTシャツを一枚選んでいった。私が「これが可愛いと思います」と言ったものを!


「じゃあこれにする」


と、私が何かを言う隙もなくレジまで持っていってしまったのだ。小走りで追いかけて私がレジ打ちをしていると、松川さんはそんな私をじっと見下ろしていた。恥ずかしい。打ち間違えてしまいそうで怖いなと思っていると、ひらひらと目の前で何かが揺れた。


「スタンプ押してくれないの?」


顔を上げるとカードを持った松川さんが悪戯っぽく笑っていた。もうこの人、行動のひとつひとつが私の鼓動を速めてしまうんだから気をつけてもらいたい。


「じゃあね」
「…あ、あの」


見送りの際、商品の入った袋を持つ松川さんに声をかけた。松川さんは声は出さなかったけど振り向いてくれて、その目で見下ろされるとまたどきどき心臓が鳴った。


「…わたし…次の土曜日…また朝、波乗りしようかと」


そして途切れ途切れだけれども、自分の今週末の予定を伝える。あわよくば、を期待して。
松川さんはどんな返事をくれるかなと思っていたけど何も聞こえてこなくて、次の言葉を言おうか迷っている時にやっと声がした。


「……それで?」
「えっ?そ、それで…えー、んー」


その続きを言うのはとても勇気が要る事だ。一緒に海に行きませんか、なんて友達でもないのに誘えるわけがない。言葉にしなくても伝わって欲しかったけど、そうも行かないのだろうか。

そのまま俯いて言葉に詰まっていると松川さんは諭すように言った。


「そういう事は言うもんじゃないよ。俺はただのお客さんなんだから」
「………す…すみません」


言わなければよかった。
とても惨めだし格好悪い、「一緒に行きたい」という気持ちを悟られた上でこんなにも当然の理由で断られるなんて。

明らかにテンションの下がってしまった私は「ありがとうございました」と頭を下げて、そのまま顔を見られないようにお店に戻ろうと振り返った。
…そうしたら、背後から松川さんの吹き出す声が聞こえてきた。なんだろうと振り向くと、いつもの笑顔で松川さんが一言。


「ま、もともと土曜日は海に出ようと思ってましたけど?」





松川さんと波乗りの約束をしてしまった。
浮かれ気分で仕事をこなし、あっという間に土曜日を迎えたけれどこの数日間で少しだけ筋トレしたり走ったりして、最後の抵抗をしてみたが効果はあったろうか。だってこの間はまともなメイクもせずにラッシュガードを着ていたけど、「いつか彼氏との海デートに」と買っていた水着を着たかったのだ。
これを着た初のお披露目は松川さん。いつもTシャツにデニム姿で仕事をしている私の水着を見て、どんな反応を見せてくれるかなあ。


「…お、おはようございます」


松川さんは早起きらしくて、すでに砂浜に座って海のほうを向いていた。その後ろ姿が松川さんであることはすぐに分かった。癖のある短髪と広い背中のおかげである。


「おはよ」
「早いですね」
「うん。楽しみだったから」


一発目からこんな台詞ぶつけて来るなんて松川さんは何を考えているんだろう?私がどきどきして黙り込んでも気にしてないところを見ると、意識しているわけじゃなさそうだけど。それが余計にずるい。


「さ、今日も焼けるかなー」


などと言いながらサンオイルを取り出して、今日もそのしなやかな身体に塗り始めた。まあいいか、彼がこんなふうに上半身をさらすのが見られるんだもの。…とにやにやしていると松川さんがいつの間にかこちらを見ていた。


「白石さん。」
「は!はい」
「背中塗ってくれない?」
「え!?」


涼し気な顔でサンオイルの容器を差し出してくる松川さんはやっぱり読めない。
背中塗ってってことは、私が直接彼の身体に触れなければならないってこと。しかも、ぬるぬるのサンオイルを塗るために。それって凄くえっちな事なんじゃ?


「……そんなに嫌ですかね。」


しかし松川さんは全くえっちな雰囲気を出さずに口を尖らせた。


「や、嫌じゃないです!やります」
「はは。お願いします」


考え過ぎている自分が馬鹿みたいだな。焦ってあれこれ考えているのは私だけか。
私が両手のひらを出すと、そこに松川さんがオイルを少しだけ垂らしてくれたのでそのまま背中にぺたりと触れた。…背中、広い。それに、硬い。思わずごくりと息を呑む。


「………こ、このへんですか」
「テキトーでいいよ」
「はい…」


テキトーと言われても男の人の身体にこんなの塗ったことないし。男性経験皆無って訳でもないけど、こんなに色っぽくて大人な男性の身体を見るのは初めてである。

でも、息をするのも忘れるほど緊張して塗り終えると「ありがとう」と言ってくれたのでもう全部どうでも良くなった。


「あ、背中塗ろうか?」
「……へっ」


…やっぱりどうでもよくない。松川さんが今度は私の持っている日焼け止めを指さしながら「塗ろうか?」と声をかけてきたのだ!
本気なのか、何のつもりなのか(そのままの意味だろうけど)図りかねていると松川さんは首を傾げ、その後すぐに「やば」と言う顔になった。


「…ゴメン。セクハラだわ」
「いや…」


なんだ、無自覚だったのか。残念なような、安心したような微妙な気持ちだ。でもせっかくの松川さんからの有難いお申し出を断りたくない。私の身体に触れてくれるチャンスじゃないか。


「…お…お願いしても、いいですか」
「え?」
「や、あの迷惑でなければ!」


おそらく私の顔は真っ赤だ。彼氏でもない男の人に「背中塗ってください」なんて、股のゆるい女だと思われるだろうか。
でも好きた人に触りたい、触ってもらいたいと思うのは仕方の無いことだと思う。それに何より松川さんがこんなにも魅力的なのが悪いのだ。


「ふっ、迷惑じゃないよ。貸して」


ほらこうやって、私が慌てる姿を見て優しく笑ってくれるんだから。こんなの、ときめかないほうが無理。


「いきまーす」
「お願いします…」


背中の一体どこから触られるんだろう、と身体を強ばらせていると首の後ろあたりに温かい手が触れた。うわあ、手も大きいんだ。
そしてゆっくりと肩甲骨や肩の後ろ側など、自分では危うく塗り残してしまいそうな部分をきちんと塗ってくれた。松川さん、どんな顔して私の背中を触っているんだろう。どんな気持ちで?

そして松川さんの手が止まったのでひととおり塗り終えたかなと思った時、急に脇腹をくすぐられた。


「ひゃっ!?」


背中に触れられてちょっとだけそう言う気分になってたせいか、思わず変な声が出て反射的に自分の口を覆う。今の、大丈夫だったよね。


「ぶはは、くすぐったかった?」
「ま、松川さん!何するんですかッ」
「ごめんごめん。白石さんが緊張してるっぽくて、つい」


松川さんはけらけらと笑いながら日焼け止めを返してくれたので、恐らく私がちょっといやらしい気持ちになっていたのは気付いてないはず。そうでなきゃ恥ずかしくて死んでしまう。


「ほぐれたっしょ?」


でも松川さんがこんなふうに聞いてくるもんだから、結局恥ずかしさで死ぬはめになりそう。





それから二人で海に出たけど、どうせひとつの波には一人しか乗れないので途中からは自由行動みたいな感じになってしまった。私はこっそり松川さんの姿を目で追っていたけど彼ってやっぱりバランス感覚が良い。あの体型だし何かスポーツをやっているのかも。

途中で休憩を入れたりして結局2時間くらいが経過した頃には、二人ともへとへとになっていた。


「あー疲れた…」


松川さんもさすがに日向に居るのは体力を消耗するらしいのか、今だけは日陰でぐったりしている。海水で濡れた髪がまた素敵だ。
そんな彼に見入っていると、うつ伏せだった松川さんが身体を起こしながら言った。


「…2ヶ月って長えなと思ったけど、もう半月過ぎちゃったな」
「………」


そうか、この人はたった2ヶ月の出張でこちらに来ているんだった。地元は宮城県。私は行ったことのない場所だ。あと1ヶ月ちょっとで彼は帰ってしまうのだ。


「まだ全然このへん観光できてないんだけど、なんか良いところ無い?」


考えたくないなあ、と思っていたら松川さんが観光地のことを聞いてきた。私は松川さんがやって来る1ヶ月ほど前に来たところだから、実は何も知らないんだよなあ。


「…私もまだ来たばっかりなので、どこも行ってなくて…」
「あ、そっか」
「江ノ島は有名だし気になりますけど」
「…江ノ島。」
「あれです」


私は10時の方向を指した。湘南の海岸から目視できる場所にあるのである。


「ちかっ。あれかぁ」
「近いからいつでも行けるなーと思って、結局まだ行ってないですね」
「ほう」


私の家からは江ノ島へ行くのも徒歩圏内だ。散歩がてら良さそうだと思ったこともあるけど坂道だし、夏場は観光シーズンで人が多そうだなあと思ってまだ行ってない。ひとりで行くのも寂しいじゃんか。


「じゃ、一緒に行く?」


一瞬、幻聴かなと思った。松川さんの声でこんな台詞が聞こえてくるとは夢にも思ってなくて。


「………え」
「俺も行ってみたいし」
「………」


これは夢でしょうか。現実でしょうか。その見分け方が分からなくてしばらく硬直していたら、松川さんが慌て始めた。


「…え、あれ?ごめん嫌だったらぜんぜん断ってくれていいから」
「ちが………、え、ほんとですか」


嫌なわけない。これがドッキリか何かじゃないか心配で、それほど素敵なお誘いだったので、現実として受け入れるのに時間がかかるのだ。


「うん。是非」


でも松川さんがことりと首を傾けながら笑いかけてくれたので、やっと私の脳は理解をしてくれた。
松川さんとデート。デートに誘われた!

ザ・サーフライダーズ