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真っ白なワイシャツに少し焼けた肌、真っ黒な短髪に焦茶の革の鞄を下げたあの人は、いったいどこの人なんだろう。出張でこのあたりに来たと言っていたけど、職場はどこで、今はどこに住んでいるんだろう?
たった一度会っただけのあの人の事ばかり考えて、「今日は来るかな」「ああ、来なかった」と浮き沈みしながら1週間が経過した。

偶然あの日、単なる気まぐれで立ち寄っただけなのかも。もう会うことは無いのかもなとやっと心を落ち着けようとして、どうにか気持ちを切り替えようかと思った時に限って、運命ってあるのかなという出来事が起こるのだった。


「おすすめどれですか?」


突然私の背後から、明らかに私へ向けての問いかけがあった。しかも声は上のほうから聞こえてきたので、高身長の人が話しかけてきたのだと分かる。
もしかして。振り返りながら心臓が躍った。


「……あっ、こんにち…ませ」
「混ざってますよ」
「あ」


その人の顔が見えた瞬間に、私の口はどの言葉を発するのが適切なのかを迷ってしまったらしい。
こんにちはでもいらっしゃいませでも良かったんだけど、「こんにちませ」という造語を聞いた彼はふっと笑った。…恥ずかしい。


「なんかね、やっぱりボード欲しいなって思い始めたんですよね」


いまだ口角を上げたままのその人が言った。先日の私との会話を覚えていたみたい。それにも私は嬉しくなったけど、これ以上の失態を見せないように緊張してしまう。


「するとしたら…どこです?」
「んー、地元にいい波があれば地元で。宮城なんですけど知りません?どこかいいところ」
「宮城か…」


私はここ、神奈川県よりも西の生まれなので東北地方の事はさっぱりだ。


「せっかくだから湘南でも試したいですけど」
「波が低いんでロングがいいと思いま…あ、いや、上手い人は何でもいいかと思うんですけどっ」


波の低いところではショートボードよりロングボードのほうが乗りやすい。初心者の人はなおのこと。理由は単純で安定感があるからなのだが、私もそこまで上手じゃないので威張れない。
しかしこの人は「いや俺ほんと下手くそなんで」と頭をかいて、またその仕草にドキリとしてしまった。


「まー実際買うのはもうちょい先だと思います」
「レンタルありますもんね」
「ね。」


ね、だって。口にする言葉のひとつひとつに魅力がある人だなあ。

確か2ヶ月の出張と言っていたけど、宮城に彼女とか居るんだろうか。居たら寂しいし不安だろう、こんなに格好いい人がふらふらしていたら女の子はころりと気持ちを持っていかれそうだ。私も例に漏れず、その一人なんだが。

すると、いつの間にか彼はすたすたと歩いてサーフボードの並びから離れていた。何やってんだ私。
あまりしつこいと思われないように、少し離れて後ろを付いていくとサンオイルを見ているらしい。肌を焼きたいんだろうか。


「…どれがおすすめです?」


その人はもう一度私に聞いた。


「有名なのはこっちですけど…新作はこっちです。あんまりベタベタしないらしいです」
「いいっすね。んじゃこれにします」
「え?あ、はい!」


これまで何を見ても買う素振りが無さそうだったけど(見ているものが高いし嵩張るからだろうけど)、突然のお買い上げ宣言で返事が裏返った。
これまでもイケメンだなあと思うお客さんは居たが、「イケメン」と一言で終わらせるには勿体ない人だ。なんだろう。ハンサム…違う。男前…違う。何て言えばしっくりくるのかな。


「おねーさん。よかったらレジまで案内してもらいたいんですケド」
「はっ」


受け取ったサンオイルをじっと睨んだまま考え事をしてしまってた。これじゃあただの仕事が出来ない女店員としか見られない。…その認識で間違いありませんけど!

遅ればせながらレジへと案内し、金額を伝えると彼は財布を漁り始めた。
そこで私はお客さんが何かを購入してくれた時、必ず聞かなければならない事柄を例外なくこの人にも伝えようと思った。決して下心があるから、とかじゃない。


「ポイントカードお作りしましょうか…3000円でスタンプが押せるんですけど」


小銭を出していた彼は顔を上げた。…顔を「上げた」のにその身長のせいか、私は見下ろされている状態だ。
彼は私をじっと見下ろしたままレジに通した商品を指して言った。


「これ1700円ですけど」
「………。」


しまった。スタンプ押せない。


「…申し訳ございません。」
「天然ですね」
「そ、そんな事は…いやとにかくすみません今のは、」
「んー」


ちゃりんちゃりん、と消費税分までぴったりの小銭を出しながらその人は唸った。そして財布の中にカードが1枚増える隙間があるかどうかを確認し、口を開いた。


「せっかくなんで作ってください。お姉さんのおすすめなら」
「………は、ハイ…」


作ってください、だけじゃなくて「お姉さんのおすすめなら」などという一言を加えてくるあたり、なかなか手強い男性のようだ。
「お姉さん」なんて言うけれど、見た感じ私のほうが歳下なのは明確である。女性の扱いに慣れているのかな、ピンヒールを履きこなす綺麗な女性が似合いそう。

ちんちくりんの私は緊張しながら真っ新のポイントカードを取り出して、今日の日付を書いてから彼のほうへ向けた。


「この欄にお名前お願いします」
「ハイ」


その人は差し出したボールペンを手に取りさらさらと名前を書いていった。なんとか名前を見てやろう、と怪しまれない程度に彼の手元を覗き込もうとしたんだけど、すぐに書き終えたのか「ハイ」とボールペンを渡された。

その時一瞬だけ視線を落として『松川一静』とあまり筆圧の高くない字で書かれているのを確認した。まつかわ…かず…かず、しず?…変か。なんて読むんだ。


「…大丈夫ですか?」
「は!はい大丈夫です」
「はーい。じゃあいただきます」


松川さんはカードを財布にしまい込み、サンオイルの入った袋を持ってさっさと歩き出してしまった。

その行動は当然なんだけどもう少し余韻に浸りたかった私は、慌てて後ろを追いかける。何故って接客マニュアルのとおり、出口までお送りするためだ。決して決して、下心があるからではない。


「ありがとうございました」
「いえいえ。ご丁寧にどうも……あ」


出口でお別れをする間際、松川さんが何かを思い出した。レジのカウンターに何かを忘れたのだろうか?と後ろを振り返ると、「ふっ」と松川さんが笑みをこぼす声が。
もう一度松川さんのほうを向くと彼はいたって冷静な顔(を充分に保とうとしている顔)で言った。


「さっきから言いたかったんですけど」
「え」


どき、と少女漫画みたいな音が鳴った。私に何かを言いたかったって、それってもしかしてキミかわいいね連絡先教えてくれないかとか、今度デートしないかとか、そういう…


「お尻に何かついてますよ」
「…え!?」


びっくりして自分のお尻を鷲づかみすると、くしゃりと何かが手に当たる。べりっと剥がして見てみると、なんと値札のシールであった。しかもめちゃくちゃ安いやつ。


「売りものじゃないですよね?」


松川さんはとうとう笑いを堪えきれずに私のお尻を指さした。


「ちがいます!」
「ぶはっ、スミマセン。じゃあまた」


最悪だ。最悪だ。最悪に恥ずかしい。

けれど松川さんの名前を知れて、さらに少しだけ彼の記憶にインパクトを残せた事はラッキーだったかもしれない。…私のお尻が1900円で売られているという間抜けな光景は忘れてもらいたいけど。

ミスター・ユーモレスク