09


翌日、逸る気持ちを抑えるために朝から身体を動かした。気分の上がる音楽を聴いて、少しでも冷静になれるようにと思ったのだが到底無理な話だった。昨夜、本人の口から「明日は学校に行く」と聞けたのだから。

今日は会える。勉強を見てもらったお礼と、怪我の具合を聞くのと、それから何をしよう、何を話そう。ぐるぐる考えていたらいつの間にか朝練ギリギリになってしまったので、慌てて家に帰りシャワーを浴びた。


「影山くん!」


谷地さんの声に振り向くと、いつも眉を八の字に下げている彼女が珍しく元気そうだった。


「はよっす」
「はよっす!あのね、白石さんがね、」
「!」


朝からいきなり「白石さん」という単語を聞いて顔が熱くなるのを感じる。幸い周りにはうるさい奴が誰もいなかったので良かった、谷地さんもそのタイミングを狙ってくれたのかも。


「白石さん、今日は学校来るみたい!」
「…あ…ああ、昨日聞いた…」
「よかったね!」


谷地さんはきっと、俺が白石さんに特別な感情を持っている事を気付いているのだろう。この子が居なければ白石さんの連絡先を知ることも無かったし、昨日電話をすることも無かった。
いつか谷地さんが誰かに片想いしていたら助けになろう。…谷地さんって恋愛感情とかあんのかな。

部活は朝のホームルーム開始ぎりぎりに終わってしまったので朝は5組を覗いてみる余裕がなく、白石さんの姿を見るのは昼休みまでお預けとなってしまった。そのお陰でそわそわして授業を寝ずに過ごす事が出来たけど、返ってきたテストの中に何と赤点が一科目。せっかく一緒に勉強したのに!と言うかこれじゃあ補習で合宿に行けないじゃないか。人生何もかも上手くいくには、まだまだ道のりが険しそうだ。

気持ちを切り替えて昼休み、ダッシュで購買に向かいパンとおにぎりを手に入れた後、またもやダッシュで自販機へと向かった。途中で先生に「廊下を走らない!」と怒られたけど、俺は足が速いので聞こえなかったふりをする。

そして、からりと晴れた空の下にある自販機の、そのまた横の木陰のベンチに腰を下ろそうとすると。


「あ、影山くん来た」
「………!!」


なんと先に白石さんが来ていて、そこに座っていたのだ。どんな顔で会えばいいか考えてなかった俺はびっくりして目も口も開きっぱなしになり、「おーい」と声を掛けられるまでその顔のまま固まってしまった。


「……白石…さん、あの」
「へへ…ご心配おかけしました…」


立ち上がって照れ笑いをする彼女の頬には絆創膏が貼られていた。腕にも何箇所か。それにいくつかの切り傷か擦り傷のようなもの、青あざのようなものも見受けられる。…もしかして学校なんか来れる状態じゃなかったのでは。


「怪我、平気なんデスカ」


ひとまず、白石さんに促されるままベンチの隣に座らせてもらい怪我の様子を伺ってみる。白石さんは弁当箱の包みを開けながらこくりと頷いた。


「うん。お風呂の時とか、ちょっとヒリヒリするだけ」
「そうか…」


俺も小さい時、擦り傷を作った日には湯船に浸かるのが嫌だったなあと思い出す。白石さんの傷は確かに酷くはないようだけど、どのくらいで治るんだろうか。


「あ、あんまり見ないでください…」
「!」


やばい。傷のことを考えていたら白石さんの顔を凝視していた。


「ごめん。俺が来いって言ったから」


本当は顔に大きな絆創膏なんか貼りたくなかっただろうな。「どんな顔の白石さんでも会いたい」なんて言った昨夜の自分に檄を飛ばしたくなったが、白石さんは素早く首を振った。


「そういう訳じゃない!単純に会いたいなって思ったからで…」


そこまで言って白石さんが口をつぐんだ。俺も言葉が出なかった。今の、どういう事だ。


「……あー…うー」


たった今の言葉を打ち消すことは出来ないのに、なにか書き換えできないかと考えているかに見えた。
しばらくは白石さんの唸り声と蝉の声のみが響く。その間が気まずくなってしまって、俺は自販機に向かい小銭を入れた。押すボタンは勿論ぐんぐんヨーグルだ。
がたんと商品が落ちてきたのを取り出して、ちゃんと冷えている事を確認しながら白石さんへと差し出した。


「やる」
「えっ!」


白石さんは驚いた様子で、いちご味のそれと俺の顔を交互に見た。


「回復祝い…いや、回復祈願?てやつ」


まだ治りきってないから祈願だな。白石さんはゆっくりと手を出してぐんぐんヨーグルを受け取った。その時に少しだけ指が触れて、せっかく冷たいものを持っていたのに体温が上がった気がする。


「影山くんに祈願されるなんてなぁ」
「ど…どういう意味だ」
「ううん。ありがとう」


べつにお礼を言われるほどじゃないけど。
返す言葉が見つからなくて、俺は小さく頷くのみだった。けれどストローを刺して、それからストローを咥える白石さんをこっそり見ていたのは内緒だ。数口飲んで口を離し、「おいしい」と呟くところまで瞬きせずに凝視してしまった。


「今度、影山くんに何かサービスするね」
「サービス…」
「あのお店は暫く工事で休みなんだけど、別の店舗に行く事になったから」


その別の店舗というのは、白石さんの家から自転車で通えるくらいの距離らしい。遠くはないけど、俺がバスを降りてから寄るのは困難だ。部活帰りのあのうきうきした気持ちを味わえなくなるのかと思うと残念である。


「だから、ここでしか会えなくなるね…」


白石さんも心なしか残念そうに言った。俺と会う機会が減るのは残念だと思ってる、って事でいいんだろうか。
俺は嫌だ。昼休みのほんの少しの時間じゃ足りないし、アルバイト中に顔を合わせるだけでも物足りなかったのに。好きな女の子にそれを伝えるにはどうしたら良いたろう。

そんな事を悶々と考える俺の顔がおかしかったのか、白石さんが少し吹き出してから言った。


「その代わり、また電話して欲しいなあ」
「え…」
「…無理にとは言わないけど」


それは思ってもない嬉しい申し出だったが、果たして本気で言っているのだろうか?空耳だったらどうしよう。暑さにやられて頭がおかしくなったのかも。
でも何度瞬きをしてもベンチの隣には白石さんが座っていて、俺の顔を見上げていた。


「………する。したい」
「本当に?」
「ほんと」


俺の返事を聞いて白石さんは微笑んだ。
よかった、夏の暑さのせいで自分に都合のいい幻聴が聞こえたわけではない…らしい。

彩られて色移り