08


月曜日、谷地さんによると今日は白石さんが登校してくると聞いた。この週末がとても長かったように感じられ、久しぶりに会うような感覚だ。

いつもなら昼休みまで特に会う予定はないのだが、どうしても一目見たくて朝練後に5組の前を通りかかる。…姿がない。ホームルームまで時間があるし、まだ来ていないのかも。
このまま待っておきたい気持ちもあるが、5組に友だちの居ない俺が入口に突っ立っているのも怪しい。仕方がない、朝は諦めて昼休みまで我慢するか。

しかし昼休み、いつもの自販機のところへ行って、待てども待てども白石さんがやって来ない。時々誰かの足音に反応して顔を上げると、全く違う生徒が飲み物を買っていくのでその度に落胆した。

今日は来ていないのか?それとも俺に会うのが嫌なのか?嫌われるような事はしていないはず。…もしかして、教室に居るのだろうか。そうかもしれない。
そのまま5組へ行こうと思ったが、ふと昨日「お見舞いでも渡すべきか」と悩んだのを思い出した。怪我のお見舞いにできるような洒落たものは持っていないし、思い浮かばない。またもやその場で悩んだ結果、白石さんの好きないちご味のぐんぐんヨーグルを買っていくことにした。

昼休みの校舎はやっぱりがやがやしている。先週行われた期末テストが返ってき始めているから、結果を報告し合う声もある。俺は午前中に返ってきたものは全て赤点を回避できていた、そのお礼も言いたいのに。


「あ、影山くんだ」


5組の入口から中を覗いていると女の子の声がしてどきりとしたが、それは谷地さんの声だったのであまり驚かなかった。
俺がひとりでここに居るのを不思議そうにしていたが、谷地さんはすぐに思い出したらしい。俺が白石さんを気にしていたのを。


「白石さん、今日きてないの」
「え」
「お休みみたい…」


谷地さんが報告してくれた内容は、俺の期待をどん底まで突き落とした。あまりに暗くなっていく俺を見て、谷地さんも非常に申し訳なさそうに続ける。


「あのね、白石さんの連絡先知ってる子に聞いたんだけど…顔に怪我してるからって」
「…かお」
「詳しくは分かんないけど、女の子だから…」


そこで谷地さんが言葉を止めた。女の子だから、の後に続く言葉が言いづらかったのかも知れない。しかし俺にしては珍しく理解することが出来た。怪我の程度は分からないけど、女子が突然顔に入った傷を受け入れるのは少々難しいだろうと。
でも頭で理解できたものの、直接会いたい、話をしたいという気持ちは変わらない。


「わかった。谷地さん、頼みがあんだけど」
「ん?」
「白石さんの連絡先が知りたい」


俺が女子の連絡先を知りたいなどと口にするなんて、自分が一番驚いている。谷地さんも飛び上がっていた。なんたって俺はまだマネージャーである谷地さんの連絡先すら知らないんだから。烏野高校に入学してから増えたのはバレー部員の連絡先のみである。そのうち唯一の女性は清水先輩だ。

そして今日、プラスふたりの連絡先を手にすることが出来た。ひとつは谷地さん、もうひとつが白石さんである。


『教えても大丈夫だって!送ります』


昼間に連絡先交換をした谷地さんが、そのまた友人を介して白石さんの連絡先を聞いてくれたのだ。更に、俺に教えても良いという許可まで取ってくれたらしい。


『ありがとうございます』


俺がメッセージを打ち込む間に、谷地さんからは早々に白石さんの連絡先が送られてきた。そのまま谷地さんへお礼を送り、白石さんの連絡先を開く。…画像はどうやら何かのぬいぐるみだ。これが彼女の部屋に飾られているのだろうか。こいつが羨ましい、四六時中同じ部屋に居られるなんて。

と、そんな事は後回しだ。普段は長い時間座ることのない勉強机の椅子に座り、頭を抱えた。最初に何て送ればいいんだ?窓の外を見ても勿論答えは無く、ただただ暗い夜の空が覗いているだけだった。


「……大丈夫……で、す、か」


どっちにしても今夜、俺から連絡がいく事は予想しているはずだ。
迷惑な時間になる前に何か送らなくてはと、とりあえず『大丈夫ですか』と送信した。未読だ。心臓が一気にばくばくと揺れ始め、その振動は痛いくらいに俺の胸を刺激する。痛えなちくしょう、動くな心臓。いや動かないと死んでしまうか。面倒な機能だ。
その時、手の中で携帯電話が振えた。


「うお、」


慌てて机の上に携帯を落っことしてしまい、画面を見ると白石さんからの返事がきていた。今度は心臓が止まったみたいに静かになり、やがてだんだんと意識や時間が動き始める。


『大丈夫です』


メッセージはとても簡素なものだった。しかしこの文字を俺にあてて、俺のことを考えながら打ち込んだのかと思うと胸が熱くなる。声が聞きたい。どんどん俺の欲は膨らんでいく。


『電話で話せますか』


送ってしまった。電話がしたいと。

どのように思われるだろうか、「厚かましいんだよボゲ」なんて呟いていないだろうか。今は夜で部屋の中は涼しいのに、たらりと冷や汗が流れてきた。しかし、その汗もすぐに止まった。

電話がきたのだ。白石さんから。

出なければ。応答しろ。指をほんの数センチ動かすだけのその動作に踏み切るのに、一体どれほどの時間を費やしたのか。サーブの直前みたいに深呼吸をして、ついに通話を開始した。


「………」
『…あれ…もしもし?』
「あ、あー…影山です、けど」


分かってるんだよ俺が影山だなんて事は。いくつかの気遣いの言葉などを頭の中に浮かべていたが、白石さんの声を聞いて頭の中は爆発した。電話越しに聞こえる声すらも素敵である、少しかすれているのは夜だから?寒いのか?風邪をひいているのか?


「…えー……顔、怪我したって聞いて」


ここ最近で俺は何度、自分の頭を殴りたくなっただろう。本人が気にしているであろう事をいきなり言ってしまうなんて、初対面の月島に「王様」と呼ばれるようなもんだ。
しかし、電話口の白石さんは小さく笑ったように聞こえた。


『えへへ、ただの擦り傷だけどね』
「…擦り傷って、ガラスで?」
『そうそう。あ、目は平気だし傷も軽いんだけど!不細工になっちゃったから、見られたくなくて…』


情けない理由でごめん、と白石さんは謝った。確かに怪我をしたのが男なら俺は、「そんな事で休むなよ」と思うのかもしれない。けど相手は女の子、それも今どうしようもないくらいに惚れている子だ。その子を今以上にマイナスな気分にさせることなんかできない。


「少々傷があるくらいで不細工なんて思わねえけど…あー、いや…誰も思わないと思う」


それなのに、こんなふうに俺は自分の意見としてではなく「ごく一般的な見解として」の台詞しか言えないのだった。白石さんは暫く黙っていたが、やがて口を開いた。


『ありがとう。でも、影山くんに見られるのが一番恥ずかしいよ』


今度は俺が黙ってしまった。これってどういう意味だろうか。どうして俺に見られるのが恥ずかしいんだろう、クラスの友人に見られるのが嫌なら分かるけど。


「………なんで?」
『何でって…うーん、何でだろう』
「俺はどんな顔の白石さんでも会いたい」
『えっ!?』


白石さんは驚いていたが、彼女の顔がどんなになっていようと会いたい気持ちは変わらないのだ。電話越しには元気そうだけれども、実物を見て確認したい。
それに、単純に会いたい。好きだから。


「…けど女の子だから…色々あるんだろうし…来れるようになったら教えて欲しい」


そこまで気持ちをぶつける勇気は湧いてこず、そのように伝えると白石さんは言った。


『わかった。でも、明日は行くよ』


その声は心配していたよりも力強くて、ひとりで焦っていたのは俺だけだったのかなと思わせるほど。
明日は会える。結局当初の予定とは逆に、白石さんの言葉が俺を元気づけてくれる結果となった。

剥がし損ねたラベルみたいな