07


白石さんがアルバイトをするコンビニエンスストアにトラックが突っ込む事故があった。

パトカーや救急車がやって来たから近所の人たちはそれを知っていて、帰宅すると俺の母親も「事故があったみたいだけど、大丈夫?」と言った。俺は傷ひとつ付いていない。けれど白石さんはどうなのだろう、運ばれたって、どの程度の怪我なのだろう。

あの時コンビニエンスストアの近くにいたおばさんに「店員さんは…」と声をかけると、状況を教えてくれた。


「遠くからしか見えてないけど、自分で歩いてるようだったよ」


この話からして、大怪我をしているわけではないと思いたい。しかし救急車で運ばれるなんて自分は経験したことがないし、身体は平気でも頭を打ってしまっていたり、後遺症みたいなものが残ったりしないだろうかと不安は募る。
白石さんの連絡先も知らず家も知らず運ばれた病院も知らず、何も出来ないまま夜が明けた。





翌日、土曜日は朝から夕方まで練習である。どうも集中出来そうにないが、俺が考え事をしていたって白石さんの情報が入ってくるわけじゃない。沈む気持ちに反比例しているかのように空は明るく爽やかだ。
ショルダーバッグを肩にかけ、もう昨日の事故のことなんて忘れかけているであろう母親に「いってきます」と言い家を出た。

バスに乗りながらもその事ばかり考えて全く落ち着かなかったが、学校に到着してひとつの案が浮かんだ。
バレー部のマネージャー、1年5組の谷地さんの顔を見て思い出したのだ。白石さんと谷地さんが同じクラスであることを。


「谷地さん」
「あ、影山くん。はよっす!」
「あの、聞きたいことが」


体育館に入るや否や「聞きたいことがある」という俺を谷地さんは不思議そうに見上げた。俺から谷地さんへ積極的に話しかけたこともないから当然だ。


「どうしたの?」
「………5組の白石さんのことで…」


白石さんの話、それどころか女子の話をする事も緊張するのに内容が内容だから少し声を潜めた。谷地さんは一瞬目を丸くしたが「なに?」と小さい声で返してくれ、心なしか体育館の端へと寄った。


「き、救急車?」


ことの端末を話すと谷地さんはいつものオーバーリアクションで、しかし声だけは抑えてくれたようだ。


「ああ…で、白石さんが、その…大丈夫かなって思って」
「……ごめん…連絡先まで知らなくて」


そうだよな、谷地さんと白石さんは特別仲の良いという訳ではなく普通のクラスメートだ。連絡先を知らないのも無理はない。俺も同じクラスの人の連絡先なんか知らないし。
諦めて去ろうとした時に「待って」と谷地さんが引き止めた。


「私、誰かに聞いてみるね。白石さんの連絡先知らないか…」
「え」
「私も心配だし!ひどい怪我とかしてるのか聞いてみるから!」
「…あざっす」


谷地さんは、自分の仲の良いクラスメートの中から白石さんの連絡先を知っている人がいないか探してくれるとの事だった。
これまでただの鈍臭い…だけじゃなく頭がいい女の子だなと思っていたが、今だけは後光がさして見える。その場で携帯電話を取り出して、心当たりのある人に片っ端から連絡をしてくれた。





その土日は正直いって全く練習に身が入らず、日向からも月島からも「スランプですか?」と言われる始末だった。
この時ばかりは言い返せなかった、これがいわゆるスランプなのだ。今までバレーボールに関しては、ほかの事に意識を取られて集中出来ない・上手くいかないなんて事は無かったのに。

そんな日曜日の練習終わりに、こっそりと谷地さんが手招きをしてくれた。


「影山くん、白石さんの事なんだけど」


びく、と身体に緊張がはしるのを感じた。しかし谷地さんからの情報を聞き逃さないように落ち着けて、話を聞く態勢を整えた。


「友達が連絡とってくれたみたいで…入院とかするほどの怪我はしてないんだって。切り傷とか、そんなもんだって言ってる」
「……切り傷」


どこをどんなふうに切っているんだろうか。顔?手?脚?いずれにしても昨夜の粉々になったガラスを見る限り、軽い怪我では無さそうに思える。


「でも、明日は登校出来ると思うって言ってたよ」
「マジすか」
「う、うん。友達伝いの情報だけど」


心配なら連絡先を聞こうか?と谷地さんが言ってくれたが、俺がそこまでしゃしゃり出るのも変な気がして断ってしまった。聞いておけば良かったと後悔するのを分かっていたけど。

俺と白石さんは特別な関係ではなく、偶然あの自販機で出くわして、偶然家が近いだけの仲だ。最近よく昼休みに会っていたのも、偶然互いに暇だったから。
…俺は暇つぶしではなく、彼女に会うのが目的で足しげく自販機やコンビニに通っていたのだが。

今週末はテストも終わって、あとは結果を待つだけの清々しい気分で迎えられると思っていたのに。テストの結果も白石さんも、心配だ。とにかく明日は登校できると言っていたらしいし、何かお見舞いでも渡したほうが良いんだろうか。いや、要らないか。どうしよう。


「肉まんいる人この指とーまれ」


突然、俺の暗い気持ちを断ち切る陽気な声が聞こえた。はっと顔を上げると菅原さんが人さし指を掲げており、俺と目が合うとにこやかに微笑んだ。


「何か影山暗いから、腹減ってんのかなーと」
「…腹は………減ってます。」
「じゃあ指とま…っちょ!おいお前ら」
「俺も俺もー」


俺が菅原さんの指を握る前に、主将とか日向とかその他もろもろの部員たちが雪崩のように近づいてきて、菅原さんの人さし指を覆ってしまった。菅原さんはこんなにも大勢に集られるとは思っていなかったらしく、慌てて振り払おうとしている。


「お前らには言ってねぇーよ!」
「食いたいやつは指とまれッつったろ」
「言ったけど!主に後輩に対して!」
「同級生にも優しくしよ?な?」


主将が菅原さんの背中を強めに叩くとどうやら観念したらしい、菅原さんは「お前ら絶対いつか返せよ!」と叫び部員を従えて坂ノ下商店へと向かった。
俺に気を遣ってくれた結果このような事になって少しだけ申し訳ないが、俺も空腹なのは本当だからついて歩いた。頭の中は相変わらず別のことで一杯だったけれど。

お店に着くと烏養コーチが店頭に座っていて、「お前ら飽きねえな」と大量の肉まんを取り出し始めた。部員がこぞってやって来るのを予測していたのかもしれない。


「ごちスガ〜」
「スガごち〜」
「うっせえな覚えてろよ!ほい影山も」
「…ありがとうございます」


菅原さんから受け取った肉まんはとても熱かった。当然だが白石さんのコンビニエンスストアで売られているものとは違う包装で、味も若干違うもの。最近よく口にしていたものとは別のもの。受け取ったものをそのまま眺めていると、菅原さんが言った。


「スランプ解消を願って、って事で」


菅原さんは俺の練習の調子が悪かったのを気にしてくれての発言なのだろう。
でも、申し訳ないがこれでスランプが解消するとは思えなかった。白石さんのいるコンビニで、白石さんから受け取る肉まんでなければ。

焼けど焦がれど灰には成れず